第四話 扉を叩く女 その一
扉を叩く音が、薄明の部屋に響いた。
壁に背を預けたまま、目を開いた。眠るつもりはなかった。どうやら三人の呼吸を確かめているうちに、意識が途切れていたらしい。
寝台では、三人の子供が一枚の毛布に身を寄せ合っていた。
少年は眠っている間も妹たちを庇うように腕を伸ばしている。茶髪の少女はその胸元へ額を寄せ、白髪の少女は二人の間で丸くなっていた。毛布の端から、白い尾が一本だけ垂れている。
もう一度、扉が叩かれた。
「ゼイン。いるのでしょう」
女の声。
少年が目を覚まし、少し遅れて白髪の少女も顔を上げる。
「……ぜいん?」
聞き慣れない音を口の中で転がし、ゼインを見る。
「パパの名前?」
「静かにしろ」
窓から外を確認する。淡い金髪を後ろで束ねた女が立っていた。濃紺の軍服。
前線軍竜害調査官――リディア。
同じ村で育ち、同じ軍学園へ進んだ女。
周囲がゼインを《竜喰い》と呼ぶようになっても、昔と同じように名前で呼び続ける数少ない人間だった。
「誰?」
茶髪の少女も起き上がる。
「軍人だ」
それだけで、三人の顔から眠気が消えた。昨日襲われた五人も軍人だった。
少年が反射的に妹たちの前へ出る。
角も、翼も、尾も隠せるものはない。
ゼインは壁際の戸棚を開いた。
「入れ」
「ここに?」
「見つかりたくなければな」
少年は迷う間もなく白髪の少女を抱き上げ、三人で戸棚へ身体を押し込んだ。
「狭い」
「文句を言うな」
戸を閉じる寸前、小さく言った。
「何があっても声を出すな」
戸棚を閉じ、床の四つの器へ布を被せ、寝台の毛布を乱す。どう見ても不自然だった。
――俺は何をしている。
竜を隠し、軍を欺き、今度は幼なじみまで騙そうとしている。
三度目のノック。
「ゼイン」
「今開ける」
扉を開く。
リディアは一人だった。
顔を見るなり、その視線がゼインの肩へ落ちる。
「また傷を開いたのね」
「用件は」
「昨夜、子供を三人連れて街へ戻ったでしょう」
朝一番からそれか。
「ああ」
「門の記録には、一時隔離とある。でも医務院にも隔離施設にも入所記録がない」
「俺が預かっている」
「どこで?」
「答える必要はない」
扉を閉じようとすると、リディアが手を添えた。
「それと、中央の素材査定班が五人、戻っていない」
声から幼なじみの色が消えた。
「最後に確認された場所は、あなたが子供を連れ帰った山よ」
「偶然だ」
「そう」
否定も追及もしない。それが余計に厄介だった。
「中を確認するわ」
「断る」
「では軍へ正式に照会する」
ゼインは黙った。それをやられれば終わる。
リディアは返事を待たず、家の中へ入った。
一人分しかない寝台。布を被せられた食器。床へ放り出された外套。そして、壁際の戸棚。
小さく。ぎ、と音がした。
リディアの視線が止まる。
「……そこね」
ゼインの右手が、剣の柄へ触れた。
リディアは戸棚へ向かう。止めようと思えば止められる。腕を掴むことも、気を失わせることも、殺すことも。
だが、リディアはまだ何もしていない。幼い頃、竜に裂かれた手へ包帯を巻いたのも、軍学園で誰も隣に座らなくなったあと、変わらず隣の席へ座ったのも彼女だった。
竜になら迷わない。
人でも、昨日の五人には迷わなかった。
だが。
指は剣の柄を握ったまま、動かなかった。
留め金が外れる。
戸棚が開いた。
三人の子供が、身を寄せ合っていた。
リディアが、小さく息を呑んだ。
ゼインの思考も、一瞬止まった。
角がない。
翼もない。
尾もない。
そこにいるのは、怯えた三人の人間の子供だった。三人とも汗を浮かべ、大げさに自分の口を手で塞いでいる。
「……こんなところに子供を?」
リディアが振り返る。
「軍人を怖がっている」
「あなたも軍人でしょう」
「俺は違うらしい」
白髪の少女が戸棚の奥から顔を出した。
「パパ……」
リディアの眉が上がる。
「パパ?」
「知らん。勝手にそう呼ぶ」
「昨日会ったばかりでしょう?」
「俺に聞くな」
ゼインは戸棚へ目をやった。
「出ていい」
少年が先に降り、妹二人を順に下ろす。三人とも裸足で、手首には赤黒い拘束痕が残っていた。白髪の少女の胸元には、小さな刺傷。
リディアの表情が変わった。
「これは誰に?」
「灰色の服の人」
少年が答える。
「五人いた」
ゼインは机の引き出しから銀色の徽章を取り出し、放った。それを受け取ったリディアが裏の刻印を見た瞬間、その目つきが鋭くなる。
「……外郭管理局の特殊回収班」
「知っているのか」
「名前だけは」
「なら話が早い」
「五人は?」
「さあな」
リディアがゼインを見る。何秒か視線がぶつかったが、それ以上は聞かなかった。
「……竜害孤児、か」
小さく呟き、大きく息を吐く。
「少なくとも、この子たちをすぐ保護院へ移すのはやめたほうがよさそうね」
三人がゼインへ寄った。
「ここにいられる?」
茶髪の少女が聞く。
「そのままでは無理。でも――」
リディアは鞄から紙を取り出し、机へ置いた。
「山中で違法に拘束されていた竜害孤児を、討竜官が一時的に保護した。しかも外郭管理局の特殊回収班が関与している可能性がある。安全が確認できるまで通常施設への移送を見合わせる……これなら通せるわ」
「好きにしろ」
「あなたの家を一時保護先として登録するのよ。少しは興味を持ちなさい」
リディアは筆を走らせる。茶髪の少女が机の横から覗き込んだ。
「それを書くと、どうなるの?」
「この街で暮らせるわ」
「ずっと?」
「問題がなければね」
少女の瞳がぱっと輝いた。
「外にも出ていいの?」
「もちろん。そのうち学園にも通わないといけないでしょうし」
「学園……?」
「同じくらいの子供がたくさんいるところよ」
「たくさん?」
「ええ」
「お話してもいいの?」
リディアが笑った。
「そうよ。それが学園だから」
「やったー!」
少女の顔が、ぱっと明るくなる。
その瞬間だった。
バサッ、と。
小さな音がした。
「あ」
その背中から。
大きな竜の翼が、広がっていた。
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