1945年8月4日 避難完了
この作品はフィクションです、実在の人物や団体などとは関係ありません。
【現在のクレジット残額:906,348,080ゼニ】
【ゲーム内で関わった人数:約380,000人】
1945年8月4日、午後5時00分。
総軍司令部の応接待機室で、救出されたけいこ夫人と子供たち、そしてすずとさちが温かい麦茶を口にし、ようやく安堵の表情を取り戻した頃。
現代の自室にいる浩平のPC画面に、鮮やかなエメラルドグリーンの光彩とともに、重厚なシステムファンファーレが鳴り響いた。
【システム通知】
条件(各地での物資受領・配給開始)が満たされたため、以下のマップが解放されました。
監視カメラ展開・物資転送・プログラム実行権限が付与されます。
・名古屋市広域(東海道中枢・軍需工業地帯)
・埼玉県南部広域(大宮市・浦和市・川口市):8/3夜半着、8/4早朝配給開始
・静岡市・浜松市広域:大空襲被災都市・東海道沿線兵站維持拠点
・長野市・松本市広域:大本営地下壕建設地(松代)および都内疎開児童集積地
・仙台市広域(宮城):7/10仙台空襲被災都市
「よし……! 順調に解放拠点が広がっているぞ!」
浩平は拳を握りしめた。
各地の支援組織や鉄道網を介して浩平の物資が行き渡ったことで、ゲームシステムが「介入可能エリア」として認識したのだ。
浩平にとって、日本全国への物資供給は飢餓に苦しむ国民を救う人道支援であると同時に、極めて重大な戦略的意味を持っていた。マップが解放されれば、その上空にリアルタイムの監視を展開でき、浩平が開発した迎撃プログラムや自動検知コードを走らせて、都市そのものを空襲から防衛する「絶対防空圏」を構築できるからだ。
「このペースなら、明日には関西圏や秋田、青森といった日本海側・東北北部まで一気にカバーできるな……」
浩平は電卓ツールを叩き、新解放エリアの人口と食糧コストを弾き出した。一人が一週間に消費する基礎食糧(米・粉・糖・缶詰など)を900ゼニとして試算する。
名古屋市広域: 約1,000,000人(空襲被災と疎開を考慮した残存・周辺人口) ➔ 900,000,000ゼニ
大宮・浦和・川口広域: 約350,000人(都内からの避難者流入) ➔ 315,000,000ゼニ
静岡・浜松広域: 約400,000人(東海道の交通要衝・被災市民) ➔ 360,000,000ゼニ
長野・松本広域: 約450,000人(松代工事関係者+都内学童疎開群) ➔ 405,000,000ゼニ
仙台市広域: 約300,000人(東北の拠点・焼け出された被災民) ➔ 270,000,000ゼニ
【合計人口:約2,500,000人 / 一週間食糧総額:2,250,000,000ゼニ(約22.5億ゼニ)】
浩平があらかじめPythonで組んでいた常駐バックグラウンドスクリプト――『金塊自動換金プロトコル(Auto-Gold-Liquidation)』がトリガーを検知したのだ。
[EXECUTE] 20kg金塊バー(計5本をシステム買取に出品)
[INCOME] +2,500,000,000 ゼニ 入金完了
[EXPENSE] -2,250,000,000 ゼニ(五大都市・250万人分食糧配給費用決済)
--------------------------------------------------
[BALANCE] +250,000,000 ゼニ を手持ち口座へ加算。
【御文庫附属室 金塊残数:111本(2,220kg/555億ゼニ相当)】
皇居の地下深くに眠る2.32トン(116本)のインゴットのうち、20キロの金塊バー(一本=五億ゼニ相当)が、画面上で一本、また一本と緑色の光に包まれて消滅し、デジタルクレジットへと変換されていく。
「一週間で二十二億五千万ゼニか……。手持ちのクレジット残額を上回るが、明日以降のログインボーナスや、皇居の御文庫に眠る金塊を順次換金していけば十分に回せる規模だ。何より二百五十万人分の命と都市の安全が買えるなら安いものだ」
「……よし、自動処理は完璧に回ったな」
浩平は画面に表示された最新の口座残額を見つめ、深く息を吐き出した。
五本の金塊(100キロ分/25億ゼニ相当)が換金され、都市補給の22.5億ゼニを差し引いた差額2.5億ゼニが、手持ちクレジットに綺麗に繰り入れられていた。
「かつて国民の血税と供出によって集められ、軍部が溜め込んでいた金塊が……時空を超えて、飢えに苦しむ250万人の市民の胃袋を満たす銀シャリと砂糖に姿を変えたわけだ」
もし史実通りに進めば、この金塊は敗戦の混乱の中でGHQに接収されるか、一部の利権屋の闇ルートへ消えていったはずのものだ。
それを今、まさに生命の危機に瀕している同胞を救うために使うことこそ、この富の最も正当で誇りある使途だと浩平は確信していた。
各地の駅前や軍の集積所では、今夜から明朝にかけて、浩平のシステムによって転送された何万トンもの米袋と食糧が、飢餓に喘ぐ市民たちの前へ奇跡の山となって姿を現すことになる。
◇◇◇
23万人の青きメガロポリス
◇◇◇
広島市街地では、第二総軍司令部の撤退準備が大詰めを迎えていた。
当初は翌8月5日の日中を予定していたが、柳瀬派の不穏な動きを完全に断ち切り、市民の避難を後方から確実に統制するため、藤堂中将は最小限の通信留守部隊を残し、首脳部全員を直ちに後退させる決断を下した。
将校や司令部要員、そして保護されたけいこ夫人やすずの一家は、五台のいすゞ・エルガ(大型ランプバス)へと分乗した。
(広島へ追加配備した二十五台のうち、残り二十台は呉海軍病院の前でエンジンをかけっぱなしにして、火傷患者や結核患者の『隔離冷房病室』としてフル稼働させている。患者が乗っている車はインベントリに回収できないから、燃料は高価なバイオディーゼル缶を現地で手動補給するしかない。だが、健常者ばかりのこの五台なら、途中で全員に降りてもらえれば、一瞬でインベントリに回収してタダリーズナブルな値段で軽油を満タン給油できるな)
浩平が燃費と運用の計算を巡らせる中、五台の銀色のバスは夕暮れの広島市街地を静かに発進した。
目指すは武田山の北東麓に位置する「緑井」の特別宿営地。
市中心部を離れるにつれ、舗装は途切れ、砂利とぬかるみの悪路が続いた。道幅が極端に狭まる箇所では、数名の兵士が前扉から飛び降り、旗を振って車幅と路肩のスペースを確認しながら、徐行に徐行を重ねて進んでいった。
幸いにも完全に立ち往生するような難所はなく、浩平による「空間回収・再転送」という荒技を使うこともなく、午後5時50分、五台のバスは無事に緑井の宿営本部前へと滑り込んだ。
プシューッ。
バスの扉が開き、藤堂中将が軍靴を鳴らして夕暮れの大地に降り立った。
中将の視界に飛び込んできたのは、息を呑むような光景であった。
安川のせせらぎが聞こえる広大な盆地一面に、地平の果てまで鮮やかなブルーシートとドーム型テントが幾重にも波打ち、立ち上る炊き出しの白い煙が夕焼け空を薄紫に染め上げていた。
そこへ、砂埃にまみれた武田山警備隊長が駆け寄り、直立不動で敬礼を捧げた。
「第二総軍代理司令・藤堂中将閣下! 武田山警備隊、全力を挙げて避難民の受け入れ任務を遂行中であります!」
「ご苦労である。……して、避難の現況はどうなっておるか」
警備隊長は手帳を開き、誇らしげに、しかし驚きを隠せない声で報告した。
「ハッ! 爆心予定地より半径7キロ圏内、歩行可能な市民および疎開部隊の収容数は……当初想定の二十万人を大幅に超過し、現在延べ二十三万人強に達しております! 市街地に明確な残留理由のある防空要員を除き、ほぼ全市民の脱出が完了いたしました!」
「なに……二十三万人だと!?」
藤堂中将が目を見張った。
PCのスピーカー越しにその報告を聞いていた浩平も、モニターの前で思わず声を上げた。
「ええっ!? 広島の対象人口は二十万人前後のはずじゃなかったのか……!? あ、そうか……『おにぎり5個・卵と牛乳付き・快適なテント支給』というニンジンの噂を聞きつけて、7キロ圏の外側にいた周辺の農村や工場の住民まで『避難民』として合流してきたんだな……!」
市民の飢餓感と浩平の物資の魅力が、想定以上の脱出速度と規模を生み出していたのだ。
「追い返すわけにはいかないし、むしろ一人でも多く爆心から遠ざけられたんだから結果オーライだ。……だけど、となると物資が完全に足りなくなるぞ!」
浩平は即座にショップ画面を開いた。
二十三万人(約六万世帯)の規模に合わせ、不足分のインフラを一気に買い増す。
ポータブル水洗トイレ(6,000ゼニ): 追加 8,000基 = 48,000,000ゼニ
充電式高輝度LEDランタン(暖色・持続8時間/500ゼニ): 60,000個 = 30,000,000ゼニ
【購入小計:78,000,000ゼニ】
LEDランタンはインベントリ内で『一括充電』のアイコンをクリックし、一瞬で全6万個を満充電にした。使い捨ての乾電池を数十万本買うよりも、翌朝回収して浩平が一括充電する方が圧倒的に安上がりでエコであった。
だが、トイレと明かりを手配した浩平の前に、さらなる難問が立ちはだかった。
「……お風呂だ。こればかりは、どうする……?」
真夏の30度を超える炎天下の中、重い荷物を背負って10キロ以上の道のりを歩いてきた23万人の市民たち。体中が汗と砂埃にまみれている。
現代のキャンプ用プールを調べたが、FRP大型プール(10m×20m)を置いたところで、二十万人もの人間を浸からせるには何百個あっても足りず、目隠しの衝立や衛生管理、お湯の入れ替えで破綻するのは目に見えていた。
「風呂に入れないと、明日にも『一度家に帰って風呂に入りたい』って市街地へ戻り出す人が絶対に出てくる……。そうなったら逆戻りだ。屋外用シャワーユニットは……一基10万ゼニ? 高すぎるな。要は、人目を遮る壁があって、頭の上からお湯が降ってくればいいんだ」
技術者としての浩平のDIY精神に火がついた。浩平はゲームの購入品組み合わせ機能を開き、安価な既製品をインベントリ内で組み合わせて新レシピを創り出した。
頑丈な遮光ガレージテント(6m × 3m × 高さ2.75m/目隠しカーテン付き): 30,000ゼニ
防滴LED吊り下げランタン × 4個: 2,000ゼニ
500Lタンク(40℃温水・自動回収補填スクリプト搭載)× 6基: 90,000ゼニ
手押し式アウトドアシャワーポンプ & ヘッド × 6組: 9,000ゼニ
【レシピ名:『6人用シャワースペース』 / 一基あたり単価:131,000ゼニ】
「これなら六人が同時に個別カーテンで仕切られてシャワーを浴びられる。一人が体を洗うのに10分間として、午後七時から夜十二時までの五時間運用で、一基あたり180人が使える。23万人を捌くには……約1300セットが必要か!」
6人用シャワースペース(131,000ゼニ)× 1,300棟 = 170,300,000ゼニ
業務用純植物性固形石鹸(1個50ゼニ)× 230,000個 = 11,500,000ゼニ
吸水速乾マイクロファイバーバスタオル(1枚250ゼニ)× 230,000枚 = 57,500,000ゼニ
【生活衛生用品・購入総額:239,300,000ゼニ】
「問題は排水だ。石鹸水を畑地や山林に垂れ流せば農家の土地はダメージを与える。……安川の広大な河川敷、水流のすぐ脇に一直線に並べるしかないな!」
浩平はタブレット経由で藤堂中将へ連絡し、河川敷の利用区画を即座に取り決めた。
ガレージテントは誤認を防ぐため、青色は男性用、赤色は女性用と外装色を明確に分けた。
◇◇◇
河川敷の即席シャワー大作戦
◇◇◇
午後6時30分。武田山北麓・安川河畔。
とっぷりと日が暮れかかり、山あいに夜の帳が下りようとしていた。
三千名の武田山警備隊員たちが、メガホンと拡声器を片手に、23万人がひしめくテント村の各通路を駆け巡った。
「避難民の皆様に告ぐ! これより、夜間の生活必需品の配給を開始する! 各世帯の代表者は、通路の配給所前へ整列されたし!」
市民たちの視線が通路の兵士たちへ集まった、その瞬間であった。
薄暗くなった安川の河川敷――視界の届く限りの川沿いの砂利道に、突如として夜の静寂を切り裂くような空間の歪みが生じた。
ズズズズズズズズ――――――ッ!!
地鳴りのような低音とともに、何もない河原の上に、青と赤の巨大なガレージテントが、まるで巨大な長城のように一直線に千三百棟、整然と並び立って出現したのだ。
「な……なんだありゃあ!?」
「天幕の家が……川沿いにずらりと生えてきたぞ!?」
市民たちからどよめきが上がったが、兵士たちは動じることなく、浩平から転送された物資を次々と市民の手へ手渡していった。
「ほら、お父さん! これが夜の明かりだ。上のボタンを押せば太陽のように光るぞ!」
「一人に一つ、純白の石鹸と新品の大きなタオルだ! 家族全員分持って行け!」
配られたのは、驚くほど軽くて明るい充電式LEDランタン、豊かな泡立ちの真新しい石鹸、そしてふかふかの吸水バスタオルであった。
「皆さん、川沿いに並んだ青と赤の天幕を見るんだ! あれは天の監視者様が設営してくださった『温水シャワールーム』だ! 中には熱い湯が出る管が備え付けられている!」
兵士たちが声を張り上げて利用規則を説明した。
「到着時に配った整理札の番号順に案内する! 一人十分間! 所定の時間になったら、男は青い天幕、女子供は赤い天幕へ向かえ! 川での勝手な水浴びや排泄は厳禁である! 体を綺麗に洗って、今夜はゆっくり休んでくれ!」
「お……お湯のシャワーだと……!?」
「こんな山奥で、体をお湯で洗えるのかい!?」
汗みどろになって埃まみれだった避難民たちから、歓喜の叫びが沸き起こった。
◇◇◇
武田山の夜照と家族の温もり
◇◇◇
午後7時30分。
武田山北麓の盆地は、息を呑むほど幻想的な光景に包まれていた。
漆黒の闇に沈む山あいに、六万張りを超えるドーム型テントの内側から、ぽっと温かい山吹色のLEDランタンの明かりが灯っていた。まるで無数の提灯が平野を埋め尽くしているかのような、温もりある光の海が広がっている。
紙屋町から避難してきた佐藤健司の一家のテントでも、中央のフックに吊るされたLEDランタンが、室内を昼間のように明るく照らし出していた。
テントの入り口が開き、さっぱりとした顔の長男・勇と長女・幸子を連れて、妻の節子が戻ってきた。手には湿ったバスタオルが握られている。
「ただいま、お父さん! 順番が来て、子供たちと赤い天幕へ行ってまいりましたよ!」
「おお、どうだった?」
健司が上半身を起こすと、節子は頬を紅潮させて興奮気味に語った。
「もう……夢のようでした! 足元のペダルをキュッキュッと踏むと、上のハス口から本当にお湯が勢いよく降ってくるんです! 石鹸も桜のような良い匂いがして、泡がモコモコと立って……子供たちの汗疹も綺麗に洗い流せました!」
「お父ちゃん、頭がすっきりして気持ちいいよ!」
「お湯が温かかったよ!」
子供たちがパジャマ代わりに着替えた清潔なシャツの袖を引っ張って笑った。
健司もまた、先ほど青いテントで浴びてきた温水シャワーの快感を思い出していた。
10キロの山道を歩き通し、全身にこびりついていた汗と砂埃が、勢いよく降り注ぐ四十度の湯によって一瞬で洗い流されたあの瞬間の、骨の髄まで解きほぐされるような至福。
健司はランタンの柔らかな光を見上げ、深く溜息をついた。
「昼の冷たいお水に銀シャリと水洗便所、そして夜には温かいお風呂にこの明るい電灯か……。一体、どこの誰がこれほどの奇跡を施してくださっているのやら……。まるで、極楽浄土に迷い込んだ気分だな」
「ええ、本当に……。あんなに恐ろしかった疎開が、こんなにありがたい夜になるなんて思ってもみませんでしたね」
節子は子供たちを薄い毛布の上に寝かせ、優しく団扇で風を送った。
隣のテントからも、清潔な体で横たわった避難民たちの安らかな寝息と、家族の穏やかな笑い声が風に乗って聞こえてくる。
現代――浩平の自室。
モニター越しに、光り輝く巨大なテント村と、シャワーを終えて笑顔で戻っていく家族たちの姿を見届けながら、浩平はメモ帳にペンを走らせていた。
「……運用自体はうまくいった。だけど、やっぱり課題はあるな」
浩平の目は、画面の端で重い足取りで歩く高齢者の姿を捉えていた。
(山側の奥まったテントから安川の河川敷まで、片道1キロ近く歩かなきゃいけない区画がある。せっかくシャワーで汗を流しても、テントに戻るまでの夜道でまた汗だくになってしまうし、足腰の弱いお年寄りには夜の長距離歩行は危なすぎるな……)
浩平はキーボードに手を置き、明日の改善策を思案した。
「明日は、テント村の各区画の間にも小型の給水スポットを分散配置するか、あるいは巡回式の『移動シャワーバス』を何台か仕立てて、奥まったエリアへ巡回させるか……。それとも、軽トラックにタンクとテントを積んだ移動ユニットを組むか……」
23万人の命を救うという前代未聞のオペレーション。
その壮大な実験の中で、浩平の思考はすでに、明日の朝を迎える避難民たちの「より良い生活」へと向けて、力強く回転を始めていた。
不条理な滅びの炎が落ちるはずだった運命の「8月6日」まで、あと――三十六時間。
【現在のクレジット残額:839,048,080ゼニ】
【ゲーム内で関わった人数:約530,000人 [new]広島避難市民23万人避難完了で+15万人】
◇◇◇
東長崎の夜と十二万人の野営地
◇◇◇
1945年8月4日、午後8時00分。長崎市東部・東長崎地区(矢上・日見)。
急峻な日見峠を越え、橘湾を望む農漁村地帯――矢上、日見、古賀、戸石の一帯に広がる広大な段々畑や平坦地には、広島の武田山北麓と同じく、青と白のドーム型テントが幾重にも立ち並んでいた。
その数、約三万張り。避難民は約十二万人に達していた。
時津方面の受け入れを谷口要塞司令官に一任した長崎全権勅使・黒田中将は、軍用車で日見峠を越えて矢上の現地本部へと合流していた。
「松浦少将、大移動の指揮、大儀であったな」
「黒田閣下! 恐縮にございます!」
迎えた松浦地区司令官は、疲労の色をにじませながらも胸を張った。
長崎南部の避難行軍は、標高250メートルの日見峠を越える過酷な山道であったが、途中に配備された給水所と冷たいORS、そして浩平が手配したランプバスによる要介護者の先行ピストン輸送が功を奏し、脱落者を出すことなく全員が峠を越え切っていた。
現場では、広島の成功事例をそのまま移植する形で、浩平からの追加インフラが矢上を流れる八郎川の河畔に展開されていた。
充電式高輝度LEDランタン(500ゼニ): 30,000個 = 15,000,000ゼニ
6人用シャワースペース(131,000ゼニ): 650棟(八郎川沿いに配置) = 85,150,000ゼニ
業務用石鹸(50ゼニ)& マイクロファイバータオル(250ゼニ): 120,000人分 = 36,000,000ゼニ
【東長崎地区・夜間衛生インフラ概算:136,150,000ゼニ】
松浦少将は、浩平から転送されてくるA4用紙の指示書を見るたびに「川沿いに天幕を並べよとはどういうことか」と目を白黒させていたが、黒田が無線で「天の監視者殿の御心である、言われた通りに配置せよ」と一喝したことで、即座に設営が完了していた。
八郎川の清流沿いにズラリと並んだ赤と青のガレージテントから、温かい湯気と石鹸の清々しい香りが立ち上り、日見峠の山越えで泥だらけになっていた避難民たちが、次々と汗を流してさっぱりとした表情でテントへと戻っていく。
長崎の夜空の下にも、広島と同じく、人々の尊厳を守る温かな光の海が広がっていた。
◇◇◇
空腹と、理系監視者の配慮
◇◇◇
しかし――午後8時を過ぎた頃から、広島の武田山でも、長崎の矢上でも、各テントの中から切実な呟きが漏れ聞こえるようになっていた。
「お父ちゃん……お腹すいたよぉ……」
「お母ちゃん、おにぎりはもう無いの……?」
夕方の炊き出しで配られたおにぎりは、すでに市民の胃袋の中へ消え去っていた。
無理もなかった。今日一日で配給された食事は、一人あたりおにぎり五個と茹で卵一個。熱量にして約1,350キロカロリーに過ぎない。
現代の自室各家庭の様子を観察していた浩平は、デスクの前で腕を組んだ。
「そうだよな……。一日中、炎天下で10キロ以上も重い荷物を背負って歩いたんだ。おにぎり数個じゃ、全然エネルギーが足りてない。それに、脂質(油分)が圧倒的に不足している」
浩平はキーボードを引き寄せ、表計算ソフトを叩いた。理系人間としての計算が頭を巡る。
『体重70kgの成人男性が10kgの荷物を背負い、起伏のある道を10km歩行した場合、移動だけで約900〜1,000kcalを激しく消費する。これに基礎代謝や生活活動を合算すれば、本日の総消費エネルギーは約2,500〜2,700kcalに達する。現行の1,350kcal配給では1000キロカロリー以上の大赤字だ』
「初日の過酷な大移動を乗り切ったんだ。市民にも、一日中走り回ってくれた警備隊の兵隊さんたちにも、ちゃんとした褒美とエネルギーを出してあげたい」
以前すずたちに送ったブラジル産鶏もも肉を思い浮かべたが、今から生肉を配っても、疲れ切った避難民に調理させるのは酷であり、夜間に炭火や焚き火を大量に起こさせるのは火災の観点からも危険すぎた。
浩平はゲーム内ショップの『調理済み惣菜』カテゴリーをスクロールし、思わず膝を打った。
【ローストチキン丸鶏(焼き上げ済みパック/1羽1.6kg/約1,500kcal):700ゼニ】
【パーティー用バケツフライドポテト(揚げたて保温仕様/1kg/約2,500kcal):500ゼニ】
「これだ……! じっくり香ばしく焼き上げられた丸鶏に、山盛りのフライドポテト! 塩気と良質な脂質、炭水化物を一気に補給できる。ポテトの入ったプラスチックバケツは、後でテント内の簡易ゴミ箱や小物入れとしても再利用できるぞ」
広島の武田山北麓(約23万人)と、東長崎の矢上(約12万人)。
避難民と警備部隊を合わせた総数は約35万人(約8万世帯)。浩平は各家庭に一羽の丸鶏と、バケツのポテトを配ることを決めた。
ローストチキン丸鶏(700ゼニ)× 80,000羽 = 56,000,000ゼニ
バケツポテト1kg(500ゼニ)× 80,000個 = 40,000,000ゼニ
【夜間特別配給・購入総額:96,000,000ゼニ】
浩平は即座に購入を確定させ、広島と長崎の炊事エリアの広場へ、保温ケースに入った何万もの黄金色の山をドスンと転送した。
続けて、藤堂中将と黒田中将のタブレットへ、自らの「弁解」とも言えるカロリー計算書を添えて通信を送った。
『藤堂中将、黒田中将。各家庭および警備兵全員へ、夜食として「鶏の丸焼き」と「揚げ馬鈴薯」を支給しました。
決して私の気まぐれな贅沢ではありません。本日、荷物を背負って行軍した市民と兵士は、通常の一日を遥かに超える2,500kcal以上を消費しており、昼の配給ではエネルギー不足に陥ります。四〜五人家族で分ければ、一人あたり約1,000kcalの緊急補充になります。炊事班や警備隊の皆様には夜遅くにお手数をおかけしますが、どうか全員へ速やかに配布してください。 ――監視者 浩平』
午後8時15分。広島・緑井宿営地 / 長崎・矢上宿営地。
緑井の本部でタブレットを読んだ藤堂中将は、「鶏の丸焼き」という文字に最初は一瞬眉をひそめた。
「戦時下の野営で、夜食に丸鶏だと……?」
しかし、続く浩平の綿密な消費カロリーの計算と、「1000kcalーの欠損」という論理的な説明を目にした瞬間、藤堂は感嘆の声を漏らして苦笑いした。
「……ふっ、一本取られたな。軍人たるもの、兵站のカロリー計算を疎かにして精神論で腹を満たそうとしてはならんということか。監視者殿の細やかな気配りには、恐れ入るばかりだ」
藤堂は傍らの副官へ力強く命じた。
「炊事班と非番の兵を総動員せよ! 今夜の特別夜食、一家族たりとも漏らさず配り届けるのだ!」
一方、長崎・矢上の本部で同じメッセージを受け取った黒田中将は、理屈を読むまでもなかった。
「監視者殿がくださるものに、間違いなどあるはずがない! ありがたく頂戴し、腹を空かせた市民へ直ちに配るべし!」
黒田の即断即決により、東西の宿営地で、前代未聞の「真夜中のごちそう配給」の幕が切って落とされた。
◇◇◇
紙屋町・佐藤一家の晩餐
◇◇◇
午後8時40分。武田山北麓・佐藤家のテント。
「お父ちゃん、やっぱり今日はおにぎり五個でおしまいなのかなあ……」
長男の勇が、ぺたんこになったお腹をさすりながら呟いていた。
シャワーを浴びて体はさっぱりしたものの、10キロの道のりを歩き通した七歳の胃袋は、激しい飢餓感を訴えていた。
父親の健司も、ゴロリと横になりながら腹を鳴らしていた。
(昼にあれだけの銀シャリと茹で卵が出たんだ。夕方の『陸軍の誠意』に期待していたんだが……さすがに贅沢を言いすぎたか。戦争中なんだ、生きて山へ逃げ出せただけでも御の字と思わなきゃな……)
健司がそう自分に言い聞かせていた、その時であった。
「こんばんは! 佐藤さんのお宅ですか!」
テントの外から、元気な兵士の声がかかった。
健司が慌ててファスナーを開けると、ヘルメットをかぶった若い輜重兵が、湯気を立てる大きな透明パックと、透明なプラスチックの大きなバケツを抱えて立っていた。
「兵隊さん、こんな夜更けに何事です?」
「監視者様より、本日の大行軍を成し遂げた全避難民への『特別夜食』の支給です! ご家族四人で召し上がってください!」
手渡されたパックを受け取った瞬間、健司の腕にずっしりとした重みが伝わってきた。
そして、包みの中から漂ってきたのは、醤油とニンニク、ハーブと香ばしい油が混ざり合った、嗅いだこともないほど暴力的に食欲を刺激する肉の匂いであった。
「な……なんじゃ、この匂いは……!?」
テントの中へ持ち込み、ランタンの明かりの下で中身をよく見た瞬間、佐藤一家の全員が息を呑んだ。
「きゃああっ……!!」
妻の節子が思わず両手で口を覆った。
そこに横たわっていたのは、こんがりと黄金色に焼き上げられた、丸ごと一羽の巨大なローストチキン(1.6kg)であった。皮の表面には艶やかな脂が滴り、芳醇な肉汁の香りがテント内いっぱいに充満する。
さらに、もう一つの透明なバケツの蓋を開けると、そこにはキツネ色にカラリと揚げられた細切りのフライドポテトが、底から縁までギッシリと1キロ分詰め込まれていた。
「お、お父ちゃん……! これ、本当にお肉なの!? 鳥さん丸ごと一羽だよ!?」
勇と幸子の目が爛々と輝いた。
健司は唾をゴクリと飲み込み、震える手で熱々のチキンのもも肉を掴み、引き裂いた。
ジュワッ!と音を立てて溢れ出す透明な脂と、純白の柔らかな肉。
「……食べるぞ! 天の監視者様がくださったごちそうだ、遠慮はいらん、腹いっぱい食え!」
健司がちぎったもも肉を頬張った瞬間、濃厚な鶏の旨味と塩気が、疲弊した舌の上で炸裂した。
「う……うまいッ!! なんだこの柔らかさは……骨の周りまで味が染みとる!」
「お母ちゃん、このお芋、カリカリしててすごく美味しい!」
子供たちは両手で山盛りのポテトを鷲掴みにし、夢中で口へ放り込んだ。塩の利いたポテトの油分が、空っぽだった胃袋を猛烈な勢いで満たしていく。
節子も胸肉を小さくちぎって口に運び、熱い涙をこぼした。
「美味しい……こんなに美味しいごちそう、生まれて初めていただきました……。お父さん、本当に……本当に陸軍の旦那方は、最高の誠意を見せてくださいましたね……」
「ああ……大したもんだよ。これなら、明日も明後日も頑張れる!」
昼の疑念は完全に消え去り、一家の顔には油にまみれた満面の笑みが咲き誇っていた。
◇◇◇
警備隊の深夜の宴
◇◇◇
午後9時20分。武田山警備隊・本部炊事エリア。
全6万世帯への配給を終え、ようやくすべての任務を完了した三千名の武田山警備隊員たち。
汗と埃にまみれ、足を引きずりながら戻ってきた兵士たちの前に、床に置いていたLEDランタンを囲むようにして、大量のローストチキンとバケツポテト、そして残っていた塩むすびがズラリと並べられた。
隊長がビールならぬ冷たいORSの入った水筒を掲げ、野太い声で叫んだ。
「野郎ども、今日一日の大任務、本当によくやり遂げた! 監視者殿より、我ら警備隊員一人ひとりにも、市民と同じ丸鶏と芋が支給されたぞ! 遠慮はいらん、今夜は腹がはち切れるまで喰らい尽くせッ!!」
「「「うおおおおおおおおっっっ!!!」」」
歓声が山あいに木霊した。
兵士たちは車座になり、熱々の丸鶏に豪快にかぶりついた。
「うめえええええっ! なんじゃこの肉は! 脂が滴り落ちてきやがる!」
「おい、芋も食ってみろ! 塩が効いてて、いくらでも腹に入るぞ!」
戦局が悪化して以来、兵営の食事といえば雑穀入りのすいとんだった若い兵士たちが、涙を流しながら骨の髄までチキンにしゃぶりついた。
昼間は重い荷物を背負わせ、不平を漏らす市民を必死になだめすかして歩かせ続けた兵士たち。その張り詰めていた神経が、暴力的なまでの美味と高カロリーによって、一瞬で解きほぐされていく。
「隊長! 明日の朝も、俺たち全員で市民をしっかり守り抜きましょうや!」
「おうよ! これだけの飯を食わせてもらって、弱音なんぞ吐けるかよ!」
焚き火の明かりに照らされた兵士たちの顔には、疲労を吹き飛ばす不屈の闘志と、仲間と共に困難を乗り越えた誇らしい笑顔が輝いていた。
現代――浩平の自室。
モニター越しに、テント村のあちこちから漏れる満足げな笑い声と、車座になってチキンを頬張る兵士たちの姿を見届けながら、浩平はホッと胸を撫で下ろした。
「よし……これで初日のカロリーの不足分は完全に補充できたな」
画面右下のステータスウィンドウが静かに更新されていた。
【現在のクレジット残額:606,898,080ゼニ】
【ゲーム内で関わった人数:約670,000人 [new]広島避難市民23万人避難完了で+15万人 長崎市民避難完了で+9万人 都市配給で+5万人】
原爆投下という破滅の運命から逃れ出た広島二十三万人、長崎二十万人。
飢えと疲労を乗り越え、人々の心に確固たる「生の温もり」が灯った昭和二十年八月四日の夜は、静かに、そして満ち足りた安らぎの中で更けていった。
運命の「8月6日」まで、あと――三十二時間。
今回はほぼ野営都市運営回です、おそらくリアルこれをやったらもっともっとトラブルが起きるでしょうか
次の日には、ポツダム宣言受諾関連の話、前橋空襲の話…たくさんイベントがありそうです
橘兄妹も8月4日の夜、樺太の上敷香に到着したはずですが、ちゃんと書きますのでご期待ください




