五
『北桶市史 行政史 市政 北桶市の誕生』
一九五三年「町村合併促進法」の施行に伴う国と都道府県の積極的な指導により、町村の自主的な合併が推進された。
いわゆる「昭和の大合併」である。
水桶町及び北塚村の町村合併素案が県によって公表され、一九五四年五月に二町村による町村合併推進協議会が発足した。
しかし、合併は一筋縄ではいかなかった。
水桶町住民が大々的に合併反対を表明した。伝統文化を含む地域の様相が異なる点、山岳を含む広大な地域に管理区域が拡張されれば行政の目が行き届かなくなる点などを訴え、合併は不適当であると締め括る陳情請願であった。
当局はこれを受理したものの、国の基本方針、交付税増額等、合併への強い勧奨の流れを受け、合併推進の判断を下した。
地域の実情に則さない当局の決定に、水桶町住民は千を超える合併反対の署名を提出すると共に反対運動を開始した。町役場へ地域住民が集まると、日夜拡声器を使用した抗議活動が行われ、さらに町役場前には「合併反対」と書かれた大きな横断幕が掲げられた。
一方で、北塚村住民は静観しており、反対の声は上がらなかった。
ところが、合併反対の声を上げる水桶町住民による差別的発言が問題視され始め、北塚村住民との間で度々衝突が起こるほどに事態が紛糾した。
当局は迅速に再検討したが、決定を覆すには至らなかった。管理可能な行政区域に収まっており、かつ、町村から市に移行すれば、国や県の財政的援助の区分が変わることで、従来よりも大きな恩恵を受けられるためである。
やはり、最も大きな要因は財政援助であり、硬直化した財政に加え、財政調整基金を取り崩していた水桶町にとっては、非常に有力な支援だった。
当局は事態の沈静化を図るため、合併における地域住民の生活に対する影響を説明する概要資料を大々的に公開した。資料には、水桶町と比較して税率の低い北塚村に税率が統一されるため納税額を抑えられる旨、管理区域の拡大を人員配置の増で対応しても収支が黒字になる見込みである旨が記載された。
そして、合併による弊害を上回る恩恵が期待されるという結論で結び、水桶町と北塚村の町村合併を動かぬ方針として固めた。
住民には役場職員が町内会等を通じて丁寧に説明して回った。集会では様々な意見が噴出したものの、最終的には町村議会の決議を経て「北桶市」が誕生した。
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