一
バスは駐車場を一周して方向転換し、誰も乗せないまま帰っていった。
降車した場所は山裾である。北塚から北に山道を進んでいたことを踏まえると、一つ山を越えたところらしい。
主要な道はコンクリートで整備されているが、傾斜を緩やかにするために斜面に沿ってくねっている。お世辞にも平坦とは言えない砂利道と農道が多く、雨の日に作られた轍がそのまま乾いて残っている。
坂を下っていくと、道沿いの錆びた看板に「人形の村 鳥敷」と書いてある。文字と文字の間には、子供の落書きじみた人形の絵が描いてあった。地域おこしの一環と思われるが、続かなかったのだろう。
携帯電話には圏外と表示されていた。これほど鄙びた地域に期待などしていない。時間が分かれば十分だ。
農作業をしているお婆さんが顔を上げてこちらを窺っている。白石はとりあえず話を聞くこととした。
「こんなところに若い人が来るなんて、珍しいねぇ」
「実は鳥敷の友人がおりまして……」
お婆さんはキヨと名乗った。
キヨさんの口調は訝しげではあったものの、ステレオタイプな不寛容さは感じられなかった。編笠ともんぺを身につけており、作物の生育チェックが日課という様相だ。
「おや、陽太くんのことかい?」
「ええ、お知り合いでしたか」
「若いのに、もったいなかったねぇ。陽太くんが小さい頃には、よく駄菓子をあげていてねぇ、突然の訃報にはたまげたものだよ……。お兄さん、人見さん家を探しているのかい?」
「ええ、まぁ、陽太はとても良い奴だったので。心の整理のためにも、なんとなく友の故郷を見てまわりたいなと思ったんです」
「感心だねぇ、しっかりしているねぇ」
キヨさんは可愛らしく笑った。
「あの、あそこの御人形様はなんですか? 僕の育ったところには、あんな風な祠はありませんでした」
陽太の話にあった人形道祖神の祠が視界に入っていた。木の簡素な建屋、身も蓋もない言い方をしてしまうと、犬小屋を思わせる祠の中に、日本人形が納められている。仏像をそのまま置き換えたみたいだ。
同じ人形といえども、秋田県に見られる人形道祖神の鹿島様、つまり藁で作られた巨大で奇妙な風体の人形とは、毛色が異なっている。
ならばその由来にも相違があるだろう。
近寄って覗くと、中に水を汲んだコップが置いてあった。大概、道端の構造物は管理の手間ゆえに放置されてしまうものだが、人形の後ろにある生け花は枯れておらず、苔も生えていなかった。よほど信心深い人が多いらしい。
──おや、こんなところにも……。
「御人形様が、この村を守ってくださっているんだよ」
そう言うが、どうしても目につくのだ。日本人形の右頬にある、陽太の部屋で見たあの黒黴が──。
これだけ丁寧に扱われているといえど、仕方のないことなのだろうか。暑い日差しが降り注ぐ八月だというのに、祠の屋根で日陰になってしまえば、健やかに生えてしまう……そういうことなのだろうか。
白石は自然と手を伸ばしていた。
「いけないよ!」
大声に思わず手を引っ込める。キヨさんは穏やかな表情から一転、かなり狼狽した様子だった。
「あ、すみません。お祈りするにはどうすれば良いですか?」
「……軽々しく神様に触れてはいけないよ。大事なのは感謝の気持ち。手を合わせて祈れば応えてくださる」
白石は謝罪し、手を合わせた。祈りの動作を適当なタイミングで終えて立ち上がり、もう一つの疑問について尋ねる。
「そういえば、形焚き祭でしたか? 参加してみたかったんですが、やっぱり中止ですか?」
「中止?」
キヨさんは小首を傾げた。
「巷で病気が流行っているみたいですから」
「そうなのかい? 鳥敷では聞いたことがないねぇ……これも、御人形様が守ってくださっているからだねぇ」
人間に有害なウイルスだけを死滅させる神様か……なんとも甲斐甲斐しいじゃないか。
「でも、産子しか参加できないからねぇ。夜の便で帰るか、人見さんの家に泊まって明日の朝に帰るかしないといけないよ」
「産子しか?」
産子だけが参加できる、などというルールは明記されていなかった。やはり、違うのだ。
「私たちはこの鳥敷で暮らし、鳥敷の物を食べ、鳥敷で生きている。その土地の恵みを与えてくださる神様を産土神様といい、その庇護下にある者を産子と呼ぶんだよ」
「……なるほど」
「お祭りの準備でみんな余裕もないからねぇ。気をつけてお帰り」
「陽太からは、出歩かなければ問題ないとか聞きましたが……」
白石は途切れかけた会話を続け、情報を引き出そうと惚けてみる。
「……出歩いちゃいけないのは確かだけどねぇ。そもそも外の人が形焚き祭の最中に滞在するのは許されておらんし……ええ、なんだかねぇ、変な騒ぎになる前に帰る方が良いんだろうねぇ」
明らかに言い淀んでいる。しかし、煙に巻くというわけではなく、キヨさんも詳しい理由は分かっていないみたいだった。
帰るように言われても、いまさらだろう。
お礼を言って別れ、白石は道の先へ歩いていく。
緩やかなカーブを曲がると、また別の人形が祠に祀られていた。造りは似通っており、見渡せば二宇も存在している。この狭い地域にどれほどの人形が置いてあるのか何となく想像できてしまった。
さらに北へ進むと、北東から南西へ向かって川が流れている。もしやという直感は当たっていた。
青銅製の橋名板には、『櫛陀橋』と鏤刻されている。
野呂登議員の発言はこういうわけだったのだ。遡上した先に鳥敷という集落が形を成していたのも、一つの根拠だったのだろう。
それでも、ジジブチャ岩やらバンバ崖なるスポットは川下を眺めても見当たらない。
北塚で行われた姥捨話だが、山一つ越えている鳥敷との間くらいにあるのかもしれないな。
適当に納得し、橋を越えて道なりに進んでいく。
「白石君、何でここにいるのですか」
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