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残花葬送 ー世界から消す未来を、君と花束にするー  作者: 桝田キゲン
一.君を忘れるための花束

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12/25

父親の残花

「お前だ」


 温室の花々が。


 風もないのに。


 一斉に。


 黎明へ顔を向けた。


「何を言っている」


 黎明の声から、わずかに余裕が消える。


「これは伊吹家の残花じゃない」


 夜一は巨大な樹の根元へ歩いた。


 白い幹。


 青い葉。


 透明な実。


 誰も失われなかった未来。


「小春も」


 黄色いワンピースの妹を見る。


「凪も」


 顔のない少年。


「二人の澄花も」


 異なる十年を生きた少女たち。


「病気の冬一も、健康な冬一も」


 二つの人生。


「マシロも」


 黒糸の先にいる少女。


「全部、お前が捨てられなかった未来だ」


「違う」


「お前が花束を拒んだから」


 夜一は温室の外へ伸びる白い根を指した。


「町まで根を伸ばした」


「私は、残花を救おうとした」


「知ってる」


「現在だけに、生存の権利があるわけではない」


「それも知ってる」


「なら」


「だから、お前の願いを花束にする」


 夜一は黒い布を樹の前へ広げた。


 送花師の仕事場。


 依頼人が座るべき場所は。


 樹の根元だった。


「父さん」


 その呼び方に。


 黎明の目がわずかに揺れる。


「お前の主花を言え」


「私に送花するつもりか」


「そうだ」


「できると思うか」


「知らない」


「お前は私の息子だ」


「だから何だ」


「親の人生を束ねられると?」


「親なら逃げていいのか」


 黎明は答えない。


 夜一は花鋏を構えた。


「言え」


 温室の外で。


 何かが軋む音がした。


 白い根が、さらに遠くへ伸びている。


 時間はない。


 それでも。


 夜一は黎明を急かさなかった。


 結びは。


 他人に言わされても意味がない。


「私は」


 黎明が口を開く。


「誰も失わない世界が欲しかった」


 巨大な樹の頂上に。


 一輪の白い花が咲いた。


 大きい。


 傷一つなく。


 左右対称で。


 夜一が幸福視で見てきた、どの花よりも美しい。


 主花。


「誰も失わない世界」


 夜一は繰り返す。


 白い花を見上げた。


「副花」


「何」


「なぜ、それが欲しかった」


「残花を救うためだ」


 白い花の周囲へ。


 青い小花が咲く。


 一輪。


 二輪。


 選ばれなかった人生。


 消えたくない声。


「他には」


「送った未来を」


 黎明の手が樹の皮へ沈む。


「無駄にしないため」


 新しい青い花。


「他には」


「お前と小春を」


 声が止まる。


「言え」


「小春を救えなかったお前を」


 黎明は夜一を見る。


「救うため」


 黄色い花が咲いた。


 小春が夜一の服を掴む。


「お兄ちゃん」


 夜一は妹を見ない。


「他には」


「マシロを定着させるため」


 白い小花。


 マシロの髪に咲いた花々が震えた。


「他には」


「もうない」


「嘘だ」


「夜一」


「お前が一番守りたかったものが残ってる」


 黎明の指が。


 白い根へ食い込む。


「何だ」


「自分だ」


 温室の土が。


 低く鳴った。


「私は身体を捨てた」


「身体の話じゃない」


「では」


「送花師だった自分」


 夜一は父へ一歩近づいた。


「残花を燃やしてきた自分」


 もう一歩。


「伊吹家へ勝手な処置をした自分」


 黒い布の上へ。


 小さな黒い蕾が落ちる。


「マシロを器として作った自分」


 蕾が脈打つ。


「全部が間違いではなかったと思いたかった」


 黎明は動かない。


「言え」


「私は」


 声が掠れる。


「間違っていなかったと」


 黒い蕾が少し膨らむ。


「思いたかった」


 副花。


 自己正当化。


 それでも。


 蕾は開かない。


「まだ足りない」


 黎明が黒い花を見る。


「今、認めた」


「それは副花だ」


「では、棘は何だ」


「お前が一番認めたくないこと」


「今の言葉より?」


「ああ」


「何だ」


「自分で言え」


「分からない」


「考えろ」


「時間がない」


「便利な言葉だな」


 黎明の表情が歪む。


「お前は」


「何だ」


「私を責めたいだけだ」


「そうかもしれない」


「父親を悪者にすれば、お前は正しくいられる」


「それも花束へ入れる」


 夜一の足元に。


 自分へ向いた黒い蕾が一つ生まれた。


 黎明はそれを見る。


「お前も同じだ」


「ああ」


「マシロを守るためなら、伊吹家を切るかもしれない」


「ああ」


「小春が戻るなら、町を捨てるかもしれない」


「ああ」


「それでも私を裁くのか」


「裁かない」


「今していることは何だ」


「見てる」


 夜一は言った。


「お前が花束の外へ捨てたものを」


 黎明の黒い蕾が。


 再び脈打つ。


「お前は、誰も失わない世界が欲しかったんじゃない」


「違う」


「誰かを選んだ責任を」


 夜一は父を見る。


「一度も負いたくなかった」


 黒い蕾が大きく膨らんだ。


「違う」


「伊吹家に選ばせなかった」


「時間がなかった」


「マシロにも、自分が何者か選ばせなかった」


「定着前だった」


「俺にも、小春をどう弔うか選ばせなかった」


「お前は子どもだった」


「全部、先に決めた」


「守るためだ」


「自分が責められないためだ」


 黒い花弁が一枚開いた。


 鏡のように光る花弁。


 そこに。


 黎明自身の顔が映る。


 送花師。


 研究者。


 父親。


 救世主。


「選ばせれば」


 夜一は言う。


「誰かがお前を恨む」


 二枚目。


 鏡の中に、美緒の顔。


「選ばれなかった方は、お前を責める」


 三枚目。


 冬一。


「だから、全員を保存した」


 澄花。


 凪。


 マシロ。


 小春。


 夜一。


 すべてが黒い鏡へ映る。


「違う」


「選択そのものをなくせば」


 夜一は続ける。


「自分は誰も捨てていないことになる」


「違う」


「でも、選ばなかったせいで」


 夜一は温室を見回した。


「全員が十年、止まった」


 黒い花が完全に開いた。


 巨大な鏡の棘花。


 同時に。


 枝に実っていた幸福な景色が暗くなる。


 消えはしない。


 美しいまま。


 だが。


 幸福の外側が見え始める。


 母のいる朝食。


 その後。


 美緒が庭で一人、泣いている。


 健康な冬一。


 その背後で、病気の自分を恐れている。


 残花側の澄花。


 同じ朝を何千回も繰り返している。


 凪。


 自分の席を作るため、町へ根を伸ばしている。


 小春。


 火事を否定し続け、昨日を持たない。


 人間になったマシロ。


 別人の記憶が混ざり、自分の名前を失っている。


 幸福な未来は壊れなかった。


 ただ。


 その外側にあったものが。


 初めて見えただけだった。


「これが」


 黎明が掠れた声で言う。


「私の残花か」


「そうだ」


「醜いな」


「そうだな」


「否定しないのか」


「何を」


「私は、残花を救いたかった」


「知ってる」


「その願いまで」


「消えない」


 夜一は鏡の花へ手を伸ばす。


 黒い花弁に。


 自分の顔が映った。


 父と似た目。


 誰も失いたくない。


 選びたくない。


 責められたくない。


 それでも。


 他人には、選べと言う。


「俺も同じだ」


 夜一は言った。


 鏡の中の自分が濃くなる。


「マシロだけは失いたくない」


 マシロが夜一を見る。


「伊吹家を助けると言いながら」


 夜一は澄花たちを見る。


「最後には、お前を選ぶかもしれない」


「夜一」


「小春が生きてる未来を見たら」


 小春が夜一の服を強く掴む。


「今の全部を捨てるかもしれない」


「お兄ちゃん」


「だから」


 夜一は。


 花鋏の刃を自分の胸元へ当てた。


 マシロの目が見開く。


「何をする」


「俺の棘も入れる」


「待て」


 黎明が初めて。


 父親の声で言った。


「何をするつもりだ」


「接続を切る」


「それでは」


 黎明の顔から血の気が引く。


「幸福視が使えなくなる」


「そうかもな」


「送花師ではいられない」


「今は」


 夜一は小指を見る。


 黒い糸。


 幼いころから。


 幸福視へつながっていた見えない根。


「花束を完成させる方が先だ」


「やめろ」


「何で」


「その力は、お前が」


 黎明の言葉が止まる。


 夜一は父を見る。


「父さんが入れたのか」


「違う」


「やっぱり」


「夜一」


「俺の幸福視は、生まれつきじゃない」


「違う」


「小春の残花を」


 夜一は小指の根を引く。


 黒糸の奥から。


 黄色い光が漏れた。


「俺へ移植した」


 小春が夜一を見上げる。


「お兄ちゃん」


「だから俺は」


 黄色い光の中に。


 数え切れない幸福な未来が映る。


 火事から助かった小春。


 父と暮らす夜一。


 人間になったマシロ。


 失わなかった家族。


「幸福な場面だけを見る」


「夜一」


「小春が生きた未来を」


 夜一は花鋏を開く。


「ずっと探すように」


 黎明が立ち上がった。


 身体から白い根が引きちぎられる。


 透明な樹液が散った。


「切るな!」


 夜一は鋏を閉じた。


 小さな音。


 黒糸が切れる。


 温室の光が。


 一瞬。


 すべて消えた。


 夜一の視界から。


 枝に実っていた幸福な未来が消える。


 小春の笑顔も。


 健康な冬一も。


 人間になったマシロも。


 ただの花。


 ただの枝。


 ただの人間。


 美しい装飾が剥がれた世界。


 夜一は立っていた。


 視界は暗くならない。


 何も見えなくなったわけではない。


 ただ。


 見えすぎていたものが消えた。


「夜一」


 マシロの声。


 それだけが。


 はっきりと聞こえる。


 夜一の胸元から。


 黒い花が咲いた。


 焦げた花弁。


 灰。


 煙。


 中心には。


 小さな黄色い蕾。


「俺は」


 夜一は息を吐いた。


「救えなかった自分を、許したくない」


 焦げた花が開く。


「小春を助けられなかった罪を持っていれば」


 小春が夜一を見つめる。


「兄でいられる気がした」


 花弁が一枚増える。


「忘れたら」


 夜一の声が震える。


「あいつを、二度殺すと思ってた」


 マシロが。


 そっと夜一の手へ触れる。


「だから」


 夜一は小春を見る。


「ずっと痛いままでいたかった」


 黒い花が。


 さらに開く。


「でも、それだけじゃない」


 夜一は息を吸う。


「本当は」


 喉が詰まる。


「俺だけ生きたことが」


 小春の顔が歪む。


「許せなかった」


 焦げた棘花が完成した。


 中心の黄色い蕾は。


 消えない。


 妹への愛情。


 救いたかった願い。


 失った悲しみ。


 罪悪感だけを切っても。


 それは残る。


 夜一は自分の棘花を。


 黎明の花束へ加えた。


 白い主花。


 青と黄色の副花。


 黎明の鏡の棘。


 夜一の焦げた棘。


 伊吹家の花々。


 凪の透明な花。


 すべてが。


 一つの束へまとまり始める。


 黒糸が花々の周囲を巡る。


 一周。


 二周。


 三周。


 だが。


 最後の一巻きで止まった。


「結びがない」


 マシロが言う。


 夜一は黎明を見る。


「依頼人だ」


 黎明は。


 完成しかけた花束を見つめている。


「何を言えばいい」


「俺に聞くな」


「お前が送花師だ」


「お前の人生だ」


 温室の外で。


 何かが裂ける音がした。


 銀色の光。


 朝比奈環の剪定。


 世界花の根へ向かって。


 遠くから。


 刃が近づいている。


 時間は。


 もうほとんど残っていなかった。

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