三
「残念ながら、彼らの探検は悲惨でした。雨天の影響で、雨水が地下へと続く洞窟に流れ込んだのです」
「まさか……」
白石は幼い頃、興味本位でジョウロを使って蟻の巣に水を流し込んだことを思い出した。
「洞窟内の水位は次第に上昇して、気がついたときには、機を逸していた。引き返すルートはもはや水没に近い状態。全く時間がなかった。大慌てだったことでしょう。彼らは恐怖を堪え、真っ暗な闇の中を溺れるようにしながらも、懸命に進んでいく。『神よ、どうか、我らをお助けください』なんて祈ったかもしれません」
麻子は言葉を淡々と羅列していく。
「どんどん上昇する水位。見つけたのは岩と岩の僅かな裂け目。ゴツゴツした岩に皮膚を削られながら、空気を求め、狭い狭い隙間へ身体を捩じ込んで、そして……死んでいったのです」
身動き一つできない閉所で、迫り来る水から逃れられず溺死する──。
白石はブルリと身体を震わせた。
「彼らは彼らの知的好奇心によって殺されたのです。当時、洞窟探索がメジャーアクティビティとして若者の間で流行っていましたが、そもそも洞窟の奥を探索して何になるのですか? スリルを楽しむことが生きることよりも重要ですか?」
婉曲な伝え方だ。俺が鳥敷という洞窟に飛び込んだ無謀な若者とでも言いたいらしい。
「……ええ、言わんとすることは分かります。わかりますけれど、危険だからこそ安全基準が定められたり、有用な器具が開発されたりするのでしょう。それに地質学的な発展が見込まれる研究活動でもあると思います。というか、何でそんな事件を知っているんですか?」
「『世界の死に方大全集』を読んだら載っていました」
麻子の書名を読み上げる声は戯けていたが、無表情は相変わらずだ。
「…………何で、そんなものを」
「興味です。こういう可哀想な死に方をしてしまった人の情報を得て、私は死んでいった人々よりも愚かじゃないし、悲惨じゃないと安泰を再確認していたのです。人間は他人の不幸に幸福を感じる生き物ですからね」
白石は笑って良いものなのか、頬が引き攣ったまま戻らず、結局は面食らった表情を隠せなかった。
そのような白石を見て、麻子はつまらなさそうに補足する。
「読みたいなら北桶図書館に行ってみてください。寄り道をしましたが、そういうわけで私は愚かだと思うのです」
麻子の主張は一理ある。俺を虎の尾を踏む行為だと戒めたいのだ。しかし、虎穴に入らずんば何とやらとも昔の人は言い伝えているではないか。
「お言葉を返すようですが、一九七〇年」
白石が反駁を始めた。
「日本人によるエベレスト初登頂が成し遂げられました。あの遥かなる霊峰を、日本人が初めて登り切ったのです。私は当時を知りませんが、あなたは知っているでしょう。私が知識として知っているくらいなんですから、大いに盛り上がったんじゃありませんか?」
麻子は返答しない。無言で続きを促している。
「日本の登攀技術の高さ、登山道具の質の高さを世界に示せました。それは彼らの命を懸けた挑戦がなければ成し遂げられませんでした。日本の発展に繋がった事例ですよ」
高度経済成長期然り、日本の発展は著しい。
しかし、その背後にはいつだって自分の身を削り、骨を埋める人がいる。死屍累々の礎が築かれたからこそ、ある日、偉業が成し遂げられ、その恩恵を享受できるのだ。
「外的でも内的でも動機は問わないと思いますが、未知へ立ち向かう覚悟が人類を進歩させる。『一粒の麦は、地に落ちて死ななければ一粒のまま。しかし、死ねば多くの実を結ぶ』んですよ。道半ばで亡くなられた方々は決して無駄死じゃない」
白石は己の生い立ちを踏まえて言い放った。
「なるほど、福音書ですか……」
麻子は白石の顔を確かめるように見据え、静かに目を閉じた。依然として賛同の返答も否定の返答もなかった。ただ、白石の意見を飲み込んで受け入れたようだった。
私たちはあなたのようになれませんね──。
長い沈黙の後、彼女はそう自嘲気味に漏らした。
「まぁ、それはいいんですよ。それよりも俺には、全くわからない。鳥敷と形焚き祭への好奇心が、命の危険があるアクティビティと同一視されるほど危険なわけがないじゃないですか。まさか本当に何か怪しい儀式を……よもやこの二十一世紀に生贄を捧げるような愚挙を行っているとでも?」
白石は大仰な動作で訴える。
「生贄って……。すぐに警察が捜査して、大ニュースになるでしょう」
そう、そのとおりだ。ここは日本なのだ。科学の発展していない中世でなければ、教育の発達していない未開のジャングルでもないのだ。
「なら私がいてもいいじゃないですか。なぜ、それほどまでに追い出したがるのですか? それに麻子さんも、この鳥敷に嫁いだと聞きましたよ?」
「陽太が話したのですか?」
麻子は驚いたらしく、上擦った声で尋ね返した。
「ええ、そうです。あなたは外からこの鳥敷にやってきた」
「……たしかに、私は北桶市役所で出会った人見隆人と結婚し、鳥敷に嫁いできました」
「ほら、俺と同じだ」
白石が砕けた口調で得意げになる一方、麻子は目を伏せて苦しみながら言葉を継いだ。
「だから、鳥敷の常識に疎かった私が……鳥敷の禁忌に触れてしまい、隆人を殺したのです…………」




