第三話 「四人分の食卓」
山を下りる間、三人はほとんど喋らなかった。
白髪の少女は、男の腕の中で眠り続けている。薬の影響だろう。呼吸は安定していたが、頬から血の気が引いていた。
少年は茶髪の少女へ肩を貸し、数歩遅れてついてくる。足元はおぼつかないが、それでも助けを求めようとはしなかった。
「無理なら言え」
男が声をかけると、少年は首を横へ振った。
「歩けるよ」
「そうか」
それ以上は言わなかった。
森の中へ隠していた荷車まで戻る。男は白髪の少女を幌の下へ寝かせ、毛布を掛けた。少年が茶髪の少女を荷台へ乗せる。
自分も乗るように言ったが、少年は妹たちのそばへ座ったまま男を見ていた。
「どこへ行くの?」
「前線都市だ」
「その後は?」
「俺の家に入れる」
茶髪の少女が顔を上げた。
「おうち?」
「ああ」
幌の奥から、か細い声がした。
「パパの、おうち……」
白髪の少女は目を閉じたままだった。
「パパじゃない」
訂正したが、返事はなかった。
男は荷車を引き、山道を下った。
◇
前線都市の軍用搬入口には、夜間でも二人の兵士が立っていた。男の姿を認めると、若い方が驚いたように背筋を伸ばす。
「討竜官殿。山へ戻られていたんですか?」
「ああ」
兵士の視線が荷車へ移る。
「そちらは?」
「山中で見つけた子供だ」
「子供?」
「外郭集落の生き残りかもしれん」
嘘だった。だが、完全な作り話でもない。
三人がどこから来たのかは分からない。竜害で記録ごと失われた集落の孤児など、国境では珍しくなかった。
年長の兵士が幌へ近づこうとする。
「医務所へ連絡を――」
「必要ない」
「ですが」
「未知の魔術へ触れた可能性がある。今夜は俺の家で隔離する」
兵士の足が止まった。
討竜官には竜由来の病や呪いを一時的に隔離する権限がある。男自身がそのために兵舎から離された人間でもあった。
「明朝、報告する」
搬入口の扉が開く。
荷車を進めながら、男は門番の顔を覚えた。明日になれば必ず記録へ残る。
山中で子供を三人発見した。そういうことにするしかない。
◇
家の扉を開けた瞬間、茶髪の少女が鼻を押さえた。
「……臭い」
「竜の血だ」
少女は顔をしかめたまま、男の後について家へ入る。作業台に置かれた小型竜の頭部を見て動きを止める。少年もその後ろで固まった。
切断面は乾き始めている。片方の角はすでに外され、眼球と牙も採取済みだった。残った眼窩だけが、三人の方を向いている。
「……これ」
少年が小さく言った。
「あなたが殺したの?」
「ああ」
「どうして、ここにあるの」
「処理の途中だ」
それ以上、少年は聞かなかった。茶髪の少女がおそるおそる室内へ視線を巡らせる。
やがて壁際の棚で止まった。透明な結晶のような殻が、大小合わせて十数個並んでいる。
「……これは?」
「竜核の殻だ」
「りゅうかく……」
少女が無意識に、自分の胸元へ手をやった。
しばらく棚を見つめる。そして、一歩だけ近づいた。
「……ここ」
指先が殻の縁を示す。小さな窪みがいくつも並んでいた。
「傷?」
「違う」
男は言った。
「歯の跡だ」
少女の指が止まった。もう一度、殻を見る。それから、ゆっくり男の口元を見た。
「……だれの?」
「俺のだ」
少年が半歩前へ出た。妹を庇うための動きだった。
恐れている。
当然だ。
男は白髪の少女を寝台へ下ろした。積み上げていた外套を床へ落とし、毛布を掛ける。額へ触れるとまだ少し熱い。だが、呼吸は先ほどより深くなっていた。
「水を飲ませろ」
少年へ水筒を渡す。
「少しずつだ。無理に起こすな」
「……分かった」
少年は素直に受け取った。男が腰の剣へ手を伸ばしていないことを確認してから、寝台の横へ座る。
茶髪の少女は、まだ竜核の殻を見ていた。
「それに触るな」
男が言うと、少女の肩が跳ねる。
「どうして?」
「割れている。手を切る」
「食べられるからじゃなくて?」
「中身はない」
「そっか」
少女は安心しているのか、怯えているのか分からない顔をした。
男は作業台の竜頭を持ち上げ、家の裏にある保管箱へ放り込んだ。 床へ落ちていた刃物も拾い、棚へ戻す。それだけで部屋が広く見えた。
「ここに住んでいるの?」
茶髪の少女が尋ねる。
「そうだ」
「一人で?」
「ああ」
「ずっと?」
「そうだ」
少女は室内をもう一度見回した。
「よく平気だったね」
何が、と聞こうとしてやめた。
平気でなければ何だというのか。
◇
食事を作る必要があった。
保存肉を鍋へ入れ、水と乾燥野菜を加えて火へ掛ける。
料理と呼べるほどのものではない。普段なら、硬いパンと保存肉をそのまま腹へ入れて終わる。鍋を使ったのは久しぶりだった。
「パパ、料理できるんだ」
寝台から声がした。白髪の少女が目を覚ましている。まだ上半身を起こせず、毛布の隙間からこちらを見ていた。
「煮ているだけだ」
「料理じゃないの?」
「違う」
「じゃあ、何?」
答えが分からなかった。
茶髪の少女が鍋を覗き込む。
「これ、おいしい?」
「食える」
「おいしいか聞いたんだけど」
「同じだ」
「全然違うよ」
何が違うのか分からない。食べられるなら、それでいい。
鍋の中身を分けようとして、器が一つしかないことに気づいた。棚を探す。使っていない軍用の飯盒が二つ。金属製の杯が一つ。
合わせて四つ。男はそれぞれへ煮込みを入れた。
椅子も一脚しかなかった。少年が椅子を白髪の少女の寝台横へ運び、そこへ飯盒を置く。茶髪の少女は木箱へ座った。少年は床。男は立ったまま、自分の器を持つ。
「座らないの?」
茶髪の少女が言った。
「椅子がない」
「床があるよ」
「立って食える」
「私たちは座ってる」
「そうだな」
「一緒に食べるんじゃないの?」
意味が分からない。同じ部屋で、同じ鍋の中身を食べている。それで十分ではないのか。
白髪の少女が、寝台の端を軽く叩いた。
「ここ、座れるよ」
「寝ていろ」
「じゃあ、床」
三人が男を見ている。竜へ剣を向けられても、これほど居心地が悪いとは感じなかった。
男は壁へ背を預け、床へ座った。
茶髪の少女が満足そうに頷く。
「いただきます」
少年も続く。
「いただきます」
白髪の少女が小さく言った。
「いただきます、パパ」
男は何も言わず、煮込みを口へ運んだ。
塩が足りない。肉は硬い。乾燥野菜は戻り切っていなかった。いつもと同じ、食べられればそれでいい味だった。
胃には物が入った。だが、左目の奥にある空洞は満たされなかった。
巨竜の竜核が、腰の袋の中でわずかに熱を持っている。
喰え。
声が聞こえるわけではない。それでも、身体の奥が次の竜髄を求めていた。
今日すでに一つの核を喰っている。力は使い切った。その後に来る飢えには慣れている。パンを食べても、肉を食べても消えない。腹ではない、別の場所が空いている。
男は器を置き、腰の袋を外した。棚の奥にある鉄箱へ入れ、鍵を掛ける。
「それ、食べないの?」
茶髪の少女が尋ねた。
「今はな」
「あとで食べる?」
「必要になれば」
少女は自分の胸元へ手を当てた。少年の手も止まっている。
白髪の少女だけが、不思議そうに男を見ていた。
「私たちも?」
部屋が静かになった。
「私たちにも、竜核があるんでしょ?」
茶髪の少女の声から、先ほどまでの明るさが消えている。
「必要になったら、私たちも食べるの?」
男は答えなかった。
食わない理由があるのか。三人は竜だ。人間の身体をしていても、胸の奥には竜核がある。
竜は殺す。核は喰う。
それが、これまでの生き方だった。
白髪の少女が、飯盒を置いた。
「パパなら、いいよ」
「よくない」
言葉が先に出た。少女が瞬きをする。
男自身も、なぜ即答したのか分からなかった。
「お前たちは食わない」
茶髪の少女が男を見る。
「今は?」
「今後もだ」
「本当に?」
「ああ」
少年が尋ねた。
「僕たちが竜でも?」
「関係ない」
言ってから、自分の言葉に違和感を覚えた。
関係ないはずがない。竜であることだけを理由に、これまで何匹殺してきた。
それでも、訂正はしなかった。黒い竜へ繋がるものなら、自分の手で確かめる必要がある。そう思った。
「殺さない」
三人へ聞かせるように、もう一度言う。
「軍にも渡さない。正体が分かるまで、ここにいろ」
白髪の少女の顔が明るくなった。
「ずっと?」
「正体が分かるまでだ」
「それ、ずっとかもしれないよ」
茶髪の少女が言った。
「その時に考える」
「じゃあ、今は一緒?」
「ああ」
少年が、深く頭を下げた。
「ありがとう、父さん」
「父親ではない」
「でも、帰ってきてくれた」
男は何も返せなかった。
白髪の少女が、嬉しそうに飯盒を持ち直す。
「パパのご飯、おいしい」
「そうか」
「うそ。ちょっと硬い」
「食べられるなら同じだ」
「違うって言ったでしょ」
茶髪の少女が笑った。
少年も、わずかに口元を緩めている。白髪の少女まで笑い始めた。
三人分の声が、狭い家の中に響いた。
これまで聞いたことのない音だった。
「そういえば」
茶髪の少女が言った。
「私たち、なんて呼べばいいの?」
「好きにしろ」
「私たちの名前じゃなくて。あなたの名前」
男は答えようとして、止まった。
名前を教えたところで何になる。明日には軍への報告を考えなければならない。回収班の失踪も知られる。三人をいつまで隠せるかも分からない。
それでも、四人分の器が床へ並んでいる。白髪の少女は、すでにパパと呼んでいた。
「先に、お前たちの名前を言え」
三人が顔を見合わせた。少年が眉を寄せる。茶髪の少女も、しばらく考えてから首を傾げた。
「……分からない」
「覚えていないのか」
「うん。何も」
白髪の少女が、男へ手を伸ばした。
「じゃあ、パパがつけて」
「断る」
「どうして?」
「面倒だ」
「三人だけだよ」
「三つも必要だ」
「パパのも入れたら四つだね」
男は答えなかった。
食器も、椅子も、毛布も足りない。服も必要だ。明日までに考えることはいくらでもある。
その中に、三人分の名前まで増えた。
男は残った煮込みを口へ運んだ。先ほどより塩気が強く感じられた。
左目の奥に残る飢えは、まだ消えていない。だが、鉄箱の竜核へ手を伸ばそうとは思わなかった。
家の中には、四人分の食事の音があった。
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