1945年8月4日 陰謀が現実になる時 下
この作品はフィクションです、実在の人物や団体などとは関係ありません。
【現在のクレジット残額:906,351,680ゼニ】
【ゲーム内で関わった人数:約380,000人】
◇◇◇
八本松包囲網
◇◇◇
1945年8月4日、午後3時40分。東広島・八本松街道。
真夏の西日が山影を長く伸ばし始める中、八本松の峠道へ向かう一本の砂利道を、黒塗りの日産セダンが土煙を上げて逃走していた。
現代の自室で、浩平はマルチモニターの前に張り付き、キーボードを猛烈な速度で叩いていた。
浩平の画面上には、ゲーム内の開発環境(スクリプト実行コンソール)が開かれていた。転送されたオブジェクトのインスタンスID(UUID)をメモリに保持させ、スクリプト側から「回収」と「再転送」をループ処理させる自動コードである。
数秒おきに最新のゲーム内座標をレンダリングし、敵車両を『赤』、藤堂中将が差し向けた味方の追跡車両三台を『青』の光点でプロットした縮尺五千分の一の道路付き等高線マップ。浩平はこれをカラー印刷すると、ゲーム内ショップで購入したLEDライト付きクリップボード(500ゼニ)に挟み込み、助手席へと送り込んでいた。
白昼の山道とはいえ、木陰に入れば薄暗い。クリップボード上部の高輝度白色LEDが煌々と照らす中、助手席に置かれた地図が1分ごとにパッと消えては、最新の位置関係を刻んだ真新しい地図へと勝手にすり替わる。
午後3時50分。追跡一番車(くろがね四起)の車内。
左腕に鮮やかな「青と黄色の腕帯」を巻いた藤堂中将の直属部下・神崎義則大尉は、助手席で膝の上に置かれたクリップボードを凝視し、冷汗を拭った。
「……また盤面が書き換わった。佐藤の奴、八本松の旧防空弾薬庫の分岐へ逃げ込む気だぞ」
神崎大尉が振り返ると、後部座席には軍刀と三八式歩兵銃を構えた憲兵、決死の形相で身を固めていた。
「神崎大尉殿! 敵車との距離は!?」
「1キロを切った! だがお前たち、相手は中将閣下の奥方と幼いお子方二人を盾に取っている! 突撃して乱射するような真似は絶対に許さんぞ!」
「ハッ! 車両を横付けして強制停車させ、我ら三名が即座に取り付きます!」
その時、神崎が抱えていたクリップボードの地図が再びパッと消え、更新された。
そこには驚くべきことに、別方向の農道を猛スピードで突破した味方の三番車が、すでに峠の出口側へ先回りして待ち構えている配置が示されていた。
(馬鹿な……旧式乗用車で、あの険しい山道をどうやってこれほどの速度で走破したのだ!?)
神崎大尉には知る由もなかったが、浩平が先回り車両のタンクへ直接、現代の高オクタン価ガソリンをダイレクト転送で補給していたのだ。
三台の追跡車が、佐藤少佐の車を挟み撃ちにする形で距離八百メートルまで縮まった、まさにその瞬間――。
クリップボードの地図の中央に、浩平が急遽ペイントソフトで打ち込んだ極太の赤文字が浮かび上がった。
『今から追跡対象のタイヤの空気を漏らせます』
「な……ッ!?」
神崎大尉が目を見張った。
現代の浩平は、コンソール画面で自作のPythonスクリプトを実行していた。
◇◇◇
パスン、パスンッ!
八本松の峠道を疾走していた佐藤少佐の車の足元で、乾いた破裂音が連続して響いた。
ホイールの内側から路面に向けて撃ち込まれた釘が、内側からトレッド面を正確に貫通したのだ。急激なバーストによる横転や崖下転落を避けるため、空気が「シューッ」と一定の速度で抜けていく絶妙な減速設計であった。
「な、なんだ!? 閣下、ハンドルを取られます!」
敵の運転兵が悲鳴を上げた。
「馬鹿者、構わん、踏み込めッ!」
佐藤少佐が怒鳴りつけるが、四輪すべての空気を失ったゴムタイヤはホイールから外れかけ、車体は激しくガタガタと振動しながら、砂利道の上で完全に停止してしまった。
「くそっ……! 奴ら、何をしやがった……!」
佐藤少佐が血相を変えてドアを開けようとした瞬間、前後のカーブから猛烈な土煙を上げて三台の軍用車が滑り込み、佐藤の車を完璧に包囲した。
◇◇◇
監視者の怒り
◇◇◇
「動くなッ! 第二総軍憲兵隊である!」
神崎大尉をはじめとする将校三名と憲兵三名が車を飛び出し、銃口を一斉に向けた。
運転兵は真っ青になって両手を挙げ、ハンドルに突っ伏して震え上がった。
しかし、助手席の佐藤少佐は違った。
ガチャリ、と鈍い金属音を響かせ、佐藤少佐は後部座席のけいこ夫人と子供たちを背にして身を乗り出した。
その右手には、南部十四年式拳銃が握られていた。だが異様なのは、その拳銃と右手首が、何重もの頑丈な純白の晒し布によってグルグル巻きに固く縛り付けられていたことだった。
佐藤少佐は、以前の作戦で「不可視の力で銃を弾き飛ばした」という報告を柳瀬から聞いていたのだ。銃と手を布で一体化させ、衝撃で手放さないよう対策していたのである。
佐藤少佐は銃口をけいこ夫人の胸元へ突きつけ、血走った目で包囲隊を睨みつけた。
「近づくなッ!! 一歩でも動けば、この女の頭を撃ち抜くぞ!!」
「佐藤少佐、見苦しい真似はやめろ!」神崎大尉が怒鳴る。
「黙れッ! 貴様らこそ、国賊の藤堂に魂を売ったか!」
佐藤少佐は狂ったように唾を飛ばし、天に向かって絶叫した。
「監視者とやらをここに出せッ! 俺たちの話を聞け!! 人質を取るなど武人の本意ではない! だが……貴様らが我らの崇高なる大東亜防衛の意志を無視し、無条件降伏へと国を売り渡すというのなら……俺はこの場で黒田の妻子を道連れに、玉砕する覚悟があるぞッ!!」
狂信者の瞳に、一切の理屈は通じなかった。
その様子を、カメラ越しに見つめていた浩平の胸の内で、凄まじい怒りの炎が爆発した。
「……会話したいだと? 人質を取って、子供に銃を向けておいて、よくもそんな口が利けたものだなッ!!」
浩平はキーボードを叩きつけるように立ち上がり、誰もいない自室で吐き捨てた。
「言われなくたって、君ら過激派青年将校の望みくらい分かっているよ! 私の未来や『ゲームの力』を使って、米軍の艦隊を全部沈めさせ、都合よく勝利を掴みたいんだろう!? 他力本願にも程がある! 天皇陛下の終戦の御意志すら踏みにじり、自分たちが勝手に妄想した『美しい皇国』を、全国民に無理やり押し付けているだけじゃないか!」
浩平の頭の芯が、怒りのあまり凍りつくように冷徹になっていった。
「私は別に、盲目的にこの世界の日本を降伏させたいわけじゃない。正しさと、手続き的正義を守りたいだけだ。大東亜戦争の大本営発表や侵略の口実の多くは屁理屈だが、それでも全国民の大多数の総意であれば、まだ歴史の過ちとして理解の余地はある。だが今の日本において、徹底抗戦を叫んでいるのは、君ら血気盛んな過激派将校とごく一部の強硬派だけだ! 講和を望む圧倒的多数の民意を無視し、法を無視してクーデターを起こし、市民の避難を妨害し、女子供を拉致する……これが『皇軍の武人』のやることか!? 自分の思い通りに世界が動かないからって、癇癪を起こしておもちゃを投げ散らかす駄々っ子と何一つ変わらないじゃないか!!」
浩平は息を整え、モニターの中の佐藤少佐の手元を冷たく観察した。
「……布をきつく巻いて、銃を吹き飛ばせないようにしたか。優しいやり方なら、確かにそうだ。……殺しはしないが、無傷で済むと思うなよ」
浩平はゲーム内ショップを検索した。
工業用冷間圧延鋼板(10cm × 10cm × 厚さ0.5mm/エッジ研磨済み): 100ゼニ
「座標指定……佐藤の右手の甲、斜め上十五センチ。角度四十五度。方向ベクトルは、けいこ夫人たちと反対側のフロントガラス方向へ」
浩平はEnterキーを叩いた。
「初速、秒速百メートル――射出!」
◇◇◇
初速百メートルの鋼刃
◇◇◇
シュパッッッンッ!!
密閉された車内で、大気を鋭く引き裂く不可視の音が一閃した。
目にも留まらぬ速度で空間から射出された剃刀のような極薄鋼板が、佐藤少佐の布で巻かれた右手を、斜め四十五度から正確無比に両断した。
ボトッ……。
佐藤少佐の右手から、銃を握ったままの親指以外の四本の指が、赤く染まった布ごと無残に床マットへと転がり落ちた。
「…………え?」
佐藤少佐は何が起きたのか理解できず、空白の表情で己の右手を見つめた。
次の瞬間――切断された橈骨動脈から、ドクドクと鮮血が噴水のように噴き上がった。
「ぎ……ぎゃああああああっっっっ!? 俺の手が……俺の手があああああっっ!!」
断末魔のような絶叫を上げて転げ回る佐藤少佐へ、神崎大尉と憲兵三名が一斉に車内へ突入した。
「動くなッ! 確保ッ!!」
憲兵たちが佐藤の左腕をねじ上げ、地面へと引きずり下ろして組み伏せた。
しかし、吹き出す動脈血の勢いは止まらない。このままでは数分で失血死する。
その時――。
組み伏せられた佐藤の顔の真横に、ガランッと金属音を立てて、真新しい緑色のボンベとバーナーのノズルが転送されて出現した。
工業用ハイパワートーチバーナー(カセットガス装着済み): 2,000ゼニ
ノズルの下に挟まれていたメモ用紙には、機械的なフォントで冷徹な一言が印字されていた。
『これで傷口の血管を炙り止血しろ』
「ヒッ……!」
メモを読んだ神崎大尉の背筋が凍りついた。
敵とはいえ、生きている人間の肉をバーナーで直接焼き固めて止血せよというのか。天の監視者の、敵に対する容赦のない無慈悲な一面を突きつけられた瞬間であった。
「神崎大尉殿! 血が止まりません! 死にます!」
憲兵が叫ぶ。
「ええい……! 許せ、佐藤!」
神崎大尉はバーナーのバルブを回し、カチリと点火スイッチを押した。
ゴオオオオオオォォォォ――――――ッッ!!
千三百度を超える青白い猛烈な火炎が噴き出した。
神崎大尉は歯を食いしばり、佐藤の切断された手首の断端へ、青い火炎を一瞬で叩きつけた。
ジュウウウウウゥゥゥゥッッッ!!
肉と血管が焼け焦げる凄まじい白煙と異臭が立ち込めた。
「ぐぎゃあああああああああああっっっっっっ!!!!」
佐藤少佐は目を剥き、背中を弓なりに反らせて絶叫すると、泡を吹いて完全に意識を失った。
炭化した傷口から血はピタリと止まっていた。
車内の後部座席で、けいこ夫人は正一と和子の頭を固く抱き寄せ、二人の目を自らの胸元へ強く押し当てていた。
子供たちには決して見せまいとしながらも、けいこ夫人自身は、窓の外で繰り広げられたその凄惨な処刑と止血の光景を、瞬き一つせずにその目に焼き付けていた。
(……これが、天の監視者様のお力……。慈悲深く民を救う仏の御手であると同時に……悪を絶対に許さぬ、冷徹無比な裁きの刃……!)
けいこ夫人は恐怖ではなく、深い畏怖の念を込めて胸の中で合掌した。
◇◇◇
救出完了
◇◇◇
午後4時00分。八本松から東広島への出口付近。
西日が山並みを朱色に染める中、現場の事後処理は迅速に完了していた。
意識を失った佐藤少佐と、完全に戦意を喪失した敵の運転兵は後ろ手に手錠をかけられ、追跡車の荷台へと手荒く押し込まれた。
そして、無傷で救出されたけいこ夫人と正一、和子の三人は、一番状態の良い日産セダンの後部座席へと丁重に案内された。神崎大尉が水筒から冷たいORSを注ぎ、子供たちへ手渡すと、二人は安堵の涙を流しながら喉を鳴らして飲み干した。
現代の自室で、浩平はFPVカメラから三人の無事な姿をキャプチャし、インベントリ内のカラーレーザープリンターで印刷。
写真の下部には、簡潔なメッセージを添えた。
『事件は無事に解決した。けいこ夫人と子供達は無事でした。 ――監視者 浩平』
浩平は印刷された写真を二枚、長崎の黒田中将と、広島の藤堂中将の執務机の上へとそれぞれ転送した。
長崎地区司令部・司令官室。
執務机の上にパサリと落ちてきた写真を見た瞬間、黒田中将の大きな身体が激しく震えた。
写真の中には、怪我一つなく、優しく子供たちの肩を抱いて微笑む妻・けいこの姿があった。
「……あ……ああ……!」
歴戦の将軍の目から、大粒の涙が机の上の書類へボロボロとこぼれ落ちた。
黒田は写真を両手で押しいただき、天を仰いで深々と頭を垂れた。
「監視者殿……! 感謝いたします……! この黒田の命、生涯を賭して貴殿に捧げましょう……!」
黒田は涙を拭うと、鬼気迫る表情で立ち上がり、作戦室へ向けて大号令を下した。
「長崎の避難をさらに加速させよ! 一人の脱落者も出すな!!」
広島・第二総軍司令部・作戦室。
一方、広島の藤堂中将は、送られてきた写真を見て安堵の息を吐き出すと同時に、同封されていた神崎大尉からの状況報告メモを読み、その瞳に冷たい怒りを宿らせた。
「……佐藤昌樹。我が軍の屋台骨を揺るがし、恩人の妻子を人質に取った罪、万死に値する」
藤堂中将は立ち上がり、憲兵隊長へ向けて氷のような声で命じた。
「佐藤を八本松から直ちに軍監へ護送せよ。傷の手当てが済み次第、緊急軍法会議を開く! 柳瀬一派の広島における残党を一人残らず洗い出し、今夜中に全員拘束せよ! 我が第二総軍に、背後から味方を撃つ卑怯者は一兵たりとも残さん!!」
「ハッ!!」
不穏な火種は、監視者の冷徹な介入と藤堂中将の断固たる処断によって、灰燼へと帰した。
夕暮れが迫る広島と長崎の空の下、二十万の民を救うための大避難作戦は、障害を乗り越え、さらに強固な結束のもとで最終段階へと突き進んでいくのであった。
◇◇◇
総軍司令部の黄昏
◇◇◇
1945年8月4日、午後5時00分。広島市中区・第二総軍司令部。
西に傾いた太陽が、白亜の洋館を茜色に染めていた。
市街地から二十万の市民を武田山へ送り出す歴史的な大疎開の喧騒の中、司令官室のすぐ隣にある応接室の扉が静かに開かれた。
室内には、八本松の山道から無事に救出された長崎全権勅使・黒田中将の妻であるけいこ夫人と、正一、和子の二人の子供たち。そして、桜ヶ丘の平屋から佐伯大尉によって無事に送り届けられた、すずと娘のさちが身を寄せていた。
軍靴の音を響かせ、部屋に入ってきたのは第二総軍代理司令・藤堂中将であった。
背後には直属副官の佐伯大尉と神崎大尉が直立不動で控えている。
藤堂中将は腰の軍刀を外して副官に預けると、けいこ夫人とすずの前で軍帽を脱ぎ、深々と頭を下げた。
「黒田夫人、そしてすず殿。……我が総軍の内部に潜んでいた不逞の輩の凶行により、貴女方とお子たちに筆舌に尽くしがたい恐怖と危険を味わわせてしまった。軍の規律を預かる総軍司令官として、慙愧に堪えん。心よりお詫び申し上げる」
陸軍中将が民間の婦女子に頭を下げるなど、当時の常識では有り得ない光景であった。
けいこ夫人は立ち上がり、背筋を伸ばして優しく微笑んだ。
「藤堂閣下、どうか頭をお上げくださいませ。神崎大尉殿をはじめとする皆様が命懸けで駆けつけてくださり、何より天の監視者様が私たちをお見捨てにならなかったこと……感謝の念に堪えません。主人が長崎で大任を果たしております折、家族がこうして無事でおられますのも、閣下のお力添えあってのことでございます」
将校の妻としての揺るぎない気品と胆力を見せるけいこ夫人に、藤堂は深く感服の息を漏らした。
続いて藤堂は、十五歳の娘・さちの手を固く握りしめて身を縮こまらせていたすずの前に歩み寄った。
「すず殿。……監視者殿より、貴女方母子の安全を何としても守り抜いてほしいと、再三にわたり託されておりました。にもかかわらず、危うく奸計に嵌めるところであった。重ねて詫びさせていただく」
「め、滅相もございません……! 私たちのような名もない親子のために、立派な将校様が助けに来てくださって……夢のようでございます」
すずは恐縮しきりで畳に手をつこうとしたが、藤堂はその肩を優しく制した。
藤堂は真剣な眼差しですずを見つめた。
「すず殿。差し出がましい提案かもしれんが……聞いていただきたい。この戦局、何が起きるか誰にも予測がつかん。貴女方のような女性と幼い娘の二人暮らしでは、再び卑劣な残党や凶徒に狙われぬとも限らんのだ。……もし許していただけるなら、今後、貴女方母子は私個人の預かりとして、全責任をもって庇護したい。私の官舎、あるいは軍務以外の私生活において、我が家族同然として同行していただきたいのだ。どうか、承知していただけぬだろうか」
「えっ……!? か、閣下の……ご家族同然に、でございますか……!?」
すずは目を丸くし、思わず隣のさちと顔を見合わせた。一介の未亡人である自分たちが、軍の最高幹部である中将の保護下に入るなど、あまりにも身に余る申し出であった。
「あの……私どものような者が、閣下のご迷惑になっては……」
遠慮して辞退しようとするすずの手を、十五歳のさちがキュッと握った。さちの瞳には、先ほど桜ヶ丘で体験した海野大尉の暴力への恐怖と、これからの未来への不安が映っていた。
藤堂中将は穏やかに微笑んだ。
「迷惑などではない。天の監視者殿への恩義を果たすためでもあるが……何より、愛する者を守りたいという母子の誠実な生き方を、私は心から尊びたいのだ」
すずはさちの震える手を胸に引き寄せ、深く息を吸い込むと、涙を拭って深く頭を下げた。
「……身に余る光栄でございます。どうか……娘のさちの命を、お守りいただけますよう……よろしくお願い申し上げます」
「うむ。任せておかれよ」
藤堂は力強く頷き、二人の母子に温かな視線を投げかけた。
◇◇◇
暴かれた「皇桜会」と司令部の粛清
◇◇◇
二組の家族の保護が完了したその頃、現代の自室にいる浩平の怒りは、まだ収まっていなかった。
「トカゲの尻尾(現場の実行犯)を切り捨てても、元凶の首謀者を野放しにしていたら、いつまた同じことが起きるか分かったもんじゃない……!」
浩平はゲーム内コンソールの『検索機能』を開き、入力欄にあの憎悪に満ちた男の名を叩き込んだ。
【検索対象:柳瀬一真】
ピピッ!
検索結果は一瞬でヒットした。
画面に表示された地図は――広島でも長崎でもなく、遥か東の愛知県名古屋市・広小路通、堀川に架かる納屋橋の河畔であった。うらぶれた古い木造平屋の家屋が、赤くマーキングされている。
浩平がFPVカメラの視点を名古屋へ切り替えると、薄暗い部屋の畳の上に座り込む一人の男の姿がズームアップされた。
かつて帝都でクーデターを画策し、血気盛んに演説をぶっていた頃の狂気じみた覇気は見る影もなかった。無精髭を生やし、日に焼けた肌に薄汚れた開襟シャツを羽織り、絶えず窓の外の物音に怯えるように目を泳がせている。
そこにいたのは、どこにでもいる疑心暗鬼に囚われた三十代後半のうだつの上がらない中年男であった。
浩平が男をクリックすると、半透明の詳細ステータスウィンドウがポップアップした。
【対象情報】
氏名:柳瀬一真
肩書:元陸軍中佐 / 元陸軍省軍務局所属 / 国家反逆罪 指名手配犯
偽名:山口真治 / 陸軍歩兵大尉
犯行:7・31クーデター未遂事件 主犯
組織:秘密結社「皇桜会」首謀者
「……秘密結社、皇桜会だと?」
浩平は眉をひそめた。柳瀬が単独で逃亡していたのではなく、軍の内部に蜘蛛の巣のような地下組織を張り巡らせていた証拠であった。
浩平は即座に『皇桜会』という文字列をコピーし、組織欄にペーストして実行した。
リストアップされたのは、首謀者を含めてわずか六名。しかし、その顔ぶれは極めて危険な実働部隊であった。
【秘密結社 皇桜会 構成員名簿】
・首謀者:柳瀬一真[逃走中/名古屋納屋橋]
・参謀 :佐藤昌樹 少佐[八本松にて逮捕・重傷]
・実行役:海野忠良 大尉[逃走中/広島東部山中]
・内通役:長谷川修一 中尉[第二総軍司令部・通信課]
・工作員:木村一等兵[運転手/八本松にて逮捕]
・工作員:高橋上等兵[運転手/海野とともに逃走中]
「長谷川修一中尉……! こいつか! 総軍司令部の電話線を切断して、黒田さんと藤堂中将の連絡を妨害した内通者は!」
浩平の瞳に冷徹な光が灯った。
長谷川中尉はまだ直接の暴力や拉致には関わっていない。しかし、司令部の心臓部である通信課に潜伏し、裏で糸を引いていた裏切り者を放置することなど絶対に許されなかった。
「まだ何も大きな行動を起こしていないから大した罪にはならないかもしれない……だが、この土壇場で後ろから味方を撃つような爆弾は、今すぐ排除しておくに限る!」
浩平はゲームインベントリ内のプリンターを起動し、名古屋の柳瀬の潜伏場所マップ、逃走中の海野大尉と高橋上等兵の現在位置、そして長谷川修一中尉の氏名と罪状を一枚のA4用紙にまとめ、藤堂中将の執務机の上へと転送した。
午後5時20分。第二総軍司令部・通信課。
夕暮れの通信室内には、各地とのモールス通信の打鍵音と電話の呼び出し音が慌ただしく響いていた。
その一角で、通信課員の長谷川修一 陸軍中尉(二十七歳)は、青ざめた顔で書類を整理していた。
先ほど、自分が細工した配電盤が復旧され、さらに八本松へ向かった佐藤少佐が返り討ちに遭って拘束されたという不穏な噂が耳に入っていたからだ。
(馬鹿な……佐藤少佐が捕まっただと!? 監視者とは、それほどまでに恐ろしい力を持つというのか……! 早くここを抜け出さねば、俺まで……)
長谷川中尉が机の引き出しから私物をまとめ、部屋を出ようとした、その瞬間――。
バァンッ!!
通信室の重い扉が蹴破るように開け放たれた。
軍刀を腰にした藤堂中将が、銃を着剣した四名の憲兵を従えて仁王立ちしていた。
「第二総軍代理司令・藤堂である! 動くなッ!」
通信室の全員が凍りついた。
藤堂中将の氷のような眼光が、部屋の隅で硬直していた長谷川中尉を真っ直ぐに射抜いた。
「通信課・長谷川修一中尉。貴様だな」
「は……閣下!? な、何事でありますか! 私は通常の通信業務を……」
「白々しい嘘を吐くな!」
藤堂中将は手にした一枚の紙――浩平から転送された告発書を叩きつけるように突きつけた。
「貴様が『皇桜会』なる不逞の徒に名を連ね、佐藤昌樹の手引きをして司令部の主配電盤を切断工作した動かぬ証拠が、天の監視者殿より届いておる! 憲兵、拘束せよ!」
「な……ッ!?」
長谷川中尉の顔から血の気が引いた。逃げようと腰の拳銃に手を伸ばしかけたが、憲兵たちが一瞬で飛びかかり、床へとねじ伏せた。
ガチャン!と冷たい手錠が手首に嵌められる。
「離せッ! 私は皇国のために……本土決戦を戦い抜くためにやったのだ! 貴様らのような腰抜けどもに裁かれる筋合いはないッ!」
喚き散らす長谷川中尉を見下ろし、藤堂中将は吐き捨てるように言い放った。
「皇国を口実に女子供を人質に取るような下劣な輩を、我が皇軍の武人と認めるわけにはいかん。軍法会議の場で、貴様の歪んだ忠義のすべてを語るがよい。連れて行け!」
長谷川中尉は引きずられるように通信室から連行されていった。
司令部内に巣食っていた最後の一人が、完全に摘出された瞬間であった。
◇◇◇
納屋橋の黄昏と狂信者の終焉
◇◇◇
藤堂中将は直ちに復旧した軍用専用回線を用い、東海軍司令部(名古屋)の最高幹部へと緊急暗号電報を発令した。
柳瀬一真の潜伏座標、建物の間取り、そして拳銃を所持している危険性についての情報が、漏れなく名古屋の憲兵隊司令部へと伝達された。
同日、午後8時30分。愛知県名古屋市・広小路通、納屋橋河畔。
真夏の夜気と堀川のドブ川の匂いが漂う中、うらぶれた古い木造平屋を、完全武装した十数名の憲兵隊が音もなく包囲していた。
室内には電灯もなく、ローソクの頼りない炎が揺れていた。
畳の上に座っていた柳瀬一真は、壁に寄りかかり、手元に置かれたコップの濁り酒を煽っていた。
(佐藤からの連絡が途絶えた……。広島の計画も失敗したか……)
すべてが思い通りにいかない。
帝都での決起は一瞬で鎮圧され、同志たちは次々と捕らえられ、頼みの綱であった広島での人質作戦すら潰えた。
自分は日本を救う救国の士のはずだった。それなのに、なぜ自分を追いつめているのが、敵のアメリカ軍ではなく、自国の憲兵と「正体不明の神」なのか。
その時――。
ドガァァァッッ!!
平屋の格子戸が粉々に蹴破られた。
「憲兵隊だ! 動くなッ!!」
闇を切り裂いて突入してきた憲兵たちの着剣小銃が、一斉に柳瀬の頭部へと突きつけられた。
懐中電灯の眩い光が、柳瀬の青ざめた顔を容赦なく照らし出す。
「柳瀬一真元陸軍中佐だな! 国家反逆および内乱首謀の現行犯で逮捕する! 武器を捨てて両手を上げろ!」
隊長の怒号が狭い平屋に木霊した。
現代の自室で、浩平はFPVカメラを通してその光景を静かに見つめていた。
柳瀬の右手が、背後の古畳の隙間へと滑り込んだ。
引き抜かれたのは、黒光りするブローニング拳銃であった。
憲兵たちが一斉に引き金に指をかけた。
だが――柳瀬は憲兵たちに向けて銃を構えることはしなかった。
柳瀬は乾いた笑い声を漏らした。
「ふ……ふふふ……。誰が貴様らのような売国奴の軍法会議に掛けられるものか……。大東亜の理想を解さぬ俗物どもめ……」
柳瀬の濁った瞳が、ふと天井の虚空――まるでカメラ越しに見下ろしている浩平の視線を感じ取ったかのように、正面を見据えた。
「見ているのだろう……監視者……! 貴様が何者かは知らんが……我が魂は死して護国の鬼となり……貴様の創る偽りの平和を、永遠に呪ってやるぞ……!」
柳瀬は銃口を己の右のこめかみへと強く押し当てた。
浩平の指先は、キーボードの『物体射出』のショートカットキーの上に置かれていた。
ボタンを一つ押せば、秒速百メートルの衝撃が銃を弾き飛ばし、柳瀬を生かして捕縛することは赤子の手をひねるよりも容易であった。
だが――。
浩平の指は、ピクリとも動かなかった。
(……止めないよ、柳瀬)
浩平は冷徹に、無言のまま画面の狂信者を見つめ返した。
(お前は自分の妄想のために、罪のない人々を巻き込み、女子供に銃を向け、歴史を血で染めようとした。その報いを、お前自身の選んだ『美学』の結末として、その身で引き受けるがいい)
浩平は一切の介入もしなかった。神の慈悲を施す相手を、浩平は厳格に選別していた。
柳瀬の指が、ゆっくりと引き金を絞り込んだ。
パァァァンッッ!!
狭い部屋の中に、乾いた一発の銃声が響き渡った。
ローソクの炎が激しく揺れ、柳瀬一真の身体は糸の切れた操り人形のように、力なく古畳の上へと崩れ落ちた。
二度と動くことのないその骸を、名古屋の憲兵たちが無言で見下ろしていた。
浩平は静かにFPVカメラの名古屋映像を閉じた。
モニターには、再び広島と長崎の夜景が静かに映し出された。
こうして、平和への道を阻もうとし、運命を狂わせようとした最大の元凶は、この世界の日本から完全に幕を引き、歴史の闇の底へと消え去ったのであった。
【現在のクレジット残額:906,348,080ゼニ】
【ゲーム内で関わった人数:約380,000人】
お待たせしました。
多分今回の話、たぶん賛否両論になるでしょう
これはこれで、一種のフラグ回収と私は考えています
今回の件で浩平は心は成長し、次の日に来る前橋空襲、高崎空襲と中央線列車への機銃掃射
考えを改めた浩平はどう出るかをご期待ください




