第七話 竜を売る街 そのニ
帰路の途中、ミアが足を止めた。
商業区の奥にある、竜素材市場の前だった。軍が回収した素材のうち、機密性や危険性の低い物が民間へ払い下げられる場所だ。
竜革の鞄。牙を削った装飾品。骨を混ぜた薬。色とりどりの鱗。砕いた竜核を組み込んだ、小型の魔道具。
ミアの目から、先ほどまでの明るさが消えた。
「全部、竜なの?」
「ああ」
「生きてた?」
「元はな」
ミアはゼインの手を握ったまま、市場へ入った。怯えているようにも、逃げたがっているようにも見えない。ただ、一つ一つの素材を確かめるように、静かに歩いていく。
ある露店の前で、その足が止まった。
並べられているのは、加工前の竜核の欠片だった。
多くは光を失い、濁った鉱石のようになっている。その中に一つだけ、淡い青色を残した欠片があった。
ミアが吸い寄せられるように顔を近づける。
「待て」
止めるより早く、ミアの指が竜核へ伸びた。
触れてはいない。それにもかかわらず、死んだはずの核片の奥で、青い光が微かに脈打った。
店先に並んでいた魔道具の針が、一斉に揺れる。澄んだ音が一度だけ鳴り、すぐに静まった。
店主は奥で客の相手をしており、気づいていない。
だが、ゼインは見逃さなかった。
「今、何をした」
「何もしてない」
ミアは自分の手を見つめていた。
「でも……呼ばれた気がしたの」
「何に」
「……」
ミアは答えなかった。
竜核はすでに死んでいる。
砕かれ、力を抜かれた核片が、人間へ反応することなどない。
やはり、こいつは竜だ。
得体が知れない。
人間の顔で笑い、何の疑いもなく父と呼んでいても、その事実は変わらない。
「その子は誰だ」
背後から声が掛かった。
黒い軍服の上から軽装甲をまとった男。胸元には、正規討竜隊の隊長章。
「ダリオ……」
「今は隊長だ」
軍学園時代の同期だった。ダリオの視線が、店先の竜核へ落ちる。
「今、核片が反応したな」
「見間違いだ」
「術式も通していない核だ。人が近づいただけで光るものじゃない」
その目が、ミアへ向いた。
「何をした?」
「何もしてない……」
ミアがゼインの外套を掴む。
「その子を調べる」
「嫌……」
ミアがゼインの背後へ隠れた。
「ゼイン、どけ」
ゼインは微動だにしなかった。
ダリオが舌打ちをして、ミアへ手を伸ばす。その手がミアの肩へ届くより先に。
ゼインの右手が、ゆっくりと腰へ下りた。
空気が、音を立てて凍りついた。
露店の店主が台の陰へ身を伏せる。近くにいた商人が、荷を置いたまま後退った。ダリオの部下三人が武器へ手を掛け、そのうち一人の指先が、はっきりと震えている。
単独で巨竜を討った男。竜核を喰らう、異形の討竜官。その手が、今、正規討竜隊の隊長へ向けられている。
「……ゼイン」
ダリオの声が、低くなった。
「本気か?」
返事はない。
ゼインの指が、外套の内側へ滑り込む。
ダリオが半歩、重心を落とした。
「こんな場所で、俺を屠るのか」
ダリオの額に、汗が浮いた。部下の一人が、我慢しきれずに叫んだ。
「隊長、下がってください!」
次の瞬間。
ゼインの右手が閃いた。
風が鳴った。
ダリオは反射的に目を閉じた。
……何も起きない。
薄目を開ける。
鼻先に、何かが突きつけられていた。
一枚の紙が。
「…………」
ダリオは、それを見た。
それから、ゼインを見た。
もう一度、紙を見た。
「……なんだこれは?」
「読め」
ダリオがおそるおそる受け取り、紙面へ目を走らせる。
山中で発見された竜害孤児。
通常施設への移送は見合わせ。
前線軍竜害調査官による正式な承認。
そして最後。
ダリオの目が止まった。
――保護責任者、ゼイン。
「……お前が?」
「正式な命令もなしに、保護児童へ手を出すつもりか?」
ダリオが歯を噛む。
「……くっ」
ダリオが言葉を詰まらせる。
「調べたいなら手続きを踏め。俺ではなく、署名した調査官のところへ行け」
ゼインは紙を取り戻し、外套へしまった。
「それまでは俺の許可なく触るな」
ダリオの拳が握られる。
「……行くぞ」
部下へ告げ、踵を返す。すれ違いざま、低く言った。
「今の竜核の反応は忘れんぞ」
「好きにしろ」
ダリオは顔をしかめ、そのまま部下を連れて去っていった。
昨日までなら、ミアは名前すら持たない正体不明の子供だった。軍人に疑われれば、連れていかれていたかもしれない。だが今は違う。
ミアという名前がある。
帰る家がある。
軍が認めた居場所がある。
そして、その紙の一番下にはゼインの名がある。
「行くぞ、ミア」
「……うん」
差し出した手を、ミアが握る。
先ほどまでより、少しだけ強く。
ゼインはその小さな手を引き、何事もなかったように市場を歩き出した。
◇
市場を離れても、ミアは何も話さなかった。
握った手も離さない。商業区を抜け、人通りが減ったところでゼインは足を止めた。
「さっき、竜核から何か感じたのか」
しばらく迷ってから、ミアは小さく頷いた。
「声じゃなかったと思う。でも、寂しくて、ずっと誰かを待ってた」
加工された竜核に、力の性質が残ることはある。強い個体の核ならば、炎や冷気を帯びたまま魔道具へ利用されることも珍しくない。だが、感情が残るという話は聞いたことがなかった。
何より、触れてもいないミアへ核片が反応した。
「ほかの核からも感じるのか」
「分かんない。あれだけ、こっちを見てた気がしたから」
ミアは少し黙ったあと、ゼインを見上げた。
「お父さんは、あそこにあった竜みたいに、たくさん殺したの?」
「ああ」
「これからも?」
「殺す」
答えは迷わなかった。竜は殺す。
言葉を理解する個体も、命を乞う個体も、子を守ろうと牙を剥いた個体も、これまで例外にはしなかった。黒い竜へ辿り着くためなら、これからも同じことを続ける。
故郷を焼き、家族を奪い、自分へ呪いを残したあの竜だけは、何があっても許さない。その復讐が間違っているとは思わなかった。
ならば、自分の手を握るこの少女は何なのか。
竜核の声を感じ、人間ではあり得ない鱗を持つ。黒い竜が何らかの目的で残した手駒かもしれない。紛れもなく、竜の側にいる存在だ。
ではなぜ、この三人だけが例外になる。
――今は少なくとも、黒い竜を追うためだからだ。
ミアの指が、ゼインの手の中でわずかに動く。離れるかと思った。
だが、その手は離れなかった。むしろ、確かめるように握り直された。
「でも、お父さんは私たちを助けに戻ってきた」
ミアは前を向いた。
「それも、本当だから」
竜を殺してきたことも。三人を助けたことも。どちらか一方が嘘になるわけではない。ミアはまだ、その二つをどう受け止めればいいのか分かっていないのだろう。
それでも今は、ゼインの手を選んだ。ゼインは何も答えず、再び歩き出した。
不意にミアがこちらの手を引いた。
「ん」
小さく声を出し、外套の内側へ手を入れる。取り出したのは、先ほど老婆からもらった焼き菓子だった。ダリオに詰め寄られた時、強く握り締めていたのだろう。紙包みの中で、いくつかに割れている。
「半分」
「お前がもらったものだ」
「お父さんと食べる」
ミアは包みを開き、残っている中で一番大きな欠片をゼインへ差し出した。
「そちらがお前の分だろう」
「こっちでいい」
ミアは小さい方を、自分の口へ入れた。それ以上断る理由もなく、ゼインも渡された欠片を口へ運ぶ。
甘いものを好んだ記憶はない。少し焼きすぎていて、端には苦みが残っていた。それでも、悪い味ではなかった。
「おいしい?」
「食える」
「それ、おいしくない時の言い方でしょ」
「違いが分からん」
ミアが笑った。先ほどまで震えていた指が、もう一度ゼインの手を握る。街の人間がミアへ与えたものを、ミアは自分と分けた。
それだけのことだった。
だが、胸の奥に残っていたもどかしさは、先ほどよりも少しだけ小さくなっていた。
買った荷物の中で、色の違う四つの食器が小さく触れ合った。
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