第六話 竜を売る街 その一
三人分の衣服と靴。寝具、食器、日用品。
それに、今後も必要になる食料。
リディアが残した紙には、買うべき物が細かな字で書き並べられていた。
ゼインは一度目を通し、その紙を外套の内側へ押し込んだ。
「ミアが行く」
声を上げたのは、茶髪の少女――ミアだった。寝台の上に膝をつき、期待を隠そうともせずゼインを見ている。
「どこへ行くのか分かっているのか」
「買い物でしょ?」
「そうだ」
「なら行く」
何が「なら」なのかは分からなかった。
ノアも行きたそうに身を乗り出したが、昨夜打たれた薬が完全には抜けていないのか、起きてからも何度か欠伸を繰り返していた。ルカが妹の肩へ毛布を掛け直す。
「僕はノアと残る。ミアを連れていって」
ゼインはルカを見た。少年は昨日会ったばかりの家で、もう自分の役割を決めている。
「誰か来ても、扉を開けるな」
「分かった」
「軍人が来たら、奥へ隠れろ」
「分かった」
「火には触るな」
「それも分かった」
ミアが寝台から降りながら、小さく笑った。
「ルカ、パパみたい」
ゼインは棚から予備の外套を取り出し、ミアへ被せた。今は翼を消している。どうやら感情が高ぶらなければ、人間の姿を保てるらしい。ただし、本人にも仕組みは分かっていない。街中で突然翼を広げられては困る。
「外では走るな。大声を出すな。俺から離れるな」
「分かった」
「本当に分かったのか」
「ルカよりは分かってないかも」
ミアはそう言って、外套の裾を持ち上げた。
◇
朝の前線都市には、夜明け前から人が溢れていた。
西門からは討伐隊が運び込んだ素材が入り、東の商業区からは荷車が連なって出ていく。石畳を進む兵士。武器を担いだ職人。竜革を積んだ荷車を追う商人。血の臭いと、鉄を焼く臭いが、冷たい朝の空気に混じっていた。
この街では、竜を殺すことが仕事だった。
兵士が討ち、解体士が皮と骨を分け、職人が武器や魔道具へ加工し、商人が国中へ売る。城壁も、街灯も、山脈の監視塔も。竜を殺すための設備の多くが、殺した竜の素材によって支えられていた。
ミアは忙しなく周囲へ目を向けていた。露店の焼き菓子。色鮮やかな布。水路を流れる小さな運搬船。見るものすべてが珍しいらしい。一つへ目を奪われるたび、歩調が遅くなる。
人混みが二人の間へ入りかけたところで、ゼインはミアの外套を掴んで引き寄せた。
「離れるなと言った」
「だって、あれが動いてたから」
ミアが指した先では、真鍮製の小鳥が店先を飛んでいた。羽ばたくたびに、腹部へ埋め込まれた魔晶石が淡く光っている。子供向けの玩具だった。
「魔道具だ」
「まどうぐ?」
「魔素を吸い、決められた動きをする」
「生きてないの?」
「ああ」
ミアは少し残念そうに、小鳥を見送った。
その直後、前から歩いてきた兵士の一団が道を空けた。ゼインに気づいたためだった。会釈をする者もいたが、近づいて声を掛ける者はいない。住民たちも同じだった。
誰もがゼインの顔を知っている。巨竜を単独で討ち取った豪傑。同時に、竜核を喰らい、その力を自らの身体へ取り込む異形の討竜官。尊敬と警戒は、前線都市ではよく似た距離を作る。
ミアは道の両側へ分かれていく人々を見た。
「みんな、お父さんを見てる」
「気にするな」
「お父さんが強いから?」
答える必要はないと思った。だが、ミアは返事を待っている。
「仕事を知っているだけだ」
「竜を倒す仕事?」
「ああ」
ミアは少し考えたあと、何のためらいもなくゼインの手を取った。小さな指が、厚く硬い手の中へ入り込む。
ゼインは足を止めた。
「迷子になったら困るから」
先ほど言われたことを覚えていたらしい。振り払う理由もなく、そのまま歩き出す。
周囲から向けられる視線が、わずかに変わった。
「あれ、竜喰らいだろ」
「隣の子は?」
「山で保護した孤児らしいよ」
囁き声が、人波の向こうから届く。
「あの男が、子供と手を繋いでる……」
「呪いは大丈夫なのかしら。あんな人と一緒では、あの子が可哀想だわ」
聞き慣れた言葉だった。呪われている。近づくな。人間ではない。これまでは、すべてゼイン一人へ向けられていた。
だが今は、その視線が隣を歩くミアにまで及んでいる。
胸の奥に、これまでとは違う不快感が残った。
ミアは周囲の声に気づいていないのか、ゼインの手を握ったまま顔を上げた。
「みんな、お父さんのこと知ってるんだね」
「そうだ」
「人気者?」
「違う」
ミアは不思議そうに首を傾げたが、手を離そうとはしなかった。
「討竜官さん!」
人波の向こうから、聞き覚えのある声が飛んできた。若い兵士が、連れの二人を置いて小走りに近づいてくる。巨竜の巣を調べた際、横穴を先に確認していた斥候兵だった。
「斥候か」
「ロイっすよ! そろそろ名前で覚えてください!」
「覚えている」
「じゃあ、名前で呼んでくださいよ」
ロイは不満そうに言いながら、ゼインの隣へ視線を移した。ミアはゼインの手を握ったまま、半歩だけ背後へ隠れている。
「その子が、山で保護したっていう?」
「ああ。ミアだ」
「お父さんが決めてくれたの」
ミアが答えると、ロイは目を丸くした。
「お父さん?」
その声に、ミアの指へ力が入る。ゼインは無意識に、握った手を僅かに引き寄せていた。
だが、ロイは笑っただけだった。
「もうそんなに懐かれてるんすか。討竜官さん、子供には意外と安心されるんですね」
「何が言いたい」
「いや、会って一日で父親って呼ばれるくらい、この子に信用されたんだなって」
ミアは、どこか誇らしそうにゼインを見上げた。ゼインは答えなかった。
ミアは、ノアが呼んでいる「パパ」という呼び方を真似ただけかもしれない。
だが、そのノアは違う。信用を得るより前。助けると決めるより前。目を覚ました瞬間から、自分を父と呼んでいた。
「これから買い物っすか?」
「ああ」
「討竜官さんが子供の服を選ぶところ、ちょっと見てみたいですけどね」
「任務へ戻れ」
「はいはい。今度こそ名前、忘れないでくださいよ」
ロイはミアへ軽く手を振り、仲間たちのもとへ戻っていった。ミアも、小さく手を振り返す。
「お父さんのお友達?」
「違う」
「でも、お父さん、楽しそうだったよ」
「気のせいだ」
◇
軍需区画へ入ると、金属を打つ音がいっそう大きくなった。通りの両側には、討伐隊向けの工房が並んでいる。炎を噴く籠手。地面へ杭を打ち込み、魔力の障壁を展開する装置。飛竜の翼を絡め取る鋼索。どれも、人間が竜と戦うために作られた魔道具だった。
一軒の工房前で、若い兵士が右腕の装具を外していた。籠手は黒く焦げ、内側の術式が溶けている兵士の腕にも、指先から肘まで赤黒い痕が走っていた。
ミアの視線が、その傷へ吸い寄せられる。
「あの人、どうしたの?」
「魔力灼けだ」
「魔法を使ったから?」
「魔道具が壊れた」
魔素は大気中のどこにでも存在する。人間はそれを吸い、触れながら生きている。だが、人間の身体には、魔素をそのまま炎や雷へ変える器官がない。
魔道具は、人間の代わりに魔素を集め、圧縮し、術式へ流す。変換器が破損すれば、行き場を失った魔力が使用者の身体へ逆流する。神経を焼き、血管を裂き、量が多ければ心臓まで止める。
「魔道具がなかったら、竜とは戦えないの?」
「普通はな」
「剣だけじゃ駄目?」
「近づく前に死ぬ」
竜の鱗は鉄より硬い。炎を吐く個体もいれば、雷や冷気をまとう個体もいる。巨体そのものが、人間にとっては攻城兵器に等しい。一頭を討つために、観測兵が動きを読み、魔道具兵が翼と脚を封じ、討竜士が弱点へ刃を入れる。
それでも失敗すれば、部隊ごと消える。
「お父さんは、一人で戦ってたよね」
ミアは、洞窟の外に倒れていた巨竜を思い出したらしい。
「ああ」
「魔道具は?」
「使わない」
「どうして?」
ゼインは左目を覆う黒い痣へ指を触れた。
「俺は、普通の人間とは違う」
十年前、故郷を焼いた黒い竜が残した呪いだった。家族も、村にいた人間も、あの夜に奪われた。黒い竜は幼いゼインだけを殺さず、その左目へ呪いを刻んで山脈の奥へ消えた。軍は長い年月をかけて調べたが、呪いの正体も、竜の行方も突き止められなかった。
ただ一つ、分かっていることがある。人間ならば内側から焼かれるはずの竜の力を、この身体だけは受け入れる。
竜核を喰らう。砕いた核から竜髄を飲み込み、自分の身体へ流し込む。力は肉と骨へ変わり、やがて何も残さず消えていく。
竜を殺すために、竜を喰う。故郷と家族を奪った黒い竜へ辿り着くために。それが、独立討竜官ゼインの戦い方だった。
ミアはゼインの横顔を見上げた。
「じゃあ、お父さんが一番強いの?」
「一番かは知らない」
「でも、みんなで戦う竜を、一人で倒せるんでしょ?」
「そうだ」
ミアはなぜか、自分のことのように嬉しそうな顔をした。握られた手へ、少しだけ力が加わる。
なぜ、こいつは竜を殺す男の手を、こんなにも無警戒に握れるのか。黒い竜が残した罠である可能性は、今も消えていない。
それでもゼインは、その指を振り払わなかった。
◇
三人分の服を選ぶことは、竜を討つより難しかった。寸法が分からない。好みも分からない。
ゼインが丈夫そうな灰色の服を三着選ぶと、ミアは無言で別の棚を指した。そこには、白や青、薄い緑の布地が並んでいる。
「何だ」
「こっちがいい」
「汚れが目立つ」
「でも、こっちがいい」
用途は同じだった。身体を覆い、寒さを防げればいい。正直、違いが分からない。それでもミアが選んだ物を三人分買った。
靴も、履けるだけでは駄目らしい。寝具にも、色と手触りの違いがあるという。ゼインが金を払うたび、店主は不思議そうに彼とミアを見比べた。
竜喰らいが、少女の服を選んでいる。噂が広がるのに、一日も掛からないだろう。
最後に食器を買った。金属製なら割れない。そう考えたゼインの横で、ミアは棚に並ぶ四つの陶器を見つめていた。大きさは同じだが、それぞれ縁の色が違う。
「これがいいのか」
「うん」
「割れるぞ」
「割らないように使う」
四つ。三つではなかった。
ゼインは何も言わず、まとめて店主へ渡した。
「釣りはいらん」
「駄目さ」
店番の老婆は硬貨を数え、残りをゼインの手へ押し戻した。
「ミュトスさまが見ておられるからね。商売で嘘はつけないよ」
子供の頃から、何度も聞いた言葉だった。嘘をつくな、という意味の古い言い回し。年寄りが商売の時に使う、挨拶のようなものだ。
ミアが首を傾げた。
「ミュトスさまって、だれ?」
「さあねえ」
老婆は皺だらけの顔で笑った。
「婆の婆の、そのまた婆の頃から言ってるけどさ。今じゃ、誰も知らないんだよ」
ゼインも考えたことはなかった。
名前の意味も、その人物が本当にいたのかも知らない。ただ、嘘を戒める言葉として、名前だけが残っている。
「ほら、おまけだよ」
老婆が小さな焼き菓子を一つ、ミアの包みへ忍ばせる。
「えっ。お金は?」
「これは商売じゃないからね」
老婆は悪戯っぽく笑った。
「ミュトスさまにも怒られやしないよ」
ミアがゼインを見上げた。
「好きにしろ」
ミアは大事そうに両手で受け取った。
「ありがとう」
老婆はゼインとは目を合わせないまま、店の奥へ戻った。
受け入れられたのは、ミアだけだ。自分には関係ない。
それでも、これまでミアへ向けられていた視線のすべてが、恐れや疑いのものではなかった。その事実に、胸の奥へ残っていた硬いものが、ほんの少しだけ軽くなった。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます!
『おもしろかった!』、『続きが気になる!』と思った方はブックマーク登録や、↓の『☆☆☆☆☆』を『★★★★★』に評価して頂けると今後の執筆の励みになります。




