1945年8月4日 陰謀が現実になる時 上
この作品はフィクションです、実在の人物や団体などとは関係ありません。
【現在のクレジット残額:906,351,680ゼニ】
【ゲーム内で関わった人数:約380,000人 [new]長崎市民が3km以上移動した約110,000人】
◇◇◇
けいこ夫人の機転
◇◇◇
1945年8月4日、午後3時00分。広島市鍛冶屋町・黒田官舎。
真夏の陽射しが西に傾き始めた頃、長崎全権勅使・黒田中将の留守宅である黒田官舎の門前に、一台の黒塗りの軍用乗用車(日産七〇型セダン)が静かに滑り込んだ。
長崎へ赴任中の夫・黒田中将からの言いつけを守り、妻のけいこ夫人(三十八歳)は、十二歳になる長男の正一と十一歳の長女・和子の手を引き、玄関先で迎えを待っていた。
大佐以上の高級将校の家族は、一般市民の徒歩行軍とは異なり、午後三時に軍の車で第二総軍司令部へ集結し、夕方五時に藤堂中将らと共に武田山北麓の特別宿営区画へ移動する手はずとなっていたのだ。
車の後部座席から降り立ったのは、略帽を目深に被った三十代半ばの将校であった。
襟章は少佐。第二総軍総務課に所属する佐藤昌樹陸軍少佐であった。
「黒田夫人とお見受けいたします。総軍司令部よりお迎えに上がりました、総務課の佐藤であります」
佐藤少佐は隙のない敬礼を捧げた。けいこ夫人は軍人の妻として礼儀正しく頭を下げた。
「ご苦労様でございます。主人が大変お世話になっております」
「滅相もございません。黒田閣下のご家族を安全にお運びするのも我らの務め。さあ、坊ちゃんもお嬢ちゃんも、車へどうぞ」
佐藤少佐の丁寧な誘導に、この時点では何の疑いも抱かず、けいこ夫人は最低限の身の回り品を詰めた鞄を抱えて後部座席へ乗り込んだ。両脇に正一と和子を座らせ、佐藤少佐が助手席に収まると、運転兵がアクセルを踏み込んだ。
しかし――車が走り出して数分もしないうちに、けいこ夫人は窓の外の風景に違和感を覚えた。
車は相生通りを北上して総軍司令部へ向かうでもなく、太田川を渡って武田山へ向かうでもない。路面電車の線路に沿って、南東――比治山の裾野を回り込み、呉・東広島方面へと向かう街道へとぐんぐん進んでいたのだ。
「……あの、佐藤少佐」
けいこ夫人は静かに、だがはっきりとした声で助手席へ問いかけた。
「車が北ではなく、東へ向かっているようですが……。一旦、総軍司令部へ赴き、藤堂閣下たちと合流する予定ではございませんでしたか?」
バックミラー越しに、佐藤少佐の冷たい視線がけいこ夫人を捉えた。
「ええ、予定が急遽変更となりましてな。長崎の黒田中将閣下より直電が入り、『妻と子を直ちに鉄道に乗せ、長崎へ移動させて合流させよ』との緊急指示が下ったのであります」
「長崎へ……?」
けいこ夫人の心臓が、トクンと嫌な跳ね方をした。
夫の赴任先への鉄道ダイヤは、軍人の妻として完全に頭に入っている。広島から九州方面へ向かう直通列車は一日一便、出発時刻は早朝の午前七時半だ。こんな中途半端な午後の時間に出る列車など存在しない。
しかも、車が向かっている先は広島駅ですらなく、市街地を完全に抜け出そうとしていた。
「少佐。九州へ向かう汽車は朝一番しかございませんし、広島駅は反対方向でございますが」
佐藤少佐はわずかに口元を歪め、淀みなく言い繕った。
「広島駅周辺は、今朝からの大疎開作戦で完全に封鎖されております。よって、まずは呉軍港へ向かい、呉駅から軍用臨時列車にお乗りいただく手はずとなっております。ご安心を」
(……嘘をおっしゃっている)
けいこ夫人の背筋に、氷を押し当てられたような悪寒が走った。
呉線から山陽本線へ戻るなど、あまりにも不自然極まりない遠回りだ。何より、この少佐の瞳の奥には、夫を支える将校が持つべき誠実さが欠片も感じられなかった。
(この男は……私たちを別のどこかへ連れ去るつもりだわ)
直感したけいこ夫人は、決して取り乱すことなく、膝の上に置いた手提げ袋の中へ指を滑らせた。
そこには、夫が長崎へ発つ前に「万が一の時、天の監視者殿や私と繋がる命綱だ」監視者にお願いして、そして手渡してくれた、薄型タブレット端末が収められていた。
けいこ夫人は手提げの隙間から画面を見ることなく、指先の位置だけで『黒田』と名札のついたボタンを長押しした。
手元でかすかにバイブレーションが震え、六十秒間の自動録画・音声通信モードが起動した。
けいこ夫人はあえてタブレットのカメラレンズを手提げの口からわずかに覗かせ、流れる車窓の風景と助手席の少佐を画角に収めた。そして、長崎の夫へ呼びかけるのではなく、努めて冷静な声で佐藤少佐へ問いを重ねた。
「佐藤少佐。呉駅とおっしゃいましたが、いま車が走っているのは呉街道(国道31号)ではなく、山越えをして東広島の山中へ向かう道ではありませんか? このままでは呉ではなく、西条の山奥へ行ってしまいます」
「はは、道が混雑しておりますのでな、抜け道を通っているだけです。……奥様、滅多な詮索はなさらない方がよろしい」
少佐の声音から、先ほどまでの慇懃無礼な敬意が完全に消え失せていた。
(あなた……どうか気づいて……!)
六十秒の録画終了を告げる微かな振動を手の中に感じながら、けいこ夫人は二人の子供の肩をそっと抱き寄せ、唇を噛みしめた。
車は呉へ向かう分岐を無視し、東広島の鬱蒼とした山中深くに隠されたアジトへと、一直線に疾走していった。
◇◇◇
途絶した電話と一筋の光
◇◇◇
午後3時10分。長崎地区司令部・作戦室。
時津・東長崎への避難誘導の指揮に追われていた黒田中将は、ふと執務机の端に置いていたタブレットのインジケーターが、青く激しく点滅していることに気がついた。
「……む? けいこからの通信か?」
黒田が画面をタップすると、六十秒間の映像が自動再生された。
画面には、揺れる手提げ袋の隙間から覗く車窓の景色――比治山の切り通しを抜け、東へ向かう山道が映し出されていた。そして、響いてきた妻の凛とした声と、男の不穏な返答。
『……呉駅とおっしゃいましたが、いま車が走っているのは……東広島の山中へ向かう道ではありませんか?』
『……奥様、滅多な詮索はなさらない方がよろしい』
「な……ッ!?」
黒田の顔から血の気が引いた。
「佐藤昌樹……総軍総務課の青年将校か! 呉だと!? 九州行きの列車だと!? そんな命令、私は一切出しておらんぞ!!」
謀略だ。妻と子が、何者かによって拉致されたのだ。
黒田は受話器をひったくり、第二総軍司令部の藤堂中将へ直通電話を繋ごうとした。
「交換台! 至急、広島の第二総軍司令官室へ繋げ! 緊急電話だ!!」
しかし――受話器の向こうから返ってきたのは、乾いたノイズだけであった。
『もしもし……もしもし!? 閣下、申し訳ございません! 広島総軍司令部への回線が、先ほどから完全に不通となっております!』
「何だと……!?」
佐藤少佐の一味である通信課の青年将校によって、総軍司令部の主配電盤のヒューズが意図的に引き抜かれ、外部との通信が物理的に遮断されていたのだ。
「おのれ……! この非常時に、何という暴挙を……!」
黒田は震える手で懐の手帳を開き、鉛筆を走らせた。頼れる相手は、ただ一人しかいなかった。
『1945年8月4日 PM 3:12 BLAK>FTKH 浩平殿! 妻のけいこと正一、和子が、総軍総務課の佐藤少佐に騙され、東広島方面へ連れ去られた! 司令部との電話も切断されている! 監視者殿、どうか……どうか妻と子を助けていただきたい! ――黒田』
現代――浩平の自室。
「ピピピピピッ!」と鳴り響いた緊急アラートに、浩平は椅子を蹴立てて立ち上がった。
黒田からの悲痛なメッセージを読んだ瞬間、浩平の背中に怒りの電流が走った。
「黒田さんの奥さんと子供たちが拉致された……!? あの柳瀬の取り巻き連中か……! あの野郎ども、ついに実力行使に出やがったのか!!」
浩平は即座に管理画面の『検索』コマンドを開き、入力欄に叩き込んだ。
【検索対象:黒田けいこ】
ピピッ!
広島東部の詳細マップ上に、赤いマーカーが激しく点滅した。
GPSのようにリアルタイムで追跡されるアイコンは、国道2号線を外れ、東広島の山間部へと向かう県道を時速五十キロで北東へ疾走していた。
「捕捉した! まだ車の中だ!」
浩平は直ちに現在地の等高線地図をA4用紙に印刷し、ペイントソフト赤ペンで現在地と予想進路、そして緊急の指示を書き足した。
『藤堂中将! 黒田中将! けいこ夫人と子供たちが、総務課の佐藤少佐によって東広島の山中へ拉致されています! 現在地をマークした地図を送ります。必ず無事に救い出しますので、信じて部隊を急行させてください! ――浩平』
浩平は印刷した地図とメッセージを、藤堂中将の執務机の上へ一括転送した。同時に、同じ地図を長崎の黒田中将の手元へも送った。
午後3時15分。第二総軍司令部・作戦室。
バサリ、と突然机の上に出現した地図を見た藤堂中将は、机を拳で叩き壊さんばかりに立ち上がった。
「佐藤昌樹めが……ッ!! 貴様、大東亜の存亡の秋に、恩人の家族を人質に取るとは……恥を知れッ!!」
藤堂中将の雷のような怒号が作戦室を揺るがした。
「地図を見ろ! 車は西条の手前、八本松の山奥へ向かっておる! これは呉に行くわけではなく、東広島の旧防空壕に潜伏するつもりだ!!」
藤堂は直属の親衛隊を振り返り、激昂の叫びを上げた。
「軍用乗用車を三台出せ! 腕利きの憲兵と護衛隊員を満載し、裏道を抜けて八本松の峠道へ先回りしろ! 佐藤が車を止めた瞬間、一斉に取り押さえよ! 抵抗するなら射殺して構わん! けいこ夫人と子供たちに傷一つ負わせるな!!」
「ハッ!!」
怒気配る兵士たちが拳銃と小銃を手に、砂煙を上げて飛び出していった。
その頃、長崎で地図を受け取った黒田中将は、マークされた妻の現在地を見つめ、机に拳を押し当てて涙を呑んだ。
「監視者殿……妻を、子供たちを……何とぞ、よろしくお願いいたします……!」
黒田は溢れ出る不安を軍人としての不屈の意志で押し殺し、長崎の二十万の民を救うため、再び指揮の場へと戻っていった。
◇◇◇
冷血の誘惑
◇◇◇
浩平はマルチモニターに映し出された、東広島の山道を疾走する黒塗りの日産セダンを凝視していた。
車内カメラの映像には、後部座席で子供たちを庇うように抱きしめるけいこ夫人の横顔と、助手席でピストルに手をかけたまま前方を睨む佐藤少佐の姿が映っていた。
(くそっ……! 最悪、佐藤少佐と運転兵の脳幹をピンポイントで打ち抜くか、首の骨を折って一瞬で無力化することはできる……。だけど、車は時速五十キロで山道のカーブを走っているんだぞ!)
運転手が突如意識を失えば、車は制御を失って崖下に転落するか、巨木に激突して大炎上する。後部座席のけいこ夫人や幼い子供たちが無傷でいられるはずがなかった。
(車が止まってくれないと、こっちから手出しができない……! だが佐藤の野郎、まるで私の介入を警戒しているかのように、運転手に一度も減速させずに走らせ続けている……!)
ギリギリと奥歯を噛みしめ、絶好の停止ポイントを探していた浩平の脳裏に、ふと、冷水を浴びせられたような戦慄が走った。
(……待てよ。将校家族の保護リストには、もう一組……)
「……すずさんと、さちちゃんだ!!」
浩平の背筋が凍りついた。
物語の最初期、昭和二十年七月二十三日――まだこの世界が「ただのゲーム」だと思い込んでいた浩平が、初めてその手で救い、パンやおにぎり、チョコレートを与え、心を通わせてきた少女・さちと、その母・すず。
父親のいない二人を、浩平は藤堂中将に頼み込んで特高警察から守る特別保護対象に加えてもらっていたのだ。
「佐藤が黒田さんの家族を狙ったなら……柳瀬の一味は、すずさんたちも人質として狙っているんじゃないか!?」
浩平は素早くサブモニターの画面を切り替え、広島市街地の南東に位置する桜ヶ丘へとカメラをズームインさせた。
桜ヶ丘の斜面に建つ小さな木造平屋。
画面の中では、すず(三十五歳)と、女学校に通う年齢となった娘のさち(十五歳)が、畳の上で風呂敷を広げ、身の回りの手回り品を手際よくまとめていた。
室内にはまだ何の変化もない。浩平はひとまず胸を撫で下ろした。
桜ヶ丘は爆心地(島病院)から約6.2キロメートル離れており、武田山とは正反対の南東方向に位置している。そのため、第二総軍の避難計画でも「武田山への強制徒歩行軍」の対象からは外され、近隣の山林への自主避難が認められた緩衝エリアであった。
しかし、柳瀬派の凶刃が迫っているとすれば、女性二人だけの世帯など格好の標的になってしまう。
浩平は即座に藤堂中将へテキストを飛ばした。
『藤堂中将! 桜ヶ丘のすずさんとさちちゃんの家にも、偽の迎えが向かっている恐れがあります! 直ちに信頼できる部下を急行させてください! 偽者と区別するため、迎えの将校には私が支給する「特殊な腕帯」を着用させてください! ――浩平』
浩平はゲーム内ショップで、現代のウクライナ支援グッズとして販売されていた『青と黄色の二色腕帯(ポリエステル製)』を十本購入し、総軍司令部の藤堂の手元へ転送した。昭和二十年の日本には絶対に存在しない、鮮烈な蛍光染料のツートンカラーである。
続けて、浩平は桜ヶ丘のすずのちゃぶ台の上へ、直接メッセージ用紙を転送した。
パサリ。
何もない空間から突然紙が落ちてきたことに、すずとさちは息を呑んだ。
紙を拾い上げ、そこに走る独特の整った印字を見た瞬間、すずの瞳に熱いものが込み上げた。
『すずさん、さちちゃん。監視者の浩平です。
のちほど、二人を総軍司令部へ保護するための将校が迎えにやってきます。ですが、二人を攫おうとする偽の軍人が現れる危険があります。
迎えに来た将校の腕に、【青と黄色が混ざった腕帯】が巻かれているかを絶対に確認してください。その腕帯がない者は敵です。決して車に乗ってはいけません。 ――浩平』
「お母ちゃん……これって、あの監視者様から……!?」
十五歳になり、物事の分別がしっかりとつくさちが、母の肩に手を置いて囁いた。
すずはメッセージを用紙ごと固く胸に抱きしめ、娘の手を握りしめた。
「ええ、間違いないわ……。監視者様のことだわ。さち、あなたは奥の台所へ下がっていなさい。誰が来ても、お母ちゃんが呼ぶまで絶対に顔を出してはダメよ」
「お母ちゃん、気をつけて……!」
さちを奥へ隠すと、すずは息を整え、玄関の引き戸の前で凛と背筋を伸ばした。
◇◇◇
青と黄の守護者
◇◇◇
それからわずか十分後のことであった。
ブロロロ……キィッ!
桜ヶ丘の細い路地の前に、一台の軍用小型乗用車(くろがね四起)が急停車した。
降りてきたのは、軍刀を腰に吊った三十前後の陸軍将校――柳瀬一派の同志である海野忠良陸軍大尉であった。
海野大尉は長屋の路地を見回し、威圧的な大声を張り上げた。
「すずという婦人はおるか! 陸軍だ! 第二総軍の命により迎えに参った!」
近隣の住民たちが怯えたように窓の隙間から伺う中、すずは意を決し、引き戸を開けて毅然とした足取りで玄関口に立った。
「……はい。私がすずでございます」
海野大尉はすずの姿を冷ややかに見下ろすと、尊大に顎をしゃくった。
「うむ。藤堂中将閣下の特命である。貴様ら母子を安全な武田山野営地へ特別輸送する。娘を連れて直ちに車に乗れ」
すずの視線が、海野大尉の両腕へと鋭く注がれた。
軍服の袖には――見慣れた階級章があるだけで、浩平が告げた「青と黄色の腕帯」などどこにも巻かれていなかった。
(……偽者だわ!)
すずは心臓の激しい鼓動を悟られぬよう、努めて穏やかに頭を下げた。
「将校さん、ご親切に恐れ入ります。ですが、我が家は東の海田市に親類がおりますので、武田山とは逆方向になります。近所の方々と一緒に東へ自主避難いたしますので……どうぞお構いなく」
海野大尉の眉がピクリと跳ね上がった。
「何を言うか! 総軍司令官直々の命令であるぞ! 貴様のような平民の勝手が許されると思うてか! 良いから娘を呼べ、連れて行く!」
海野が土足のまま踏み込もうとし、すずの細い手首を力づくで掴み上げた。
「きゃっ……! 乱暴はおやめください!」
「お母ちゃんに何をするの!!」
奥の台所から、母の危機を察したさちが箒を握りしめて飛び出してきた。
現代の自室でモニターを見ていた浩平の瞳から、完全に温度が消え去った。
「あの野郎……すずさんたちに手を上げやがったな……!」
浩平の頭の芯が、恐ろしいほどの冷気に包まれた。
(運転兵は車内、海野は路上……二人を同時に無力化しなければ、運転兵が小銃を乱射する恐れがある。……車ごと、消すしかないか?)
浩平はゲーム内ショップの検索バーに『コンテナ』と打ち込んでいた。
【20ft海上コンテナ(水満載の場合・総重量約24トン)】。
これを高度10メートルからあの乗用車の上に垂直落下させれば、車体もろとも瞬時に圧殺できる。海野大尉の頭上には鉄骨を落として頸椎をへし折るか――。
人を救うために使ってきた力を、躊躇なく「圧殺」のために使おうとしている己の思考に、浩平自身が一瞬戦慄した、その時であった。
キキキィィィ――――ッ!!
路地の向こうから、もう一台の軍用乗用車が猛烈な砂煙を上げて突っ込んできた。
急ブレーキとともに飛び出してきたのは、藤堂中将の直属副官の一人・佐伯敬一郎陸軍大尉であった。
そして――佐伯大尉の左腕には、鮮やかな蛍光色の『青と黄色の二色腕帯』が、誇らしげに巻き付けられていた。
「そこまでだ、海野大尉ッ!!」
佐伯大尉の怒号が路地に炸裂した。
海野大尉が弾かれたようにすずから手を離し、振り返った。
「な……佐伯大尉!? 貴様、なぜここに……!?」
佐伯大尉は軍刀の柄に手をかけ、鋭い眼光で海野を射すくめた。
「総軍司令部の配車係を問い詰めたところ、貴様が無断で公用車を持ち出し、桜ヶ丘へ向かったと知れた! 海野、貴様は総務課の佐藤少佐と何を企んでいる!? 誰の命令で動いているのだ!」
「な、何を馬鹿な! 私は中将閣下の命に従い、民間人を保護しようと……!」
「嘘をつくな! 総軍司令部の正式な保護隊員には、この天の監視者殿より賜りし『青黄の帯』の着用が義務付けられておる! 貴様の腕には何もないではないか!」
すずとさちは、佐伯大尉の腕に輝く青と黄色の帯を見て、互いの手を固く握り締め合った。
(本物の……天の監視者のお兄ちゃんが遣わしてくださった兵隊さんだわ……!)
絶体絶命に追い詰められた海野大尉は、顔を引き攣らせた。
「く……証拠なら車内にある! 今、命令書をお見せする!」
海野はそう叫ぶや否や、身を翻して乗用車の助手席へ飛び乗った。
「出せッ! 逃げるぞ!!」
キュルルルルッ! ブロロオォォォンッ!!
運転兵がクラッチを乱暴に繋ぎ、海野の乗った車はバックギアで路地を強引に反転させると、猛スピードで逃走していった。
佐伯大尉は腰の南部十四年式拳銃を引き抜き、逃げ去る車のタイヤに照準を合わせた。
しかし――路地には逃げ惑う近隣の住民たちがいた。誤射の危険を恐れた佐伯は、引き金にかけた指をギリギリのところで止めた。
「チッ……逃げ足の速い奴め……!」
佐伯大尉は銃を収めると、肩を寄せ合って立つすずとさちの元へと駆け寄り、脱帽して深々と頭を下げた。
「すず殿、さち殿とお見受けする。第二総軍・佐伯大尉である! 我らの不手際により、恐ろしい思いをさせてしまい、心よりお詫び申し上げる!」
すずは佐伯の腕の青黄の帯を見つめ、安堵の涙を拭った。
「いいえ……ありがとうございます。天の監視者のお兄ちゃんが、あなた様が来てくださると教えてくれました」
「監視者殿が……! なるほど、あの御方が……」
佐伯は天を仰ぎ、感服の息を漏らした。
「さあ、お二人とも。我が車へお乗りいただきたい。総軍司令部にて、藤堂閣下が直々にお待ちであります!」
「はいっ……! さち、行きましょう」
「うん、お母ちゃん!」
十五歳のさちはしっかりと母の荷物を抱え、佐伯大尉の誘導に従って車へと乗り込んだ。
モニター越しにその光景を見届けた浩平は、ショップの購入画面をキャンセルし、深く、長く息を吐き出した。
(すずさんとさちちゃんは助かった……。だが、佐藤の車はまだ止まっていない。八本松の山奥で、必ずけいこ夫人たちを助け出すぞ……!)
浩平の目は再び、東広島の山道を突き進む佐藤少佐の車へと向けられた。
長崎全権勅使・黒田中将の愛する家族を救うため、八本松の峠道を舞台にした決死の救出作戦が始まろうとしていた。
この話の文字数は2万字超えた為、上下分割して連続投稿します




