第13話 領民の胃袋をつかめ
第13話 領民の胃袋をつかめ
夏の朝だった。
裏山自治領の大通りには柔らかな陽光が降り注ぎ、石畳の道の両脇では若い果樹の葉が風に揺れていた。
イチジク。
ブルーベリー。
柿。
オリーブ。
ジューンベリー。
まだ小さい木も多いが、すでに青い実をつけ始めているものもある。
町へ入ってきた旅人は必ず足を止めた。
「なんだこの道」
商人の一人が目を丸くする。
「果樹園の中を歩いてるみたいだ」
葉の隙間から木漏れ日が降る。
風が吹くたび、青い果実の香りがほのかに漂う。
その頃。
アニエスは道端にしゃがみ込んでいた。
白いブラウス。
茶色の吊りスカート。
頭には大きな麦わら帽子。
軍手をはめた手でオリーブの苗木を支えている。
「もう少し右かな」
「領主様」
後ろからギルバートが声を掛ける。
「また木植えてるのか」
「うん」
「何本目だ」
「三百六十四本目」
「数えてるのか」
アニエスは得意げに頷いた。
「道路ってね」
「おう」
「歩いて楽しい方がいいと思うの」
ギルバートは苦笑する。
確かにこの領地の道路は楽しい。
春は花。
夏は果実。
秋は紅葉。
冬は常緑樹。
ただの移動ではなく散歩になる。
子供達も喜ぶ。
旅人も喜ぶ。
商人も喜ぶ。
なぜか町の評判も良くなる。
「お前は本当に変なところに金を使うな」
「そう?」
「普通の領主は城を建てる」
「いらない」
「豪邸を建てる」
「掃除大変そう」
「宝石を買う」
「畑の方がいい」
即答だった。
ギルバートは笑うしかない。
その日の昼。
商会本館の会議室。
長い机の上には昼食が並んでいた。
焼きたてのパン。
鶏肉の香草焼き。
野菜スープ。
ブルーベリージャム。
イチジクのコンポート。
アニエスはパンを頬張りながら窓の外を見る。
市場は相変わらず賑やかだった。
「ねえ」
「なんだ」
ギルバートが警戒した顔になる。
嫌な予感がする時の顔だった。
「月に一回お祭りしよう」
「ああ、来たな」
「なんで分かるの?」
「長年の付き合いだ」
周囲の幹部達もため息をついた。
また何か始まる。
全員そう思った。
「どんな祭りだ」
「美味しい祭り」
沈黙。
「それだけか」
「それだけ」
アニエスは真顔だった。
「領民の胃袋をつかむ」
「戦争か」
「違うよ」
「政治か」
「違うよ」
「なんだ」
アニエスはにっこり笑った。
「みんなで美味しい物食べたら幸せじゃない」
誰も反論できなかった。
一か月後。
第一回裏山B級グルメ祭りが開催された。
朝から町中が大騒ぎだった。
焼き鳥。
肉まん。
串焼き。
焼きとうもろこし。
じゃがバター。
燻製肉のサンドイッチ。
果物のタルト。
屋台がずらりと並ぶ。
炭火の香り。
焼ける肉の匂い。
甘い果実の香り。
空腹を刺激する匂いが町中を包んでいた。
「おおー!」
子供達が歓声を上げる。
「何から食べよう!」
「全部!」
「無理だ!」
笑い声が広場に響く。
アニエスも歩いていた。
今日は薄い緑色のワンピース。
麦わら帽子。
肩から小さな鞄を下げている。
完全に祭りを楽しむ側だった。
領主らしさはない。
「アニエス様!」
屋台の主人が声を掛ける。
「味見してください!」
「する!」
即答だった。
まずは肉まん。
ふわふわの生地。
中から肉汁が溢れる。
「おいしい!」
次はじゃがバター。
ほくほく。
湯気。
溶けるバター。
「おいしい!」
さらに串焼き。
香ばしい。
肉汁たっぷり。
「おいしい!」
三軒で同じ感想だった。
ギルバートが呆れる。
「語彙がない」
「幸せ」
「それは伝わった」
その時だった。
広場の中央で騒ぎが起きる。
料理大会だった。
今年のテーマは地元食材。
優勝賞金は金貨五枚。
主婦も。
料理人も。
農家も参加している。
会場は熱気に包まれていた。
そして。
優勝したのは。
村のおばあちゃんだった。
料理は。
ただの煮込みだった。
だが。
野菜。
豆。
肉。
全部が優しい味だった。
審査員達は全員おかわりした。
アニエスも三杯食べた。
「おいしい」
また同じ感想だった。
夕方。
祭りは最高潮を迎えていた。
果樹の並木道には提灯が灯る。
オレンジ色の光が揺れる。
風が吹く。
若いイチジクの葉がさわさわ鳴った。
子供達が走る。
老人達が笑う。
旅人達が驚く。
誰もが楽しそうだった。
「すごいな」
ギルバートが呟く。
「なにが?」
「お前の領地だよ」
アニエスは首を傾げる。
そして道の向こうを見る。
果樹の並木。
賑やかな市場。
笑顔の人々。
たしかに昔とは違う。
だが。
「みんなが作ったんだよ」
そう言った。
本気だった。
夕焼けが町を染める。
柿の葉が赤く輝く。
ブルーベリーの実が揺れる。
オリーブの葉が銀色に光る。
そして。
祭りの最後。
アニエスは高台から町を見下ろした。
香ばしい匂い。
笑い声。
歌声。
暖かな灯り。
その全てが心地よかった。
「来月は何祭りにしようかな」
ギルバートが頭を抱える。
「またやるのか」
「毎月やるよ」
「財政担当が泣くぞ」
「みんな喜ぶよ?」
それが一番強かった。
誰も反対できない。
こうして裏山自治領には、新しい名物が誕生した。
月に一度。
領民全員がお腹いっぱいになって笑う日。
それは後に周辺諸国からも観光客が押し寄せる、伝説のB級グルメ祭りへと成長していくことになるのである。
続く。




