三
「陽太! やめなさい!」
あれは、しとしとと雨の降る夏の夜だった。
鳥敷には娯楽がほとんどない。田舎というのは大概そうだろう。雨の夜など退屈で仕方がなかった。
「なんで? 御人形さんと遊んでいるだけだよ」
「いいから離しなさい!」
実家は居間から北に向かって、客間、仏間と並んでいる。三部屋が襖を隔てて隣り合っているのだ。
中央の客間は大きな座卓、和箪笥、和櫃といった家具が部屋の大半を占めている。その割に、北に仏間、西に縁側、南に居間、東に廊下と四方の見通しが利いた。
一方で、客間からしか入れない仏間は閉塞的で、三方が壁に囲まれてしまっている。漆黒の仏壇が最奥に据えられ、隣には床の間が設けられているのだが……そこに二体の日本人形を飾っていた。
掛軸を挟み込むように、アクリルケースと共に日本人形が設置されているため、生け花は床の間から追いやられ、畳の上に直置きされていた。
人見家では、毎食欠かさずに白米と副菜を仏壇に供し、父や先祖の位牌と遺影に合掌する。その後、膝を正して日本人形にも手を合わせる。
俺は朝餉の当番で、母や祖母の真似をして祈っていた。仏壇にどのような理由でどのような時間に線香を上げるのか、今も知らない。生まれたときには亡くなっていた父に抱く感情など、他人に向けるそれと同じだった。
なぜか仏間の丸型蛍光灯は外されており、垂れ下がった紐を数度引っ張って点灯する豆電球だけが辺りを照らした。ぼんやりとした光は、むしろ四隅から闇が湧き出す演出をしていた……少なくとも、幼き俺はそう思っていた。
日中は縁側からの採光で明るさを保てるものの、仏壇と日本人形のある部屋に好んで近づくわけもない。ほとんどの時間を居間で過ごしていたはずだった。どういうわけか、そのときの俺は仏間にいたのだった。
なんとなしにアクリルケースの中から二体の日本人形を取り出し、戦わせて遊んでいた。
数十センチメートルの艶やかな花嫁人形と、それよりも二回りほど小さい七五三人形だった。それぞれ、かなりの本格派である。花嫁人形は真っ白に塗られた顔が年月を経て黒ずんでいたものの、紅の色打掛を着て淑やかに佇んでいた。七五三人形は頬のふっくらとした愛らしい顔に、兜柄の被布を羽織った男の子だった。
ああ、そうだ。今にして思えば、襖を開け放つことで、仏間から客間、居間、廊下を挟んで土間にある台所と一直線に視界が通っていたからだろう。洗い物をする母の姿が見えているというだけで安心感があったのだ。
「あっ」
母にグイッと腕を引っ張られた。その痛みを幼いながらに覚えている。子供を引っ張るような加減ではなくて、勢いよく母の方へ倒れかかった。
驚いて「お母さんが、今までにないくらい怒っているんじゃないか」とちらりと見上げた。
そのときの母の表情は──覚えていない。
電灯の影になっていたが、怒っているわけではなかったと思う。少なくとも、俺にとっては初めて見る表情だったのだろう。だからどうしていいか分からなかったのだ。
「何を騒いでおる」
祖母が縁側から声を掛けた。
「千代さん、陽太が御人形様を……」
「これこれ。いたずらをしてはいけないよ。戻しなさい」
「分かったよ」
ゆったりとした声色だった。祖母は足を悪くしてから杖を必要とする生活だったが、その他の怪我や病気はなく生気に溢れていた。寄合に顔を出したり、井戸端会議を楽しんだりする様子をよく見かけていた。
「陽太、おばあちゃんと大事なお話をしようか」
そう言いながら、「よっこらしょ」と和箪笥から二枚の座布団を取り出した。
祖母は真面目な話をするとき、居間のテーブルではなく客間の座卓を使用するのだ。それを察して座布団を受け取り、向かい合って座った。
「何から話そうかねぇ。私たちは御人形様を大切にしている……それは陽太も知っているね」
「うん」
祖母からしきたりについて聞かされるのは慣れっこだった。
鳥敷は鳥敷隧道を越えた先の集落だ。北桶市に属するといえど、滅びゆく過疎地域であり、その規模は村と大差ない。
一方で、人形を大切にするという文化は唯一無二の特徴だろう。要は人形と神様を同一視する思想が根付いていた。
住民は必ず家のどこかに人形を飾っている。夫婦人形には夫婦がいつまでも円満な関係でいられるように、七五三人形には子供が健やかに育つように、という願いが込められているのは想像に難くない。
家だけでなく、路傍にも人形が安置されている。人形の道祖神だ。当然、勝手に移動させたり、いたずらしたりは厳禁だ。この禁則事項は「決して破ってはいけない」と口を酸っぱくして教えられていた。
ある日、俺が止めるのも聞かず、悪ガキだった従兄弟が人形に落書きをした。当然、親にぶん殴られたらしく、たんこぶを引っ提げていた。
それを見たものだから、もう触らないようにしようと意識したのだった。
日本人は信仰に無自覚である……というのはいささか短絡的な断定だと思う。「信仰心を持たない信者」と言い換えてみると、矛盾しているようだが、ニュアンスは近いかもしれない。
一見すると、鳥敷の文化は風変わりに思えてしまうものだ。しかし、その実、一般的な習俗に類似しており、日本文化の典型とも言える。
たとえば、正月を挙げてみる。わざわざ冬の寒さに凍えながら神社という宗教施設に向かう。竹と松で拵えたオブジェを家の前に置く。果ては凡百の家だというのに、畏れ多くも神様を迎え入れる。ついでに、正月に掃除をしてはいけないらしい。なんでも福の神を掃き出してしまうというのだ。
もちろん方便だが、そもそも人間に追い出される神に福を齎せるのか。色々と疑問はある。しかし、「そういうもの」なのだ。
このように超常的な存在に対する作法、礼節とその対となる禁忌をせせこましく定め、「そのルールに従ってさえいれば、神様は厄災や不幸から身を守ってくださる」なんて考えは、どの地域でも共通している。
たまたま鳥敷では神と人形を同一視する傾向にあった。分派した宗教の一つみたいなもの。極論、道祖神を人形に、神棚を人形に置き換えただけなのだ。家庭も集落も御人形様が見守ってくださっているという思想である。
鳥敷には仏師の代わりに人形師が住んでいた。彼女は……ええと、なんという名前だったかな。ともかく、人形の生産を一手に引き受けていた。
もしかしたら、人形を特産品として売り出し、地域振興に繋げる未来もあったかもしれない。いや、爺婆共が「神聖な御人形様を『びじねす』に利用するとは何事だ」と大反対するのは目に見えているので、やはり俺の故郷は滅ぶ道を辿っているのだろう。
「御人形様は、いつでも鳥敷を見守ってくださっているんだよ。だから、大事にしなければいけないよ」
「嘘だよ。そこにいるだけで何もしていないじゃん」
「何もしていないように見えるからといって、何もしていないというわけではないんだよ。御人形様はね、鳥敷にやってくるわるーいものから皆を守るために、昼も夜も見張ってくださっているんだよ──」
鳥敷では「形焚き祭」という祭事が、盂蘭盆会の時期に当たる八月一五日の夜から深夜にかけて催されていた。
祭りといっても、チョコバナナや焼きそばの屋台が並ぶ夏祭りとは異なっている。その日は午前中から張り詰めた雰囲気が漂っていたので、いわゆる厳粛な神事に当たるのだと思う。
確か案内が配られていたはずだけれど……詳細は分からない。未成年は参加できないし、深く知る必要もないのだ。これも決まりだった。
祭事の間は家に閉じこもっていなければならなかった。駐在所の警察官が巡回していて、出歩こうものならすぐに補導されると聞いていた。
山の向こうに残る仄かなオレンジすら消え失せ、完全に夜が辺りを支配する頃、鳥敷寺の鐘が鳴る。その音が始まりの合図だ。参詣者は白い布の頭巾を被り、ぞろぞろと鳥敷寺に集まっていく。母も白布を被って出ていった。
記憶に残っているルールといえば、形焚き祭が終わるまで室内照明を点けてはいけないというもの。
明かりを点けてしまったら、「悪い鬼」が入ってくる──。
幼い子供にそんな話をしたら怖がるに決まっているだろう。俺は暗闇の中で祖母と手を繋ぎ、母の帰りを待っていた。
母が何をしていたのか……もちろん知らない。興味はあったが、深く知りたいと思うほどでもない。
気になるなら自分で鳥敷に行けばいいだけの話だ。
それにしても、伝統という名のしがらみから逃げ出せて良かった。田舎にいたときは人形を祀るなんて当たり前だと思っていたけれど、都会に来たら人形道祖神なんてどこにもない。呆気に取られたものだ。日が落ちても煌々としたビル群が聳え立ち、人々は夜の世界を闊歩している。日中のストレスを解放するように、夜間は悦楽に浸っている。都会なんて訪れる機会がなかったし、実際に歓楽街を歩いてみて、自分の世界は広がった。
「陽太ももうすぐ七つだね。おめでたいことだねぇ」
「うん! 誕生日におもちゃ買って!」
「陽太が悪い子だったら、買ってあげないからね」
「分かったよ。もう御人形様で遊ばないよ」
「おいたしていいのは七つまで。それを超えたら、絶対に……してはいけないよ」
「絶対に」と口にした祖母の双眸は、真っ直ぐに俺の目を射抜いていた。その言葉に秘められた圧力を幼いながらに理解できたのだと思う。いつもニコニコと笑っている祖母らしからぬ、見開かれた目に宿る眼光。小さな体躯の背後に控える仏間。
名状し難い禁忌が、日常の一歩向こう側に漂っている……そう思わされた。
それ以降、人形に不真面目な態度は取らなかった。
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