1945年8月5日 運命の夜明け前
この作品はフィクションです、実在の人物や団体などとは関係ありません。
◇◇◇
運命の八月五日
◇◇◇
1945年8月5日、午前0時00分。現代――浩平の自室。
日付が「8月5日」へと切り替わった瞬間であった。
現代の自室でモニターを凝視していた浩平の視界に、目も眩むような光のシャワーとともに膨大なシステムログが雪崩れ込んできた。
【条件達成】
『蓄積された膨大な因果律の変動を検知。
ゲーム内で関わった人数が累計670,000人を突破しました。
プレイヤーレベルが『55』へと急上昇しました!』
視界の右端で、レベルアップとボーナスのポップアップが凄まじい速度でスタックされていく。
『・LV48ボーナス(200,000人達成): +200,000,000 ゼニ
・LV49ボーナス(250,000人達成): +250,000,000 ゼニ
・LV50ボーナス(300,000人達成): +300,000,000 ゼニ
・LV51ボーナス(350,000人達成): +350,000,000 ゼニ
・LV52ボーナス(400,000人達成): +400,000,000 ゼニ
・LV53ボーナス(450,000人達成): +450,000,000 ゼニ
・LV54ボーナス(500,000人達成): +500,000,000 ゼニ
・LV55ボーナス(600,000人達成): +600,000,000 ゼニ
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・デイリーログインボーナス(関与人口 670,000人 × 1,000): +670,000,000 ゼニ
【ボーナス獲得総計: 3,720,000,000 ゼニ】』
【現在のクレジット残額: 4,172,198,080 ゼニ】
「よ、四十一億……!?」
浩平は息を呑んだ。
広島二十三万人、長崎二十六万人の大避難が完了し、さらに五大都市での配給が始まったことで、関与人口のカウンターが一気に跳ね上がったのだ。国家予算規模のクレジットが、何の苦労もなく手元のデジタル口座へと蓄積されていた。
だが、ログの奔流はそれだけに留まらなかった。
【新エリア解放通知】
『キーパーソン(橘誠一郎、橘ちひろ)の北上移動に伴い、以下のエリアが探索・介入可能領域として解放されました。
・樺太『落合町』広域
・樺太『真縫村』広域
・樺太『知取町』広域
・樺太『敷香町』広域
※監視カメラ展開、物資転送、および防衛プログラムの実行権限が付与されます。』
「よし……! 誠一郎とちひろが北緯五十度線の手前まで辿り着いた証拠だ」
これで樺太の防衛線にも浩平の手が届く。
安堵の息を吐きかけた浩平の視線が、ログの最下部に刻まれた二つの『LV50到達ボーナス』の文字に釘付けになった。
【LV50到達ボーナス】
『■ 機能①:『ワールドゲートウェイ機能』
ゲーム内に転送された特定デバイスと、インベントリ空間のネットワーク間で持続的な双方向通信を確立する機能。
・通信規格:Wi-Fi 7 / 6E / 6(最大9.6Gbps)、有線LAN(10Gbps)対応
・設置上限:最大10箇所(ゲーム世界内での携行、インベントリ回収・再設置可能。電源不要)
・有効範囲:設置地点より半径1.0km(障害物による減衰なし、固定値通信)
■ 機能②:『アバター機能』
ゲーム内ショップで購入可能な『専用ヒューマノイド素体』を介し、プレイヤーが『ワールドゲートウェイ』の有効範囲(1km圏内)において自由活動を行える機能。
※マウス・ゲームパッド操作対応。ただし、6DoF VRヘッドマウントディスプレイおよび外部VRトラッカーの併用を強く推奨。』
「……な、なんだって……!?」
浩平は椅子から身を乗り出し、ディスプレイの文字列を凝視した。
◇◇◇
鏡像のヒューマノイドと揺らぐ現実
◇◇◇
浩平の頭の中で、エンジニアとしての思考回路が超高速で火花を散らした。
「ワールドゲートウェイ……!? これまでの『手紙の転送』や『録画済みタブレットの回収・再転送』みたいな疑似的な往復通信じゃない。現代のIPネットワークと、昭和二十年の世界をリアルタイムで直接結ぶ『完全なネットワークブリッジ』だと……!?」
これさえあれば、ZoomやTeamsのようなビデオ通話アプリで昭和二十年の人間とリアルタイムで顔を合わせ、遅延なしで会話ができる。
そしてもう一つの『アバター機能』――。
「アバター……? まさか、俺自身があっちの世界へ行けるっていうのか……?」
今まで画面越しに神の視点で世界を見下ろし、物資を降らせ、スクリプトを走らせてきた。顔も見せず、声すら直接届けてこなかった。
それがこの機能を使えば、生身の人間のようにあの1945年の大地を踏みしめられるというのだ。
「まるで……『いつまでも安全圏の高みの見物を決め込んでいないで、お前自身もあの時代へ姿を現せ』と、ゲームマスターから背中を突き飛ばされているみたいじゃないか……」
浩平は胸を突くような圧迫感を覚えながら、震える手でゲーム内ショップを開き、『アバター』の項目を検索した。
ポン。
画面の中央に、回転する3Dモデルがプレビュー表示された。
商品名はシンプルに【専用ヒューマノイド素体(遠隔同期型)】。価格は1,000,000ゼニ。
その姿を見た瞬間、浩平の背筋に氷水が叩き込まれた。
「……っ!? な、なんだこれ……!?」
モデルの顔。
ボサボサに伸びた黒髪、度の強い黒縁メガネ、寝不足で少し隈のできた目元、着古したグレーのパーカーに色落ちしたジーンズ。
そこに立っていたのは、紛れもない――『浩平自身』の姿であった。
「どういうことだ……!? なんで俺の姿を、このゲームが知っているんだ!?」
浩平は反射的に、PCモニターの上にクリップで留められている仕事用のWebカメラを凝視した。
テレワーク用に挿しっぱなしにしていたカメラだ。ハッキングされて顔をスキャンされたのか?
だが、浩平の視線がモデルの細部に至った時、その疑惑すら吹き飛んだ。
耳の後ろの小さなほくろ。
首筋の左側にある、幼少期にかきむしって残ったわずかな火傷の痕。
正面からWebカメラで映るはずのない、自分自身ですら合わせ鏡でしか見られない身体的特徴のすべてが、ミリ単位の狂いもなく完全無欠にテクスチャとして再現されていたのだ。
「誰が……どこから見てるんだ……?」
浩平の指先がガタガタと震え始めた。
胃の底からせり上がってくる冷たい恐怖と吐き気。
「このゲームは……何なんだ? 一体、誰が作った? これを俺にやらせているは誰なんだよ……!」
自分は本当に、ただの歴史改変シミュレーションをプレイしているだけなのか?
画面の向こうで泣き、笑い、飢えに喘ぎ、チキンを貪り食っていた二十万人、三十万人の人間たちは、本当に高度なAIが演じているだけの『NPC』なのか?
「もし……あいつらが本物の生きた人間なら……。俺は何者なんだ? 歴史を弄び、未来の知識を振りかざして……俺が救ってきたあの命たちは、本当に『命』なのか? それとも俺の自己満足のプログラムの変数に過ぎないのか……!?」
暗い自室で、浩平は両手で頭を抱え、荒い息を吐いた。
深淵を覗き込んだような底知れぬ孤独と恐怖。
だが――。
数分間、激しく乱れる呼吸を必死に抑え込み、浩平は冷え切った両手で自らの頬を強く張り飛ばした。
パァンッ!!
「……考えるのは後だ。今は立ち止まるな」
浩平はモニターを見据えた。
運命の8月6日の原爆投下まで、あと三十時間を切っている。広島の空には原爆を積んだB-29が迫り、北の樺太には赤軍の砲口が並んでいるのだ。
このゲームが神の悪戯だろうが、高度宇宙人の実験だろうが、あるいは狂人の作品だろうが、関係ない。
「画面の向こうにいる人間がAIだろうが生身だろうが……俺を信じてくれた黒田さんや藤堂中将、すずさんやさちちゃん、誠一郎やちひろがいる。あいつらを救うって決めたんだ。……システムが使えるカードを寄こしてきたなら、全部使い倒してやるだけだ」
浩平の瞳に、再びプログラマーとしての冷徹な光が戻った。
◇◇◇
黒き箱
◇◇◇
浩平はインベントリ画面を開いた。
新機能『ワールドゲートウェイ』の項目には、【現在の配置数:0 / 10】と表示されていた。
ショップから購入する消耗品ではなく、最初からインベントリに組み込まれたマスターツールであった。
「まずは、東京でテストだ……」
浩平はゲートウェイ端末の第一号――『ID:01』を選択し、配置先として帝都・東部軍司令部(第一生命ビル)の最上階、司令官執務室を指定した。
コトッ。
画面の向こう、第一生命ビルの重厚な執務室の片隅に、突如として一個の物体が出現した。
一辺が正確に20センチメートル。光を一切反射しないマットブラックの頑丈な立方体。
一面にだけ、金属シールドで保護されたRJ-45規格の有線LANポートが八個、整然と並んでいる。重量はきっちり1キログラム。
浩平がカーソルを合わせると、ステータスが表示された。
【ワールドゲートウェイ端末 ID:01】
IPアドレス: 192.168.1.1/16
Wi-Fi規格 : Wi-Fi 7 (802.11be) / WPA2-Personal
SSID : world_ap_01
暗号化キー: save_hiroshima
接続数 : Wi-Fi (0/255) / LAN (0/8)
属性 : 【破壊不可オブジェクト(インベントリ回収・移動のみ可能)】
「破壊不可……。世界の物理法則の外側にある、正真正銘のチートアイテムだな」
深夜零時を回っているというのに、執務室の中では畑俊六元帥、阿南惟幾陸相、そして田中静壱大将の三名が、軍服を着崩すこともなく、机の上に広げられた極秘書類を囲んで張り詰めた議論を交わしていた。
数時間後の8月5日未明――スイスおよびスウェーデンの中立国公使館を通じ、ポツダム宣言受諾の打電が行われる。日本の命運を左右する歴史的転換点の直前であり、眠れるはずもなかった。
三人は部屋の隅に突如出現した謎の黒い立方体に一瞬ぎょっとした視線を向けたが、天の監視者の仕業と察し、息を呑んで見守っている。
浩平は即座にショップを開き、最新型のハイエンドタブレット(100,000ゼニ)を十台購入した。
以前、長崎の黒田や広島の藤堂に配った安価なエントリーモデルとは異なり、高画質カメラや高精細有機ELディスプレイと大容量バッテリーを搭載したフラッグシップ機である。
浩平はインベントリ内でタブレットをセットアップした。
ゲートウェイのWi-Fi設定を登録し、オープンソースのP2P高画質ビデオ通話アプリと、暗号化ファイル共有ソフトをプリインストールする。
「転送!」
1台のタブレットが、第一生命ビルの大理石のテーブルの上へとテレポートした。
手元のコンソールからターミナルを叩き、pingを打つ。
『kouhei@hiroshima1945:~$ ping 192.168.1.2
64 bytes from 192.168.1.2: icmp_seq=1 ttl=64 time=0.842 ms
64 bytes from 192.168.1.2: icmp_seq=2 ttl=64 time=0.791 ms』
「通った……! レイテンシ1ミリ秒未満。完全なローカルギガビット通信だ!」
浩平は懸念していたDHCPのリース問題を確認したが、デバイスのMACアドレスが保持される限り、物理的に同一端末であればIPアドレスは固定される仕様のようだった。
念のため、浩平は転送したタブレットのブラウザから、現代のYahoo!やGoogleを開こうと試みた。
だが、画面には「DNSサーバーが見つかりません」と表示された。
「なるほどな……。あくまで『昭和20年の現場』と『ゲーム内インベントリのネットワーク』の間でローカルLANが組まれているだけで、俺のPC側で外部インターネットへのルーティング(NAT/VPN)を許可しない限り、現代のWeb世界へは抜けられない仕様か…」
浩平は安堵の息を吐いた。
「これでいい。昭和二十年の人間に、今すぐ現代のインターネットを無制限に開放するのは劇薬すぎる。手続きと情報の統制は、俺の手元で管理しなきゃいけない」
◇◇◇
残る問題は、『アバター機能』であった。
ショップに並ぶ自分自身の肉体。
これを使ってあちらの世界へ降り立つためには、6DoF(六自由度)のVRヘッドマウントディスプレイと、全身の動きを捉える外部VRトラッカーが必須となる。
浩平の手元にあるのは、学生時代に買った旧世代のPlayStation VRのみ。PCへの非公式ドライバを当てて無理やり動かすことはできるが、解像度は低く、トラッキング精度はガタガタで、指先の動きなど到底拾えない。
「……買うしかないか」
浩平はPCの通常ブラウザを開き、現実世界の淀屋橋カメラのサイトへアクセスした。
以前、呉の市民を救うために追加課金して以来、久しぶりの「現実の金」の支出であった。
HTC VIVE Pro 2 フルセット(高解像度5Kディスプレイ/ベースステーション2.0付属): 約160,000円
VIVEトラッカー(3.0)× 3個(腰・両足用): 約45,000円
【現実決済総額:約205,000円】
「即日エクスプレス配送……今日の午前中には届くはずだ」
購入ボタンをクリックし、浩平はクレジットカードの引き落とし通知を見つめた。
懐は痛むが、41億ゼニもの仮想マネーを動かしている今、現実の20万円など惜しむべきですらなかった。
「機材が届くまでの間に、インフラを完璧に整えておくぞ」
浩平はキーボードを叩き、新設された『ワールドゲートウェイ・ネットワーク』のアカウント管理画面に、これから通話と情報共有を行う主要人物たちのプロフィールを次々と登録していった。
USER 10: 橘誠一郎 少佐(樺太・敷香前線)
USER 09: 橘ちひろ(樺太・恵須取方面)
USER 08: 黒田全権勅使・陸軍中将(長崎)
USER 07: 黒田けいこ(広島・武田山)
USER 06: 藤堂洋治 代理司令・陸軍中将(広島・武田山)
USER 05: すず(広島・武田山)
USER 04: 畑俊六 元帥(帝都・東部軍)
USER 03: 阿南惟幾 陸相(帝都)
USER 02: 田中静壱 東部軍司令官・陸軍大将(帝都)
USER 01: 昭和天皇 裕仁陛下(皇居・御文庫)(USER 02/03/04/06/08ののみから通信可)
「……とんでもない電話帳が出来上がったな」
歴史の教科書に太字で載るような最高指導者たちの名前が、P2P通話アプリの連絡先リストに並んでいた。
さらに浩平は、インベントリのゲーム開発環境から、各タブレットへ直接画像やドキュメントをプッシュ送信できる共有ストレージ(NAS)を構築。高解像度の偵察衛星写真、敵機迎撃レーダーのリアルタイムマップ、そして作戦指示書を、一瞬で全員の端末へ一斉同報できる体制を完成させた。
モニターの時計は、午前1時30分を回っていた。
帝都では、大本営による歴史的なポツダム宣言受諾の打電準備が大詰めを迎え。
北の樺太では、誠一郎とちひろが短い眠りの中で運命の夜明けを待ち。
そして西の広島と長崎では、五十万の民が夜空の下で安らかに息づいていた。
神の通信網を握りしめた浩平は、赤く充血した目で、暗闇の奥にある「8月5日」の地平を見据えていた。
【現在のクレジット残額:4,171,198,080ゼニ(タブレット10台購入分差引)】
◇◇◇
日本を行き渡る監視眼
◇◇◇
1945年8月5日、午前1時40分。帝都・東部軍司令部(第一生命ビル)。
浩平は自室のコンソールから、セットアップを終えた最新型の業務用ハイエンドタブレット3台を、第一生命ビルの最上階執務室へと転送した。
それと引き換えに、机の上に置かれていた旧型のタブレット三台が淡い光とともに消滅し、浩平のインベントリへと回収される。
大理石の机の上に現れたのは、漆黒のガラスパネルが美しく光を反射する、薄型で堅牢な真新しい端末であった。添えられたメモには、浩平の整ったフォントが印字されていた。
『こちらのタブレットは新機能を備えた最新機です。時間を置かぬ即時通話が可能となり、遠方に設置した撮影機の映像をリアルタイムで見ることもできます。 ――監視者 浩平』
浩平は続けざまに、ゲーム内の『検索機能』を走らせた。
広島の武田山で眠る藤堂中将、長崎・矢上の黒田中将、そして北の敷香の旅館「北海館」でちひろと身を寄せ合って眠る橘誠一郎――。
全員が深い眠りについていることを確認した浩平は、彼らの枕元や執務机にある旧端末を、同じ説明メモを添えて新型ハイエンド機へと静かに置き換えていった。
唯一、皇居の昭和天皇陛下の手元にある端末だけは、別格の扱いとした。
いくらゲーム画面とはいえ、一国の君主の寝室にFPVカメラの視点を潜り込ませるなど、現代日本人としての浩平の倫理観が許さなかった。そのため、旧端末は回収せず、陛下が日中に執務を行う御文庫附属室の黒檀の机の上に、恭しく新しいタブレットと充電器、そして丁寧な奏上文を添えて配置するに留めた。
さらに浩平は、インベントリから『ワールドゲートウェイ・キューブ』を取り出し、各地の最重要拠点へと展開した。
皇居・吹上御苑の樹林高台
東部軍司令部(第一生命ビル)屋上
広島・武田山北麓野営地・通信高台
長崎・東長崎(矢上)山沿いの送電鉄塔脇
樺太・敷香町役場本庁舎・望楼屋上
それぞれの地点に、破壊不能の黒い立方体とともに、小型太陽光発電パネルと大容量リチウムイオン蓄電池を内蔵した高精細PTZネットワークカメラ(赤外線暗視仕様)を設置した。
第一生命ビルの執務室では、阿南惟幾陸相、田中静壱大将、畑俊六元帥の三名が、息を呑んで新型タブレットの画面を見つめていた。
画面上には、見慣れないアイコンが整然と並んでいた。
阿南陸相が太い指先で、画面中央に配置された『各地映像』と記されたカメラのアイコンを恐る恐るタップした。
ピピッ。
瞬時に画面が四分割され、暗闇の彼方の光景が映し出された。
真夜中のため映像はモノクロの赤外線暗視モードであったが、その解像度は信じがたいほどに鮮明であった。
「……おお……ッ!」
田中大将が思わず身を乗り出し、眼鏡の奥の目を丸くした。
左上の画面には、広島・武田山の北麓が映っていた。
安川のせせらぎに沿って整然と並ぶ無数のドーム型テント。その合間を、配られたばかりのLEDランタンの残り火が蛍のように微かに照らし、巡回する警備兵が息災に歩いている姿がはっきりと見て取れる。
右上の画面は、長崎・矢上の野営地。
八郎川沿いに一直線に並んだシャワーテント群と、日見峠を越えて安らかに眠る十二万人の避難民の息遣い。
左下の画面には、最北の地――樺太・敷香駅の構内が映し出されていた。
オホーツクの海霧が漂う中、満載された物資の木箱とドラム缶を背負った蒸気機関車が、静かに朝の出撃を待っている。
そして右下には、彼らの足元――皇居の濠と、静寂に沈む帝都の街並み。
「千里、万里を隔てた帝国の山河が……今この瞬間、この掌の上で動いておる……」
畑元帥が震える声で呟き、額に手を当てた。
電話線すら途絶えがちな戦時下において、全国の状況を手に取るように一望できるこの「各地映像」。神の領域としか言いようのない技術力に、三人の歴戦の将軍は深い畏怖を禁じ得なかった。
◇◇◇
未然を防ぐ阿南の決断
◇◇◇
タブレットの画面を見つめていた阿南陸相は、ふっと息を吐き、静かに電源ボタンを押して画面を暗転させた。
その無骨な顔には、陸軍の最高責任者としての厳格な決意が刻まれていた。
「しかし、監視者・浩平殿……。ご存知の通り、今日は仕事が多いぞ」
阿南は部屋の虚空――見えない浩平のFPVカメラがあるはずの天井へ向けて、低く太い声で語りかけた。
「まずは浩平殿が教えてくれた、ポツダム宣言受諾に先立ち、我々が絶対に回避せねばならん『浩平殿の歴史にある宮城事件』の再来を未然に防ぐ必要がある。……近衛第一師団長の森赳中将閣下にも、すでに話は通してある。あやつが凶刃に倒れるような筋書きは、我が手で叩き折ってくれるわ」
阿南は軍帽を手に取り、ぐっと目深に被った。
「向こうは鈴木(貫太郎)首相や東郷(茂徳)外相の戦場だ。だが……我々軍人には、我々の果たすべき戦場がある。田中、行くぞ」
呼びかけられた東部軍司令官・田中静壱大将は、背筋をピンと伸ばし、軍刀の柄に手をかけて重々しく頷いた。
「ハッ! 東部軍の総力を挙げ、一兵の暴走も許しませぬ!」
史実において、1945年8月14日夜から15日未明にかけて発生した『宮城事件』。
陸軍省軍務局の畑中健二少佐、椎崎二郎中佐、航空士官学校の上原重太郎大尉らは、終戦を阻止すべく近衛第一師団司令部へ乱入し、降伏を説く森赳師団長を惨殺。偽の師団命令を発して皇居を占拠し、玉音放送用の録音盤を奪おうと狂乱のクーデターを引き起こした。
浩平から提供された未来の歴史資料により、阿南と田中、そして当の森師団長は、その事件の全貌と首謀者の名を完全に把握していた。
なお、史実上の首謀者の一人の古賀秀正は既にこの世界線の731クーデター未遂で逮捕された
この世界線では、本日8月5日の早朝に、スイスおよびスウェーデンの中立国公使館を経由してポツダム宣言受諾の電報が連合国へ打電される。
受諾の事実が外電や通信傍受で軍内部に漏れ伝わった瞬間、本土決戦を狂信的に叫ぶ青年将校たちが、史実よりも十日も早く暴発することは火を見るより明らかであった。
終戦を完遂するためには、彼らが「皇居」「放送設備」「近衛師団」に物理的にアクセスできる状況そのものを、今夜のうちに完全に封殺しなければならない。
だが、阿南の胸中には一つの強い矜持があった。
(あやつらは……まだ何も罪を犯してはおらん)
「お前たちは未来で反乱を起こすから」などという理由で逮捕することは法的に不可能であり、下手に「思想犯」として憲兵隊に投獄・処刑すれば、陸軍内部の主戦派を過激に刺激し、かえって大規模な蜂起を誘発しかねない。
ゆえに阿南が下した決断は、法と軍令の枠内で行う『終戦処理に伴う緊急人事異動』であった。
【対象者への特別人事発令】
■ 陸軍省軍務局課員・畑中健二 少佐
➔ 軍務局の実務ポスト解任。阿南陸相直轄「軍務局臨時整理員」へ異動。
➔ 兵力動員・軍用通信・公用武器へのアクセス権限を完全剥奪。
➔ 陸軍省中枢、宮城、近衛師団管区への立入禁止。
➔ 自宅待命(東部軍憲兵による24時間警護=実質軟禁)。
■ 陸軍省軍務局課員・椎崎二郎 中佐
➔ 軍事課員の実務解任。部隊指揮権・通信権の即時遮断。
➔ 自宅待命(実質軟禁)。
■ 航空士官学校・上原重太郎 大尉、他関与将校数名
➔ 即日をもって東部軍管区外「仙台・東北軍管区臨時兵站整理隊」へ転属・即時出向。
➔ 終戦処理完了まで同地にて軟禁待機。
名目はあくまで「終戦処理のための事務整理」「軍紀維持のため、激越な対立を招く将校の要職解任」「命令系統の混乱防止」である。
免官や懲罰除隊ではないため、軍人としての身分も給与も維持され、家族への物資配給もそのまま保証される。
「国を想うあまりの暴発とはいえ、狂気で国を滅ぼさせるわけにはいかん。だが……泥棒や反逆者の汚名を着せて殺すのではなく、牙だけを抜き、生きて敗戦の現実を見届けさせるのが、陸軍大臣としての我が最後の慈悲だ」
阿南の呟きに、田中大将は深々と頭を下げた。
◇◇◇
午前二時の人事発令
◇◇◇
1945年8月5日、午前2時30分。東京・牛込区(現・新宿区)市谷加賀町。
漆黒の闇に包まれた住宅街の路地に、ヘッドライトを消した三台の軍用トラックと二台のくろがね四起が滑り込んだ。
車から降り立ったのは、田中静壱大将自らが率いる、東部軍司令部付の特別警衛隊と憲兵隊、計三十名であった。全員が実弾を装填した歩兵銃と拳銃を携行しているが、その動きは徹底的に隠密であった。
目標は、木造二階建ての将校宿舎――畑中健二陸軍少佐の居室である。
室内では、電灯に黒い防空覆いをかけた薄暗がりの中、畑中少佐が軍服姿のまま机に向かい、血走った目で書類を睨みつけていた。
その胸中は、ここ数日の間に帝都を覆い始めた「不穏な空気」への激しい焦燥と憤怒で煮え滾っていた。
(おかしい……何かが狂っている!)
畑中は爪を噛んだ。
昨日から今朝にかけて、大宮や浦和、川口、そして都内の配給所に、突如として山のような純白の精米、小麦粉、砂糖が運び込まれ、市民たちに無償で配られたという報告が入っていた。
(あの物資は一体どこから湧いたのだ!? 本土決戦において、一億国民が最後の一兵まで戦い抜くための神聖な備蓄物資ではなかったのか!? なぜ大本営はあれを勝手に放出したのだ!? まさか……阿南閣下や腰抜けの重臣どもは、国民に腹を満たさせ、戦意を削ぎ、米英の軍門に無条件降伏する算段を進めているのではないか……!?)
確たる証拠はない。しかし、陸軍省内部に漂う講和の気配と、物資の異常な氾濫。
畑中の過激な選民思想は、それを「国賊どもの裏切り」と直感していた。
(許せん……! もし上層部が国を売ろうというのなら、たとえ閣下に弓を引いてでも、近衛師団を動かして宮城を占拠し、徹底抗戦の聖断を仰がねばならん……!)
畑中が引き出しの中の南部十四年式拳銃に手を伸ばしかけた、その時であった。
トントントン。
静かな、しかし芯の通ったノックの音が、夜の静寂を破った。
「誰だ!」
畑中が警戒して立ち上がり、拳銃のグリップを握った。
引き戸の向こうから返ってきたのは、よく通る重厚な老将の声であった。
「東部軍司令官、田中静壱である。畑中少佐、開けられよ」
「……ッ!? た、田中大将閣下!?」
畑中の全身が凍りついた。
なぜ、帝都の防衛を一手に握る東部軍の最高司令官が、こんな深夜二時に一介の少佐の宿舎に直接現れるのか。
畑中が恐る恐る引き戸を開けた瞬間――。
サッ、と左右から音もなく踏み込んできた四名の体躯の大きな憲兵が、畑中の両腕を瞬時に固め、机の上の拳銃を鮮やかに手中に収めた。
「な……貴様ら、何をするッ! 離せ! 私は陸軍省軍務局の――」
「静かにせよ、畑中」
威厳に満ちた声とともに部屋に入ってきた田中大将が、鋭い眼光で畑中を射すくめた。
その後ろには、憲兵隊長が直立不動で控えている。
田中大将は軍刀の鐺を畳にトンと突き、内ポケットから阿南陸相の直筆署名と陸軍省印が捺された一枚の辞令書を取り出した。
「陸軍省軍務局課員・畑中健二少佐。陸軍大臣・阿南惟幾閣下よりの緊急人事発令を伝達する」
田中大将は感情を交えず、淡々と読み上げた。
「『本日付をもって、軍務局課員の任を解く。阿南陸相直轄・軍務局臨時整理員を命ず。以後の命令あるまで、自宅において待命とする』……以上である」
「な……人事異動……!? 自宅待命だと!?」
畑中は目を剥き、激昂して唾を飛ばした。
「馬鹿なッ! なぜこの決戦の秋に、私が要職を解かれねばならんのですか! 私は皇国のために――」
「貴様のその過剰な熱情が、軍の統帥を乱すと判断されたのだ」
田中大将は冷徹に言い放った。
「理由を問うことは許さん。これは陸軍大臣の正式なる軍令である。貴様の部屋にあるすべての公文書、通信機、武器弾薬は東部軍が一時保管する。また、敷地外への外出、外部との面会・通信は一切禁ずる。……外を見よ」
田中が顎をしゃくると、窓の外の路地には、銃を着剣した東部軍の兵士たちが宿舎を二重三重に包囲していた。
「……罠か……! 貴様ら、最初から我らの動きを察知して……!」
畑中は悔しさに奥歯を噛み砕かんばかりに震え、涙を流して田中を睨みつけた。
「田中閣下! 貴方様も国を売るおつもりか! 街に溢れるあの物資は何だ! 敵に降伏するための手土産か!? 我ら純忠の士を軟禁し、無条件降伏の道を歩むというのかッ!!」
田中大将は一瞬だけ目を伏せ、それから静かに、重い口を開いた。
「畑中。民に飢えを忍ばせ、焦土の上で滅びることだけが忠義ではない。……生きよ。生きて、この国の行く末をその目で見届けるのだ」
田中大将はそれ以上言葉を交わすことなく、身を翻した。
「憲兵、警衛隊! 畑中少佐の身柄と居室を厳重に保全せよ! 髪の毛一本、外へ出すな!」
「ハッ!!」
畑中健二が絶叫し、畳を叩く声を背に、田中大将は夜の闇へと歩み去った。
同じ時刻――。
市谷の官舎にいた椎崎二郎中佐、そして航空士官学校宿舎にいた上原重太郎大尉のもとにも、東部軍の特別部隊が同時突入していた。
誰一人として武器を抜く隙すら与えられず、通信網を寸断され、彼らは自室に軟禁されるか、直ちに仙台行きの密閉軍用車へと押し込まれていった。
流血は一滴もなかった。
怒号と涙の中、帝都を灰燼に帰すはずだった「宮城事件」の暗雲は、歴史の表舞台に現れることすら許されず、午前3時前の闇の中へと完全に消し去られたのであった。
第一生命ビルの屋上からその様子を暗視カメラで見届けていた浩平は、キーボードの前で深く、長い息を吐き出した。
「……防いだぞ。これで、帝都の内乱フラグは完全に折った」
運命の8月5日の夜明けまで、あと2時間。
平和への歯車が、歴史の奔流を押し戻しながら、力強く噛み合おうとしていた。
【現在のクレジット残額:4,171,198,080ゼニ】
【ゲーム内で関わった人数:約670,000人】
お待たせいたしました。
8月5日は時間順で描写シーンを描く為、まずは東京からスタートです
ポツダム宣言受諾の話も早く書きたいと思いますので、金曜日あたりにもう一回投稿する可能性があります…空き時間次第ですが…




