1945年8月3日 国境の北
この作品はフィクションです、実在の人物や団体などとは関係ありません。
◇◇◇
最北の滑走路と「いも妻」
◇◇◇
1945年8月3日、午前10時30分。
千歳飛行場を離陸した双発の軍用輸送機は、津軽海峡から北の大空を北上し、南樺太の大泊航空基地へと滑るように着陸した。
一時間半ほどのフライトの間、幸いにもソ連軍や米軍の航空機が接近してくる気配は一切なかった。仮に迫ってきたとしても、浩平のが組んだ自動迎撃プログラムによって、上空で500L氷塊によって撃墜される運命だったのだが、何事もなく無事に到着したことに越したことはない。
機内で、橘誠一郎少佐とちひろの二人は、浩平から新たに授けられた多数の「物資引換手形」を大切に懐へ収めていた。
食料の手形だけでなく、バイオディーゼル軽油、ホワイトガソリン、個人用水筒、さらには生活必需品に至るまで——これは広島の藤堂中将から「車両の燃料や現場の器具が足りない」と突きつけられた経験から、浩平があらかじめ二人に持たせた兵站の知恵であった。
タラップを下りた二人を、出迎えた現地の連絡将校(大尉)が固い敬礼で迎えた。
「橘特使閣下! 大泊航空基地へようこそおいでくださいました。直ちに軍用車を用意しております。豊原市の第88師団司令部にて、師団長・峯木十一郎陸軍中将閣下がお待ちであります!」
今回の移動は一刻を争う緊急対応であったため、千歳で乗ったようなガソリン節約用の「石炭車」ではなく、貴重なガソリンで動く純粋な軍用乗用車が配車されていた。
二人が後部座席に収まり、軍用車がエンジン音を響かせて豊原市へ向けて走り出すと、誠一郎は助手席の大尉へ問いかけた。
「大尉。第88師団司令部へ直行する手はずになっているとは……峯木将軍は私の到着をご存じだったのか?」
ハンドルを握る大尉は、ミラー越しに首を縦に振った。
「ハッ。第5方面軍司令官兼北部軍管区司令官の樋口季一郎中将閣下より、直々に『橘少佐が到着次第、一刻も早く峯木中将に引き合わせよ』との打電がございました。……実は1〜2時間ほど前、札幌ならびに千歳周辺で、数千トンに及ぶ謎の大大規模な食糧配給が行われたとの報告が届き、樋口閣下も大いに注目されているようであります」
「なるほど……札幌の件が、すでにそこまで……」
誠一郎が苦笑いを浮かべると、大尉は長口舌を滑らせ、樺太現地の悲痛な実情を語り始めた。
「少佐殿。実は樺太という土地は、農村部に行けば馬薯や大豆、えんどう豆などが山ほど収穫されており、食糧の絶対量自体は十分にございます。……ですが、7月以降の空襲と潜水艦封鎖によってガソリンが全滅し、さらに軍の陣地構築のために糧食が大規模に徴発されたため、豊原や敷香といった都市部の民の元へ野菜が一切届かないのです」
大尉は深いため息をついた。
「この基地の航空燃料もすでに底を突いております。本日、お二人を乗せて着陸した輸送機に給油するガソリンすら一滴もございません。……操縦士は、千歳へ戻るための復路分の燃料をタンクに温存したまま、橘少佐殿の任務が終わるまで大泊基地で待機することとなっております」
それを聞いた誠一郎は、ハッと息を呑み、申し訳なさそうに深々と頭を下げた。
「……本件の窮状を事前に知っていれば、操縦士の方々に一言、深い感謝とねぎらいを伝えるべきでした。私の配慮不足です……」
「ハハ、少佐殿が謝られることではございませんよ」
運転兵の大尉は明るい声で話題を変えた。
「ところで……少佐殿。差し支えなければお伺いしたいのですが、奥様はなぜ、これほど危険な北方への行程に同行されるとお決めになったのですか? 樺太に駐屯する将官にも北海道出身者は多くおりますが、家族は安全な本土に残すのが常でございますから」
不意に振られた問いに対し、誠一郎の隣に座っていたちひろは、背筋をピンと伸ばし、凛とした声で迷いなく答えた。
「主人の身の回りの世話をするのは、妻としての当然の勤めでございます! 誠一郎が世界の果てに行こうとも、私はどこまでも一緒にお供いたしますわ!」
胸を張り、一途な瞳で言い切るちひろの姿に、運転兵の大尉は感嘆の声を上げた。
しかし、当の誠一郎は顔を真っ赤にし、盛大に動揺して手を横に振った。
「あ、いや……それは違う! いや、違わないのだが……! いも……妻が今回同行する本当の理由は、彼女自身にも阿南陸相から託された重要な関連任務があるからで……!」
動揺のあまり「妹」と言いかけて慌てて「妻」と言い直した誠一郎の言葉を聞き、運転兵の大尉は「ブッ!」と吹き出した。
「ハハハ! 少佐殿! 奥様を『いも妻(芋っぽい妻)』などとお呼びになっては、奥様がお可哀想でございますぞ! いやあ、照れ隠しで冗談を言い合えるほどご夫婦の仲が睦まじく、実に羨ましい限りですな! ハハハ!」
「ち、違う! そういう意味の『いも』ではないのだ……っ!」
必死に弁明しようと真っ赤になる誠一郎の横で、ちひろはふくれっ面をしつつも、どこかうれしそうに頬を染めてそっぽを向いていた。
◇◇◇
第88師団司令部
◇◇◇
午前11時30分。豊原市。
大泊から北上した軍用車は、南樺太の中心都市・豊原市へと足を踏み入れ入った。
道路の両脇には白樺の並木が続き、ロシア風の木造建築と日本の近代的な石造建築が混ざり合った、北国独特のエキゾチックな街並みが広がっている。だが、終戦直前の8月という時期柄、街の空気は重く張り詰め、避難用の荷物を抱えた市民や、軍用トラックが慌ただしく交錯していた。
軍用車が到着したのは、豊原市街の中心にそびえ立つ重厚な建物——「樺太庁博物館」であった。
帝冠様式と呼ばれる重厚な瓦屋根と現代的な洋風建築が融合したこの建物は、現在、南樺太を防衛する陸軍第88師団司令部として使用されていた。
車を下りた橘兄妹は、重厚な正面玄関をくぐり、司令官室へと案内された。
誠一郎の腕には、現代の自室で浩平がゲーム内インベントリ経由で印刷・転送した『樺太の戦い(1945年)』ならびに『三船殉難事件』のWikipedia情報(約50ページ)がしっかりと抱えられていた。
少佐に昇進して以来、元の上官であった黒田中将や藤堂中将ならともかく、面識のない重鎮の将官(少将や中将)と連日のように対面させられ、誠一郎の胃はきりきりと痛んでいた。何より「妻同伴の国境視察」という異常な形式が、不審に思われないかと胃を痛めていたのだ。
重厚な木製扉が開き、司令官室の中に足を踏み入れる。
そこに座していたのは、鋭い眼光と無骨な髭を蓄えた厳格な軍人——第88師団長・峯木十一郎 陸軍中将であった。
「北方連絡特使・橘誠一郎少佐であります! 天皇陛下の御心と、阿南陸軍大臣の命を受け、北方防衛の確認に参上いたしました!」
誠一郎がビシッと敬礼を捧げると、座っていた峯木中将は弾かれたように立ち上がり、大きな手で誠一郎の手を固く握りしめた。
「よくぞ……よくぞおいで下さった、橘少佐! 大本営も、ついに北方の危機に動いてくれたか!」
峯木中将の第一声は、疑念どころか心からの歓喜に満ち溢れていた。
しかし、峯木中将の視線が誠一郎の隣に佇むちひろへと移った瞬間、その眉がピクリと動き、一瞬の驚きと疑念が走った。
「……少佐。軍略の最前線であるこの地に……なぜ夫人の姿があるのだ?」
無骨な峯木中将の問いに対し、誠一郎は胃の痛みを押し殺しながら、あらかじめ練っていた理由を凛とした声で説明した。
「ハッ! ご不審に思われるのも無理はありません。本任務は極秘中の極秘。樺太庁ならびに民間疎開の視察、および敵の目を欺くための『極秘往来の偽装』として妻を同行させております。……さらに、今回の任務には妻自身にも阿南陸軍大臣より直接託された密命がございます」
「なるほど……! 大本営らしい、実に見事かつ慎重な偽装工作というわけか!」
峯木中将はポンと手を打ち、深く納得したように頷いた。
本題に入ると、峯木中将は待ってましたとばかりに熱弁を振るい始めた。大本営の特使である誠一郎に対し、喉から手が出るほど欲しい「緊急補給」を引き出すための切実な現状訴えであった。
「橘少佐! 恥を忍んで我が師団の凄惨な窮状をお伝えする! 7月の空襲と敵潜水艦による封鎖により、我が師団のガソリンおよび軽油は完全に枯渇しておる! 農村部には山のようなジャガイモや豆があるというのに、トラックが動かせず、豊原や北の敷香といった都市部の兵や民へ運ぶことすらできんのだ!」
峯木中将は地図をバシバシと叩いた。
「さらに、我が第88師団は兵力のみならず、重火器、対戦車兵器、弾薬、そして何より兵士たちの命を繋ぐ白米や砂糖といった糧食が絶望的に不足している! このままソ連軍が雪崩れ込んでくれば、我が軍は弾も食料もないまま壊滅するしかないのだ……!」
切実な悲鳴のような訴えに対し、誠一郎は静かに、しかし力強く首を横に振った。
「峯木閣下。弾薬や重兵器の補給については、本州へ戻り次第、阿南陸相と直接協議せねばなりませぬ。……しかし! ガソリンや軽油、そして米や砂糖といった兵糧についてであれば、今すぐにでも手配が可能にございます」
「な……何だと!?」
峯木中将は目を見開いた。
「今すぐ手配できるだと!? 馬鹿な、敵の潜水艦が海を埋め尽くしているのだぞ! 一体どうやって大量のガソリンや米をこの樺太へ持ち込むというのだ!?」
狼狽する峯木中将の脳裏に、ふと数時間前に第5方面軍司令官・樋口中将から届いた電報の内容がフラッシュバックした。
「あ……まさか……! 樋口閣下が仰っていた、札幌周辺で起きた『天から米が降り注いだ』という謎の大規模物資の件……! それと関係しているというのか!?」
少しずつ交渉の機微を学び取っていた誠一郎は、表情を一切崩さず、毅然とした態度で告げた。
「……本件は国家最高の絶対軍機にございます。物資の出所に疑問を抱かれるのは当然ですが、閣下におかれましては、くれぐれも周囲へ漏らさぬようお約束いただきたい」
そう前置きすると、誠一郎は抱えていた50ページに及ぶ重厚な資料——『樺太の戦い(1945年)』と『三船殉難事件』のプリントアウトを、静かに峯木中将の目の前の座卓へと滑らせたのだった。
◇◇◇
未来の記録
◇◇◇
卓上に静かに差し出された五十ページに及ぶ重厚な資料——その表紙を目にした瞬間、峯木十一郎中将の息が止まった。
表紙の中央には、陸軍省の威信を示す重々しい「陸軍大臣官印」の朱印が鮮明に押し捺されていた。さらにその一角には、格調高い墨書きの文字で、昭和天皇ご自身の筆による『裕仁』という御名が署名され、御璽が押されていたのだ。
「こ、これは……陛下の御名と……陸相の官印……!?」
怪文書や偽造の懸念を徹底的に排除するため、浩平が御前会議の折に阿南陸相と昭和天皇へ直々に依頼し、作らせておいた「絶対的証明」であった。
「……読ませてもらう」
峯木中将は緊張で指先を微かに震わせながら表紙をめくり、そこに記された膨大な文字へと目を落とした。
室内に静寂が訪れた。ページをめくる摩擦音だけが、カサリ、カサリと規則正しく響く。
そこに記載されていたのは、昭和二十年八月十一日より始まる「ソ連軍による樺太侵攻」の全貌であった。
日ソ中立条約を一方的に破棄して北緯50度線を越えてくるソ連第十六軍の動向、古屯・気屯の永久陣地における第88師団将兵の壮絶な血戦、塔路や真岡へのソ連海軍陸戦隊の不意打ち上陸、そして八月二十二日未明に留萌沖で起きた旅客船三隻の惨劇——『三船殉難事件』。
さらには、現在の第88師団の部隊配置や補給線の致命的な弱点、予備弾薬の偏りまでもが、恐ろしいほどの精度で分析・記載されていた。
1時間近く、峯木中将は微動だにせず資料に没頭した。額からポタリと脂汗が落ち、畳まれた資料の余白を濡らす。
「……これは……」
峯木中将はかすれた声を漏らし、苦痛に顔を歪ませた。
「これはまるで……すでに起きた歴史の記録ではないか。……橘少佐、本当にこれを、そのまま信用してよいのだな?」
「陛下ならびに阿南閣下が、自らその信憑性を担保された『未来の記録』にございます」
誠一郎の揺るぎない返答を受け、峯木中将は固い拳を握りしめた。
資料に書かれたソ連軍の兵力配置や侵攻ルートは、彼自身が日頃から懸念し、第5方面軍へ警戒を訴え続けていた内容とあまりにも合致していたからだ。敵の思惑すらも極めて合理的に説明されており、信じたくない現実であるにもかかわらず、軍人としての理性が「これは真実だ」と叫んでいた。
「八月二十二日……豊原陥落……! 我が第88師団が全滅し、民が踏みにじられるだと……っ!」
自らの管区が焦土と化し、無辜の民が虐殺される未来を突きつけられ、峯木中将は歯を食いしばって悔しさを噛み締めた。
「……よろしい。これがこれから起きる真実であるならば、我々はいかにしてこれを防げばよいのだ!? 補給も弾薬も足りんこの状況で、どうやって連隊規模のソ連軍を押し返せというのだ!?」
「ご安心ください」
誠一郎は静かに言葉を継いだ。
「天の『監視者』殿のお力により、ソ連の侵攻部隊を完全に阻む用意がございます。私がこれより最前線へ赴き、私に委ねられた『力』を行使することで、ソ連軍の北緯50度線越えを断固として阻止いたします」
「……何?」
峯木中将は眉をひそめた。
「監視者の力……? 橘少佐、君一人の『力』で、ソ連の師団兵力を止めるとでも言うのか?」
あまりにも荒唐無稽な言動に、峯木中将の瞳にわずかな不審と猜疑の光が宿った。大本営の特使とはいえ、一人の少佐が怪力や術の類で軍隊を止められるなど、近代軍人として到底呑み込める論理ではなかったからだ。
それを見抜いた誠一郎は、静かに立ち上がった。
「閣下。……この建物内、あるいは敷地内に『破壊しても構わない廃材』はございますか?」
「……何だと? 執務室にはないが、敷地裏の資材集積所になら放置された廃棄部品がある」
「では、そこへご案内いただけますでしょうか」
峯木中将は眉をひそめつつも、副官を呼んで三人で本館裏の「軍用資材集積所」へと移動した。
資材集積所には、ガソリン枯渇や事故で動かなくなった軍用トラックの廃車体や、歪んだ鉄板、廃棄された機械部品が山積みされていた。
「ここにある廃棄部品なら、どれだけ壊そうと好きにして構わんが……」
峯木中将が腕を組んで見守る中、誠一郎は一歩前へ出た。
誠一郎は右手をおもむろに持ち上げると、人差し指を廃トラックの分厚い鋼鉄製ドアへと向けた。まるで子供が遊ぶ「フィンガーガン(指銃)」の構えである。
(監視者殿……お願いいたします!)
誠一郎が心の中で念じ、右手の中指、薬指、小指をキュッと握り込むようにトリガーのジェスチャーを行った、その瞬間——。
ズシャシャシャシャシャシャシャシャ――――――ッ!!
衝撃波すら置き去りにする、恐るべき超音速の連続打撃音が空気を切り裂いた。
「な……ッ!?」
指先の先端わずか三センチの空間から、現代のパチンコ玉(鋼鉄球)が初速毎秒8万メートルという極超音速で連射されたのだ。
ドババババババババッ!
廃トラックの頑丈な鋼鉄ドアは、まるで薄い紙くずのように一瞬で微塵に粉砕され、背後のエンジンプロックごと貫通。さらにその向こうにある厚さ三十センチのコンクリート防壁までも、蜂の巣状に吹き飛ばして粉じんの煙を巻き上げた。
「ひ……ひいいいっ!?」
案内していた副官が悲鳴を上げて腰を抜かし、泥の中に転がった。
峯木中将もまた、目の前で起きたあまりに不条理な破壊の嵐に息を呑み、足の震えを抑えることができなかった。火薬の匂いも、銃声すらもなく、一人の男が指を向けただけで、装甲車すら貫く威力が叩きつけられたのだ。
「な……なんだ今の兵器は……!? 少佐……君の手から……何が出たのだ!?」
「これは、天の『監視者』殿より授かった自衛用の手段にございます」
誠一郎は冷静に手元を下ろした。
実はこれこそ、浩平が誠一郎とちひろの安全を確保するために組んだ「自衛用緊急攻撃スクリプト」であった。
浩平がゲーム内ショップで大量購入したパチンコ玉を、二人の指先直前に転送・出現させ、指定方向へ超高初速を付与して射出するシステムである。
さらに親指と小指を素早くダブルタップすることで、弾丸の種類を「パチンコ玉」「1キロの鉄球」「1リットルの氷塊」「500リットルの巨大氷塊」へと瞬時に切り替えることすら可能であった。
「……閣下。これはほんの挨拶程度の力に過ぎません。さらに巨大な『氷の塊』や『防壁』を出現させる手段も預かっておりますが……街中でやれば大騒ぎになりますので、北緯50度線の最前線にてお見せいたします」
峯木中将は、額の汗を拭うことすら忘れ、怪物を見るような目で誠一郎を見つめた。疑念は完全に吹き飛び、代わりに「これならばソ連軍を阻止できるかもしれない」という恐ろしいほどの期待が胸を満たしていった。
「よし……分かった! 橘少佐、君の『力』を全面して信用しよう!」
誠一郎は静かに頷くと、資材集積所の広大な空きスペースへと視線を向けた。
「ちょうどここには広い空き地がございます。……峯木閣下、先ほど仰っていたガソリンと軽油の不足、そして米と砂糖をまずはこちらをお受け取りください」
誠一郎はポケットから浩平から渡されていた引換手形を取り出し、手形枠へ暗号コードを素早く記入した。
ズド・ズド・ズド・ズドドドド―――――ッ!!
「うわああああああっ!?」
何もない空き地の上に、緑色の中型燃料缶の山が、地鳴りを立てて突如として出現した。
ホワイトガソリン: 10,000L(約550缶)
B100バイオディーゼル軽油: 10,000L(約500缶)
【購入総額:9,950,000ゼニ】
一瞬にして積み上がった2万リットルもの燃料の山を前に、峯木中将は言葉を失い、へたり込むようにその場に膝をついた。
「ガ……ガソリンが……軽油が……山のように……!」
「これで、豊原や大泊のトラックを今すぐ動かせます。農村部のジャガイモや豆を、お腹を空かせた市民と将兵へ配給してください」
◇◇◇
白銀の米袋と樺太の命脈
◇◇◇
「……そして、こちらもお受け取りください」
橘誠一郎少佐は燃料缶の山から少し離れた資材集積所の広い空きスペースへ移動すると、二枚目となる大口物資引換手形を取り出し、鉛筆でシリアルコードを迷いなく書き写した。
ズド・ズド・ズド・ズドドドド―――――ッ!!
地鳴りのような落振音が再び響き渡り、空気が激しく震動した。
何もない空き地の上に、今度は純白の麻袋と紙袋が、怒涛の雪崩となって隙間なく積み上がっていった。
精米: 300トン(業務用20kg×15,000袋)
上白糖: 150トン(業務用20kg×7,500袋)
【購入総額:105,000,000ゼニ】
1945年当時の南樺太において、中心都市である豊原市の人口は約4万人弱、南の大泊町は2万人強、西海岸の真岡町は2万人弱、北方の落合町は約2.5万人。さらに周辺の沿線集落を合わせると、主要都市圏の人口はおよそ12万人にのぼる。
今回誠一郎が出現させた糧食は、この12万人の全住民に対し、一人あたり白米2.5キログラム、上白糖1.25キログラムを行き渡らせることができる莫大な量であった。
樺太は元よりジャガイモや豆類といった主食の絶対量自体は足りている。だからこそ浩平は、過酷な局勢に疲弊した人々の『食に対する満足感と気力』を一気に底上げすべく、極上の純白米と貴重な上白糖を重点的に配給する判断を下したのだ。
山のようにそびえ立つ真っ白な米袋と砂糖袋の威容を目にし、第88師団長・峯木十一郎中将は震える手で地面の泥を強く握りしめた。その目からポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちる。
「あ……ありがたや……! 感謝いたす、橘少佐……! いや、天の『監視者』殿……! これで樺太の民も、我が第88師団の将兵も、本当の意味で飢えと絶望から救われる……!」
武骨な中将が感極まって叫ぶ声を背に受けながら、誠一郎は静かに頷いた。
「峯木閣下、感傷に浸っている時間はございません。ただちに部隊を動かし、この糧食と燃料を各地へ届けてください」
「うむ……! うむ、その通りだ!」
我に返った峯木中将はすぐさま副官に大声で怒号のような命令を下した。
「副官! ただちに集積所にいる全トラックをかき集めよ! この米と砂糖、そしてガソリンと軽油の燃料缶を大至急『豊原駅』へ搬入するのだ! 樺太鉄道の臨時貨物列車に積み込み、真岡、大泊、落合の各町へ向けてただちに発送せよ!」
「ハッ! 直ちに手配いたします!」
破顔した副官が脱兎のごとく走り出し、集積所は一転して歓喜と熱気に包まれた大搬出作戦の場へと変わっていった。
◇◇◇
しかし、手配を進める中で一つの現実的な課題が浮き彫りとなった。
今回支給された燃料(ホワイトガソリン10,000L、バイオディーゼル軽油10,000L)は莫大な量に見えるが、当時の軍用トラックの燃料タンク(容量約70L)を満タンにすれば約140回分、乗用車(容量約53L)であれば約188回分に過ぎない。
各地へのピストン輸送や農村部からのジャガイモ集積を本格化させれば、わずか二日程度で底を突いてしまう計算だった。
「橘少佐……非常に心苦しいのだが、各方面への鉄道輸送と農村部の集荷を本格化させるには、ガソリンと軽油がまだ圧倒的に不足しておる。重ねて追加のご支給をお願いすることは叶わぬだろうか……!」
峯木中将からの切実な打診を受け、誠一郎は即座に同意した。
「承知いたしました。では、これ以上の燃料はどこへ運ぶのが最も効率的でしょうか?」
「それならば、鉄道の発着拠点である『豊原駅の積荷作業場』だ! 直接駅の倉庫へ下ろせば、貨物列車への積み込みも迅速に行える!」
「了解いたしました。では、直ちに豊原駅へ向かいましょう」
峯木中将、橘誠一郎、ちひろの三人は、副官が運転する軍用車に飛び乗り、米や砂糖を満載したトラックの列とともに豊原駅へ向かって出動した。
◇◇◇
午後2時00分。豊原駅・積荷作業場。
煙突から黒煙を上げる蒸気機関車と、無数の貨車が並ぶ豊原駅の積荷倉庫に到着した際、トラックの荷台から兵士たちが汗だくで米袋を降ろす姿を見て、誠一郎はふと己の眉間を寄せた。
(……最初から司令部ではなく、この豊原駅の積荷倉庫に直接物資を出しておけば、トラックの往復燃料代も兵士たちの労力も大幅に節約できたはずだ。私の配慮が足りなかったな……)
自らの機転の浅さを反省し、小声で息を吐いた誠一郎の横で、ちひろがクスクスと可愛らしく微笑んだ。
ちひろは兄の顔を覗き込み、袖をちょんと引っ張りながら囁いた。
「ふふ、旦那様。何を考えていらっしゃるのか、私にはお見通しですわ」
「えっ……? ち、ちひろ、何のことだ?」
「『最初から司令部ではなく、この駅の倉庫に下ろすべきだった』って、ご自身の配慮不足を反省していらしたでしょう?」
図星を指された誠一郎は言葉を詰まらせ、顔を赤くして目を泳がせた。
「う……っ、な、なぜ分かった……」
「だって、お兄ちゃん……あ、いえ、旦那様のことなら何でも分かりますもの。でも、気にすることはありませんわ。峯木閣下も兵隊さんたちも、あんなに喜んでいらっしゃるのですから」
ちひろの温かい励ましに、誠一郎は照れくさそうに首を掻き、気を取り直して積荷作業場の広大な構内倉庫へと歩み出た。
「峯木閣下、これより追加の燃料を支給いたします」
誠一郎は引換手形を取り出すと、豊原駅倉庫の空き区画に向かい、手形枠へ暗号コードを記入した。
ズド・ズド・ズド・ズドドドド―――――ッ!!
倉庫内の広大な床の上に、圧巻の緑色のドラム缶と中型燃料缶の山が出現した。
B100バイオディーゼル軽油: 50,000L
ホワイトガソリン: 50,000L
【購入総額:49,750,000ゼニ】
合計10万リットルに及ぶ膨大な極上燃料。
このうち軽油・ガソリン各40,000Lは真岡や大泊、落合など周辺各町へ鉄道で緊急輸送され、残る各20,000Lは豊原市内の輸送用在庫として保管される手はずとなった。
間もなく、豊原駅の構内には汽笛の音がけたたましく鳴り渡った。
西樺太の拠点都市・真岡へ向かう豊真線(豊原駅〜手井駅〜真岡駅間)の臨時貨物列車に、山のような白米、砂糖、そして燃料缶がぎっしりと積み込まれ、蒸気を噴き上げて力強く発車しようとした
◇◇◇
山越えの豊真線と未来の馳走
◇◇◇
誠一郎は、ふと時計に目をやった。
現在は午後二時過ぎ。これから北緯50度線の最前線である「上敷香」へ向かうには、本日の移動としてはすでに遅すぎる時間であった。
そこで誠一郎の脳裏に、現代の自室にいる監視者・浩平からのアドバイスが鮮やかによみがえった。
『誠一郎、ちひろ、できれば足を運べる範囲でいいから、移動するエリアを広げてほしい。君たちが実際に自分の足でその土地を踏むことで、私は初めてその地域で力(マップを解放し直接介入)を行使できるようになるんだ』
誠一郎は決意を固め、隣に立つ峯木中将に向き直った。
「峯木閣下。本日はこれより上敷香へ向かうには刻限が遅すぎます。つきましては、任務の一環として、本日中に西海岸の重要拠点である『真岡』を直接視察したく存じます」
数々の不条理な「奇跡」を目の当たりにし、誠一郎への絶大な信頼を深めていた峯木中将は、二つ返事で頷いた。
「素晴らしいご提案だ! 真岡は西樺太の兵站と港湾の要衝。ぜひとも現地をご覧いただきたい! 私も同行いたしよう!」
こうして一行は、先ほど発車準備を整えた真岡行きの臨時貨物列車に連結された、一両の木造客車へと乗り込んだ。
ファー―――――ッ!!
重厚な汽笛とともに、豊真線の臨時列車が豊原駅をあとにした。
豊原から真岡までの距離はおよそ76〜84キロメートル。平地であれば二時間程度の距離であったが、豊真線は「西樺太山脈」という険しい山々を穿ち、連続急勾配と有名な「ループ線(らせん状の線路)」を越えていく難所中の難所であった。そのため、目的地までの所要時間は約四時間に及ぶ長旅となる。
ガタゴトと音を立てて山あいへ差し掛かった客車内で、峯木中将がハッと悔しそうな顔をして頭を下げた。
「……申し訳ない、橘少佐! 連絡と手配を急ぐあまり、お二人のお昼の食事を手配するのをすっかり失念しておった……! 閣下と夫人を飢えさせたまま山越えをさせるとは、不覚の極み……!」
「ハハ、峯木閣下、お気になさらないでください」
誠一郎は爽やかに微笑むと、ポケットから1セットの『選択式・弁当引換手形』(手形+暗号文の二枚組)を取り出し、峯木中将の手元へ差し出した。
「我らには、天の『監視者』殿より賜った糧食がございます。閣下、こちらの紙の手形にお好きな品を選び、隣の暗号文を書き写してみてください」
「む……? この紙切れで、食料が出ると……?」
一方、ちひろはすでに自分が所持していた手形を取り出し、手慣れた手つきで『ハンバーグ弁当』のチェック欄に印をつけ、暗号文を浩平からもらったボールペンで丁寧に書き写していた。
ポン。
「わあ……! 温かい……!」
ちひろの手元に、出来立ての湯気を立てる香ばしいデミグラスソースのハンバーグ弁当が突如として出現した。
「な……なにぃっ!?」
目の前で起きた現象に目を丸くした峯木中将は、慌てて誠一郎から手渡された手形と万年筆を握りしめた。手形に並ぶメニューの中から、峯木中将は迷わず『カツ丼』の項目にチェックを入れ、暗号コードを一字一字丁寧に書き写した。
書き終えた次の瞬間——。
ポン。
「うわああああっ!?」
峯木中将の膝の上、ずっしりとした重みとともに、発泡スチロール丼容器に入った出来立て熱々の「カツ丼」が姿を現した。
透明のフタを開けると、揚げたてのカツに甘辛い出汁と半熟の卵がとろりと絡み、カツオ出汁と醤油の濃厚で香ばしい匂いが狭い客車内に立ち込めた。
「こ……これは……揚げたての豚カツの玉子とじ……カツ丼ではないか……!? なぜ、今この山中の列車内で、これほど温かく香ばしい料理が……!?」
「閣下、冷めないうちにどうぞお召し上がりください」
誠一郎に促され、峯木中将は震える手で割り箸を取り、分厚いカツを一口口へと運んだ。
「んんん――――――――っ!!」
峯木中将の目が飛び出さんばかりに見開かれた。
「う……美味い……!! なんというジューシーな肉の旨味……! 出汁の甘みと玉子のまろやかさが、白米にしみ込んでおる……! 我が人生において、これほど美味いカツ丼を口にしたことはないぞ……!!」
戦時下の粗食に耐え続けてきた陸軍中将は、感涙を流しながら、ガツガツと猛烈な勢いで熱々のカツ丼を頬張った。
誠一郎も自身の手形で同じく「カツ丼」を引き換え、三人で向き合いながら出来立ての温かい弁当を口にした。
窓の外には、西樺太山脈の雄大な緑と険しいループ線の車窓が流れていく。
1945年の過酷な戦乱の最中、ガタゴトと揺れる列車の中で、三人は82年後の未来からもたらされた至高のご馳走を囲み、心温まる穏やかな時間を分かち合っていたのだった。
【現在のクレジット残額:536,447,680ゼニ】
【ゲーム内で関わった人数:約149,000人】
【新しく解放されたマップ:大泊町、豊原市、真岡町】
お待たせしました
今回は全部樺太の話になります
次は広島が本格に動き出したい話を書きたいと思います
投稿する現在は2026年8月9日になっており
長崎原爆の犠牲者や遺族に、お悔やみ申し上げます
世界中に、二度とこのような理不尽なことがないように、祈っております




