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鳥敷隧道  作者: 青橋憧憬
第二章 違和感

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9/17

一

 白石はあ(・)の(・)部(・)屋(・)の第一発見者となっていた。

 警察署内の面談室に入ると、汗で湿ったシャツがエアコンの冷風で冷えていく。緊張も相まって思わず身震いをしてしまう。

「友人を亡くしたばかりだというのに、すまないね」

 質問役らしきベテラン警察官が目の前に座ると、軽い口調で白石に話しかけた。続いて、隣に若い警察官が座る。彼は書記を務めるみたいだ。

「いえ、大丈夫です」

「人見君は状況からして自殺でほぼ確定だ。だから、君が疑われて、このような場所に来てもらったというわけではないから安心してほしい」

「はい」

「とはいえ、こんな殺風景な部屋の中でおっさん警察官二人に囲まれたら緊張してしまうか。疲れたらすぐに言ってくれていいからね」

「ありがとうございます」

「私はまだ三十二ですよ」

 即座に異を唱えられていたが、ベテラン警察官は無視した。

 軽いアイスブレイクを交えつつ、本題へと移っていく。

「……では、早速だが人見君を発見したときまでの流れを教えてくれないかな? 気になったところで止めるから、自由に話してくれて構わないよ」

「最近の陽太はとても参っていました。強い不安を覚えている……そういった旨のメールがよく届いていました」

 警察官は頷く。もちろん知っているのだろう。

「私はインターンで東京にいたのですが、明らかに様子のおかしいメールが送られてきました。だから、帰ったら陽太の家に行こうと思ったんです」

 インターン関係の企業と大学からの連絡に混じり、件名のないメールが複数あった。どれもこれも差出人は陽太である。彼は件名の入力を面倒くさがり、よく空白で送ってきていた。

「まず、これです」

 白石は画面を見せた。

『戻ってきたのか?』

 それだけの返信メールであった。

「私はこれに『東京だけど』とさらに返信をしましたが、このときには違和感を覚えませんでした」

 短文の下には、白石が送ったメッセージが残っている。

『陽太は色々と考えすぎるんだよ。サウナでも行って気分転換してみたらどうだ?』

 悄然としているだろう陽太に気を遣っている文面。返信が文脈に合っていない。

「まぁ、会話としては、噛み合っていないな」

「最後に届いたメールが、これです。これを見て、彼の家に行こうと決めました」

 新規メールで、やはり件名はなし。本文には『たのむ』という平仮名三文字のみ。

 そして、無題の動画ファイルが添付されている。

「再生してもらっていいかな?」

「はい」

 ピッと携帯電話から音が鳴り、四十八秒の動画が再生され始めた。映像の質は鮮明とは言い難いが、視聴に困らない程度には保たれている。


 カメラは数メートル離れた玄関の扉を映している。部屋の光が届かない玄関は薄暗い。

 乱れた息遣いがする。

 人見陽太が「なんでだよ」、「もうやめてくれよ」などと焦燥感を露わにする。

 カメラは玄関の扉を映し続けている。

 携帯電話が素早く動かされ、画面にノイズが走る。

 携帯電話がテーブルに置かれている。内蔵されたカメラは至近距離でテーブルを映している。

 えずき声と嘔吐に伴うビチャビチャという音が録音される。

 人見陽太が「臭い」と呟く。

 クラフトテープを千切る音が録音される。

 人見陽太が携帯電話を持ち上げる。

 録画終了。


 端的に意味不明だった。白石はこの不可解な動画を見たために、東京から戻るとすぐに陽太の家に向かったのだ。

 そして、今に至る。

「……白石君がスペアキーを使って部屋に入ったとき、廊下と部屋を繋ぐ扉がクラフトテープで塞がれていたんだよね?」

「はい。ドアノブを捻ったまま何回も体当たりして、なんとか剥がしました」

「どうにも合点がいかないな。玄関を映したところから録画を開始したのは、メールの文面からも分かるとおり、不審な誰かがいたからだろう。しかし、実際にはインターホンが鳴らされるわけでも、ノックをされるわけでもない」

「そうですね」

「そして突然、彼は嘔吐する。さらに『臭い』と呟いているのにも拘わらず、ゴミ箱を密閉するのではなく、部屋を密閉した……」

 警察官はそう自分で発言をしつつ、その不可解さに眉を顰めていた。

「私が部屋に入ったときには、それはもう、腐敗臭でとんでもない状況でした」

「そうだろうな。夏季の自殺となると、換気扇などを伝って周囲の部屋にまで死臭が届き、そのまま染み付いてしまうケースも珍しくない。今回は空気孔をテープで目張りしていたことが功を奏したのかもしれないな」

 陽太の理解不能な行動についてはひとまず横に置くようで、改めて続きを促される。

「入ると同時に嫌な予感が脳天を突き抜けました。だから、その場で覚悟をしました。それでもまさか……あんな状態になっているとは思ってもいませんでしたけど──」

 白石は当時の状況を思い出しながら、目を閉じた。


 東京から蜻蛉返りして、陽太の家へ向かった。

 友人ならば、そうするはずだ。

 玄関の扉を開けると、既に惨状を示す気配が漏れ出していた。

 白石はハンカチで鼻を押さえながら、扉を開け放したままにした。臭いに耐えられなかったからか、いつでも逃げられるようにしておきたかったのか、あるいは密室が怖かったのか。

 陽太がいるはずなのに、物音が一切しない廊下を進む。部屋の扉に手をかけるとミチチという音がした。クラフトテープが貼り付けられていた。

 そして、嗅いだことはないというのに中で何が起こっているのか理解してしまう、強烈な臭い。同族の死を知らせるそれが最終警告として立ちはだかった。

 それでも体当たりで強引にぶち破ると──蒸し暑いと思うや否や腐敗臭が狂ったように流れ出ていく。凄まじい。悍ましき奔流であった。全身の毛穴がゾワリと開き、たたらを踏んだ。あまりにも生々しい死の気配だったのだ。

 テーブルとベッドの間にそ(・)れ(・)が見えている。

 胴体がブクブクと丸まり、はち切れんばかりに服が突っ張っている。

 異様に膨張したかつての友であった。

 彼は横向きに落ちていた。顔が見えないのは、幸か不幸か。そこで逃げ出せば良いものを、変態的な好奇心と奇妙な勇気が「お前が知りたかった答えは目の前にある」と背中を押してくるのだ。

 ゆっくりと、まずは一歩、立ち入った。


 何度も訪れたこの部屋に、初めて既視感と思しきものを覚えていた。ノスタルジーにトラウマを練り混ぜた感覚だった。

 リビングの扉を閉め、ベランダに出るための掃き出し窓と向かい合ったあのとき。父親の暴力から逃れたい一心で、アパートの一室、たった一人、死のうと決心をした幼少期。そう……ちょうどこんな風になろうとしたことがあったのだ。

 夏の高い高い空を窓越しに見上げると、自分が牢獄の中に閉じ込められているような無力感に苛まれた。

 衝動的にカーテンを閉め切り、カーテンレールに縄跳びを掛けた、あの穏やかな夏の日──。


 全く意味はないというのに、抜き足差し足で進んでいく。

 立て掛けてあったフローリングワイパーを手に持ち、陽太の服にクイッと引っ掛ける。その見た目の割に簡単に転がって、何かがビチチュと噴き出した。どこかの穴から液体と気体が混ざった汁が飛び出したのだ。

 その顔が露わになった。彼の目にはシャープペンシルが深々と突っ込まれていた。

 両目ともに、そこにあるべきものが脱落していた。顔面には乾いた血がこびりついて──ブーンブーン。

 白いプツプツとした卵が眼窩を覆い尽くすように犇めいている。孵った蛆はもぞもぞと動いている。

 口はあんぐりと開いたまま。その口内も、もぞもぞ、同様に、もぞもぞもぞもぞ。

 羽音が部屋をぐるぐると彷徨い、耳元を通り過ぎて外へ飛び去っていった頃──急激に気持ち悪くなった。

 慌てて目を逸らし、我慢できなくなって廊下で嘔吐しながらも通報したのだった。

 陽太の壮絶な死に顔があの一瞬で……いや、もしかしたら数十秒は見ていたのかもしれないが……体感としては、ほんの刹那のうちに焼き付いていた。

 これ以上は何も思い出したくなかった。


 白石の話に特筆すべき点はなかったみたいだ。預かっていたスペアキーで家に入り、クラフトテープで目張りされた扉を強引に開いたら、陽太の遺体を発見したから警察へ通報しただけである。

 この部屋を見渡しても、監視カメラ、鏡、録音機材など取調室然とした機材は見当たらない。通された部屋の名前は面談室であり、警察官たちもむしろ柔和な表情を浮かべていた。

 スペアキーを持っていた白石への疑いは、死亡推定時刻に東京でインターンに参加していた情報に加えて、企業が手配したホテルの宿泊履歴を裏取りできたため、既に晴れているのだろう。

「何か他に話しておきたいことはあるか」と尋ねられた白石は、考える素振りを見せてからかぶりを振った。

 そうしたものの──違和感が脳裏をよぎった。

 あの部屋には、どうにもそぐわないものがあった。死体と向き合うという非日常の只中でありながら、それでも間違いなく、あれは違和感と呼べるものだった。

 あれは、いや、あれらは……御守りだった。十数体の御守りが壁に画鋲で留められていたのだ。

 芋づる式に盛り塩が玄関収納の上に置いてあったことを思い出し、余計に困惑する。ごく普通の大学生が御守りを買い漁り、玄関口に盛り塩を置いたのだ。精神科を受診したとは聞いていたが、それほどまでに追い詰められていたのだろうか。

「陽太君はどんな人だったのかな?」

「名前のとおり明るい奴でした。ただ、繊細な側面もあった気がします。それでも、リストカットをするような……いわゆる、病んでいるというわけでもなかったですし、目にシャーペンを刺して自殺するなんて今でも考えられません」

「……そうだよな。一番の友人である君も、そう思うんだよな」

 警察官は同調し、何とか自分自身を納得させようとしている風に見受けられた。

 そして、彼は所感をゆっくりと話し始めた。言葉にせずにはいられない──そんな様子だった。

 書記の警察官は静かにボールペンを置いた。

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