炉開き・山茶花
ここ長陽高校において、多くの文化部は文化祭で3年生が引退する。茶道部も例外ではなく、今日から2年生が活動の主体となる。とは言え、新人戦に向けてレギュラーを決めるようなこともないので、活動自体に大きな変化はない。強いて言えば、文化祭までに使っていた茶道具が入れ替わるくらいである。
茶道では抹茶を点てるために釜で湯を沸かすが、炭をくべて火を使う場所が季節によって変わる。一般的には5月から10月までは畳の上に置く風炉、11月から4月までは畳を切って床に設けた炉を使う。しかし、長陽高校では学期が基準となっており、4月から10月初頭の文化祭までが風炉、10月後半から3月までが炉となっている。
そして、茶人の正月とも言われる炉の最初の時期に行う行事が炉開きである。
「ようこそいらっしゃいました」
そういって俺たち1年生8人を迎え付けたのは、2年生の新部長だ。炉開きは2年生が運営に慣れるための練習の目的も込めて、簡単な部内茶会として行われる。開始予定時刻より準備に手間取ったお詫びをされつつ正客として茶室に入ると、まず掛軸と花を拝見するために床の間に向かった。
『掬水月在手』
「紫の花は桔梗だな。…すぐ後ろから少し覗いた小ぶりの桃色のつぼみは椿か?」
次客として床の間の前で横に並んでいる日下部に訊かれて俺は頷いた。軸や茶碗などの茶道具は全て新部長を中心に2年生が選んだものだ。選択肢は限られるが、必然的に選んだ理由が存在する。
「桔梗と椿はこの季節なら無難。達筆な掛軸は手ですくった水に月が映っている様子を指す禅語で、真理は意外と身近にある、という意味」
「これが3年生の茶会だったら訓示だけれど、2年生主催で1年生が客だから一緒に頑張りましょう、のような?」
「2年生は部で茶道を始めた先輩ばかりだから、ありそう」
「そこ2人でしゃべってないで次行きなさい。遅くなったのは申し訳ないけど、連客を待たせているでしょう」
部長に怒られたので謝って次は炉と釜を見に行く。炭で湯がよく沸いており、釜の蓋の隙間から白い湯気が出ている。真冬ならちょうどいいが、この時期にはまだ熱気で暑いくらいだ。釜は特筆する点のない稽古用だが、水指は円筒型の備前焼で、焦茶色の土の質感が強い。客はここまで鑑賞し、ようやく自分の席に着ける。
全員が席に着くと、お菓子が出される。普段なら大きめの器に3人分が盛り付けられるが、炉開きでは特別に善哉が出される。1年生一人一人に2年生がお盆で善哉のお椀とお箸を運び出した。
最後に茶室の入口で部長が「どうぞお召し上がりください」と言い襖を閉める。先輩に見られていた緊張感が抜け、茶室にまったりとした時間が流れる。
正客の俺が箸を取ると、全員が善哉をいただける。7時間目まであって疲れた脳に甘味がよく効くのを感じる。連客の女子達も静かだがおいしそうだ。今頃は2年生や顧問の北条先生も茶室の外で善哉を食べているだろう。
食べ終えた善哉の器と盆が下げられると、部長によるお点前が始まる。風炉と炉では柄杓の扱いなどの細かな違いはあるが、お点前の流れ自体は文化祭と変わらない。違うのは部長がお点前をする亭主を務めるのに加えて、副部長が補佐要員である半東として茶室に入る点だ。半東は亭主から客への茶碗の取次ぎや、客へのお道具の説明を担当する。
「改めて、本日はお越しいただきありがとうございます」
「お招きいただきありがとうございます」
「早速ですが床の間をご覧ください。軸は掬水月在手、十三代家元の筆でございます。意味は勝手に解説してくれた人がいますが、月が掬った水に映って見えるという内容です。普段の活動から真髄を見出していきたいという茶道部としての心構えを伝えたく選びました」
別に茶会は推理ゲームではないのだが、お道具の意図が当たると何となくうれしい。目線だけを日下部の方に向けると、口元がにやりとしているのが見えた。
「花は手前が桔梗、奥が山茶花。共に今の時期のものですが、どちらかと言えば桔梗は終わりごろのもの、山茶花はこれからのものです。文化祭が終わって世代交代した今、先輩方への敬意を込めて前部長がお好きだった桔梗を取り合わせました。花入はOB作の竹の二重花入です」
部長が棗、茶杓、茶碗と清めていく間に副部長が説明を続ける。
「今日は炉開きですので、菓子として善哉をお出ししました。お味はいかがでしたか?」
「大変おいしかったです。ご製は?」
「小豆は丹波のもので、2年生一同が昨日から家庭科室で調理しました。茶道部は料理部だったり隣の華道部だったり、お互い色々な所にお世話になるので各部とのご縁は大切にするように」
突然の副部長からの指導に皆で苦笑いしつつ頷いていると、ちょうど部長が抹茶を点て終えた所だった。副部長は持っていた空の茶碗と交換に部長が抹茶を点てた茶碗を持つと、俺の目の前まで進んで正座した。茶碗の正面を俺に向けて、「どうぞ」と礼をして去っていく。
俺は日下部との間に茶碗を置き、「お先に」と礼をした。それから左手に茶碗を載せて正面を避けるように回し、抹茶をいただく。それを見た部長は、副部長に出された空の茶碗を取り、再び抹茶を点て始める。これは客数が多いときの茶会のやり方で、亭主が正客と次客に別の茶碗で抹茶を点て、残りの客の分は茶室の外で待機している2年生が点てて持ってくる。
抹茶を飲み終えた後は茶碗を鑑賞する。おそらく石川県の九谷焼だろう。花入や水指などがどちらかと言えば素朴な中、白地に黄色や紫といった明るい顔料で絵が描かれた茶碗は不思議な取り合わせに思える。
「こちらのお茶碗は?」
「主茶碗は九谷焼で、銘は錦秋です。ご次客様の替茶碗は清水焼で、秋の七草が描かれております。どちらも秋の古都をイメージして選ばせていただきました」
茶碗の鑑賞が終わると、副部長が茶碗を取りに来て部長に返した。
「どうぞお仕舞いください」
「お仕舞いいたします」
これから亭主は道具を片付けていくことになるが、一方の客はまだ全員が抹茶を飲み切れていない。普通のお茶会では、茶室の外で点てる担当と、茶室の客まで運ぶ担当がいる。しかし、長陽高校の炉開き茶会では稽古の一環として点てた本人が運ぶことになっている。今年は2年生が1年生より少ないからか、点てるのが間に合っていないようだった。
窓の外からは運動部のにぎやかな喧騒が届いてくる。抹茶で一服して緩んできた1年生と比べると、2年生はまだ固い雰囲気がある。副部長もとっさに話すことが思い浮かばなかったようで、しばらく会話のない時間が挟まった。




