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残花葬送 ー世界から消す未来を、君と花束にするー  作者: 桝田キゲン
一.君を忘れるための花束

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13/25

誰も失わない世界を送る

 時間は。


 もうほとんど残っていなかった。


 温室の天井へ。


 細い銀色の亀裂が走る。


 空間そのものを切り裂く刃。


 朝比奈環の剪定だった。


 まだ遠い。


 だが。


 確実に近づいている。


 世界花の根は町へ伸び続けている。


 ここで結びが完成しなければ。


 環は迷わず切る。


 伊吹家も。


 小春も。


 凪も。


 マシロも。


 巨大な樹につながった存在すべてが、まとめて消える。


「黎明」


 夜一は父親を見る。


「結びを言え」


「何を言えばいい」


「俺に聞くな」


「お前が花束を作った」


「選ぶのはお前だ」


 黎明は完成しかけた花束を見つめる。


 白い主花。


 誰も失わない世界。


 青と黄色の副花。


 残花を救いたかった願い。


 小春を救えなかった夜一への思い。


 マシロを定着させたかった望み。


 鏡の棘。


 誰かを選び、恨まれる責任から逃げたかった恐怖。


 焦げた棘。


 小春を失った痛みを、自分への罰として抱え続けた夜一。


 綺麗ではない。


 整ってもいない。


 だが。


 どの花も、そこにあった感情だった。


「私は」


 黎明が口を開く。


 黒糸が僅かに動いた。


「誰も失いたくなかった」


 一巻き。


「それは」


 黎明は伊吹家を見る。


「彼らのためだと思っていた」


 美緒。


 冬一。


 二人の澄花。


 凪。


「残花の声を聞いたからだと」


 透明な花々が揺れる。


「消えたくない人生を、救うためだと」


 黒糸がもう一度動く。


「だが」


 黎明の目が。


 鏡の棘へ向かう。


 無数の自分。


 送花師。


 研究者。


 父親。


 救世主。


 逃亡者。


「選ばせれば、恨まれるのが怖かった」


 美緒が目を閉じる。


 冬一が拳を握る。


「消える者の声を聞いたふりをして」


 黎明は現在の澄花を見る。


「残る者の時間を奪った」


 黒糸が花束を締めていく。


「私は、誰も捨てなかったのではない」


 黎明の声が震えた。


「全員を」


 一瞬。


 言葉が止まる。


「選べない場所へ、置き去りにした」


 花束の周囲を巡っていた黒糸が。


 最後の一周へ入る。


「それでも」


 黎明は巨大な樹を見上げた。


 枝の先。


 無数の選ばれなかった人生。


 生きたかった者たち。


 愛されたかった者たち。


 現在へ出れば侵食と呼ばれ。


 内側へ留まれば剪定される存在。


「彼らが生きたかったことまで」


 黎明は言う。


「間違いだったとは思わない」


 黒糸が止まった。


 結びには。


 まだ足りない。


 夜一は何も言わなかった。


 続けろとも。


 それでいいとも。


 言わない。


 黎明自身が決める。


 自分が作った世界を。


 自分の言葉で。


「だから」


 黎明は花束へ手を添えた。


「私が作った」


 白い主花が震える。


「この、誰も失わない世界を送る」


 青い花々が開く。


「彼らを否定するためではない」


 黄色い花が光る。


「彼らの人生を」


 黎明の鏡の棘が。


 小さく音を立てる。


「私の罪から、解放するために」


 黒糸が結ばれた。


 花束が完成する。


 温室の巨大な樹が。


 大きく脈打った。


 一度。


 二度。


 三度。


 すべての枝が。


 夜一たちの方へ傾く。


 まるで。


 巨大な花束そのものが。


 頭を下げているように。


「完成した」


 澄花が呟いた。


 夜一は息を吐く。


 だが。


 隣でマシロが首を横に振った。


「まだ」


「何が」


 澄花が尋ねる。


「誰を送るか」


 花束は完成した。


 しかし。


 世界花とともに何が消えるのかは、まだ決まっていない。


 美緒。


 凪。


 残花側の澄花。


 健康な冬一。


 小春。


 黎明。


 そして。


 マシロ。


 すべてが。


 同じ巨大な根へつながっている。


「切り分ける」


 夜一は花鋏を構えた。


「どうやって」


 黎明が尋ねる。


「一本ずつ、本人に聞く」


「時間がない」


「知ってる」


「外では、もう」


「知ってる」


 温室の天井に走る銀色の亀裂が。


 大きく広がった。


 空間の向こうから。


 環の声が聞こえる。


「二分は過ぎた」


 銀色の刃が。


 世界花の根へ向かっている。


「今から、世界花の根を切断する」


「待て!」


 夜一が叫ぶ。


「花束は完成した」


「こちらから確認できない」


「中へ入ってこい」


「結界が崩れる」


「なら、鋏だけ止めろ」


「町の消失が始まっている」


 天井の亀裂から。


 夜明堂の店内が見えた。


 琥珀色の灯り。


 欠けたカップ。


 厨房の鍋。


 その床へ。


 白い根が伸びている。


 根が触れた場所から。


 店の記憶が変わり始めていた。


 新しくなるカウンター。


 傷の消える床。


 欠けていないカップ。


 焦げたことのない鍋。


 完璧な夜明堂。


 夜一は歯を食いしばる。


「あと五秒」


 環が言った。


「待て!」


「四」


 銀色の刃が、根へ近づく。


「マシロ!」


 夜一は花束を抱えたまま、樹へ走った。


 マシロも隣へ並ぶ。


 澄花。


 凪。


 小春。


 全員の声が重なる。


「三」


 夜一は花鋏を。


 世界花の幹へ突き立てた。


 切るためではない。


 幹の中心。


 無数の人生と未来が。


 最も複雑に絡み合っている場所へ。


「何をする」


 黎明が叫ぶ。


「二」


 夜一は花束を幹へ押し当てた。


 主花。


 副花。


 棘花。


 結び。


 完成した黎明の人生を。


 世界花の中心へ返す。


「送るんじゃない」


 夜一は言った。


「では、何を」


「今すぐ咲かない形にする」


 黎明の目が見開かれる。


「種化か」


「一」


 夜一は叫んだ。


「種になれ!」


 花束が燃えた。


 炎ではない。


 朝の光。


 白。


 青。


 黄色。


 黒。


 透明。


 すべての色が一つに混ざり。


 温室全体を満たした。


 同時に。


 環の銀色の刃が。


 世界花の根へ触れた。


 巨大な樹が。


 中心から崩れ始める。


 幹。


 枝。


 葉。


 透明な実。


 幸福な未来。


 それらが。


 灰ではなく。


 小さな種へ変わっていく。


 一粒。


 十粒。


 百粒。


 数え切れない種が。


 夜一たちの周囲へ。


 雨のように降り注いだ。


「これは」


 黎明が呟く。


「保存ではない」


 夜一は答えた。


「今すぐ咲かない形にする」


「種化は不完全だ」


「知ってる」


「同じ人格で戻る保証もない」


「知ってる」


「また芽吹く」


「そのとき」


 夜一は降り注ぐ種を見る。


「また選ぶ」


「誰が」


「生きてるやつが」


 温室が崩れていく。


 黒い土が光へ変わる。


 錆びた鉄骨が薄れる。


 小春の身体も。


 足元から透け始めていた。


「お兄ちゃん」


 夜一は妹へ振り返る。


 小春は。


 泣いていなかった。


 笑ってもいない。


 ただ。


 夜一を見ている。


「私も、種になる?」


「分からない」


「また会える?」


「分からない」


「本当に」


 小春は困ったように笑う。


「何も分からないね」


「ああ」


「でも」


 小春は夜一へ近づいた。


 手を伸ばす。


 左肩。


 火傷痕のある場所へ。


「今度は」


 指先が傷へ触れる。


「置いていかない?」


 夜一は答えようとした。


 置いていかない。


 必ず連れていく。


 また会える。


 そう言えば。


 小春は安心する。


 だが。


 それは。


 約束できない未来だった。


「置いていく」


 夜一は言った。


 小春の瞳が揺れる。


「でも」


 夜一は妹の手へ。


 自分の手を重ねた。


「忘れない」


「痛いままで?」


「違う」


 夜一は首を横に振る。


「痛くなくなっても」


 小春の目から。


 涙が一粒落ちた。


「それでも、覚えてる?」


「ああ」


 小春は。


 今度こそ笑った。


「じゃあ」


 身体が。


 黄色い花弁へ変わっていく。


「今度は、それでいい」


「小春」


 夜一は妹を抱きしめようとした。


 腕の中を。


 光がすり抜ける。


 温度も。


 重さも。


 もうない。


 最後に残ったのは。


 小さな黄色い種。


 夜一の掌へ。


 静かに落ちた。


「小春」


 返事はない。


 だが。


 種は。


 微かに温かかった。


 隣で。


 凪の身体も。


 ゆっくりと透け始めていた。

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