六
『北塚村誌第一編 行政 災害と事件 野呂登議員殺害事件』
一九三三年三月、当時の北塚村議会議員であった野呂登議員が青年ら二人組に殺害された。
青年らは同日中に取り押さえられ、その犯行動機を明らかにした。彼らは野呂登議員が議会開催中に言及した事柄に怒りを覚え、殺害を決意するに至ったと述べた。
以下は、青年らの指していた野呂登議員の発言を新聞記事(昭和八年二月二四日五七新聞)から抜粋したものである。
『鳥敷』は村内に非ず。咎人と耄碌が開墾せし忌み地なり。如何なる理由あってか、『北塚』が隧道の整備を担わねばならぬのか。
『鳥敷』無くば、吾等は胸を張りて歩み得ん。
議会開会中、野呂登議員が鳥敷隧道開通工事予算案に関して当局へ問うた際の発言である。
なお、この発言は「鳥敷は北塚村に属さない。放逐された罪人と老人が永らえ、山中で開墾した縁起の悪い土地である。なぜ北塚が鳥敷のためにトンネルを整備しなければならないのか」、「鳥敷がなければ、我々は胸を張って歩める」という意味である。
野呂登議員の発言は、櫛陀川上流に存在するジジブチャ岩とバンバ崖で行われたという棄老説話から引用したものと思われる。
本件は野呂登議員舌禍事件として衆目を集め、一九二二年に発表された「水平社宣言」以降に活発となった水平社運動や門地差別の撤廃に対する侮辱的発言であるとして糾弾された。
その後、野呂登議員は公衆の面前で謝罪し、発言を撤回した。
しかし、既に亀裂の入っていた北塚と鳥敷の住民関係に深い溝を刻み、住民間の抗争は長きにわたって継続することとなった。
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