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残花葬送 ー世界から消す未来を、君と花束にするー  作者: 桝田キゲン
二.名前のない君を、残す方法

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23/25

妹が増えるたびに

湊は、誰もいない場所を見ていた。


「どこにいる」


 夜一が聞く。


「あそこ」


 湊が指した。


 季節外れの向日葵。そのすぐ横。


 砂の上には、何もない。


「笑ってる」


「誰が」


「みなみ」


 夜一には見えない。


 だから、見えるふりもしなかった。


 確かめられるのは、湊の視線の角度と、瞬きの間隔。さっきまで強張っていた口元が、少しだけ緩んでいること。


 それだけだ。


「どれくらいの背だ」


 湊は、自分の肩より少し下へ手をやった。


「このくらい」


「服は」


「黄色っぽい」


「靴は」


 湊の視線が足元へ落ちる。


「履いてない」


 夜一は砂を見る。


 向日葵のそばから続く、小さな裸足の足跡。


「髪は」


「……分からない」


「顔は」


 湊は少し考えた。


「みなみだって、分かる」


「どんな顔だ」


「……分からない」


 分かる。


 なのに、言葉にはできない。


「名前だけ分かる?」


「違う」


 湊が少し強く言った。


「みなみだよ」


 夜一は、それ以上聞かなかった。


「マシロ」


「何」


「見えるか」


 マシロは向日葵へ鼻を近づけた。


 黄色い花。


 黒い泥。


 小さな足跡。


 しばらくして、顔を上げる。


「分からない」


「いる感じは」


「聞き方が雑」


「なら、好きに答えろ」


 マシロは少し考えた。


「近い」


「何が」


 答えはなかった。


 そのとき、湊の顔がふっと緩んだ。


「みなみが」


「何だ」


「帰ろって」


「何て」


「お兄ちゃん、おうち帰ろって」


 幼い言葉だった。


 呪いでもない。


 脅しでもない。


 ただ、家へ帰りたい子どもの言葉。


「一緒に帰れる?」


 湊が夜一を見る。


「まず、お前が帰る」


「みなみも?」


「まだ何も決めてない」


「でも、見つかった」


「お前にはな」


「じゃあ」


「まず帰る」


 夜一は同じ言葉を繰り返した。


 連れて帰るとも。


 消すとも。


 言わなかった。


          ◇


 駅へ向かう途中、夜一は何度か後ろを振り返った。


 誰もいない。


「湊」


「何」


「まだいるか」


「いる」


「どこ」


 湊は自分の右側を指した。


 誰もいない歩道。


「歩いてる?」


「うん」


「足は見える?」


「見える」


「足跡は」


 夜一は地面を見る。


 湊。


 夜一。


 環。


 マシロ。


 四人分。


 それだけだった。


「ない」


 夜一が言う。


「でも、いる」


「分かった」


 否定はしない。


 確認できないだけだ。


          ◇


 駅へ入る。


 改札の前で、湊が止まった。


「どうした」


「みなみ」


「何」


「切符ない」


「必要なのか」


 湊は誰もいない隣を見る。


「分からない」


「お前もか」


「だって、みなみだから」


「説明になってない」


 マシロが改札を見る。


「花は切符を買う?」


「お前も買え」


「私は人間?」


「今その話をするな」


「便利」


 環は二人のやり取りを無視して端末を操作した。


「移動時刻と位置を保存します」


「そこまでやるか」


「今だからやります」


 環は湊を見る。


「何か変化したら言ってください」


「はい」


「見えなくなった場合も」


 湊の表情が少し曇った。


「……はい」


          ◇


 電車の中。


 湊は窓際へ座った。


 隣を一席だけ空けて。


「そこにいるのか」


 夜一が聞く。


「うん」


 誰もいない席。


 湊は自然に、そこへ身体を寄せないようにしていた。


 昔から誰かの場所だったように。


 環は端末を見ている。


「久世さん」


「何だ」


「これ」


 画面を向ける。


 海岸へ到着した直後の写真。


 湊が水筒を持っている。


 青い水筒。


 次の写真。


 同じ水筒。


 ただし、柄の線だけが黄色く見える。


「撮影条件は」


「ほぼ同じです」


「光か」


「可能性はあります」


「端末の補正」


「それも否定できません」


「今は」


「記録だけ残します」


 環は撮影時刻を書き出した。


 端末だけではなく、紙へ。


「電子記録が信用できない?」


 夜一が聞く。


「両方残すだけです」


「慎重だな」


「あなたが雑なんです」


「俺も書いてる」


「字が読みにくい」


「内容は読める」


「ぎりぎりです」


 マシロが夜一の記録帳を覗く。


「本当に読みにくい」


「お前まで言うな」


 湊が小さく笑った。


 それから、誰もいない隣へ顔を向ける。


 また笑う。


 その相手だけは。


 夜一には見えなかった。


          ◇


 高瀬家へ着いたのは夕方だった。


 夏帆が玄関を開ける。


「おかえ――」


 途中で声が止まった。


 湊。


 夜一。


 環。


 マシロ。


 その間。


 誰もいない場所へ、夏帆の目が一瞬だけ止まった。


「どうしました」


 夜一が聞く。


「いえ」


 夏帆は額へ手を当てる。


「何でもありません」


「みなみも帰ってきた」


 湊が言った。


 夏帆の表情が固まる。


「湊」


「ここにいる」


 湊が隣を指した。


 夏帆には、何も見えていない。


 それでも。


 湊が玄関へ入った、その一歩あと。


「靴、脱ぎなさい」


 夏帆が言った。


 全員が止まった。


 夏帆自身も。


「……今」


 自分の口元へ手を当てる。


「誰に言ったんでしょう」


 湊が小さく言う。


「みなみ」


「違う」


 夏帆は反射的に否定した。


 だが、声に力はなかった。


「そんな子は――」


 その先が続かない。


 夜一は何も言わず、玄関へ目をやった。


 傘立て。


 黄色い小さな傘が一本ある。


「これ」


 夏帆も見る。


「……ありましたっけ」


「見覚えは」


「あるような」


 一度、息を止める。


「ないような……」


          ◇


 洗面所。


 歯ブラシが二本並んでいた。


 湊の青いもの。


 その隣に、黄色。


 新品ではない。


 毛先が開いている。


「これは」


 夏帆が手を伸ばしかけ、途中で止めた。


「私が買った?」


「覚えてませんか」


「分からない」


 夜一は記録帳を開く。


 黄色い傘。


 子ども用歯ブラシ。


 新たに確認。


 そこまで書いて、筆が止まった。


 増加。


 そう書こうとして。


 やめる。


 昨日、自分たちが家全体を記録したわけではない。


 昨日なかったと、確定できる物だけではない。


「増えた、とはまだ書けないな」


 環が横から言った。


「ああ」


「存在確認時刻だけ」


 夜一は書き直した。


          ◇


 リビング。


 夜一は、これまでの記録を見返した。


 サンダル。


 ヘアゴム。


 身長線。


 後から現れた向日葵の絵。


 海岸で現れた向日葵。


 そして今日確認した、傘と歯ブラシ。


 みなみに結びつきそうなものばかりが並んでいる。


「環」


「何です」


「俺たち」


 夜一は記録帳を見る。


「増えた方ばかり見てる」


 環の手が止まった。


「何を言いたいんです」


「減ってる方を」


 一拍。


「確認してない」


 環はすぐには答えなかった。


 代わりに、部屋を見る。


 棚。


 時計。


 本。


 家具。


 写真。


「相関はまだ確認されていません」


 声は冷静だった。


「何かが増えれば別の何かが減る、と決まったわけではありません」


「分かってる」


「同時に起きているだけかもしれない」


「それも分かってる」


 夜一は部屋を見回す。


「だから」


「両方見る」


 環は鞄からカメラを取り出した。


「今から、可能な範囲で家の中を記録します」


「全部?」


 夏帆が聞く。


「比較できるようにするためです」


「何のために」


 環は一瞬考える。


「次に何か変わったとき」


 一拍。


「変化前と比較するために」


 夏帆の顔が強張る。


「この家、変わるんですか」


「すでに変化が起きている可能性があります」


 環が答えた。


「断定はできません」


 夜一が横から言う。


「ただ」


 黄色い傘を見る。


「確認しない理由もない」


 環は撮影を始めた。


 棚。


 壁。


 食器棚。


 冷蔵庫。


 時計。


 窓。


 写真立て。


「時刻」


 夜一が言う。


「入ってます」


「紙にも」


 環は一度、夜一を見た。


 それから手帳を開く。


「午後五時十二分」


「細かいな」


「必要です」


 夜一も同じ時刻を書いた。


          ◇


 棚に並ぶ写真を、一枚ずつ確認していく。


「ここ」


 夜一の手が止まった。


「何ですか」


 夏帆が隣へ来る。


「前に来たとき」


 夜一は空いた場所を指す。


「湊の入学式の写真があった」


 夏帆は棚を見る。


「入学式……」


 声が止まる。


「ありました?」


「俺は見た」


「私」


 夏帆は眉間へ手を当てた。


「入学式には行きました」


「誰と」


「湊と」


「写真は」


「撮った」


 一拍。


「……気がします」


 夜一は夏帆を見る。


「気がする?」


「はい」


 夏帆の顔から、少しずつ血の気が引いていく。


「写真を撮ったかどうかくらい」


 喉が鳴る。


「普通なら、覚えてるはずなのに」


 夜一は記録帳へ書いた。


 入学式写真――現在位置で確認できず。


 夏帆――撮影記憶の確信低下。


 消失。


 とは、まだ書かない。


          ◇


 リビングの隅で、マシロが鼻を鳴らした。


「夜一」


「何」


「みなみは濃くなってる」


「分かるのか」


「匂い」


「どんな」


「甘い」


 少し間。


「でも」


「何だ」


「家が薄い」


 夜一は眉を寄せた。


「どういう意味だ」


「そのまま」


「説明になってない」


「分からないから」


 夜一は、それ以上聞かなかった。


 マシロ自身にも、意味までは分かっていない。


 ただ。


 髪に咲く青い花は、海岸にいたときより一輪増えていた。


          ◇


 台所。


 湊が、誰もいない椅子を見る。


「みなみ、お腹すいた?」


「何て言った」


 夜一が聞く。


「お腹すいたって」


「何が食べたい」


 湊が、誰もいない場所へ聞いた。


「アイス」


「誰が言った」


「みなみ」


 湊は冷凍庫を開けた。


 中には、同じアイスが二本入っていた。


「二本?」


 夏帆が言う。


「買ったのか」


 夜一が聞く。


「一本だったと思います」


「思う?」


「湊の分だけ買った……はずです」


「レシートは」


「捨てたと思います」


 夏帆は二本のアイスを見つめる。


「でも」


「何だ」


「二本買ったような気もする」


 夜一は記録帳を開く。


 アイス――二本確認。


 購入本数――不明。


 湊は嬉しそうに一本を取り出した。


「みなみ、同じの好きだった」


「違う」


 夏帆が言った。


 全員が彼女を見る。


 夏帆自身が、誰より驚いていた。


「今」


 自分の唇へ触れる。


「私、何を」


「何が違う」


 夜一が聞く。


「分かりません」


「何か知ってる?」


「分からない」


 夏帆は誰もいない椅子を見る。


「でも」


 言葉が止まる。


「あの子――」


 夜一が顔を上げた。


「誰だ」


「……分からない」


 夏帆は頭を押さえた。


「何で、今」


 震えた息。


「あの子って」


 誰も答えられなかった。


          ◇


 環の端末が短く震えた。


 画面を開いた環の表情が止まる。


「久世さん」


「何だ」


「五年前の紙記録。一部が見つかりました」


「内容は」


「破損しています」


 環が画面を見せる。


 古い文書。


 焼け焦げた端。


 滲んだ文字。


 読めるのは、一行の途中までだった。


 対象:未成立――


 そこで途切れている。


「続きは」


「ありません」


「誰の記録だ」


「担当者欄は欠落しています」


「処置内容」


「判読不能」


「未成立って何だ」


「分かりません」


 環は画面を閉じなかった。


「現在の花局規定に、完全一致する分類はありません」


「昔は」


「照会中です」


「五年前には使ってた?」


「それも、まだ確認できていません」


 夜一は画面の文字を見る。


 未成立。


 それ以上の意味は、まだ与えなかった。


          ◇


 湊はアイスを一本、自分で開けた。


 もう一本を。


 誰もいない椅子の前へ置く。


「はい、みなみ」


 夜一たちには。


 そこに誰もいない。


 湊だけが笑っている。


「同じの好きだった」


 夏帆が唇を噛む。


 そのとき。


 誰も触れていないアイスの表面が、少し崩れた。


 角が丸くなる。


 さらに。


 もう少し。


 まるで、小さくかじられたように。


 環がすぐに撮影する。


 夜一は時刻を書く。


 マシロが鼻を押さえた。


「甘い」


「アイスが?」


「違う」


 夜一は聞かなかった。


 直後。


 棚の方で。


 ことり。


 小さな音がした。


 写真立てが一つ倒れている。


 夜一が拾った。


 中の写真。


 若い夏帆。


 公園らしい場所。


 隣には。


 誰もいない。


 夜一の目が止まる。


「これ」


「何ですか」


 夏帆が近づく。


「最初に来たとき」


 一拍。


「ここに湊が写ってた」


 夏帆の顔が固まる。


「……そうでした?」


「環」


「分かってます」


 環が端末を開いた。


 午後五時十二分。


 この部屋へ戻ってすぐ撮影した棚。


 同じ写真立て。


 拡大する。


 若い夏帆。


 その隣に。


 幼い湊が笑っている。


 全員が黙った。


 夜一は、今手に持っている写真を見る。


 夏帆だけ。


 環の端末を見る。


 そこには。


 まだ湊がいる。


「外に残した記録は」


 夜一が言う。


「保持されています」


 環が答えた。


 一拍。


「現時点では」


 夜一が彼女を見る。


「現時点?」


「この先も保持されるとは」


 環は画面から目を離さない。


「まだ言えません」


 夜一は湊を見る。


 本人は、すぐそこにいる。


 アイスを食べている。


 息をしている。


 こちらを見ている。


「何」


 湊が聞く。


「何でもない」


「嘘?」


 マシロが言う。


「今は黙ってろ」


「顔が違う」


「顔で決めるな」


 マシロは口を閉じた。


 夜一は記録帳を開く。


 これまでの頁。


 みなみに関係する痕跡。


 サンダル。


 ヘアゴム。


 傘。


 歯ブラシ。


 アイス。


 向日葵。


 その隣に、新しい欄を作った。


【減少・欠落候補】


 入学式写真――現在確認できず。


 湊が写っていた写真――一枚、現在状態から欠落。


 夏帆の記憶――一部確信低下。


 そして。


【外部記録】


 湊の写る過去画像――現時点で保持。


 夜一は一度、筆を止めた。


 増えた。


 減った。


 まだ、その二つが交換なのか。


 同じ原因なのか。


 偶然重なっただけなのか。


 何も分からない。


 だから。


 数を合わせなかった。


 因果も書かなかった。


 ただ。


 同じ頁に。


 二つの欄を作った。


 増えたもの。


 減ったもの。


 夜一は初めて。


 その両方を。


 同時に見ることにした。

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