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第11話 裏山の町、正式に領地になります

第11話 裏山の町、正式に領地になります


春の風が吹いていた。


裏山の若葉は柔らかな緑に染まり、小川の水は陽光を受けて銀色にきらめいている。


朝露に濡れた畑では、じゃがいもの芽が元気よく顔を出していた。


アニエスは畝の間にしゃがみ込み、小さな雑草を抜いている。


淡い水色のブラウス。


生成り色のスカート。


頭には麦わら帽子。


相変わらず世界有数の大富豪には見えなかった。


「今年も元気ねぇ」


土を撫でながら微笑む。


その時だった。


遠くから鐘の音が響いた。


からん、からん、からん。


村の広場にある鐘だ。


しかも緊急招集の合図である。


アニエスは顔を上げた。


「火事?」


立ち上がる。


「熊?」


少し焦る。


「それともまたギルバートがお酒飲んで屋根から落ちた?」


十分あり得る。


急いで広場へ向かった。


広場にはすでに大勢の人が集まっていた。


農家。


職人。


商人。


子供たち。


みんな妙にそわそわしている。


中央にはギルバートが立っていた。


隣には見慣れない男達もいる。


黒い礼服。


胸には王国の紋章。


王都の役人だった。


嫌な予感がした。


「何かやらかした?」


アニエスが聞く。


ギルバートが吹き出した。


「お前はまず自分が何かやらかしたと思うのか」


「だって役人だし」


「まあ正しい」


正しかった。


王都の役人は咳払いをする。


そして羊皮紙を広げた。


「アニエス・ルヴェール殿」


「はい」


「王国議会及び国王陛下の名において通達いたします」


広場が静まり返る。


風が吹いた。


花の香りが漂う。


役人は高らかに読み上げた。


「裏山自治地区を特別自治領として正式に認定する」


数秒の沈黙。


そして。


「おおおおおおっ!」


歓声が爆発した。


子供達が飛び跳ねる。


職人達が抱き合う。


農家達が帽子を放り投げる。


アニエスだけが固まっていた。


「へ?」


役人は続ける。


「アニエス・ルヴェール殿を自治領代表兼領主として認定する」


「へ?」


「なお税制、治安、行政運営の一部権限を付与する」


「へ?」


「以上です」


「へ?」


広場が笑いに包まれた。


アニエスだけ理解していない。


「ちょっと待って」


「なんでしょう」


「領主って?」


役人が答える。


「領主です」


「私が?」


「あなたです」


「無理です」


即答だった。


村人達がまた笑う。


アニエスは本気だった。


「無理無理無理」


「なぜです?」


「私、畑仕事しかできないし」


「できてません」


役人が真顔で言う。


「は?」


「道路を整備しました」


「したね」


「学校を建てました」


「建てたね」


「病院を作りました」


「作ったね」


「商業都市を発展させました」


「そうかも」


「それを内政と言います」


アニエスは目をぱちぱちさせた。


初めて知った。


その日の夜。


村をあげてのお祝いが始まった。


広場には長いテーブルが並ぶ。


焼きたてのパン。


ローストチキン。


川魚の香草焼き。


山菜のサラダ。


苺のタルト。


果実酒。


子供達は走り回り、大人達は笑っていた。


春の夜風が心地よい。


焚き火の炎が揺れる。


肉の焼ける香ばしい匂いが漂う。


「領主様!」


職人が声を上げる。


「領主様じゃない」


「領主様!」


「やめて」


「領主様!」


大合唱だった。


アニエスは頭を抱える。


隣ではギルバートが腹を抱えて笑っていた。


「諦めろ」


「嫌」


「無理だ」


「嫌」


その時だった。


老村長がゆっくり立ち上がった。


白髪の老人だ。


昔からこの土地を見守ってきた。


村人達が静かになる。


「アニエス嬢ちゃん」


「はい」


「わしらな」


老人は周囲を見渡した。


明るい灯り。


笑顔。


元気な子供達。


豊かな食卓。


「こんな暮らし、夢にも思わんかった」


静かな声だった。


だが重みがあった。


「冬に凍えなくなった」


「……」


「病気で死ぬ子も減った」


「……」


「若い者も帰ってくる」


老人の目が潤む。


「全部お前さんのおかげじゃ」


広場が静まり返った。


アニエスは困った顔になる。


褒められるのが苦手だった。


「みんな頑張ったからだよ」


「違う」


今度は鍛冶職人が言った。


「最初に動いたのはアニエス様だ」


「そうだ」


「俺達は後からついて行っただけだ」


次々と声が上がる。


アニエスはますます困った。


だから話題を変えた。


「ところで領主って何するの?」


その瞬間。


役人達の顔色が変わった。


「それです」


「はい?」


「明日から始めましょう」


翌朝。


商会本館。


大きな会議室。


窓から春の日差しが差し込んでいる。


机の上には書類の山。


羊皮紙の山。


さらに山。


また山。


アニエスは青ざめた。


「なにこれ」


役人が微笑む。


「戸籍です」


「へえ」


「土地台帳です」


「へえ」


「税台帳です」


「へえ」


「全部整理します」


沈黙。


「……帰りたい」


本音が漏れた。


ギルバートが笑う。


「無理だな」


「畑行きたい」


「終わったらな」


「終わる?」


「終わらん」


絶望だった。


だが役人達は真剣だった。


誰がどこに住んでいるのか。


どの土地が誰のものなのか。


税は公平か。


孤児や老人は困っていないか。


町が大きくなれば必要になる。


アニエスも少しずつ理解する。


「みんなが安心して暮らすため?」


「その通りです」


「なら頑張る」


役人達が安堵した。


窓の外では子供達の笑い声が聞こえる。


市場も賑やかだ。


新しい領地の朝が始まっていた。


そしてアニエスはまだ知らない。


裏山を掘るより面倒な敵が、この先たくさん待っていることを。


その名も。


書類仕事である。


「戸籍って何枚あるの?」


「三万二千四百七十六人分です」


「……帰って畑掘る」


「駄目です」


春の空に。


アニエスの悲鳴が響き渡った。


続く。



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