1945年8月5日 玉音放送
この作品はフィクションです、実在の人物や団体などとは関係ありません
1945年8月5日、正午(午後12時00分)。
夏の盛りの陽光が日本列島を真上から照りつける中、全国のラジオから時報の金属音が「ポーン」と鳴り響いた。
続いて流れたのは、重々しい『君が代』の吹奏。
そして、緊張に満ちた前置きのアナウンスが響いた。
『只今より、重大なる放送があります。全国の聴取者の皆様、ご起立願います。……天皇陛下におかれましては、全国民に対し、畏れ多くも自ら開かせられたる大詔を渙発あらせられます。これより謹みて、玉音をお送り申します』
東京・内幸町の日本放送協会、第8スタジオ副調室。
館野守男録音技師が震える指で操作盤のフェーダーを押し上げ、二枚の黒いラッカー盤にカッター針が落とされた。
朝の御文庫で刻まれた陛下の肉声は、電気信号へと変換され、東京から全国へと伸びる有線の中継用電話回線を駆け抜けた。
大阪、名古屋、広島、仙台、札幌、熊本、松山――。
各地方の中央放送局と送信所がその信号をリアルタイムで受け取り、アンテナから大出力のAM電波(中継波)として空へと解き放つ。
さらに、満洲や外地の同胞へ向けては、八俣(茨城県)の国際電気通信送信所から、ノイズを切り裂く高出力の短波電波がオホーツクやユーラシア大陸へ向けて放射された。北緯五十度を臨む樺太の豊原放送局は、短波を大型受信機で捉え、即座に南樺太全域のAM中継網へと乗せ換えていた。
『朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置を以て時局を収拾せんと欲し、茲に忠良なる爾臣民に告ぐ……』
電波に乗った玉音は、決して明瞭な声ではなかった。
長引く戦火で中継回線は荒廃し、録音盤特有のパチパチというスクラッチノイズと、真夏の電離層がもたらす激しいうねりが重なり、ラジオのスピーカーからは擦れ、籠もった、途切れがちな音声として響いた。
浩平の持つ現代技術やゲーム内のチートを用いれば、ノイズ除去や完全なデジタル転送を施し、澄んだ音声を全国へ届けることも造作はなかった。
だが、浩平はその選択を取らなかった。
「今、俺のリソースのすべてを注ぐべきは、玉音の音質改善なんかじゃない……。樺太で国境に迫るソ連赤軍を押し留め、今夜の前橋空襲を阻止し、明日の広島原爆をへし折ることだ」
人命救助に直結しない枝葉の演出は切り捨て、歴史の伝達そのものは昭和二十年の日本のインフラに委ねた。
それでも――途切れ途切れのノイズの合間から漏れ聞こえる『戦の終わり』を告げる君主の声に、焼け跡に佇む帝都の民も、武田山のテントで息を潜める広島市民も、そして国境の氷壁を見上げる樺太の将兵も、直立不動のまま、息を呑んで耳を傾けていた。
◇◇◇
首相官邸のスクリーンに上映する未来の日本
◇◇◇
同日、午後0時15分。帝都・内閣総理大臣官邸・大ホール。
国民がラジオのノイズに耳を澄ませていたその時刻。
厳重な警戒が敷かれた首相官邸の大ホールには、息苦しいほどの静寂と異様な光景が広がっていた。
スイス公使カミーユ・ゴルジェ、スウェーデン公使代理、スペイン公使などの中立国外交官、さらには枢密院議長、貴族院・衆議院の重鎮、そして財界の巨頭たちが、緊急の通達を受けて集められていた。
彼らの目の前――ホールの正面には、浩平が転送した『120インチ自立式大型スクリーン』が凛として立ち塞がっていた。
そして後方の演台には、当時の日本には存在しない純白のマットブラックの流線型をした見慣れない精密機械――浩平がゲーム内ショップから調達した、高輝度4000ルーメン・ネイティブ4Kプロジェクターが静かにファンを回していた。
本体のUSBポートには、浩平が木戸内大臣の撮影した映像を吸い上げ、日英両言語の自動字幕を焼き込んだメディアが差し込まれている。
添えられた説明書きの末尾には、木戸の口頭承認のもとにスキャンされた『宮内省』の朱紅の官印が鮮やかに捺されていた。
カチリ。
プロジェクターのレンズから、真昼のホールを切り裂くような鋭い光条が放たれた。
「……ッ!?」
最前列にいたゴルジェ公使が、眩しさに思わず息を呑んだ。
スクリーンいっぱいに映し出されたのは、映画のフィルム特有のチラつきや埃の線など微塵もない、あまりにも鮮烈で生々しいフルカラーの『昭和天皇の姿』であった。
大元帥服の襟元に走る金糸の一本一本の縺れ。
額に浮かぶかすかな汗の玉。
レンズを見据える瞳の奥の、張り詰めた覚悟の光彩。
肌の質感までもが実物を目の前にしたかのように浮き彫りにされ、プロジェクター内蔵されたステレオスピーカーからは、息遣いまでが生々しく再現された澄み切った肉声が響き渡った。
映像の下部には、英語と日本語のテロップが滑らかに流れていく。
『……朕は茲に、立憲の精神に立ち返り、皇室のあり方を国民の総意に基づく「象徴」たるべきものと定め、永きにわたる世襲の特権と華族制度の廃止を決断せり。また、帝国の統治下にありし外地の諸民族に対しては、各々の自由なる意思に基づき、国民投票による民族自決の道を速やかに拓くものとする……』
ホールが揺らぐほどの衝撃が、外交官たちを襲った。
「オー……神よ……」
スイス公使ゴルジェが両手で口元を覆い、隣のスウェーデン公使代理と激しく視線を交わした。
「これは……幻灯でも、活動写真(映画)でもない……! まるで幕の向こうに本物の天皇陛下がおられるかのようだ! 一体何なんだ、この発光する箱と驚異的な映像技術は!?」
「技術だけではないぞ、公使!」
スウェーデン公使代理が掠れた声で囁いた。
「内容を見ろ! 『象徴天皇』への移行、『華族制度の廃止』、そして『外地の民族自決と国民投票』……! 単なるポツダム宣言の無条件受諾ではない。日本は自ら軍国主義の心臓を抉り出し、欧米をも凌駕する近代民主主義国家への脱皮を、元首自らが世界へ宣言しているのだ!」
「これを……今朝、我々が打電したポツダム宣言受諾の電報と同時に、すでに映像として完成させていたというのか……。背後にいるのは誰だ? 帝都に突如として数十万トンの食糧を出現させたという、あの不可解な勢力なのか……!?」
外交官たちのざわめきをよそに、日本の財界・政界の指導者たちは、ただただその光景を無言で見つめていた。
それは敗戦の惨めな告白ではなかった。圧倒的な未来の技術力を背負い、平和の新たな地平へと踏み出す、新生・日本の冷徹なまでの意思表示であった。
◇◇◇
同時刻。皇居内・宮内省本庁舎・特別会議室。
同じプロジェクターから投射された映像は、宮内省の官僚や侍従たちの前にも映し出されていた。
室内には、すすり泣く声も、取り乱して叫ぶ者の声も一切なかった。
ただ、重厚な静寂の中で、集まった高官たちが直立不動のまま、スクリーンの中の若き君主を見つめていた。
大詔が終わり、スクリーンが静かに黒転した瞬間。
最前列にいた木戸幸一内大臣が、ゆっくりと振り返った。その瞳には幾筋かの乾いた涙の痕があったが、表情は鋼のように引き締まっていた。
「……諸君。大御心は、すでに定まった」
木戸の静かな声が、張り詰めた空気を震わせた。
「陛下は自らの権威と特権を解き放ち、国民と同じ大地に立たれる道を選ばれた。我々宮内省の役目は、もはや古い権威を守ることではない。新生する日本の象徴として、陛下をお支えすることだ。……各自、持ち場へ戻り、戦後処理の事務を滞りなく進めよ」
「はっ……!」
官僚たちが深々と、静寂の中で一礼した。
感情の爆発を押し殺し、国家の屋台骨を支え直そうとする男たちの、静かで厳粛な覚悟の朝であった。
◇◇◇
クレムリンの野望
◇◇◇
午後0時30分。ソビエト連邦・モスクワ、クレムリン宮殿。
タス通信が傍受した日本の玉音放送のロシア語訳が、最高指導者ヨシフ・スターリンの執務机の上に届けられた。
真夏の正午を過ぎた極東の知らせに、スターリンはトレードマークのパイプをくわえたまま、太い眉を顰めて電文を睨みつけた。傍らには、赤軍参謀総長アントーノフ上将と、内務人民委員のベリヤが直立している。
「……ジャップの天皇が、正式に降伏の詔勅を読み上げただと?」
スターリンは吐き出した煙の向こうで、冷酷な獣のような光を瞳に宿らせた。
「ふん……『象徴』だの『民族自決』だの、ブルジョワじみた小細工を弄しおって。ワシントンの資本家どもに媚びを売るつもりか」
アントーノフ参謀総長が進み出た。
「書記長同志。日本が公に降伏を宣言した以上、極東の戦闘継続は国際法上、連合国間での摩擦を生む恐れがあります。ハバロフスクのヴァシレフスキー元帥からは、樺太の国境線において日本軍が展開した謎の『氷の巨壁』により、第214戦車旅団の前進が完全に頓挫したとの報告も上がっておりますが……」
ドォンッ!!
スターリンは太い拳で机を激しく叩いた。灰皿がガタガタと跳ねる。
「馬鹿者がッ!! 誰が進撃を止めろと言った!」
スターリンは立ち上がり、壁に掛けられた巨大な極東地図の前に歩み寄った。その指先が、サハリン(樺太)、千島列島、そしてその南に広がる巨大な島――『北海道』を鷲掴みにするように覆った。
「日本が降伏したからこそ、一秒の猶予もなく奪い尽くさねばならんのだ! ヤルタでルーズベルトの野郎と交わした密約を忘れたか!? 南サハリンと千島列島は、我がソビエトの正当なる取り分だ!」
スターリンの目が血走り、狂気じみた野心が露わになった。
「それだけではない! 我が赤軍の最終目標は、サハリンの南端で足を止めることではないのだ!
北海道の北半分――留萌と釧路を結ぶ直線の北側全域を、我がソビエト軍の手で電撃的に占領する!
北海道を二分割し、北半分に『蝦夷人民共和国』の傀儡政権を樹立するのだ! そこを不沈空母とし、日本全土を共産主義闘争の炎で焼き尽くすための橋頭堡とする! これこそが、極東における我が大戦略の真の核心だ!」
スターリンはアントーノフの胸ぐらを掴む勢いで迫った。
「氷の壁だと!? 登れぬなら空から焼き払え! 樺太の第9空軍に全機出撃を命じろ! そして太平洋艦隊の全揚陸艦を動員し、サハリン南部および千島への強襲上陸を即時決行させろ!
米軍が日本本土に進駐してくる前に、オホーツク海を『ソビエトの内海』として塗り固めるのだ!!」
玉音放送という平和への祈りを踏みにじり、火事場泥棒の赤い牙が、いよいよ北の大地へと深く突き立てられようとしていた。
◇◇◇
ホワイトハウスの大論争
◇◇◇
同日、午後1時00分(米東部時間:8月4日午後11時00分)。
ワシントンD.C.・ホワイトハウス、大統領作戦会議室。
ラジオの放送からわずか1時間足らず。
日本国内の短波放送を傍受した米陸軍情報部(MIS)の手により、玉音放送の全容がオーバルオフィスのトルーマン大統領、ならびに統合参謀本部の最高幹部たちの元へ叩きつけられていた。
作戦室の空気は、張り詰めた弦のように軋んでいた。
「ミスター・プレジデント! 日本の国家元首が、自ら国民へ向けて公式に戦闘停止と降伏を命じたのです!」
声を荒らげて立ち上がったのは、ヘンリー・スチムソン陸軍長官であった。
その手には、太平洋戦線からの最新の航空偵察報告が握られていた。
「見解を改めるべきです! 沖縄占領部隊の情報によれば、8月3日以降、日本本土および各戦線からの神風特攻隊の出撃は完全に途絶えております! さらに今や、天皇自らが軍門に下ると公に宣じたのだ! 彼らにこれ以上の戦闘継続の意思はありません! この状況下で、計画通り明日(8月6日)の原子爆弾投下を強行すれば……合衆国は『降伏を宣言した無防備な都市を新兵器の人体実験で焼き払った残虐非道の国家』として、未来永劫、歴史の法廷で糾弾されることになりますぞ!」
統合参謀本部議長ウィリアム・リーヒ海軍元帥も、厳格な面持ちで頷いた。
「軍事的な観点からも、原爆投下の必然性はすでに消滅しました。我が海軍の機雷封鎖と制空権の掌握だけで、日本の息の根は止まっているのです」
だが――。
その人道的・法理的な進言を、冷笑とともに叩き潰す男たちがいた。
ジェームズ・F・バーンズ国務長官と、マンハッタン計画の最高責任者であるレズリー・グローヴス陸軍少将であった。
「甘いな、スチムソン長官」
バーンズが冷ややかに口を挟んだ。
「日本の言葉を真に受けるのか? 真珠湾の奇襲を仕掛けてきた連中だぞ。玉音放送とやらを流したところで、現実にスイス経由の降伏文書の正式な調印式が交わされたわけではない。口先だけの時間稼ぎの可能性をどうやって排除するのだ?」
グローヴス少将もまた、脂ぎった顔を歪めて大統領へ擦り寄った。
「大統領閣下! マンハッタン計画には、合衆国の国家予算から実に二十億ドルもの経費が投じられております! もしこの最終兵器を使わずにお蔵入りにすれば、議会と納税者に対する釈明が立ちません! 『巨額の税金を無駄にした無能な政権』として、閣下の政治生命は終わりますぞ!」
グローヴスはさらに、情報部の極秘資料を机に広げて見せた。
「それに……先ほど入った偵察情報によれば、第一目標である広島市街地からは、すでに市民の大規模な郊外疎開が行われており、中心部はほぼもぬけの殻であるとの情報もございます! 恐れるほどの民間人の大量死傷など発生しません! あそこはただの軍事拠点です! 吹き飛ばしても道義的責任など問われようはずがない!」
「何より――」
バーンズ国務長官が身を乗り出し、トルーマンの耳元に悪魔の囁きを落とした。
「モスクワのスターリンへの強力な牽制です。欧州を呑み込み、今や極東へ触手を伸ばそうとしているあの国に対し、合衆国が『神の火』を実戦で炸裂させる圧倒的な力と意志を持っていることを、骨の髄まで見せつけてやらねばならんのです! 戦後の世界覇権を握るのは、我々なのだ!」
二十億ドルの予算正当化。
ソ連への威嚇。
そして「広島は疎開で空っぽだから問題ない」という、あまりにも都合の良い自己欺瞞の報告。
ハリー・S・トルーマン大統領は、丸眼鏡を外し、疲れた手で顔を覆った。
大統領の脳裏で、政治的野心と冷徹な覇権の計算が、瞬時に人道を踏みにじっていった。
数秒の沈黙の後――。
トルーマンは眼鏡をかけ直し、冷酷な光を宿した瞳で作戦幕僚たちを見据えた。
「……正式な降伏調印文書がマッカーサーの手によって交わされるまで、一切の軍事行動を緩めることは許さん」
トルーマンはデスクの上の作戦認可書に、万年筆で迷いなくサインを走らせた。
「テニアンの第509混成部隊へ打電せよ。計画通り、8月6日早朝、第1目標・広島への特殊爆弾(原子爆弾)の投下を敢行せよ。我が合衆国の正義と力を、地上のすべてに知らしめるのだ」
歴史の歯車は、最も冷酷な破滅へ向けて固定された。
◇◇◇
1945年8月5日、午後1時15分。現代/浩平の自室。
モニターの前で、傍受された米軍とソ連軍の機密通信※のテキストログを眺めていた浩平の瞳に、絶対の怒りが宿った。
※補足:ゲーム内の世界で傍受したテレタイプ形式のSIGABA暗号文を、浩平の現実世界のPC(RTX4080x2)でシミュレーターで「HIROSHIMA」などのキーワードを利用して総当たり計算で解明されています
【米陸軍航空軍・最高機密電報】
発信:テニアン島 第509混成部隊
命令:8月6日 未明出撃、広島への原爆投下作戦『センターステージ』の予定通り実行を承認。
「……やっぱり、そう来るか」
浩平は冷え切った声で呟き、キーボードに手を置いた。
元より、トルーマンやスターリンの良心に期待などしていなかった。彼らは自分たちの覇権とエゴのために、他国の何十万の命を平然と天秤にかける怪物たちだ。
「いいだろう。そっちがその気なら、徹底的にへし折ってやるだけだ」
浩平の指先が、迎撃プログラムのコンソールを激しく叩き始めた。
北の樺太へ迫るソ連爆撃機編隊、今夜の前橋空襲、そして――明朝、マリアナの空を飛び立つ原爆搭載機B-29『エノラ・ゲイ』。
歴史の暴虐を迎え撃つ、現代エンジニアの真の戦いが、いま始まろうとしていた。
今回も短めですが、樺太の話を区別して単独で投稿します
玉音放送自体は…そこまで国民が泣き叫ぶのような表現はしたくないので、ちょっと描写の仕方と視点をアレンジしました




