1945年8月5日 アバター
この作品はフィクションです、実在の人物や団体などとは関係ありません
現代・2027年8月5日、午前6時30分。
「ピンポーン――」
静まり返った郊外の一戸建てに、甲高いインターホンの電子音が鳴り響いた。
モニターの前で仮眠を取っていた浩平は跳ね起き、寝ぼけ眼のままスマートフォンのドアホンアプリを開いた。
画面には、濃紺のポロシャツを着た配達員が台車を押して息を切らし、玄関先に立っている姿が映し出されていた。大手家電量販店の即日エクスプレス便である。普段なら午前8時や9時以降にしか回ってこないが、追加料金を叩き込んだ超特急便が、まさに朝一番の集配ルートでねじ込まれたようだった。
浩平は通話ボタンを押した。
『……はい、どなたですか?』
『淀屋橋カメラのエクスプレス便です! お届け物にあがりましたー!』
『ありがとうございます、玄関ドアの前に置いていただければ大丈夫です。そのまま失礼します』
『承知しました! 置き配にしておきますねー!』
足音が遠ざかるのを画面で見届け、浩平はスリッパを引っ掛けて玄関へ駆け下りた。慎重な性格ゆえ、どんな緊急時であっても素性の知れない相手と直接対面することは避けている。ドアを少しだけ開け、外廊下に置かれていた畳一畳分ほどもある巨大なダンボール箱を、力任せにリビングへと引きずり込んだ。
「急がないと……! 7時の造兵廠での回収に間に合わなくなる!」
浩平はカッターナイフでダンボールのテープを乱暴に切り裂いた。
中から現れたのは、漆黒のハイエンドVRシステム一式――HTC VIVE Pro 2のフルセット、ベースステーション2.0、追加で購入したVIVEトラッカー3.0が三基、手首用のリストトラッカー、そして指の関節運動まで拾い上げる最新鋭のデータグローブであった。
「スペースが足りないな……クソッ!」
浩平は作業スペースを確保するため、愛用のオフィスチェアを蹴飛ばすように部屋の隅へやり、積んであった技術書の棚とスチールラックを力任せに壁際へ押し込んだ。六畳間の部屋中央に、約二メートル四方のプレイエリアを強引に削り出す。
部屋の対角線上の鴨居とカーテンレールに、付属のクランプを使ってベースステーションを二基、斜め下を向くように素早く固定。
PC背面へ走り、DisplayPortとUSBケーブルをマザーボードとグラフィックボードへ叩き込む。浩平の自作PCには、機械学習と3Dレンダリング用にGeForce RTX 4080が二枚刺さっている。VRの高解像度レンダリングとゲーム本体の2D描画を同時に回しても、フレームレートが落ちる心配は皆無だった。
両足の甲と腰のベルトにトラッカーをベルクロで巻きつけ、両手にVRグローブを嵌め、手首にリストトラッカーを固定する。
頭からHMDを被り、ストラップのダイヤルを締め上げた。
「……よし、認識した!」
パススルー(外カメラ)映像を通じて視界を確保しながら、PCのゲーム設定ウィンドウを開き、新設されていた【VRモード:有効】のトグルスイッチをマウスでONにした。
画面最上部に、青いシステムメッセージがポップアップした。
【VR連携システム起動】
専用ヒューマノイド素体をインベントリ空間、
またはゲーム内世界へ配置することで、
「システムボタン」長押し、または「F11キー」にてVRモードへ完全没入可能です。
「いきなり昭和二十年の現場に出現したら、阿南さんたちを腰抜かさせるな。まずはインベントリ空間で動作テストだ」
浩平は柄型のVIVEコントローラーを握り、左親指の『システムボタン』を長押しした。
シュゥゥゥゥン……!
視界がホワイトアウトした。
次の瞬間、浩平の網膜を覆っていた現実の部屋のパススルー映像が消え去り、上下左右の感覚が無限に広がる『インベントリ空間』へと意識が吸い込まれた。
足元には、どこまでも平坦に広がる純白のグリッドフロア。
頭上には、雲一つない突き抜けるようなコバルトブルーの空。
その何もない無機質な空間の中央に、いつも浩平が指示書などを印刷して転送していた事務用のカラーレーザープリンターがぽつんと一台、そしてゲーム内コンソールを表示する一台のノートPCが、折りたたみ式の長机の上に置かれていた。
「おお……っ!?」
浩平は自分の両手を目の前に掲げた。
指を開閉すると、VRグローブのセンサーが精密に追従し、画面の中の指関節が完全に浩平の肉体の動きと同期して滑らかに動いた。
首を左右に振り、真上を仰ぎ見ても、ベースステーションのトラッキングは一切ブレず、遅延も感じられない。
「さすがVIVE Pro 2……視野角も解像度も、昔のPSVRとは桁が違うぞ」
浩平は自分の足で二、三歩、前へ踏み出してみた。
足腰のトラッカーが位置を正確に拾い、仮想空間の地面をカチリと踏みしめる。しかし、現実のリビングは二メートル四方しかない。ケーブルが引っ張られる感覚があり、すぐに実移動の限界に達した。
「やっぱり部屋の広さの壁があるな……移動はどうするんだ?」
左手のコントローラーのアナログスティックを前方に倒してみた。
スッ――。
浩平の視界が滑らかに前方へと前進した。
「コントローラースティック移動か。少し足元が浮くような違和感はあるが、慣れれば問題ないな。しゃがみ歩行は……?」
浩平は現実の膝を折り、屈み込みながらスティックを倒した。
アバターの視線が低くなり、少し腰が引けた不恰好な姿勢のまま、ツツツ……と低姿勢で前進する。
「いけるな。じゃあ、ジャンプは?」
右側面のグリップボタンを押し込んでみる。
フワッと身体が宙に浮き上がり、二メートルほど跳躍して柔らかく着地した。ボタンを押し込む圧力によって跳躍の高さが変わるアナログ仕様のようだった。
設定項目に『リアルジャンプ(現実の跳躍に同期)』というチェックボックスがあったが、天井の照明器具に頭をぶつける可能性があるものの、一応にONにして放置した。
「……って、いけない! もう6時58分だ! 阿南陸相との約束の時間じゃないか!」
浩平はシステムボタンを長押しし、一旦VRの視界から2Dのゲーム画面へと復帰した。
◇◇◇
軍服に着替えるという過酷なクエスト
◇◇◇
浩平は急いで第一生命ビルの東部軍司令官執務室へFPVカメラを移動した。
しかし、大理石の部屋はすでに無人であった。
阿南陸相と畑元帥は、すでに別々の軍用車で東京第一陸軍造兵廠(十条)と相模陸軍造兵廠へと出発した後だったのだ。
誰もいなくなった執務机の中央に、糊の利いた純白の包み布の上に載せられた仕立ての良い濃緑色の軍服一式と、丁寧に毛筆で書かれた一枚の書簡が残されていた。
浩平はカメラをズームさせ、文字を読み取った。
『監視者・浩平殿
約束の刻限に先立ち、小職は十条の東京第一陸軍造兵廠へ、畑元帥閣下は相模造兵廠へと向かわれた。
机上に残せし衣類は、陸軍中将相当の格式にて調達せし新品の正装軍服一式に御座候。
帝都および軍の要所に出現される際、無用の怪しまれや憲兵の誰何を防ぐため、これを御身に纏われ、小職らと合流されたく存じ候。
北辺の同胞を救うための武運長久を祈る。
陸軍大臣 阿南惟幾』
「わざわざ俺のために、将官クラスの服を揃えてくれたのか……」
浩平は阿南の生真面目で不器用な誠意に感謝しつつ、執務室の空間へアバターを転送し、VRモードへと潜り込んだ。
フッ……。
薄暗い第一生命ビルの執務室に、パーカー姿の浩平のアバターが実体化した。
机の上に置かれた軍服へ歩み寄る。
「せっかく用意してくれたんだ、着てみるか……」
浩平は両手を伸ばし、畳まれた上着を持ち上げようとした。
VRグローブの内蔵リニア振動モーターが微かに震え、指先に布地を掴んだような「疑似触覚」が返ってくる。しかし、所詮は振動による錯覚だ。布の厚みも、摩擦も、指先から滑り落ちる感覚も極めて曖昧であった。
「うわっ……重いな、この生地……。ええと、これを羽織って……」
現実世界の浩平が腕をぐるりと回す。アバターの腕が軍服の袖を通ろうとするが、袖口のポリゴンに引っかかり、布地が不自然に引き攣れた。
「ちょ、破れる破れる! 引っ張りすぎたら裂けちゃうって!」
焦れば焦るほど、VRグローブの指先が思うように動かない。
昭和の軍服は、現代のTシャツやパーカーと違って信じがたいほど構造が複雑であった。
首元をきつく締め上げる立襟のホック、真鍮の金ボタン、内側の裏地、さらには細い革帯の金具や、ズボンの裾をどう処理すればいいのか、現代っ子の浩平には見当もつかない。
五分間、汗だくになりながら虚空で腕をバタつかせ、襟元のホックを留めようとしては指がすり抜けるのを繰り返した末――。
「……無理だッ!! 諦めた!!」
浩平は上着を机の上に放り投げ、VRモードから逃げるよう退出した。
息を切らしながら2DのPC画面へ戻った浩平は、ハッと我に返った。
「……待てよ。これ、ゲームのアイテム扱いだよな?」
浩平はマウスを握り、机の上の軍服一式をクリックしてインベントリへ回収した。
そして、インベントリ内のキャラクター装備欄を開き、軍服のアイコンを右クリックして――『着用』をクリックした。
カチッ。
画面の3Dアバターのグラフィックが一瞬で切り替わった。
ボサボサ頭と黒縁メガネはそのままであるが、体にはミリ単位の狂いもなく、皺ひとつない完璧な着こなしで、深緑色の陸軍将官服がビシッとフィットしていた。
もちろん、誰の配下でもない浩平の立場を考慮した阿南の配慮により、襟元の階級章は敢えて空欄のままであった。
「……一瞬じゃねえか!!」
浩平はモニターの前で盛大に頭を抱えた。
「さっきの五分間の悪戦苦闘は何だったんだよ……! 最初からUIで着せればよかったんだ……!」
時計の針は、すでに午前7時10分を回っていた。
浩平は急いでチャットコンソールを開き、阿南陸相の所持する新型タブレットへ緊急通知を叩き込んだ。
『阿南陸相、お待たせしました。これより十条の造兵廠へ直接合流します。空間から唐突に物体と共に出現しますので、周囲の方々が発砲などされぬよう、ご注意をお願いします。 ――監視者 浩平』
◇◇◇
十条造兵廠への降臨
◇◇◇
1945年8月5日、午前7時15分。東京・王子区十条。
東京第一陸軍造兵廠・本館貴賓待合室。
広大な敷地に赤煉瓦の兵器工場が立ち並ぶ十条の造兵廠。
その奥にある貴賓待合室の中には、重苦しい静寂と、張り詰めた緊張感が充満していた。
部屋の長机の上座には、軍刀を両手の間に突き立て、岩のように微動だにせず座す阿南惟幾陸相。
その傍らには、新型タブレットを恭しく胸に抱えた当直副官。
そして下座には、早朝の陸相直々の電撃視察に顔色を失った東京第一陸軍造兵廠長と、兵器製造を一手に担う生産責任者の技術大佐が、額に玉の汗を浮かべて直立不動の姿勢を取っていた。
「あ、あの……陸軍大臣閣下」
工場長がおそるおそる口を開いた。
「過日よりの資材払底により、小銃弾の製造も滞り、前線へ送るべき高射砲の砲身鋼材も底を突いております。本日の抜き打ち査閲と申されましても、お見せできるような完成兵器は……」
阿南は視線を動かさず、低く重い声で遮った。
「よい。貴官らの苦衷は痛いほど分かっておる。余計な言い訳は無用だ。……今朝ここへ来たのは、査閲のためではない」
「は……? では、一体何のために……」
その時、副官が抱えていたタブレットがピロリンと澄んだ電子音を立てた。
阿南が画面に目を落とす。そこには、浩平からの合流予告が届いていた。
阿南の眉がピクリと跳ね上がり、瞳に鋭い光が宿った。
阿南はガバと立ち上がり、机の前の工場長と生産責任者を鋭く一喝した。
「総員、直立注目ッ!! 護衛兵に告ぐ、何が起きても決して銃の引き金に指をかけるな! 狼狽えて発砲した者は、我が手で直ちに軍法会議へ送るぞ!」
「は、はいいっ!?」
訳も分からず怯える軍人たちの視線の先――待合室の何もない空間の中央が、突如として激しく歪み始めた。
キィィィィィン――――……ッ!
空間の歪みから、無数の青白い光の粒子が立ち上り、渦を巻いた。
まるで空気がガラスのように軋むような超常の現象に、工場長と技術大佐の顎がガチガチと震え、腰が引ける。
光の渦が収束した、次の瞬間。
そこに――『一人の青年』が、音もなく立ち現れていた。
「ひ……っ!?」
副官が息を呑んだ。
年の頃は三十代半ば。
仕立ての良い、真新しい陸軍将官の深緑の軍服を隙なく着こなしているが、襟元には星の階級章がない。
そして何より異様なのは、その頭部であった。
当時の軍人ではあり得ないほど無造作に伸ばされたボサボサの黒髪に、見慣れない精密な黒縁の眼鏡。体躯は細身で、およそ戦場の泥を啜った軍人の猛々しさは微塵もなく、どこか都会的で、理知的な静けさを纏っていた。
現実世界でHMDを被り、コントローラーを握りしめた浩平のアバターが、生まれて初めて、昭和二十年の日本を――その大地を踏みしめた瞬間であった。
(うわ……本当に出現しちゃったよ……。阿南さん、めちゃくちゃ近くにいる……!)
浩平の視界には、VRの解像度を通して、阿南陸相の無骨な顔の皺や、軍服の金モールの輝き、そして腰を抜かしかけている工場長たちの怯えた表情が、信じられないほどのリアルさで広がっていた。
浩平は緊張で喉を鳴らし、コントローラーのトリガーを握り直すと、不器用に右手を手元で挙げ、ぎこちない会釈とともに口を開いた。
アバターの内蔵スピーカーから、現代の青年の声が、静かな部屋にクリアに響き渡った。
「……初めまして、阿南陸相。私が――『監視者』の浩平です」
その瞬間、阿南惟幾の目が大きく見開かれた。
眼前に立つ、未来の神とも言うべき存在のあまりにも素朴で、人間味に満ちた姿。
阿南は軍帽を脱ぎ、深々と、魂の底からの敬意を込めて、眼前の青年に向けて頭を下げたのであった。
◇◇◇
地に足のついた監視者
◇◇◇
1945年8月5日、午前7時20分。東京第一陸軍造兵廠・本館貴賓待合室。
青白い光の収束とともに忽然と姿を現した浩平のアバター。
その異様な出現を目の当たりにした東京第一陸軍造兵廠長と技術大佐は、声にもならない悲鳴を呑み込み、背後の壁に背中を激突させる勢いで後ずさった。
「ば、化け物……ッ!? い、今の光は……!?」
腰の拳銃ホルダーに手が伸びかけた工場長の手首を、阿南陸相の太い手が上から万力のように鷲掴みにして制止した。
「取り乱すな、工場長!」
阿南の一喝が、震える部屋の空気をピシャリと叩き切った。
「この御方こそが、大元帥陛下と我が陸軍を陰より手助けしてくださっておる天の監視者・浩平殿である! 帝都をはじめとする全国の配給物資も、すべてこの御方の仁慈によるものだ。これから貴官らの前で起きることは、すべて人智を超えた奇跡である。武官たるもの、腰を抜かして騒ぎ立てるでない!」
「か、閣下……! この青年が……あの『監視者様』でありますか……!?」
工場長と技術大佐は目を剥き、恐る恐る浩平を見上げた。
彼ら現場の技術者たちにとって、昨今突如として全国に溢れ返った純白の精米や新品のドラム缶燃料、そして防空の予言はすでに生きた伝説であった。その神仏のごとき存在が、まさか自分たちの目の前に、仕立ての良い将官服を着て立っているのだ。
だが、阿南陸相は浩平の全身をしげしげと見つめると、ふと緊張を緩め、太い眉を八の字にして呟いた。
「……しかし、監視者浩平殿。不躾ながら……思ったよりも、随分とお若いですな。もっと仙人のような御老人かと思っておりましたぞ」
現実世界の自室でHMDを被っている浩平は、マイク越しに思わず苦笑いを漏らした。
「あ、あはは……。まあ、こう見えても年はもう三十八……三十と八歳なんですよ。現代……我が世界ではこれくらい普通の風貌でして」
豊かな栄養と先進医療、そして紫外線を浴びないデスクワークで育った現代の三十八歳は、肌の張りも輪郭も当時の人間とはまるで違っていた。過酷な戦時下で四十代にも見紛う老成を強いられていた昭和二十年の人々から見れば、黒縁メガネをかけた浩平の顔立ちは、どう甘く見積もっても二十代半ばの書生か青年将校にしか見えなかったのだ。
浩平はぎこちなく咳払いをし、中途半端に当時の言い回しを混ぜながら本題を切り出した。
「……私の見た目はさておき、急ぎ兵器と弾薬の回収に移りたく存じます。早朝に打電されたポツダム宣言受諾の報は、いずれ極東のソ連軍にも伝わります。そうなれば奴らは、講和成立の前に既成事実を作るべく、即日にも北緯五十度線を越えて南樺太へ侵攻を開始する可能性が極めて高い」
「ポ、ポツダム宣言受諾……ッ!? ソ連が即刻南樺太へ侵攻だとッ!?」
何の情報も知らされていなかった工場長が、目玉が飛び出さんばかりに絶叫した。
阿南陸相は工場長を静かに見つめ、ゆっくりと頷いた。
「……いずれ数時間の後には、貴官らの耳にも入る国家の重大事だ。包み隠さず話そう。今朝未明、帝国はスイスおよびスウェーデンを通じ、正式にポツダム宣言の受諾を連合国へ通告した」
「そ、そんな……! では、我が国は敗れたのですか……!?」
「そうだ。だが――」
阿南の瞳に、ギラリと猛虎のごとき光が宿った。
「ポツダム宣言を受諾したからといって、火事場泥棒を企むソ連赤軍の侵略までを甘受する謂れはない! 監視者殿の未来情報によれば、赤軍は講和の隙を突き、無防備な樺太の同胞と国土を蹂躙せんと牙を研いでおるのだ。これは侵略の戦争ではない。同胞の命と故郷を守り抜くための、正当なる自衛の戦いである!」
阿南の熱い咆哮に、工場長と技術大佐の背筋がビリビリと粟立った。
◇◇◇
兵器庫と慎重さを要する6DoF VR歩行
◇◇◇
阿南陸相は即座に技術大佐へ向き直り、軍刀を握り直した。
「樺太の防衛隊は、関東軍にすべてを引き抜かれ、弾薬も対戦車装備も完全に枯渇しておる。奴らを押し留めるために、今すぐ使える火器弾薬をかき集めねばならん。優先順位は、何よりも弾薬、対戦車・対装甲火力、迫撃砲および野砲弾、重機関銃、小銃弾だ! 十条の在庫をありったけ供出せよ!」
技術大佐は息を呑み、即座に頭を巡らせて答えた。
「はっ! 三八式および九九式小銃、九二式重機関銃、九九式軽機関銃、それに各種小火器の弾薬や九九式手榴弾、九七式曲射歩兵砲(迫撃砲)の砲弾であれば、第一から第三兵器庫にまとまった完成品在庫がございます! ……しかし閣下、ソ連の重戦車を撃破するための重火器や野砲本体となると、ここでは……」
「心配無用だ。大口径砲や装甲車輌は、現在、畑元帥閣下が相模陸軍造兵廠にて確保を進めておられる。十条にある歩兵火器と弾薬のすべてを、監視者殿に預けるのだ!」
「承知いたしました! ご案内いたします!」
技術大佐を先頭に、一行は本館を出て兵器庫エリアへと移動を開始した。
現実世界の浩平は、左手コントローラーのアナログスティックを慎重に前へ倒した。
アバターがツツツ……と前進する。前を歩く大佐の軍服の背中に衝突判定で突っ込んでしまわないよう、スティックの倒し込みを微調整しながら歩幅を合わせる。
「階段か……」
兵器庫へと続くコンクリートの昇降口。
浩平は現実の六畳間で、トラッカーを巻いた両足をトントンとリズミカルに足踏みさせながら、コントローラーのスティックを前へ倒した。
すると、アバターの膝関節が自然な上下動を伴って階段のステップを認識し、驚くほどすんなりと段差を登り降りしてくれた。
(よし、階段判定も完璧だ。変なグリッチで壁にめり込まなくてよかった……)
安堵する浩平の前に、頑丈な二重鉄扉が開け放たれた。
そこに広がっていたのは、見渡す限りの木箱の山であった。
油の匂いと火薬のツンとした匂いが立ち込める巨大な倉庫。防錆油に浸された九九式小銃が整然と架台に並び、頑丈な木箱には『九二式実包』『九九式手榴弾』『迫撃砲榴弾』の墨文字がびっしりと並んでいた。
浩平は息を整え、振り返った。
「では……兵器を一時お預かりします。回収した物資は、私の力で即座に樺太の豊原、敷香、そして最前線の古屯へと転送します。……驚かないでくださいね」
「は、はい……! どうぞ、監視者様……!」
技術大佐が息を呑んで後ずさる。
浩平はコントローラーのメニューボタンを押し、UIウィンドウから新機能【世界品物の一時収納機能】を選択した。
コントローラーの先端から、ゲーム画面越しに淡い半透明の照準レーザーが伸びる。
浩平はうずたかく積まれた小銃弾の木箱の山へ照準を合わせ、人差し指でトリガーを引き絞った。
シュパッ、シュパパパパッ!!
空間が波打ち、照準された木箱が、まるでデジタルの光の粒子へと分解されるように、音もなく瞬時に消滅していった。
「なっ……!?」
「き、消えた……!? 何十トンもの弾薬箱が、一瞬で……!?」
工場長と技術大佐が目を剥き、顎が外れんばかりに絶句した。
浩平はコントローラーを薙ぎ払うように動かし、トリガーを引き続けた。
九九式短小銃: 2,500挺
九九式軽機関銃: 180挺
九二式重機関銃: 60挺
各種小銃・機関銃実包(木箱入り): 約1,200,000発
九九式手榴弾: 40,000発
九七式八一粍曲射歩兵砲(迫撃砲)および砲弾: 砲24門 / 榴弾8,000発
一式二八粍擲弾筒および擲弾: 300門 / 15,000発
倉庫を埋め尽くしていた弾薬と銃器の山が、わずか一分足らずの間に綺麗さっぱり掻き消え、がらんとしたコンクリートの床だけが残された。
数千名の歩兵一個連隊を丸ごと武装させ、数週間の激戦を支え得る膨大な火力が、浩平のインベントリへと吸い込まれた瞬間であった。
◇◇◇
現代の産業資材と技術大佐の渇望
◇◇◇
浩平は空になった倉庫を見渡し、少しばかり申し訳なさそうに頭を掻いた。
「す、すみません……。在庫分を根こそぎいただいてしまいました。補填……というわけではありませんが、もし兵器の製造や工場の維持で欲しい材料があれば、私の方から提供できるかもしれません。いかがでしょうか? 本土での地上戦は米軍の空襲以外には起きない見通しですが、備えあれば憂いなしですから」
その言葉を聞いた瞬間、技術大佐の瞳に、技術者としての猛烈な情熱の炎が宿った。
大佐は阿南陸相の顔をチラリと伺い、陸相が「申してみよ」と頷くのを見るや、堰を切ったように熱弁を振るい始めた。
「か、監視者様! もし……もし叶いますならば! 我ら兵器技術者が今、最も渇望しておりますのは、良質な特殊鋼と、弾薬の原料となる化学薬品にございます!」
技術大佐は指を折りながら、喉から血が出るような切実さで叫んだ。
「砲身や機関銃の遊底に不可欠なクロムモリブデン鋼およびニッケル鋼のインゴット! 信管の精密加工に必要な高純度の黄銅(真鍮)棒材! そして何より……火薬の製造が完全に麻痺しております! 純度98%以上の濃硝酸、トルエン、無煙火薬用の高純度ニトロセルロース(綿火薬原料)、そして耐摩耗工具用の炭化タングステン(超硬合金)……! これらさえあれば、我が造兵廠の熟練工たちで、いくらでも高性能な弾薬と砲身を叩き出せるのであります!」
浩平はHMDの内側で、VRのリアルタイム文字起こし機能(音声認識ログ)がテキスト化していく大佐の要望リストを目で追った。
「なるほど……特殊鋼に高純度硝酸、真鍮にタングステンか。了解しました。提供できるかどうか、すぐに調べますので少々お待ちを」
浩平はVRコントローラーのボタンを押し、視界を『ARパススルーモード』へと切り替えた。
目の前に広がる十条造兵廠の倉庫の風景の上に、現代の自室のPCモニターが半透明でオーバーレイ表示される。
浩平はマウスを握り、ゲーム内ショップの『産業用基礎資材カテゴリー』を開いた。
検索窓に、大佐が挙げた品名を打ち込んでいく。
【産業資材・検索結果】
・JIS規格 SCM440 クロムモリブデン鋼ビレット(1トンブロック)x10: 800,000ゼニ
・快削黄銅(真鍮)丸棒(高精度引抜材/500kg束)x10: 600,000ゼニ
・工業用高純度濃硝酸(98%/ケミカルドラム缶200L)x10: 450,000ゼニ
・工業用トルエン(高純度試薬級/ドラム缶200L)x10: 500,000ゼニ
・WC-Co超硬合金(炭化タングステン)角材(10kg)x10: 1,200,000ゼニ
「……あるじゃん! しかも現代のJIS高規格品だから、純度も不純物の少なさも昭和の比じゃないぞ!」
41億ゼニを抱える浩平にとって、数百万ゼニの資材など小銭同然であった。
浩平はまず適合テスト用として、各種資材を少量ずつカートへ放り込み、即座に購入を確定させた。
カチッ。
「行きますよ」
浩平がアバターの視界へ戻り、目の前の空きスペースへ視線を向けてトリガーを引いた。
ドォォォンッ!! ドスッ、ドスンッ!
突如として、何もないコンクリートの床の上に、青光りする真新しい特殊鋼の巨大なインゴットの山と、眩い黄金色に輝く真鍮の棒材束、そして真新しい耐薬品塗装が施された緑色のケミカルドラム缶十数本が、地響きを立てて出現した。
「なっ……!?」
技術大佐は転がるようにインゴットへ駆け寄り、素手でその冷たい鋼鉄の表面を撫で回した。
さらに、ドラム缶のラベルに印字された『HNO₃ 98.0% MIN』の化学式と純度表示を目にした瞬間、大佐の目から大粒の涙がボロボロと溢れ出した。
「す……素晴らしい……! なんという均質さ、なんという滑らかな肌だ……! 巣が一つもない、完全無欠のクロムモリブデン鋼だ! しかもこの真鍮……歪み一つない精密引抜材ではないか! 濃硝酸も……これほどの純度のものが、こんな真新しいドラム缶に満載されて……!」
工場長もまた、震える手でドラム缶を抱きしめ、浩平に向かって床に額を擦り付けるようにして平伏した。
「あ、ありがとうございます……! ありがとうございます、監視者様……! これだけの材料があれば、滞っていた高射砲の砲身改修も、信管の増産も直ちに再開できます! 工員が……我が廠の誇りが救われました!」
浩平は手を振って、慌てて二人を立たせようとした。
「頭を上げてください! まずはそれが工場の機械に適合するか、実際に加工して調べてみてください。もし問題なく使えるようなら、後でもっと大量に発注して納入しますから」
「は、ははぁーっ!! 直ちに試作・分析班を総動員いたします!」
熱狂と涙に包まれる現場を見届け、浩平は阿南陸相に向き直った。
「では、阿南陸相。ここで預かった武器弾薬は、直ちに樺太の誠一郎たちのもとへ転送します。……この依代も一旦回収しますので、相模造兵廠での回収、後ほどまたよろしくお願いいたします」
「うむ! 大義であった、浩平殿! 樺太の同胞を、何卒よろしく頼む!」
阿南陸相が直立不動で、力強い敬礼を捧げた。
浩平はコントローラーのシステムボタンを長押しし、VRモードから退出した。
シュン……。
次の瞬間、阿南や工場長たちの眼前から、深緑の軍服を着た黒縁メガネの青年――浩平の姿が、陽炎のように掻き消えた。
浩平がいなくなった倉庫の中、残された資材の山を見つめ、茫然と立ち尽くしていた工場長が、震える声で呟いた。
「あ、阿南閣下……。我らは……我らは誠に、神仏をこの目で拝したのでしょうか……」
阿南陸相は軍帽を被り直し、腕を組んで、浩平が消え去った虚空を見据えながら、誇らしげにカラカラと笑った。
「まあ……ああいう御方だ。お前たちには神仏に見えるかもしれんがな。……私から見れば、浩平殿は誰よりも血の通った、義理人情に厚い立派な『人間』だよ」
阿南は踵を返し、力強い軍靴の音を響かせて歩き出した。
「さあ、次は相模だ! 畑元帥が待っておられるぞ!」
昭和二十年八月五日、午前7時45分。
帝都の造兵廠から吸い上げられた莫大な火力が、オホーツクの冷たい風が吹き荒れる最前線・樺太へと向けて、静かに用意されていた。
お待たせしました
今回は半分以上はVRアバターの話になりますが…物語需要かつ都合主義を妥協したくないのでできるだけリアルによせて書きました
次の話、この日(1945/8/5)の昼までは樺太の話になると思います




