第14話 道ができると、人が来る
第14話 道ができると、人が来る
梅雨の終わりだった。
朝から雨が降っていた。
裏山自治領の外れにある古い山道は、ぬかるみでぐちゃぐちゃになっている。
馬車の車輪は埋まり。
旅人は靴を泥だらけにし。
荷物を運ぶ商人達はため息をついていた。
「まただ……」
若い商人が顔をしかめる。
車輪が動かない。
馬も困っている。
泥水が跳ねてズボンを汚した。
「くっそ」
荷物は果物だった。
急がないと傷む。
だが進めない。
そんな光景を。
少し離れた丘の上からアニエスが眺めていた。
黄色い雨合羽。
長靴。
頭には大きな麦わら帽子。
隣にはギルバート。
二人とも雨に濡れていた。
「大変そう」
アニエスが呟く。
「大変だな」
「困るね」
「困るな」
二人はしばらく黙った。
そして。
ギルバートが言った。
「嫌な予感がする」
「道作ろう」
「やっぱりな」
即答だった。
翌朝。
雨が上がった。
空は青い。
雲の切れ間から朝日が差し込んでいる。
アニエスは工房へ向かった。
職人達が朝食を食べている。
焼きたてのパン。
目玉焼き。
燻製肉。
野菜スープ。
香ばしい匂いが漂う。
「みんな」
アニエスが声を上げた。
「なんだ?」
鍛冶職人が聞く。
「道作る」
全員が食事の手を止めた。
「どのくらい?」
「王都まで」
吹き出す者が続出した。
ギルバートは予想していたので驚かなかった。
「長いぞ」
「うん」
「金かかるぞ」
「うん」
「大変だぞ」
「うん」
「やるのか」
「やる」
決定だった。
それから工事が始まった。
石工職人。
大工。
土木職人。
農民達も手伝う。
大きな石を運ぶ。
地面を固める。
排水溝を掘る。
橋を架ける。
アニエスも働いた。
地脈操作で岩盤を整える。
排水路の流れを調べる。
地下水を逃がす。
職人達は驚いた。
「便利すぎるだろ」
「そう?」
「お前一人で百人分だ」
本人はよく分かっていない。
夏が過ぎる。
秋になる。
そして。
街道は完成した。
白い石畳。
美しい排水溝。
両脇には果樹並木。
イチジク。
ブルーベリー。
オリーブ。
柿。
ジューンベリー。
まるで絵本の世界だった。
完成の日。
アニエスは早朝から道を歩いていた。
朝露に濡れた石畳。
鳥のさえずり。
若葉の香り。
歩きやすい。
泥もない。
「すごい」
思わず声が出る。
その時だった。
遠くから馬車の音が聞こえた。
ごとごと。
ごとごと。
商人だった。
「おお!」
馬車の御者が笑う。
「揺れない!」
その後ろにも馬車。
さらに後ろにも馬車。
荷物を積んだ商隊が次々と通る。
昼になる頃には。
道は人でいっぱいになっていた。
「宿はないか!」
「飯屋は!」
「馬を休ませたい!」
旅人達の声が飛び交う。
すると。
翌月には宿屋ができた。
その次の月には食堂。
さらに雑貨屋。
鍛冶屋。
薬屋。
市場。
気がつけば町が広がっていた。
アニエスは目を丸くする。
「増えてる」
ギルバートは笑う。
「道があるからだ」
「道ってすごい」
「今さらか」
本当に今さらだった。
秋が深まった頃。
さらに人が来た。
若い教師だった。
眼鏡をかけた真面目そうな女性だ。
「学校で働きたいんです」
次の日。
医師が来た。
「診療所を手伝わせてください」
さらに。
職人。
商人。
研究者。
農業技師。
ありとあらゆる人材が集まり始める。
理由は簡単だった。
暮らしやすいから。
仕事があるから。
安全だから。
そして何より。
希望があった。
ある日の夕方。
市場は賑わっていた。
焼き鳥の匂い。
パンの香り。
果物の甘い香り。
子供達の笑い声。
商人達の値切り交渉。
全てが混ざり合う。
アニエスは焼きとうもろこしを片手に歩いていた。
醤油の香ばしい匂いが食欲を刺激する。
「美味しい」
頬張る。
幸せそうだった。
その横でギルバートが言う。
「最初は何人だったか覚えてるか」
アニエスは考える。
「二百人くらい?」
「そうだ」
今は違う。
数万人が住んでいる。
学校もある。
病院もある。
工房もある。
市場もある。
「なんで増えたんだろ」
アニエスは本気で不思議そうだった。
ギルバートは呆れた。
「お前が作ったからだ」
「私?」
「そうだ」
アニエスは首を傾げる。
だが。
目の前には笑顔の人々がいる。
それだけは分かった。
夕日が石畳を赤く染める。
果樹並木の葉が風に揺れる。
旅人達は宿へ向かう。
商人達は市場へ向かう。
子供達は家へ帰る。
みんな同じ道を歩いていた。
その光景を見ながら。
アニエスは静かに呟いた。
「道ってすごいね」
本当にそう思った。
一本の道が。
人を呼び。
町を作り。
未来を運んでくる。
そんなことを。
裏山育ちの元婚約破棄令嬢は、今になって知ったのである。




