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残花葬送 ー世界から消す未来を、君と花束にするー  作者: 桝田キゲン
一.君を忘れるための花束

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14/25

家族かどうか

 隣で。


 凪の身体も。


 ゆっくりと透け始めていた。


 顔のない少年は。


 自分の手を見る。


 指の向こうに。


 崩れていく温室が透けている。


「僕も?」


 現在の澄花が、凪へ駆け寄った。


「嫌」


 凪は言った。


 短く。


 迷わず。


「僕、やっぱり消えたくない」


「分かってる」


 澄花は少年を抱きしめる。


 顔がなくても。


 身体が花でできていても。


 弟になるはずだった存在を。


 腕の中へ入れる。


「私も、消えてほしくない」


「でも」


 凪の声が震える。


「僕がいると」


 白い根が、少年の足元から町の方角へ伸びていた。


 自分の席を作るために。


 誰かの現在を押し出す根。


「今は咲けないだけ」


 澄花は言った。


「種になったら」


 凪が尋ねる。


「僕?」


 澄花は答えられなかった。


 種化しても。


 同じ記憶。


 同じ人格。


 同じ凪として戻る保証はない。


「分からない」


 澄花は正直に言った。


「花屋が」


 涙を拭いながら。


 少しだけ笑う。


「分からないって言ってるから」


「それ」


 凪は首を傾げた。


「安心できる?」


「できない」


「じゃあ」


「でも」


 澄花は少年の身体へ腕を回す。


「嘘よりいい」


 凪も。


 澄花へ抱きついた。


 小さな手。


 生まれたことのない弟の手。


「お姉ちゃん」


「何」


「僕が、また咲いたら」


「うん」


「嫌いになってもいい?」


 澄花の腕が止まる。


「僕」


 凪は続ける。


「澄花が邪魔だと思った」


「うん」


「病気のお父さんも、いらないと思った」


「うん」


「お母さんを、一人で欲しかった」


「うん」


「また咲いても」


 顔のない頭が。


 澄花の肩へ触れる。


「同じことを思うかもしれない」


「そうかもね」


「だったら」


「嫌いになってもいいよ」


 凪の身体が揺れる。


「邪魔だって思っても?」


「私も、思うかもしれない」


「それでも」


 少年の声が細くなる。


「家族?」


 澄花は。


 すぐには答えなかった。


 家族だから愛さなければならない。


 家族だから許さなければならない。


 家族だから一緒にいなければならない。


 その言葉で。


 十年間。


 自分の人生を後ろへ置いてきた。


「家族かどうかは」


 澄花は言った。


「そのとき決めよう」


 凪が身体を離す。


「今、決めてくれないの」


「今のあなただけで」


 澄花は顔のない弟を見る。


「未来のあなたまで決めたくない」


「難しい」


「私も」


 凪の透明な身体の中心へ。


 小さな黒い粒が現れた。


 種。


 その周囲を。


 透明な殻が包んでいく。


「お姉ちゃん」


「何」


「名前は、残して」


 澄花は両手を差し出した。


「凪」


「うん」


 少年の身体が。


 透明な花弁へ変わる。


 澄花の腕の中から。


 温度が消える。


 最後に。


 黒い種が一粒。


 彼女の掌へ落ちた。


 透明な殻の奥で。


 微かに光っている。


「凪」


 返事はない。


 それでも。


 澄花は名前を呼んだ。


 残すために。


          ◇


 残花側の澄花の身体も。


 指先から青く透け始めていた。


「私も?」


 彼女は、自分の手を見る。


 現在の澄花と。


 同じ顔。


 同じ声。


 だが。


 違う十年を生きた手。


「あなたになるの?」


 現在の澄花へ尋ねる。


「分からない」


「全部、分からないんだ」


「うん」


 残花側の澄花は。


 窓のない温室の上を見た。


 そこには。


 もう永遠の朝はない。


 崩れる白い光だけ。


「私」


 彼女は言った。


「幸せだった」


 現在の澄花は頷く。


「本当に」


「うん」


「お母さんがいた」


「うん」


「お父さんも元気だった」


「うん」


「学校も楽しかった」


「うん」


「でも」


 残花側の澄花は。


 自分の胸元へ触れる。


「同じ朝ばかりで、苦しかった」


 現在の澄花は答えない。


「あなたの十年は」


 残花側の澄花が聞く。


「苦しかった?」


「苦しかった」


「でも」


 少し迷ってから。


「進んでた?」


 現在の澄花は。


 制服の袖を見る。


 薬の染み。


 洗っても消えなかった汚れ。


 友人から届いた連絡を。


 何度も既読にせず消した夜。


 病院の廊下。


 父の咳。


 母のいない誕生日。


 苦しかった。


 それでも。


 昨日と今日が。


 同じではなかった。


「たぶん」


 澄花は答えた。


「ずるい」


 残花側の澄花が言う。


「そうかも」


「私も」


 彼女の身体が。


 青い花びらへ変わり始める。


「明日が欲しかった」


 その言葉に。


 現在の澄花は唇を噛んだ。


「私を消さないで」


「消さない」


「でも」


 残花側の澄花は首を横に振る。


「あなたの中へ入れるのも嫌」


「では」


「種にして」


 彼女は夜一を見る。


「私のまま」


 夜一は花鋏を握り直した。


「保証はできない」


「知ってる」


「同じお前で戻らないかもしれない」


「うん」


「記憶も」


「分かってる」


「それでも?」


 残花側の澄花は。


 永遠に続いていた朝のあった場所を見る。


「ここに残るよりいい」


 夜一は。


 彼女と世界花をつなぐ青い根を探す。


 何本もある。


 美緒。


 冬一。


 凪。


 現在の澄花。


 その中から。


 彼女自身の根を見つける。


 鋏を入れた。


 青い根が切れる。


 残花側の澄花の身体が。


 一斉に青い光へ変わった。


「待って」


 現在の澄花が手を伸ばす。


「何」


「名前」


 二人の声が重なる。


「伊吹澄花」


「うん」


「私も」


「知ってる」


 残花側の澄花は。


 少しだけ笑った。


「忘れないで」


「忘れない」


「比べないで」


 現在の澄花は一瞬、言葉に詰まる。


「努力する」


「正直」


「分からないから」


「花屋みたい」


「嫌」


 青い光が収縮する。


 残ったのは。


 小さな青い種。


 現在の澄花は。


 凪の種とは別の手で受け取った。


 同じ名前を持つ人生を。


 弟の種と一緒に握り潰さないように。


 それぞれ。


 別の手で。


          ◇


「お母さん」


 澄花が美緒を見る。


 美緒の身体も。


 足元から青い花弁へ変わり始めている。


「澄花」


 母親は娘の名を呼んだ。


 十年。


 その声を待っていた。


 今は。


 聞くだけで。


 胸の中に異なる痛みが生まれる。


「帰ってきてほしかった」


「うん」


「ずっと」


「うん」


「でも」


 澄花は二つの種を胸へ抱く。


「今すぐじゃなくていい」


 美緒の目から涙が落ちた。


「待ってくれる?」


「もう待たない」


 澄花は言った。


 美緒の顔が歪む。


「私は」


 澄花は続ける。


「私の人生を進める」


「そう」


「友達とも遊ぶ」


「うん」


「病院へ行かない日も作る」


「うん」


「お父さんが一人でいる時間も」


 声が少し震える。


「作る」


 冬一が娘を見る。


 何も言わない。


 止めない。


「でも」


 澄花は母親を見る。


「いつか種が咲いたら」


「うん」


「そのとき」


 澄花は息を吸う。


「もう一度、話す」


 美緒は。


 泣きながら笑った。


「許してくれる?」


「分からない」


「そう」


「今、許すって言ったら」


 澄花は首を横へ振る。


「また、お母さんの欲しい娘になるから」


 美緒の唇が震える。


「あなた」


「何」


「強くなったのね」


「違う」


 澄花は言った。


「言うようになっただけ」


「そう」


「それに」


 澄花は夜一を見る。


「分からないって言う人が多すぎて」


「悪かったな」


「聞こえてるんですね」


「近いからな」


 美緒が小さく笑う。


「花屋に似てきた」


「嫌です」


 夜一は即答した。


「聞こえてるから」


「そういうところ」


 美緒は娘へ手を伸ばす。


 頬へ。


 触れようとする。


 澄花も。


 一瞬だけ。


 顔を近づけた。


 だが。


 指先が届く前に。


 美緒の身体は青い光へ変わった。


「お母さん」


 澄花は手を伸ばす。


 何も掴めない。


 掌へ。


 青い種だけが落ちた。


 三粒。


 凪。


 もう一人の自分。


 母親。


 澄花は。


 それらを胸元へ抱いた。


 誰も。


 元には戻っていない。


 それでも。


 一つずつ。


 名前を分けて持っている。


          ◇


 二人の冬一が。


 互いを見ていた。


 現在の病気の冬一。


 世界花の中で生きた。


 健康な冬一。


「お前は」


 病人の冬一が聞く。


「残りたいか」


「当たり前だ」


 健康な冬一は即答した。


「俺もだ」


「なら」


 病人の冬一は苦く笑う。


「どうする」


「お前になりたくはない」


「知ってる」


「病気も」


「知ってる」


「痛みも」


「知ってる」


「死ぬのも」


「俺だって嫌だ」


 二人の声が。


 同じだった。


 健康な冬一は、澄花を見る。


「でも」


 彼は言う。


「あの子が知ってる父親は、お前だ」


「そうだな」


「俺は」


 健康な手を見る。


「この十年を知らない」


「知りたいか」


「少し」


「苦しいぞ」


「それでも」


 健康な冬一は。


 病人の自分へ手を伸ばした。


「全部は無理でも」


 病人の冬一も。


 手を上げる。


「少しだけ持っていく」


「勝手だな」


「お前もだ」


 二人の指が触れる。


 青い糸が。


 手首から手首へ絡みついた。


 統合。


 ではない。


 二つの人生が。


 互いの中へ流れ込んでいく。


 健康だった十年。


 病気と生きた時間。


 美緒のいる朝。


 澄花に介護された夜。


 どちらも。


 完全には一つにならない。


「ぐっ」


 二人の冬一が同時に呻いた。


 病人の身体が大きく揺れる。


 健康な冬一の顔にも。


 強い痛みが走った。


「お父さん!」


 澄花が駆け寄る。


 二つの姿が重なっていく。


 病院着。


 青いシャツ。


 痩せた肩。


 健康な腕。


 青い光。


 白い根。


 最後に残ったのは。


 病気の冬一だった。


 膝をつき。


 荒く息をしている。


 だが。


 以前より。


 背筋が少し伸びていた。


 瞳の奥に。


 知らなかった十年の光が残っている。


「お父さん?」


 澄花が支える。


「ああ」


「どっち」


 冬一は。


 苦く笑った。


「どっちも」


 胸元を押さえる。


「少し」


 澄花は。


 父親の胸へ額を押しつけた。


 泣く。


 冬一は娘の頭へ手を置く。


 腕は震えている。


 それでも。


 今度は。


 途中で落ちなかった。


          ◇


「黎明」


 夜一は父を見る。


 世界花は。


 ほとんど種へ変わっている。


 温室の端から。


 白い光の中へ崩れていく。


 黎明の身体も。


 根元から透明になり始めていた。


「お前も種になるのか」


「私は無理だ」


「何で」


「根そのものになりすぎた」


 黎明は。


 崩れる自分の右腕を見る。


 皮膚ではなく。


 白い根。


 血ではなく。


 透明な樹液。


「世界花と一緒に消える」


「勝手に決めるな」


「今回は」


 黎明は夜一を見る。


「私の選択だ」


「今まで選ばなかったくせに」


「だから」


 父親は。


 少しだけ笑った。


「最後くらいは」


 夜一は黎明の胸倉を掴んだ。


 もう殴らない。


 殴っても。


 答えが出ないことは分かっている。


「逃げるのか」


「そう見えるか」


「見える」


「なら」


 黎明は静かに言った。


「お前は正しい」


「認めるな」


「何と言えばいい」


「残れ」


「無理だ」


「方法を考えろ」


「時間がない」


「お前がよく使った言葉だな」


「便利だろう」


「ふざけるな」


 黎明は笑った。


 初めて。


 研究者でも。


 送花師でもない。


 夜一の知っていた。


 父親の笑い方だった。


「夜一」


「何だ」


 黎明の視線が。


 夜一の後ろへ向く。


「マシロを」


「断る」


「まだ何も言っていない」


「頼むと言うつもりだろ」


「そうだ」


「本人に聞け」


 夜一は振り返った。


 マシロの足元が。


 白い光へ溶け始めていた。

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