第18話 人が増えれば犯罪も増える
第18話 人が増えれば犯罪も増える
秋だった。
裏山自治領の果樹並木は黄金色に染まり、熟した柿が枝をたわませている。
市場には収穫祭を控えた人々が集まり、焼き栗やアップルパイの甘い香りが漂っていた。
町は豊かだった。
人が増えた。
商売も増えた。
そして。
問題も増えた。
その朝。
アニエスは市場を歩いていた。
淡い生成り色のワンピース。
茶色の革靴。
肩には布の買い物袋。
いつも通り、領主というより買い物帰りの村娘だった。
パン屋で焼きたての胡桃パンを買い。
果物屋でリンゴを選び。
魚屋のおじさんと世間話をしていた。
すると突然。
悲鳴が聞こえた。
「泥棒!」
市場がざわつく。
若い女性が泣きそうな顔をしていた。
「財布がないんです!」
商人達が騒ぎ始める。
周囲を見回す。
だが犯人は見つからない。
アニエスも困った顔になる。
「大丈夫?」
「今日の仕入れ代だったんです」
女性は肩を震わせた。
少額ではない。
生活に関わる金額だった。
その日の夕方。
今度は別の問題が起きた。
宿屋で客同士の喧嘩。
翌日には偽の契約書。
さらに翌週。
夜道で荷物が盗まれた。
診療所では薬の転売まで見つかった。
「増えてるね」
アニエスは商会本館の会議室で呟いた。
窓の外では夕焼けが町を赤く染めている。
ギルバートが腕を組んだ。
「人が増えたからな」
「そうなの?」
「豊かになれば集まる」
「うん」
「良い人も」
「うん」
「悪い人も」
アニエスは黙った。
確かにその通りだった。
以前は二百人ほどの村。
今は数万人が暮らす町だ。
全員の顔など覚えられない。
「どうしよう」
珍しく真剣な顔だった。
翌日。
アニエスは市場を歩いていた。
一人で。
護衛も連れずに。
当然。
周囲は慌てた。
「危ないです!」
護衛隊長が叫ぶ。
「大丈夫だよ」
「大丈夫じゃありません!」
その時だった。
果物屋の老婆が手招きする。
「アニエス様」
「なあに?」
老婆は少し声を潜めた。
「最近ね」
「うん」
「見慣れない男達が増えてる」
別の店主も頷く。
「夜になると怪しい連中が集まる」
「倉庫街だ」
「酒場だ」
次々と情報が集まる。
アニエスは気付いた。
今までは困ったことがあれば誰かに相談できた。
みんな顔見知りだったから。
だが今は違う。
知らない人が増えた。
だから。
助けを求める場所が必要だった。
その夜。
会議室。
また幹部達が集められていた。
「今度は何ですか」
会計担当が疲れた顔で聞く。
最近は嫌な予感しかしない。
アニエスは真顔だった。
「警備隊作る」
全員が納得した。
今回は割とまともだった。
「やっとか」
ギルバートが言う。
「やっと?」
「普通の領地は最初にやる」
「そうなの?」
「そうだ」
アニエスは少し反省した。
翌月。
裏山自治領警備隊が発足した。
元兵士。
元冒険者。
信頼できる職人。
若い農民達。
様々な人材が集まった。
ただし。
アニエスらしい条件があった。
「剣が強いだけじゃ駄目」
全員が首を傾げる。
「挨拶できる人」
「はい?」
「子供に優しい人」
「はい?」
「お年寄りを助ける人」
警備隊長が頭を抱えた。
だが結果は良かった。
市場を巡回する。
学校の見回り。
夜道の警備。
困っている人の相談。
少しずつ町の空気が変わった。
そして。
ある夜。
事件が起きる。
倉庫街で窃盗団が捕まったのだ。
商会の荷物を盗み続けていた一味だった。
牢屋へ入れられた男達は怯えていた。
厳罰を覚悟していた。
ところが。
翌朝。
アニエスがやって来た。
「なんで盗んだの?」
男達は顔を見合わせる。
一番若い男が俯いた。
「仕事がなかった」
「家族がいるんだ」
「食べ物もなかった」
静かな声だった。
嘘ではない。
調べると本当だった。
他領から流れてきた人達だった。
仕事も住む場所もなかった。
アニエスはしばらく考えた。
そして。
「働く?」
全員が固まった。
「は?」
「仕事」
「俺達は泥棒だぞ」
「うん」
「牢屋じゃないのか」
「盗んだ分は働いて返そう」
男達は言葉を失った。
もちろん罰はある。
被害者への賠償もある。
だが。
人生そのものは捨てない。
それがアニエスの考えだった。
半年後。
その男達は果樹園で働いていた。
汗を流しながら。
真面目に。
一人はオリーブ農園。
一人は倉庫管理。
一人は道路整備。
町の人々も少しずつ受け入れた。
冬の始まり。
アニエスは市場を歩いていた。
夕暮れの灯り。
焼き芋の香り。
温かなスープの匂い。
警備隊の若者達が巡回している。
子供達が手を振る。
老婆達が笑う。
「平和だね」
アニエスが言った。
隣のギルバートが頷く。
「平和だな」
「でも難しい」
「何がだ」
アニエスは市場を見回した。
豊かな町。
幸せそうな人々。
その中には失敗した人もいる。
弱い人もいる。
騙される人もいる。
「守るだけじゃ駄目なんだね」
ギルバートは少し驚いた。
アニエスがそんなことを言うとは思わなかった。
「どういう意味だ」
「悪いことをしないで済む場所を作らないと」
夕暮れの風が吹いた。
果樹並木の葉が揺れる。
警備隊の鐘が鳴る。
町の灯りが一つずつ灯っていく。
裏山自治領は今日も平和だった。
だがアニエスは少しずつ学んでいた。
町を豊かにするだけでは足りない。
人を守る仕組みも必要なのだと。
そしてその学びは。
次の大きな挑戦へと繋がっていくのである。




