二
両目にシャープペンシルを突き刺して自殺するなんて常人にはできない。しかし、常軌を逸しているからこそ、精神疾患が齎す行動異常として説明できてしまう。
現場の検視を行った老医師は眉間に皺を寄せていた。ただの死体には眉一つ動かさないであろう専門家でさえも、小さな呟きを残すほどであった。
こんな特異な死に方は見たことがない──。
死亡時は密室、両目を除いて傷がなく揉み合った形跡すらない。室内を念入りに目張りしたのは人見陽太本人。
であれば、自らの手で目にシャープペンシルを突き刺したという筋書きになるわけだが、わざわざ両目を潰すというのは狂気の沙汰である。
まず、左目に突き刺したのだろう。比較的浅い傷が──とはいえ、失明するほどの傷が──左目に残っていた。悶絶して転げ回ったらしく、血が床に飛んでいた。
その後、懲りずに右目へ深々と突き刺すわけで、これが直接的な死因となるが……ここがまた、変なのだ。
「変とは?」
白石が口を挟んだ。
「自分の目に刺そうとしてみてくれ」
警察官がシャープペンシルを手渡す。
「こうですか?」
白石はそれをギュッと握り、目に向けて動かした。
「力を込める必要があるのだから、そうなるよな。でも、それだと目の奥……脳に達するまで刺すことは難しい」
「……たしかに」
己の手でシャープペンシルを強く握っているために、その手で覆われていない部分しか目に刺さらない。
そして、それでは死ぬには長さが足りないのだ。
「まさか、目を穿つ痛みを堪えながら、さらに自らの手で押し込んだとでも?」
「何とも言えないな」
「でも、計画的であればこんな死に方は選ばないし、衝動的であったとしても包丁を使うでしょう」
「調べたのかい。詳しいね」
警察官は驚いた後、面談を終えるためだろうか、突拍子もない結論で締めた。
──見たくないものでも、見てしまったのかもな。
白石は、そのあまりに投げやりな発言に顔を顰めた。
「そうだった、そうだった、これ」
解散となる直前、警察官が胸ポケットをゴソゴソと漁り、一枚の付箋を差し出した。電話番号と電話が繋がる時間帯が書いてある。
「人見麻子さん……陽太君の母親の電話番号だ」
「ええと、なぜ、これを私に?」
「麻子さんが、どうしても第一発見者で友人でもある君と連絡を取りたいらしくてな。連絡先を教えてほしいと頼まれたんだが、個人情報を勝手に提供するわけにもいかないだろ? これはただの御節介で君に渡しただけだから、連絡するかどうかは君に任せるよ」
白石はその話を聞きながら、電話番号を見つめていた。
「いえ……むしろ、助かります。陽太のことを知る方と話したかったので」
顔を上げて微笑する。
「そうか。まぁ、君も麻子さんも突然の訃報で心は不安定なはず。陽太君をよく知る二人だからこそ、連絡を取り合って死を悼み……受け入れる時間を作るのも大事だと思うよ」
白石が帰り掛けに電話をすると、ワンコールで繋がった。
「はい、人見です」
「あ、初めまして。陽太の友人の白石透と申します。人見麻子さんの携帯でよろし……」
「陽太の友達? もしかして第一発見者の方でしょうか?」
「ええ、そうです」
話している途中だというのに、麻子は焦ったように遮った。
「あ、すみません、少々お待ちください」
雑多な音が静かになっていく。コツコツと鳴る音は、人気のないところに移動する彼女の靴音だろう。
「お仕事中でしょうか? かけ直しましょうか?」
「いえ、忌引き休暇を取っていますから。たまたま宿泊先のフロントで……人気のない場所に移動しました」
「あ、そ、それはそうですよね。失礼しました」
息子が亡くなれば、仕事は休むに決まっている。背伸びした子供のような発言だった。カッと顔が熱くなる。
「それで……白石君は大丈夫でしょうか?」
「はい、お気遣いいただきありがとうございます。本当にお悔やみ申し上げます……」
「あ、いや、そういう意味ではなくて……何か怖い思いとかはしていませんか? 陽太とよく一緒にいたんですよね?」
そういう意味じゃなくて……?
白石は思わず足を止めた。
陽太は黒ずんだ人形を発見した日以降、メールで「視線」という言葉を多用していた。
視線を感じる、あの日から見られている感覚がある、など具体的には何も説明しないくせに、鬱陶しいほど繰り返し送ってきた。
それ自体は良い。陽太が参っているという一言で片付けられる。
しかし、今の言い方はなんだ?
人見麻子は友人の遺体を発見してしまった心的外傷を気遣うのではなく、何か『別の要因による怖い思い』をしていないかどうかを案じている?
夏の日差しが照りつけ、ジワジワと蝉が鳴いている中だというのに、背筋に薄ら寒いものを感じた。それと同時に沸々と好奇心が湧き上がってくる。
人形を祀る鳥敷、首の取れた人形、陽太の自殺、視線。そして、その不穏を裏付けるかのような発言。たまさか、好物が転がってきたのではないか。そう思い始めたら、邪推せずにはいられなくなった。
「怖い思いって何ですか?」
「悩んではいないのですね」
「ええ、まぁ……どういうことでしょうか?」
電話越しにフゥッと強く息を吐く音が聞こえる。
「いえ、大丈夫です。ごめんね、陽太と仲良くしてくれてありがとう」
「あの、すみません!」
電話を切られてしまいそうな勢いだったので、急いで言葉を遮った。
「……なんですか?」
「…………」
言葉に詰まる。引き留めたものの、子を亡くしたばかりの親に直接的に尋ねる話ではないし、少なくとも電話口ではなく対面して伺うべきだろう。
よし、純粋な子供のごとくお願いしてみようか。
「あの、私も陽太の葬儀に参列してよろしいでしょうか?」
「えっ?」
電話越しでも動揺している様子が分かった。
「ええと、家がかなり山奥で、わざわざ来ていただくのも申し訳ないので」
「それは大丈夫です。遠くても、最後のお別れですから頑張って行きます」
「……たしかに、おっしゃるとおりですね。ただ、御葬式は家族だけで済ませる予定です。お気持ちだけ受け取らせていただきますね」
距離を理由に参列を断ったのに、取ってつけたように家族葬だからと言う。少しつついてみたら、しどろもどろだ。
ただし最後には、これ以上何か言うつもりならにべもなく切り捨てるという口調だった。
「分かりました。でも、できることなら陽太を見送らせてください。大学に入学したときから一緒に過ごした親友だったんです」
「……ええ、そこまで想ってくれるなんて、陽太は幸せ者ですね。検視が終わったら警察から連絡をもらえる手筈になっていますので、またこちらからお電話します」
どうやら遺体安置室への弔問は許されるらしい。遺体には何もないのだろうか。何か隠し事があるとしたら鳥敷という地域だろうか。村外の人間には理解されないような特殊な因習が蔓延っていたら面白い。「形焚き祭」とやらの中身はとりわけ気になるところだ。
白石は何気なく後ろを振り返ってみた。警察署は既に遠く、かつて人で賑わっていたであろう商店街には数々のシャッターが下りていた。
家電製品が雑多に置かれている古い電気屋から、人の声が届く。
『週間天気予報をお伝えします。連日、三十度を超える厳しい暑さが続くでしょう。こまめな水分補給を忘れずにお過ごしください。また、中部地方では、気圧の谷の影響で大気の状態が不安定となる模様です。突発的な大雨にご注意ください』
お読みいただきありがとうございます。
ぜひポイントを入れて作品の応援をお願いします!




