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残花葬送 ー世界から消す未来を、君と花束にするー  作者: 桝田キゲン


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3/8

花を食べる少女

 夜明堂は、夜だけ開く。


 正確には、日が沈んでから、夜が明ける少し前まで。


 商店街の外れ。


 古い時計店と、長く空き家になっている文房具店の間。


 色褪せた木製看板に、白い文字で店名が書かれている。


 生花店、夜明堂。


 昼間に前を通っても、店内は暗い。


 曇った窓の向こうに、花の影だけが見える。


 店主は不在。


 営業時間も曖昧。


 商店街の人間からは、夜中に花を売る変わった店だと思われている。


 実際、間違ってはいなかった。


 夜一が裏口を開けると、甘い匂いがした。


 花の香りではない。


 蜂蜜。


 しかも、かなり濃い。


「ただいま」


 返事はなかった。


 厨房から、金属の触れ合う音がする。


 嫌な予感がした。


 夜一は鞄をカウンターへ置き、そのまま奥へ向かう。


 厨房の床に、少女が座っていた。


 白い髪。


 金色の瞳。


 裸足。


 白いワンピースの裾を広げ、その上へ店の商品である鉢植えを三つ並べている。


 一つはミント。


 一つはローズマリー。


 もう一つは、観賞用の小型サボテン。


 少女はサボテンを持ち上げ、真剣な顔で見ていた。


「何をしてる」


「味見」


「やめろ」


「まだ食べていない」


「食べようとしている時点でやめろ」


 少女――花守マシロは、サボテンを鉢へ戻した。


「食べられない?」


「食用ではない」


「植物なのに」


「植物なら全部食えると思うな」


「夜一は植物を差別する」


「安全性の話だ」


 夜一は鉢を取り上げる。


 土が少しこぼれていた。


「商品に触るなと言っただろ」


「触っただけ」


「味見しようとした」


「まだ食べていない」


「同じだ」


「違う」


 マシロは床へ落ちた土を指で集め始めた。


「何してる」


「戻す」


「鉢へ?」


「床へ落ちたから」


「汚れてる」


「土は最初から汚れている」


「そういう意味じゃない」


 夜一は布巾を取る。


 床を拭き。


 鉢の位置を直し。


 サボテンの棘が折れていないか確認する。


 マシロはその様子を見ていた。


「怒ってる?」


「ああ」


「顔が変わらない」


「顔で決めるな」


「では、どこで決める」


「声」


「同じ」


「手」


「いつも動いている」


「もういい」


 夜一は立ち上がる。


 厨房の作業台には、蜂蜜の瓶が開いたまま置かれていた。


 中身が半分近く減っている。


「これは」


「コーヒー」


「まだ淹れてない」


「準備」


「蜂蜜だけ先に入れたのか」


「三杯」


「多い」


「前は二杯だった」


「それでも多い」


「今日は苦い気がした」


「飲んでないだろ」


「予感」


「予感で蜂蜜を増やすな」


 夜一は瓶の蓋を閉める。


 鍋の中を確認する。


 昨日作った煮込みが残っていた。


 表面が少し焦げている。


「食べたか」


「少し」


「どうだった」


「焦げていた」


「知ってる」


「苦い」


「上は食えた」


「下も食べた」


「何で」


「全部同じ鍋に入っていた」


「同じ鍋でも避けろ」


「差別」


「焦げを擁護するな」


 夜一は煮込みを小鍋へ移す。


 焦げた部分を避け。


 水を少し足し。


 火にかける。


 その間にコーヒー豆を量る。


 二十二グラム。


 湯、三百二十ミリリットル。


 カップは二つ。


 一つは苦いまま。


 もう一つには、蜂蜜三杯。


「多い」


「私のカップ」


「知ってる」


「では、問題ない」


「健康に悪い」


「私は人間?」


 夜一の手が止まる。


 マシロは何気なく言っただけだった。


 自分の身体が何でできているのか。


 夜一より、本人の方が分かっていない。


「少なくとも」


 夜一は湯を注ぐ。


「虫歯にはなるかもしれない」


「歯はある」


「だから磨け」


「昨日も磨いた」


「今日も磨け」


「人間は面倒」


「お前も含まれてる」


「今、決めた?」


「何を」


「私が人間だと」


 夜一は答えなかった。


 代わりに、コーヒーをマシロの前へ置く。


「熱い」


「まだ触ってない」


「湯気がある」


「なら待て」


「冷める」


「適温になる」


「花は熱に弱い」


「都合よく植物になるな」


 マシロはカップを両手で包んだ。


 一口。


 表情は変わらない。


「どうだ」


「普通」


「蜂蜜三杯で?」


「普通の範囲が広い」


「便利な言葉だな」


「覚えた」


「誰から」


「たぶん、環」


 夜一は自分のコーヒーを飲む。


 苦い。


 佐伯の残花の甘い匂いが、まだ鼻に残っている。


 手袋は捨てた。


 傷は浅い。


 それでも指先には、黄色い花粉が入り込んだような違和感があった。


 マシロが夜一の手を見る。


「何を食べた」


「食べてない」


「匂いがある」


「残花へ触れた」


「どんな」


「黄色」


「色では分からない」


「家族の残花」


 マシロの目が僅かに細くなる。


「甘い」


「ああ」


「でも、腐ってる」


「分かるのか」


「匂いで」


 マシロは夜一の指を取った。


 冷たい手。


 人間より少し低い体温。


「棘」


「取った」


「残ってる」


「花粉だ」


「違う」


 マシロは夜一の手へ顔を近づける。


 鼻先が触れそうな距離。


「おい」


「静かに」


「何で」


「聞こえない」


「匂いを嗅いでるんじゃないのか」


「花は、匂いでも話す」


 マシロの金色の瞳へ、黄色い光が映る。


 その瞬間。


 夜一の視界に、朝の庭が蘇った。


 少女。


 誕生日。


 白いワンピースの女。


 幸福な家族。


「離せ」


 夜一は手を引く。


 マシロは素直に離した。


「深く触るな」


「触ったのは夜一」


「俺の手だ」


「花粉は別」


「屁理屈だ」


「違う」


 マシロは自分の指を見る。


 黄色い光が、爪の先へ移っている。


「食べる?」


「駄目だ」


「少しなら」


「駄目だ」


「残っていると、夜一の中で咲く」


「環に切らせる」


「嫌いなのに?」


「嫌いとは言ってない」


「顔が言ってる」


「顔で決めるな」


 マシロは黄色い光へ口を近づけた。


 夜一が手首を掴む。


「食べるな」


「危険?」


「お前に混ざる」


「いつものこと」


「いつもにするな」


「でも」


 マシロは夜一を見る。


「人間が壊れるよりいい」


 夜一の指に力が入る。


「お前も壊れる側に数えろ」


 マシロが動きを止めた。


 金色の瞳が、夜一を映す。


「私は」


「何だ」


「壊れても、直せる」


「誰が」


「夜一」


「勝手に決めるな」


「直すのは得意」


「物と同じにするな」


「違う?」


「違う」


「どう違う」


 夜一は答えられなかった。


 マシロは、人間ではないかもしれない。


 人間の姿をした花。


 複数の残花が束ねられた器。


 壊れても、根が残れば戻る可能性はある。


 けれど。


 戻ったものが、今のマシロと同じとは限らない。


「とにかく食べるな」


「命令?」


「ああ」


「店主でもないのに」


「今は俺が管理してる」


「では、仮店主」


「嫌な呼び方だな」


「花屋」


「それでいい」


 マシロは夜一の手を離した。


 黄色い光は、まだ指先に残っている。


「環が来たら見せる」


「切られる」


「必要なら」


「夜一は切られるのが嫌い」


「誰でも嫌だろ」


「私は嫌いか分からない」


「試すな」


「分かった」


 マシロはカップへ口をつける。


 その髪に。


 小さな黄色い蕾が一輪、咲いていた。


 夜一は見なかったことにしなかった。


「それ」


「何」


「髪」


 マシロが触れる。


 蕾は指から逃げるように揺れた。


「咲いた」


「佐伯の花か」


「たぶん」


「食べてないのに」


「匂いが入った」


「取れるか」


「分からない」


「痛いか」


「分からない」


「なら触るな」


「夜一も同じことを言う」


「誰と」


「知らない人」


 マシロの声が変わった。


 わずかに。


 柔らかく。


 夜一の知らない女の声が混ざった。


「熱いから気をつけてね、澄花」


 夜一の手が止まる。


 マシロも。


 自分が何を言ったのか分からない顔をしている。


「今」


 夜一はカップを置いた。


「何と言った」


「熱いから」


「その後」


「澄花」


「誰だ」


「知らない」


「どこで覚えた」


「分からない」


 黄色い蕾が開く。


 中から現れた花弁は。


 黄色ではなかった。


 青。


 雨に濡れた夜のような、深い青だった。


 店の呼び鈴が鳴った。


 チリン。


 夜一とマシロが同時に入口を見る。


 扉の向こうに。


 濡れた制服姿の少女が立っていた。


 肩までの黒い髪。


 青ざめた顔。


 片手には、古い家族写真。


 もう片方には。


 根のついた青い花。


 少女は扉を開けた。


「ここが」


 震える声。


「選ばなかった未来を、燃やしてくれる花屋ですか」


 マシロの髪に咲いた青い花が。


 少女の声へ応えるように。


 ゆっくりと開いた。

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