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1945年8月2日 勝者の傲慢

この作品はフィクションです、実在の人物や団体などとは関係ありません

【現在のクレジット残額:1,130,423,080ゼニ】

【ゲーム内で関わった人数:約134,000人】


1945年8月2日、午後4時30分。


「即席の終戦御前会議」においてポツダム宣言の条件付き受諾が固まり、激動の一日は最大の難関である「戦犯免責リストの作成」へと移行していた。


現代の自室にいる浩平は、パソコンの画面に向かいながら眉間に深いシワを寄せていた。

アメリカをはじめとする連合国との交渉において、日本側が「戦犯裁判の免責」を無条件に全員分要求しても、到底突っぱねられるのは目に見えている。だからこそ、2027年の現代国際法の観点から見て、最も「不当に処罰されるべきではない人物」を論理的に整理し、1位から10位までのサンプルリストを作成していた。


浩平の頭の中には、東京裁判という存在に対する激しい怒りと憤りが渦巻いていた。


(東京裁判の最大の問題は、開戦当時に存在しなかった『平和に対する罪(侵略罪)』という事後法で個人を裁いた点だ。現代の罪刑法定主義に照らせば、そもそも根底からして手続き違反なんだよ。それに、軍部の暴走を止められなかった文官の政治家や外交官に対して一律に『共同謀議』の罪を被せるなんて、現代の法廷じゃ絶対に通用しない)


現代の国際人道法において、戦争犯罪の責任は「直接的な指示を出した指揮官」や「実質的な軍事・政治統率権を持っていた者」に帰せられる。実権のない名目上の役職や事務方、あるいは軍部を抑え込めなかった無力な文官を「侵略の共同謀議」として一括りに処罰することは、証拠不十分であり、犯罪構成要件すら満たさない。


「……だけど、免責にできるのはあくまで『事後法の不当適用』や『立場上、無理やり責任を負わされた文官』に限られるんだよな。陸軍や海軍の将官たちまで免責リストに載せたら、アメリカが交渉のテーブルに着くはずもない……」


浩平はキーボードを叩きながら、苦々しい溜息をついた。


「支那派遣軍総司令官だった畑のおやじだって、部下の部下が非人道的な行為をしたのを看過した上官責任を問われれば、現代法でも過失責任は免れない。……史実じゃ終身刑だけど、現代法なら過失管理責任でせいぜい懲役十年程度か。おやじには世話になってるけど、ここへ私情を混ぜるわけにはいかないな」


浩平は葛藤を押し殺しながら、現代法の理路に基づいた厳格な10名の免責リストを完成させた。


第1位:東郷 茂徳(元外相) 【史実判決:禁錮20年】

※犯罪意図の完全な欠如と真摯な和平努力。ICCローマ規程における「侵略の意図・計画への実質的関与」が皆無であり、現代法では無罪筆頭。


第2位:重光 葵(元外相) 【史実判決:禁錮7年】

※一貫した反戦・親英米派であり、終戦を主導した功績。「侵略戦争の継続・遂行」の故意が認められず、現代法では無罪の蓋然性が極めて高い。


第3位:広田 弘毅(元首相・外相) 【史実判決:絞首刑(死刑)】

※文官であり、軍の不作為への過剰処罰。現代法の「上官責任」は実質的な軍指揮権を持つ者に限定されるため、文官への死刑適用は明確な違法。


第4位:木戸 幸一(元内大臣) 【史実判決:終身錮】

※憲政維持と終戦工作の主導。「侵略の共同謀議」ではなく「破滅を避けるための政治的裁量」であり、犯罪意図は否定される。


第5位:賀屋 興宣(元蔵相) 【史実判決:終身錮】

※技術官僚としての従属。開戦前には対米戦に明確に反対しており、最高主導権を持たない経済官僚への有罪適用は現代法では困難。


第6位:荒木 貞夫(元陸相・文相) 【史実判決:終身錮】

※開戦の何年も前に引退していた「過去の人」。思想や言論のみを捉えて実行行為の罪を被せるのは刑事法上の明白な誤り。


第7位:小磯 国昭(元首相) 【史実判決:終身錮】

※終戦工作のための首相就任と統帥権の不在。軍部から情報隠蔽された実権なき指導者に上官責任を負わせることはできない。


第8位:平沼 騏一郎(元首相) 【史実判決:終身錮】

※保守的な法曹界の重鎮。対米開戦プロセスでは慎重派であり、具体的関与が薄いためステータスのみでの処罰は違法。


第9位:白鳥 敏夫(元駐伊大使) 【史実判決:終身錮】

※外交官としての政策提言への過剰処罰。同盟条約の交渉や言論と、国際法上の個人犯罪(侵略罪)は明確に区別されるべき。


第10位:佐藤 賢了(元陸軍省軍務局長) 【史実判決:終身錮】

※中堅の事務官僚。侵略罪で裁かれるのは政策を実質的に指揮・形成できる最高指導者に限定されるため、執行官僚への重罪は不当。


◇◇◇

6枚の免責リスト

◇◇◇


浩平は、この10名のリストと現代法の解説文を合わせ、A4用紙六枚(説明文1枚+リスト5枚)にまとめ、ゲーム内のプリンターで印刷してホッチキス留めを施した。


ポン。


作戦机の上に、六枚の書類の束が静かに転送されてきた。

木戸内大臣がそれを恭しく拾い上げ、一番上の説明文から順にページをめくった。


「これは……『戦犯免責リスト』……?」


目を通していた木戸内大臣の手が、第4位の項目でピタリと止まった。そこには自分の名前と、自らが終身刑に処される未来、そして現代法における無罪のロジックが克明に記されていたのだ。木戸は息を呑み、メガネを押し直してその文字を見つめた。


昭和天皇もまた、木戸から渡された文書をじっくりと手にとられた。

冒頭に書かれた浩平の文面――事後法禁止の原則、不当な思想犯処罰の否定、そして未来の「権力と責任の明確化」という法理論に目を通された昭和天皇は、深く感心されたように深く首を頷かせた。


「……浩平殿の法理論は、実に見事であるな。権力を持つ者がその直接の責任を負い、実権なき者や思想の自由を不当に罰せぬ……。未来の裁判とは、これほどまでに公平かつ客観的なものか」


座卓を囲む閣僚たちの間にも、書類が回された。

史実で終身刑となる未来を受け入れていた梅津参謀総長は、自分がリストに含まれていない現実を突きつけられ、歯を食いしばって無念を押し殺していた。一方で、救済の対象として挙げられた東郷外相や木戸内大臣は、安堵の息を漏らしていた。畑元帥はすでに浩平から与えられた回顧録で己の未来(終身刑)を知っていたため、悟りを開いたような静けさで座していた。


しかし、浩平の頭を悩ませていたのは、唯一の不確実要素である阿南惟幾陸相であった。

史実の阿南は八月十五日未明に自決したため、東京裁判の確定判決が存在しない。だが、この世界で終戦へ向けて全面的に協力してくれた阿南を、このまま野放しにして戦犯として処刑させるなど、浩平の情が許さなかった。


(阿南陸相をなんとしても逃がしたい……。免責リストに載せられないなら、後で私独自の手で動いて救い出すしかないな)


浩平は画面越しに阿南の無骨な背中を見つめ、密かに誓いを立てていた。


◇◇◇

御加筆

◇◇◇


免責リストを一通り確認された昭和天皇は、愛する部下たちの将来を思い、意を決したように静かに口を開かれた。


「木戸。……免責とまでは行かずとも、阿南と畑の二人が死刑になることだけは、何としても避けたい。朕の願いとして、ここに書き足しておきなさい」


「……ハッ。畏まりました」


木戸内大臣は懐から万年筆を取り出すと、浩平から届いた免責リストの最後のページの空白欄に、謹んで昭和天皇の御意志を追記した。


『追記:阿南惟幾ならびに畑俊六の両名については、免責に至らずとも死刑(極刑)を免除せられたし ――宮内省・木戸』


モニターの前でその様子を見ていた浩平は、苦笑いを浮かべながら呟いた。


「個人的にはめちゃくちゃ嬉しい配慮だけど……果たしてアメリカがこれを呑んでくれるかな。まあ、たった二人分の減刑要求なら、未来の情報や2.4トンの金塊で買える物資と『終戦の即時受諾』という圧倒的なカードがある。ギリギリ交渉の範囲内かもしれないな」


浩平はすぐさま次の行動に移った。


『全A級戦犯のWikipedia情報』(約50ページ分)をインベントリのプリンターで一気に印刷。さらにゲーム内ショップから専門書『BC級戦犯関係資料集』(10,000ゼニ)を購入し、厚い資料の山を作戦机の上へと転送した。


ドスン。


大量の歴史資料と専門書が机の上に積み上がり、鈴木首相や東郷外相はその膨大な情報量に目を見張った。


浩平からの添え状にはこう記されていた。


『こちらの資料をもとに、今回お渡しした10名の免責リストとお二方の減刑要望を軸として、今後二日以内に内閣主導で極秘裏に追加検討を進めてください。 ――監視者 浩平』


「よし……これで『法』の戦いの準備も整った」


鈴木首相は眼鏡をかけ直し、積み上がった資料に力強く手を置いた。

「東郷君、迫水君。今夜から不眠不休で作業にかかるぞ。我々の手で、未来の不当な裁判から我が国の同胞を護り抜くのだ!」


「ハッ!」


御文庫附属室の冷たい風の中、敗戦の屈辱を越えて、未来の「法と正義」を武器に連合国と対峙するための熾烈な準備作業が、静かに始まろうとしていた。


◇◇◇

博多の途中停車

◇◇◇


時間が少し遡って

1945年8月2日、午後0時30分。


広島を発った長崎全権勅使・黒田中将を乗せた特別臨時列車は、夏の日差しが照りつける博多駅の待避線へと静かに滑り込んだ。

ここでは人員の交代と車体の点検、給水を行うため、約二時間の途中停車が予定されていた。長崎へそのまま直行することも可能ではあったが、この停車にはもう一つ、重大な目的が存在していた。


車窓の向こう、プラットフォームには数名の将校を引き連れた一人の陸軍中将が、威風堂々とした立ち姿で列車の到着を待っていた。


西部軍管区司令官・横山勇中将である。


昨夜、阿南陸相から直々に「長崎全権勅使として黒田中将が九州へ向かう。便宜を図られたし」との極秘電報を受け取っていた横山中将は、自ら博多駅まで迎えに参上していたのだ。


タラップを下りてきた黒田中将に対し、横山中将はピシリと敬礼を交わした。


「黒田閣下。遠路はるばるのご到着、ご苦労に存じます。西部軍管区司令官、横山勇であります」


「横山閣下、出迎え感謝する。お互い中将同士、そう堅苦しい挨拶は抜きにしよう」


同じ階級ではあるものの、黒田は昭和天皇から直接任じられた「全権勅使」という最高位の肩書がある。横山中将もその立場に相応しい礼を払いながらも、鋭い眼光で黒田の表情を探っていた。


二時間という限られた停車時間を無駄にはできない。二人は速やかに駅のロータリーで待機していた黒塗りの軍用車へと乗り込み、九州の軍事中枢である福岡城内の「西部軍管区司令部」へと急行した。


◇◇◇

城内の攻防と未来の惨禍

◇◇◇


福岡城跡・西部軍管区司令官室。


重厚な木製デスクを挟み、黒田中将と横山中将は向かい合っていた。

将兵の配置や防衛体制など九州全域を総括する横山にとって、突如として全権を引っ提げて乗り込んできた黒田の「本当の目的」を把握することは、職務上避けては通れない課題であった。


横山中将は茶を差し出し、慎重に切り出した。


「黒田閣下。勅使のお立場を重んじ、余計な差配をするつもりはございませぬが……率直にお伺いしたい。長崎にて、一体どのような特殊任務をお帯びなのですか? 九州を預かる者として、知らぬわけには参りませぬ」


その鋭い詰問に対し、黒田はフッと口元を緩め、場を和らげるように手を振った。


「そう身構えんでくれ、横山閣下。私は閣下の権力や立場を奪いに来たわけではない。この『全権勅使』という肩書は、あくまで期間限定の応急的なものだ。実務に落とし込めば二週間もすれば任務を終え、私は本来の任地である広島へ帰還することになる」


「二週間……?」


横山は眉をひそめた。しかし、簡単に引き下がるような器量ではない。


「しかし閣下、広島の第二総軍が呉市へ莫大な食糧配給を行ったという噂は、私の耳にも届いております。長崎でも同じことをなさるおつもりか?」


横山の探るような視線を受け、黒田は腹をくくった。長崎での作戦を完璧に遂行するためには、九州の軍権を握る横山中将の全面的な理解と協力が不可欠であると悟ったからだ。


「……口外無用をお約束いただけるか、横山閣下」


黒田はそう前置きすると、今朝がた列車内で浩平から支給され、食い入るように読み込んでいた一冊の書籍を取り出し、卓上へと静かに滑らせた。


それは、浩平がゲーム内ショップから購入した『決定版・長崎原爆写真集』(2,500ゼニ)であった。


「……これは?」


横山が不審そうにページをめくった瞬間、その表情が凍りついた。


そこに印刷されていたのは、一瞬の白い光とともに壊滅した長崎の街並み、爆風でへし折られた浦上天主堂、そして皮膚を垂らして彷徨う人々や焦土に転がる黒焦げの遺体という、あまりにもむごいカラー写真の数々であった。


「な……なんだこの写真は……!? 敵国の捏造した工作物か!? 謀略の類か!?」


激昂して立ち上がりかける横山に対し、黒田は座ったまま、冷徹な一言を叩きつけた。


「静まりたまえ、横山閣下。……これは一週間後、八月九日に長崎に投下される予定の『新型爆弾(原子爆弾)』の真実の姿だ。これは陛下、そして阿南陸相から直々に下された極秘任務なのだぞ。閣下は、陛下の御判断とご聖慮を疑うおつもりか?」


「っ…………!!」


「陛下」の名を出された横山中将は、言葉を詰まらせて再び椅子へと深く沈み込んだ。額から脂汗が滲み出る。


「……長崎に、このような惨禍が起きるとおっしゃるのか……」


「そうだ。だからこそ私は長崎へ向かう。横山閣下、長崎要塞司令官の谷口元治郎中将、ならびに長崎地区司令官の松浦豊一少将へ、私の指示に全面協力するよう命を出していただきたい」


横山は深く息を吐き、写真を固く閉じると、意を決したように黒田を見つめ返した。


「了解いたしました。谷口、松浦の両名には直ちに全権を委ねるよう手配いたします。……ですが閣下。見返りと言っては不躾ですが、福岡、ならびに長崎への物資のご援助を要請したく存じます」


横山は声を落とし、現実の苦境を吐露した。


「福岡の人口は二十五万人。周辺の筑紫平野という穀倉地帯の鉄道が生きており、我が軍の管理のもと最低限の配給は機能しております。しかし……港町である長崎の食糧事情は、ここより遥かに悲惨であります。このままでは新型爆弾の前に、民が餓死いたし兼ねません」


◇◇◇

福岡城の兵站

◇◇◇


「もう時間はなさそうだな。横山閣下、今すぐにでもこの福岡城内で、大量の物資を格納できる倉庫へ案内してもらいたい」


黒田の要請を受け、横山中将は自ら先頭に立って黒田を城内の大型兵糧倉庫へと案内した。

頑丈な木造の巨大な倉庫内に足を踏み入れれば、そこに積まれていたのは大豆の絞りかす、乾燥トウモロコシ、サツマイモといった、見るからに痛々しい代用食の山がわずかに残されているだけであった。


黒田は広大な空きスペースの中央へと歩み出ると、ポケットから三セットの「紙切れ」を取り出した。

それは、浩平から手渡されていた「大口物資引換手形」であった。


精米500トン(業務用20kg×25,000袋)

小麦粉500トン(業務用25kg×20,000袋)

上白糖300トン(業務用20kg×15,000袋)

【購入総額:235,000,000ゼニ】


人口25万人の福岡市において、一人一日2000キロカロリーで計算すれば、これは市民全員の「丸一週間分」の命を支える絶大な食料規模であった。


「黒田閣下……一体何をなさる気で?」


不可解な顔で問いかける横山に対し、黒田は静かに振り向いた。


「これより起きることは、陛下の御心と、天の『監視者』殿の御力によって実現する代物だ。断じて私の力ではない。……横山閣下、そこからじっと見ておられるといい」


黒田は鉛筆を取り出すと、一枚目の「精米五百トン」の手形の空白枠へ、暗号文紙片に記されたシリアルコードを迷いなく書き写した。


最後の文字を書き終えた、まさにその瞬間――。


ズド・ズド・ズド・ズドドドド―――――ッ!!


「なっ……!? うわああああっ!?」


何もない広大な床の上に、ずっしりと米の詰まった二十キロ入りの純白の米袋が、雪崩のような音を立てて突如として出現した。一瞬にして倉庫の半分弱を埋め尽くした米袋の山――その数、実に二万五千袋(500トン)。


「ひ……米袋が……!? 空間から湧いて出ただと……!?」


現実主義者である横山中将は腰を抜かしかけ、壁に手をついて目を見開いた。


黒田は動じることなく、隣の空きスペースへと移動した。

二枚目の手形に暗号を書き写すと、今度は二万袋の小麦粉(500トン)が整然と積み上がった。

さらに残された最後のスペースへ移動し、三枚目の手形に書き込むと、一万五千袋の上白糖(300トン)の山が神々しくそびえ立った。


わずか数分前までがらんとした巨大倉庫が、天井に届かんばかりの食料の山で完全に埋め尽くされたのだった。


黒田は茫然自失の体で口をぐぐらせる横山中将に向き直り、静かに告げた。


「横山閣下。これは福岡の市民が一週間食いつなぐための食料だ。一週間後には、東京から政府の配給担当者が全国の都市を巡り、同じように米や小麦粉を届けてくれることになっている。……長崎への刻限が迫っている。これにて失礼するよ」


「あ……あ……っ」


目の前にある圧倒的な物質の真実と、物理法則を無視したあまりにも不条理な搬入手段。横山中将は頭を抱えて愕然としていたが、生粋の軍人としての理性が追いつくと、慌てて背筋を伸ばした。


「す……直ちに軍用車を手配させます! 黒田閣下を博多駅まで最速でお送りしろ!」


横山は大声で部下たちへ命じ、深々と黒田へ向けて頭を下げたのだった。


◇◇◇

博多発・長崎行きの昼餐

◇◇◇


午後2時30分。


横山中将の手配した車で博多駅へと戻った黒田中将は、再び点検の終わった特別臨時列車へと乗り込んだ。

プロペラ機のような蒸気を噴き上げ、列車がゆっくりと長崎へ向けて動き出した時、黒田の腹が「グゥ〜」と情けない音を鳴らした。


(そういえば……昼飯を食べるのをすっかり忘れていたな。せっかくだから、監視者殿からいただいたお弁当を横山閣下と一緒に食べればよかったな)


黒田は苦笑いを浮かべた。

いちいち弁当を転送するのが非効率だと考えた浩平から、あらかじめ選択式の「弁当引換手形」を数十枚渡されていたことを思い出したのだ。


黒田は懐から「弁当引換手形」を一枚取り出し、鉛筆で『ハンバーグ弁当』のチェック欄に印をつけた。そして、セットの暗号文を丁寧に書き写した。


ポン。


手形の上、黒田の手元に、出来立ての湯気を立てる温かい「ハンバーグ弁当」が突如として現れた。ふっくらとしたハンバーグに濃密なデミグラスソースがかかり、付け合わせのポテトと艶やかな白米が並んでいる。


「ふむ……未来の洋食というものは、なんと香ばしい香りがするのだ」


長崎までの所要時間は約三時間。

黒田は車窓を流れる九州の田園風景を眺めながら、ジューシーなハンバーグを口へと運んだ。


(長崎に着けば、要塞司令部との調整、市民の疎開計画、そして原爆投下を阻止するための布陣……やるべきことは山積みだ。だが、陛下の御心と監視者殿の御力がある限り、我らは絶対に負けぬ)


温かい白米を噛み締めながら、黒田中将の瞳には、一週間後の長崎を絶対の惨劇から救い出すという固い決意が宿っていた。


【現在のクレジット残額:895,410,580ゼニ】

【ゲーム内で関わった人数:約140,000人(new: 福岡配給により直接、間接な救命数とその家庭への影響+6000人)】


◇◇◇

北の大地にて

◇◇◇


1945年8月2日、午後5時30分。


東京・羽田からの長いフライトを終え、双発輸送機は夕闇の迫る北海道・千歳飛行場へと無事着陸した。

タラップを下りてきた橘誠一郎少佐と、妻として同行している妹のちひろの二人を、滑走路脇で待機していた一人の陸軍大尉が直立不動の敬礼で迎えた。


「特使閣下! 千歳飛行場連絡室の加藤大尉であります! 大本営からの電報により、お待ちしておりました。明朝の給油並びに離陸手配、そして本日のご宿所の準備はすべて完了しております!」


「ご苦労、加藤大尉。急な着陸で手数をおかけしたな」


誠一郎が礼を述べると、加藤大尉は二人を滑走路脇に停車していた古びた車両へと案内した。ガソリンの枯渇により、車体後部に巨大なボイラーを取り付けた代用燃料の「石炭車」である。


黒煙と特有の焦げ臭い匂いを撒き散らしながら、石炭車はノロノロとした速度で千歳の街中にある旅館(現在は軍指定の宿泊所)へと向かって走り出した。


本来であれば、案内役に過ぎない加藤大尉は送迎のみで退くはずであった。しかし、運転席の加藤大尉はバックミラー越しに何度も誠一郎の顔をうかがい、ついに意を決したように重い口を開いた。


「……特使閣下。失礼を承知で、お伺い申し上げます。……中央(東京)の食糧事情は、やはり厳しいのでしょうか」


「……うむ。帝都も焼け野原となり、民の窮状は目を覆うばかりだ」


誠一郎が重く頷くと、加藤大尉はハンドルを握る手にぐっと力を込め、悲痛な声を上げた。


「実は……ここ北海道も、すでに限界を超えております! 7月中旬の空襲で青函連絡船を壊滅させられ、本州との物流は完全に途絶いたしました。『北海道に行けば飯がある』と信じて流入してきた避難民や増強部隊に対し、給養が全く追いついておりません! 兵も民も、明日の米すら満足に口にできぬ有様なのです……!」


加藤大尉は、羽田から特別機で飛んできた誠一郎を「大本営の裏ルートや強力な物資配給の権限を持つ特使」と思い込んでいた。


「閣下! どうか大本営へお戻りの際は、この北海道の悲惨な現状をお伝えいただき、優先的な食糧手配をご進言いただけないでしょうか……! このままでは冬を越す前に、北の地は飢餓で全滅いたします!」


喉を詰まらせて訴えかける若い大尉の姿に、ちひろは胸を締め付けられる思いで俯いた。しかし、誠一郎は陸軍将校としての冷静さを保ち、静かに言葉を返した。


「……大尉の切実な訴え、確かに受け止めた。しかし私自身の現在の任は、あくまで北方の防衛に関する連絡である。……私の一存では何も決定できんが、しかるべき上官へ報告は上げさせてもらう」


「……ハッ。身勝手な不躾、平にご容赦くださいませ……」


加藤大尉は寂しげに頭を下げ、静かに車を走らせた。


◇◇◇

旅館と芋粥

◇◇◇


到着した旅館は、かつて多くの湯治客で賑わったであろう風情ある木造建築だったが、現在は人影もなく静まり返っていた。


出迎えた初老の女将は、申し訳なさそうに幾度も頭を下げながら、二人を奥の部屋へと通した。そして運ばれてきた夕食の膳を見て、誠一郎もちひろも言葉を失った。


膳の上に並んでいたのは、お湯のように薄く引き伸ばされたわずかな芋粥と、小さく切られたカボチャの煮物が一切れだけだった。


「特使様……大変なお見苦しいものを差し上げ、誠に申し訳ございません……」


女将は畳に額をこすりつけ、涙声を絞り出した。


「これが……今の千歳で集められる精一杯の糧食でございます。以前はお米の宝庫と言われたこの地で、まさかお客様にこのようなものしか出せなくなるとは……」


「……頭を上げてください、女将さん。貴重な糧を分けていただき、感謝します」


ちひろが優しく声をかけ、女将が下がるのを見届けた。


二人きりになった室内で、ちひろは水のような芋粥を匙ですくいながら、声のトーンを落として語りかけた。


「……旦那様。監視者様にお願いして、北海道の人たちにもお米や温かい食べ物を分けていただくことはできないのでしょうか……?」


兄を「旦那様」と呼ぶ偽装の口調に混じり、ちひろの瞳には切実な祈りが宿っていた。しかし誠一郎は、静かに首を振った。


「ちひろ。私たちの最優先の任務は、南樺太への到達と防衛体勢の確認だ。監視者殿はすでに東京や西日本で、莫大な糧食をもって民を救うべく動いておられる。いずれこの北海道にも、救いが届くはずだ。……私たちが私情で本分を逸脱し、監視者殿の手を煩わせてはならん」


「……そうですね。ごめんなさい、お兄ちゃん」


深く納得したちひろだったが、いかんせん夕食の量が少なすぎた。

膳を下げてしばらくすると、静かな部屋の中に「ぐぅ〜……」という、可愛らしくも切ない音が響き渡った。


「あっ……!」


ちひろは顔を真っ赤にして両手でお腹を押さえた。


それを見た誠一郎は、苦笑いを浮かべながら懐に手を伸ばした。取り出したのは、浩平からあらかじめ手渡されていた「選択式・弁当引換手形」の一枚だった。


「……やはり、あれだけでは足りんかったな。監視者殿からいただいた手形がたくさんある。ちひろ、これで何か好きなものを頼みなさい。私は何でもいいから、お前が選びなさい」


「えっ……! いいの……!?」


ちひろは目を輝かせ、手形に書かれたメニューを真剣な目つきで見つめた。


「カツ丼……牛焼肉……ううん、やっぱり……この『ハンバーグ弁当』にしてもいい……?」


「うむ、決まりだな」


誠一郎は浩平に教えられた通り、鉛筆で『ハンバーグ弁当』のチェック欄に印をつけ、セットの暗号文を丁寧に書き写した。


ポン。


香ばしいデミグラスソースの香りと共に、卓上に温かい「ハンバーグ弁当」が突如として出現した。


「わあぁ……! すごい、本当に温かい……!」


二人は向かい合って座り、一つの弁当を仲良く半分ずつ分け合った。

ふっくらとしたハンバーグに箸を入れ、口へと運ぶ。ジューシーな肉汁と絶妙なソースの味わいが口いっぱいに広がり、ちひろはほっぺたを押さえて幸せそうに目を細めた。


「おいしい……! お兄ちゃん、こんなに美味しい洋食、生まれて初めて食べたわ……!」


「うむ……素晴らしい味わいだ。監視者殿の未来の技術には、毎回驚かされるな」


ひもじかったお腹と心が、温かいハンバーグと白米でいっぱいに満たされていった。


◇◇◇

一重の布団と千歳の夜

◇◇◇


食後、二人は順番に宿の風呂に入り、旅の汗を流した。

さっぱりとした浴衣姿に着替え、ちひろが「お風呂、気持ちよかったね」と笑いながら部屋の襖を開けた、まさにその瞬間――。


二人は同時に、その場で石のように固まった。


六畳間の畳の中央に、ぽつんと「大きな布団」が、あらかじめ一つだけ敷かれていたのだ。


「へ……? ふ、布団が……ひとつ……!?」


ちひろの顔が一瞬で林檎のように真っ赤に染まった。

名義上「仲睦まじい少佐夫妻」として宿泊の手配がなされていたため、旅館の女将が気を利かせて、一枚の大きな「夫婦布団」を用意してくれていたのだ。


「す、すまん! 女将さんを呼んで、もう一枚布団をもらってくる!」


慌てて部屋を出ようとする誠一郎の袖を、ちひろがギュッと掴んで引き止めた。


「だ、ダメよお兄ちゃん! 今さら『布団を別にしてくれ』なんて言ったら、『あの夫婦は訳ありなんじゃないか』って怪しまれちゃうわ! 私たちの正体がバレたらどうするの……!?」


「う……っ! た、確かに……」


正論を突きつけられ、誠一郎は立ち尽くした。

軍人として数々の戦場を潜り抜けてきた男も、年頃の妹と同じ布団で寝るという未曾有の事態の前には、完全に打つ手を失っていた。


「じ、じゃあ……俺は畳の上で雑魚寝する……」


「ダメよ! 明日も飛行機で樺太まで飛ぶのに、お兄ちゃんが体を壊したら元も子もないでしょ!」


ちひろは意を決すると、真っ赤な顔のまま布団の端へと潜り込んだ。


「ほら……この布団、すごく大きいから! 二人で入ってもちゃんと間があるわよ……!」


「……し、失礼する」


誠一郎は死んだ魚のような目で覚悟を決めると、ちひろから一番遠い反対側の端っこへと、そっと体を滑り込ませた。


部屋の電灯が消され、暗闇の中に二人の荒い息遣いだけが響く。


大きな布団とはいえ、同じ掛け布団の下である。ちひろの髪から漂う石鹸の甘い香りや、かすかな体温がダイレクトに伝わってくる。誠一郎は全身の筋肉を鋼のように硬直させ、ちひろに背を向けたまま、壁の一点を見つめて金縛りに遭ったように固まっていた。


(お、落ち着け橘誠一郎……! 己は陸軍少佐だ……! いかなる時も明鏡止水の心を保つべし……!)


背中で必死に念仏を唱える兄の頑なな気配を感じ取り、ちひろは布団の中でくすりと小さく微笑んだ。


(お兄ちゃんたら、そんなに緊張しなくてもいいのに……)


ちひろは布団の中で少しだけ兄の背中へと歩み寄り、その大きくて頼もしい背中にそっと自分の額を寄せた。


「……おやすみなさい、お兄ちゃん」


「……うむ。おやすみ、ちひろ」


壁に向かって固まったまま返事をする兄の背中の温もりを感じながら、ちひろは安らかな寝息を立て始めた。

北の大地の冷え込む夜の中、一枚の布団に包まれた二人は、明日から始まる樺太への厳しい道のりを前に、静かに深い眠りへと落ちていくのだった。

お待たせしました

力尽きたので感想は余力ある時に別で書きます(汗)

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― 新着の感想 ―
今回も面白かったです。 福岡は私の生まれ故郷なので、食糧配給はとても嬉しく胸が暖かくなりました。 反して当時の米軍や米政府に、理性的な主人公の想定が通じるとはとても思えないのでとてもハラハラしています…
もう皆さん亡くなってるが、住んでる場所で食糧難のレベルが違いすぎる。北海道の田舎で空襲も無かった場所に住んでた爺さん婆さんは芋とカボチャは腹一杯食えた。だから屋台で売ってる揚げ芋等は思い出すから絶対買…
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