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第15話 子どもは宝、学校を作りましょう

第15話 子どもは宝、学校を作りましょう


秋風が心地よい朝だった。


裏山自治領の果樹並木は少しずつ色づき始めている。


柿は橙色に膨らみ。


イチジクは甘い香りを漂わせ。


ジューンベリーの葉は赤く染まり始めていた。


市場では朝から賑やかな声が響いている。


焼きたてのパン。


採れたての野菜。


燻製肉。


魚の干物。


商人達の威勢の良い声が飛び交う。


そんな中。


アニエスは市場の片隅でしゃがみ込んでいた。


薄いベージュ色のブラウス。


深緑のスカート。


頭にはいつもの麦わら帽子。


手にはパン屋の包み。


中には焼きたてのリンゴパンが入っている。


「いい匂い」


幸せそうだった。


その時だった。


少し離れた場所から怒鳴り声が聞こえた。


「違う!」


男の声だった。


アニエスは顔を上げる。


商店の前で店主が困っている。


若い少年も困っている。


「だから三十枚だ!」


「ごめんなさい」


少年はうつむいた。


手には計算用紙。


何度も書き直している。


「二十七と三を足しただけだろ!」


「でも……」


答えられない。


店主は頭を抱えた。


アニエスは近づいた。


「どうしたの?」


店主がため息をつく。


「働き者なんですがね」


「うん」


「字が読めないんです」


少年がさらにうつむく。


アニエスは驚いた。


周囲を見る。


すると似たような人が結構いた。


契約書が読めない。


数字が苦手。


手紙を書けない。


市場では珍しくないらしい。


その日の午後。


今度は農家を訪ねた。


畑には黄金色の麦が揺れている。


土の香り。


秋の風。


豊かな景色だった。


だが。


「今年は収穫が少なくてな」


老人が言った。


「どうして?」


「種の量を間違えた」


「なんで?」


「数えられん」


アニエスは黙った。


夕方。


工房へ行く。


そこでも問題があった。


「図面が読めない」


若い職人が困っている。


「寸法を間違えた」


「数字が苦手だ」


同じだった。


夜。


商会本館。


夕食の席。


香草を使った鶏肉のロースト。


かぼちゃのスープ。


焼きたてのパン。


ブルーベリージャム。


リンゴのタルト。


長いテーブルには温かな料理が並んでいる。


ギルバートはすでに三杯目だった。


「学校だな」


アニエスが呟く。


全員が止まった。


「来たな」


ギルバートが言う。


「何が?」


「嫌な予感だ」


幹部達も頷く。


最近は誰も驚かない。


「学校作る」


「やっぱりな」


「みんな字が読めない」


「そうだな」


「困ってる」


「そうだな」


「だから学校」


結論が早かった。


翌日。


町の広場。


アニエスは大きな看板を立てた。


学校開校。


文字が踊っている。


住民達が集まった。


「学校?」


「今さら?」


「子供向けか?」


するとアニエスは首を振る。


「大人も」


ざわつく。


「大人も?」


「うん」


老人達が顔を見合わせる。


「今さら勉強なんて」


「恥ずかしい」


そんな声も聞こえる。


だがアニエスは笑った。


「私も知らないこといっぱいあるよ」


それは本当だった。


税金。


法律。


書類。


今でも苦手だ。


だから妙に説得力があった。


数か月後。


学校が完成した。


白い壁。


大きな窓。


広い中庭。


果樹の木も植えられている。


開校初日。


子供達が走り込んでくる。


新品のノート。


新しい鉛筆。


嬉しそうな顔。


教室には木の匂いが漂っていた。


「先生!」


「はい」


「字を書けるようになる?」


「なれます」


歓声が上がる。


だが。


驚いたのは夜だった。


夕方の授業。


集まったのは大人達。


農家。


職人。


商人。


主婦。


老人までいる。


「本当に来た」


アニエスは目を丸くした。


最初に文字を書いたのは六十歳の農家だった。


震える手。


ぎこちない線。


何度も失敗する。


だが。


やがて。


自分の名前を書いた。


老人はしばらく紙を見つめていた。


「書けた……」


声が震える。


目には涙。


教室は静まり返った。


「わしの名前だ」


もう一度呟く。


「わしの名前が書けた」


拍手が起きた。


アニエスも胸が熱くなった。


さらに学校には別の工夫もあった。


職人教育。


農業教育。


商業計算。


実践的な授業だ。


農家は収穫量を計算する。


商人は帳簿を学ぶ。


職人は図面を読む。


学んだことがそのまま生活に繋がる。


そして。


アニエスがどうしても譲らなかったものがある。


昼食だった。


その日。


食堂には湯気が立っていた。


クリームシチュー。


焼きたてのパン。


リンゴ。


牛乳。


温かな香りが広がる。


貧しい子供達も並んでいた。


遠慮している。


するとアニエスが声を掛けた。


「食べて」


「でも」


「いっぱいある」


子供達は顔を見合わせる。


そして。


笑顔になった。


「いただきます!」


元気な声が響く。


食堂はあっという間に賑やかになった。


スプーンの音。


笑い声。


パンの香り。


幸せな光景だった。


夕暮れ。


授業が終わる。


子供達が帰っていく。


大人達も帰る。


その顔は朝とは違った。


明るい。


誇らしい。


希望に満ちている。


校舎の前で。


アニエスは空を見上げた。


夕焼けが果樹並木を赤く染めている。


ギルバートが隣に立った。


「どうだ」


「嬉しい」


アニエスは素直に答える。


「道も大事」


「うん」


「水も大事」


「うん」


「でも」


校庭から子供達の笑い声が聞こえた。


「学べるのも大事だね」


ギルバートは静かに頷く。


その日。


裏山自治領の人々は初めて知った。


知識は誰かに与えられるものではない。


自分で未来を切り開く力なのだと。


そしてアニエスはまだ知らない。


次に取り組むことになる問題が、病気や怪我よりもっと難しいものだということを。


その名は。


働く人の幸せだった。



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