表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

12/22

第12話 お湯の次は水道です

第12話 お湯の次は水道です


初夏の朝だった。


裏山の町は朝露に包まれ、若葉の間を吹き抜ける風が涼しい。


市場へ向かう荷馬車の音。


パン屋から漂う焼きたての香り。


遠くでは学校へ向かう子供達の笑い声も聞こえる。


町は今日も元気だった。


その朝。


アニエスは診療所の前に立っていた。


白いブラウス。


紺色のスカート。


麦わら帽子。


手には診療所の報告書。


珍しく真面目な顔をしている。


「また?」


診療所の院長が頷いた。


「はい」


「お腹を壊した人?」


「今月で二十三人目です」


アニエスは眉をひそめた。


診療所は新しい。


薬もある。


栄養状態も改善した。


それなのに時々こういう患者が出る。


「原因は?」


「井戸水です」


院長がため息をつく。


窓の外には小さな井戸が見えた。


町が大きくなり、人が増えた。


すると問題も出てくる。


場所によっては井戸が浅い。


場所によっては濁る。


雨が続くと汚れる。


「なるほど」


アニエスは腕を組んだ。


その時。


診療所の裏から声が聞こえた。


「重い……」


「まだ半分だよ」


若い女性達だった。


大きな桶を抱えている。


洗濯用の水だ。


朝から何往復もしているらしい。


「大変そう」


「大変です」


院長が即答した。


「病人もそうですが、洗濯や掃除も大問題です」


アニエスは考え込む。


帰り道。


今度は共同浴場に寄った。


浴場には湯気が立ち込めている。


木の香り。


石鹸の匂い。


気持ち良さそうな声。


給湯システムのおかげで、みんな毎日お風呂に入れるようになった。


だが。


「水が足りない!」


番頭のおばちゃんが叫んでいた。


「またですか?」


「まただよ!」


大きな桶を抱えながら怒る。


「湯はあるのに水がないんだよ!」


アニエスは頭を抱えた。


お湯の次は水だった。


昼食の時間。


商会本館。


長いテーブルには料理が並んでいる。


焼きたてのパン。


鶏肉の香草焼き。


豆のスープ。


トマトと胡瓜のサラダ。


果物の盛り合わせ。


ギルバートは既に三枚目のパンを食べていた。


「水道だな」


アニエスが呟く。


「は?」


「水道作ろう」


ギルバートがパンを落とした。


「また始まった」


周囲の幹部達も顔を見合わせる。


嫌な予感しかしない。


「今度は何だ」


「町中に綺麗な水を流す」


「簡単に言うな」


「できると思う」


「お前のその言葉が怖い」


みんな頷いた。


過去にも似た会話があった。


給湯システム。


暖房設備。


物流改革。


全部成功してしまった。


だから誰も止められない。


翌日。


アニエスは裏山へ向かった。


地脈操作を使う。


大地の流れ。


地下水脈。


岩盤。


土壌。


全てが頭の中へ広がる。


透明な地図みたいだった。


「わあ」


思わず声が出る。


地下には巨大な水の流れがあった。


山の奥から湧き出る清水。


冷たく美しい天然水。


「これ使える」


ギルバートが頭を抱えた。


「また何か見つけたのか」


「地下に川がある」


「川?」


「大きい」


「どれくらいだ」


「町全部いける」


嫌な予感が現実になった。


それから一か月。


町中が工事だらけになった。


道路を掘る。


管を埋める。


水路を整備する。


職人達が走り回る。


子供達は興味津々だ。


「何してるの?」


「水道だよ」


「すいどう?」


「蛇口から水が出る」


「ええっ!?」


大騒ぎだった。


そして。


完成の日が来た。


町の広場。


住民達が集まる。


アニエスもいる。


ギルバートもいる。


診療所の院長もいる。


みんな半信半疑だった。


「本当に出るのか?」


「出ると思う」


「思う?」


「たぶん」


不安しかない。


アニエスは蛇口をひねった。


次の瞬間。


ざあああああっ。


透明な水が勢いよく流れ出した。


歓声が上がる。


子供達が飛び跳ねる。


老人達も目を丸くする。


「冷たい!」


「綺麗だ!」


「すごい!」


水は太陽を受けて輝いていた。


川から汲んで来なくていい。


井戸を掘らなくていい。


重い桶を運ばなくていい。


ただ蛇口をひねるだけ。


それだけだった。


数週間後。


変化はすぐ現れた。


診療所。


患者が減った。


「今月は三人です」


院長が報告する。


「二十三人じゃないの?」


「三人です」


笑顔だった。


共同浴場。


掃除が楽になった。


洗濯場。


いつでも水が使える。


町の食堂。


衛生状態が向上した。


パン屋も肉屋も喜んでいる。


そして何より。


女性達の負担が激減した。


ある日の夕方。


市場の帰り道。


アニエスは若い母親に声を掛けられた。


赤ん坊を抱いている。


「アニエス様」


「なあに?」


女性は少し照れながら笑った。


「ありがとうございます」


「どうしたの?」


「前は一日に何度も水汲みしてました」


優しい夕日が町を染めている。


「でも今は」


女性は赤ん坊を見つめた。


「この子と過ごす時間が増えました」


その言葉にアニエスは少し驚く。


自分ではそこまで考えていなかった。


ただ便利だと思っただけだった。


女性は頭を下げる。


「本当にありがとうございます」


アニエスは照れくさくなった。


「そんな大したことじゃないよ」


「大したことです」


女性は笑った。


夕暮れの風が吹く。


どこかの家から夕飯の匂いが漂ってきた。


肉を焼く香り。


スープの香り。


パンの香り。


温かな暮らしの匂いだった。


その夜。


アニエスは裏山の上から町を眺めていた。


家々の灯りが輝いている。


水道管を流れる水の音は聞こえない。


だが確かに人々の暮らしを支えている。


「良かった」


小さく呟く。


その横でギルバートが言った。


「次は何を思いつくんだ?」


アニエスは少し考えた。


そして笑った。


「まだ内緒」


ギルバートは嫌な予感しかしなかった。


町の発展はまだ始まったばかりだったのである。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ