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『北塚村誌第二編 民俗 宗教と信仰 神事・祭事 形焚き祭』
江戸時代発祥とされる北塚村独自の祭事が形焚き祭である。盂蘭盆会に行われる形焚き祭は、アニミズム的信仰に類し、北塚の民間信仰における儀式として確立されている。
「形焚き」とは「形有る物を焚き上げる」ことに由来する。
ただし、形焚き祭における「焚き上げ」は供養の意味を持たない点に留意しなければならない。
「焚き上げ」は、その意味を時代によって変遷させている。
江戸時代における「焚き上げ」は「穢れの浄化」を目的として行われていた。主に、屠殺した家畜の皮や肉、錆びた刃物類、使い古した作業着等を焼納していた。
当時、不浄とされた死や血液に触れたものを適切に処理しなければならなかったためである。
清浄な火の力及び産土神(定まった形や名はなく、「北塚の守り神様」と一般的に呼称されている)の力でそれらの穢れは祓われるとされていた。
明治時代における「焚き上げ」は、江戸時代の傾向を残しつつ、身分制度の廃止を皮切りに農業従事者が増加したことによって、収穫された農作物を併せて焚き上げるようになった。
このころより、「穢れの浄化」から「神への感謝」という側面が強調されるようになった。
そして、いつしか供物を焼却して物体の形を失わせる行為が、北塚の守り神の住まう世界へ「感謝と共に献上する」という意義を帯びるようになった。
数百年の時を経て、江戸時代に見られた「穢れの浄化」とは対極の祭事となるも、その文化は脈々と受け継がれ、地域住民の交流の機会として親しまれている。
なお、形焚き祭で焚き上げられる品は幣帛(神に奉納する品)であるため、主に神饌として使用される農作物(ただし、サトイモと長ネギを除く)、米、果物、酒等が好まれる。
現代においても、一般的に焚き上げられる故人の遺物、御札・御守り等は忌避される。人間が使い古し、手垢の付いた物を献上していると解釈されるためである。
また、サトイモと長ネギについては、「北塚の守り神が畑に落ちていたサトイモを踏んで転び、長ネギの葉で目を切って失明した」という説話に由来し、「焚き上げ」の捧げ物としてはもちろん、産子は栽培もしてはならないと言い伝えられている。
形焚き祭の当日は、大人も子供も近所の社に集まると、それぞれが育てている作物を桟俵に載せて火を放ち、神の世界へ消えるまで見守った。火が消えると、集まった人々は世が明けるまで宴会(神道における直会に類似しているが、神饌が焼納されているため、各自が持ち寄った酒や農作物を佳肴とする点に差異が見られる)を楽しんだのだという。
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