1945年8月2日 即席の終戦御前会議 その1
この作品はフィクションです、実在の人物や団体などとは関係ありません
【現在のクレジット残額:1,131,021,080ゼニ】
【ゲーム内で関わった人数:約133,000人】
◇◇◇
老宰相の誤解
◇◇◇
1945年8月2日、午後12時45分。
近衛兵の誘導で防音扉をくぐり、地下の御文庫附属室へと足を踏み入れた鈴木貫太郎首相、東郷茂徳外務大臣、そして迫水久常内閣書記官長の三人は、足を踏み入れた瞬間に室内の異様な「熱気」に圧倒された。
そこには、昼食を終えて茶を啜る四大財閥の総帥たちがいた。彼らは覚悟を決めた、どこかすがすがしい表情を浮かべながら、これからの「戦後の世界」について激しく議論を交わしていたのだ。
「三井殿、この未来の資料をご覧になりなされ! 我が住友と三井は、数十年後の未来において『三井住友』として一つの巨大な金融体系を築いていると書かれておる!」
住友吉右衛門が興奮冷めやらぬ様子でA4の用紙を指し示せば、三井八郎左衛門も力強く頷いた。
「うむ! GHQなる占領軍に解体されてから背を向け合うなど愚の骨頂。未来で協業し、日本の復興を支えることが分かっているのなら、わざわざ数十年も待つ必要などない! 今この瞬間から、我ら三井と住友が手を携え、裏で密かに資金と技術を融通し合うべきだ!」
GHQによる解体の予言に絶望するどころか、未来の統合を先取りして生き残りを図ろうとする財閥総帥たちの凄まじい執念と前向きな議論に、新しく入ってきた鈴木首相らはただただ呆然と立ち尽くすばかりだった。
そんな中、鈴木首相は作戦卓の傍らに佇む陸軍の畑俊六元帥に目を留め、白眉をひそめて歩み寄った。
「……畑閣下。まさか陸軍は、この期に及んで陛下を担ぎ出し、本当に『本土決戦』を強行するおつもりか!?」
鈴木首相の詰問に、すかさず東郷外相も厳しい表情で昭和天皇の前へと進み出た。
「陛下! 絶対に本土決戦などご同意なさってはなりませぬ! それは全国民を死の淵に追いやり、皇国の種子を絶やす狂気の道でございます!」
さらに鈴木首相は木戸内大臣の胸元に迫った。
「木戸君! 説明してくれたまえ! 昨夜から今朝にかけ、皇居の東庭に山と積み上げられたあの莫大な米や砂糖は、一体どこから手に入れたものだ!? 軍の隠匿物資を吐き出させたのか!?」
◇◇◇
聖断の吐露と意外な躊躇
◇◇◇
突然怒涛のように押しかけて詰問を繰り出す二人に対し、昭和天皇はゆっくりと手を挙げ、優しく言葉をかけられた。
「鈴木、東郷。まず静まりなさい」
天皇の静かな声に、部屋の空気が張り詰めた。昭和天皇は二人を静かに見つめ、力強い眼差しで言葉を続けられた。
「朕は、本土決戦を推進するつもりなど毛頭ない。……その逆だ。朕は、条件付きでポツダム宣言を受け入れようと考えている」
「……っ!?」
その一言は、鈴木首相、東郷外相、そして迫水書記官長の三人に雷撃のような衝撃を与えた。
鈴木首相は口を大きく開けたまま固まり、東郷外相は息を飲んでその場に直立不動となった。すでにドキュメンタリー映像で日本の未来と現実を突きつけられていた財閥の総帥たちは、「いよいよその時が来たか」と静かに首を頷かせる程度で、さほど驚きは見せなかった。
しかし、本来であれば終戦(和平)を模索していたはずの鈴木首相から飛び出したのは、賛同の言葉ではなく、意外にも慎重すぎる「制止」の言辞であった。
「へ、陛下……っ! それは……あまりにも重く、恐ろしいご決断でございます! 皇室のあり方、国体の護持、そしてアメリカをはじめとする同盟国との条件交渉の余地すら定まっておりませぬ! 安易に今すぐ受諾などと決められることではございませぬ……!」
歴史の本来の立場とは完全に逆転した鈴木首相の献言に、現代のモニターの前で見ていた浩平は、思わず吹き出して苦笑いを浮かべた。
「あれれ? 鈴木首相と東郷外相って、終戦派の筆頭じゃなかったっけ? なんだか男女の駆け引きみたいだな……。『本土決戦をやるぞ』と迫れば慌てて止めに入るのに、いざ陛下が『あっさりポツダム宣言を受け入れる』と言い出すと、今度は『条件交渉をしていない!』って心配して止めにかかるのか」
浩平はキーボードを指で叩きながら、可笑しそうに独り言を漏らした。
「結局、狂信的な主戦派を除けば、陸軍も海軍も政府も、立場は違えど『日本を滅ぼさずにどう終わらせるか』を考えている点では同じなんだな。だったら、こんな風に小出しに説得するより、史実の『御前会議』のメンバーを今すぐ全員ここに招集して、今日の内に一気にケリをつけた方が絶対に効率がいいぞ」
浩平は考えをまとめると、現代のPC上で昭和天皇と木戸内大臣へ向けた建白書の作成に取りかかった。
◇◇◇
腹が減っては聖断ができぬ
◇◇◇
興奮の冷めない鈴木首相らに対し、畑元帥が苦笑いを浮かべながら、先ほど総帥たちも使ったA4の「価格なし弁当注文表」を差し出した。
「鈴木総理、東郷さんも、まずは落ち着いてくだされ。お三人とも、まだお昼を召し上がっておられないでしょう? まずはこの写真の中から、お好きな食事を選ばれてはいかがですかな」
鈴木首相は眉をひそめ、手渡された紙を突き返そうとした。
「畑閣下! 我々は腹を満たしに参上したのではない! 国の存亡がかかっているのだぞ!」
すると、それを見ていた昭和天皇が柔らかく声をかけられた。
「鈴木。飢えた腹では正しい判断も鈍るというものだ。朕も先ほどいただいたが、素晴らしい食事であったぞ。遠慮せず頼みなさい」
陛下の直接のお勧めとあっては、拒むわけにはいかない。三人は渋々ながら写真を見つめ、それぞれの注文を決めた。
鈴木首相:肉野菜炒め弁当(老齢の胃腸に優しく、好みの味噌風味が効いているため)
迫水書記官長:カツ丼(大のポークカツ好きであるため)
東郷外相:ハンバーグ弁当(かつてのドイツ駐在時代に親しんだ肉料理を思い起こさせたため)
【購入総額:2,000ゼニ】
モニターの前で注文を確認した浩平はニヤリと笑った。
「ちょうど良かった。みんながご飯を食べている間に、こちらから重要な文書を書く時間が稼げる……よし、購入、転送!」
ストン。
何もない空間から、湯気を立てる三つの弁当箱が机の上に突如として落下した。
「うわっ……!?」
迫水書記官長が跳び上がり、東郷外相も眼前に出現した洋風のハンバーグ弁当に目を剥いた。
それを見た木戸内大臣は、すかさず澄ました顔で声をかけた。
「おっと、あらかじめ言っておきますが、これは手品ではございません。悪しからず」
拍子抜けしながらも、出された温かい弁当の蓋を開けた三人は、一口食した瞬間にその圧倒的な旨味と出来立てのクオリティに絶句した。
「な……なんだこの味わいは。野菜がしゃきしゃきとして、味噌のコクが……」と鈴木首相が目を見張れば、迫水も出汁の染みたカツ丼をがっつくように頬張り、東郷外相も本格的なデミグラスソースの風味に思わず息を呑んでいた。
◇◇◇
御前会議の召集
◇◇◇
三人が驚きと共に弁当を平らげている最中、浩平が書き上げた文書がインベントリ内のプリンターから印刷され、昭和天皇の手元へと静かに転送された。
木戸内大臣がそのA4用紙を恭しく受け取り、声を出さずにそっと昭和天皇の目の前へと広げた。そこには、監視者・浩平からの明確的な提案が記されていた。
『陛下、そして木戸内大臣へ
これ以上の好機はありません。ただちに、近い未来で行われるはずだった「御前会議」の全メンバーをこの地下壕へ召集することを強くお勧めいたします。
現在この場にいない米内光政(海相)、梅津美治郎(参謀総長)、豊田副武(軍令部総長)の三名を至急お呼びください。阿南陸軍大臣はここへ向かっている最中ですので、まもなく到着するはずです。
全員が揃った段階で、例のドキュメンタリー映像『太平洋戦争の終わり』をお見せします。その上で、陛下のリードによって終戦の結論へと導いてください。
私の世界の史実と予測に基づけば、ポツダム宣言の受諾を早急に表明すれば、アメリカによる原爆(新型爆弾)の投下は確実に阻止できます。また、玉音放送(終戦の表明)がなされれば、全土への空襲も即座に停止します。
併せて、現在各地で出撃の準備を進めている陸海軍の特攻隊に対し、ただちに攻撃を停止するよう全軍へ発令していただくように、切実にお願い申し上げます。
【ポツダム宣言受諾に関する、未来の一日本人からの条件提案】
最終的なご決断は陛下に委ねられますが、以下の方針を軸に交渉を進めるべきです。
1. 国体護持: 明記させずとも、アメリカ側も戦後日本の統治と社会安定のために皇室を維持させる方針です。ご安心ください。
2. 戦犯追及(東京裁判)の免責名簿作成: 事後法の禁止や指示・命令の観点から、あらかじめ護るべき人物のリストを作成してください。一部の軍関係者の有罪や厳罰は避けられませんが、どうしても救いたい人物がいれば私にご相談ください。
3. 財閥解体の防止: 軍事産業を手放させる代わりに、各財閥の持ち株の51%以上を日本政府が国債引き換えで購入し、後に株式を公開化することで、解体を回避しつつ健全な企業体へと脱皮させます。
4. 領土の放棄: 日清戦争以降に獲得した領土(台湾や朝鮮半島等)の放棄はやむを得ませんが、南樺太と千島列島については、ソ連の火事場泥棒的な侵略から断固として防衛し、死守します
――監視者 浩平』
手紙を読み終えた昭和天皇は、深く、静かに目を閉じられた。
「……ついに、未来の『あの日』を引き寄せる時が来たのだな」
天皇は寂しげに呟かれたが、その瞳にはもはや一切の迷いはなかった。浩平のアドバイスを全面的に受け入れる意思を固められた昭和天皇は、木戸内大臣に向けて深く頷かれた。
「木戸。すぐに手配しなさい」
「ハッ!」
木戸内大臣は直ちに動き出した。まだ弁当を食べ終えたばかりで呆然としている鈴木首相に向き直り、
「総理! 直ちに米内海軍大臣を宮城へお呼びください!」と指示を飛ばした。
さらに畑元帥に対しても、「畑閣下、参謀総長の梅津大将、ならびに軍令部総長の豊田大将を、至急この御文庫附属室へ召集してください!」と矢継ぎ早に要請した。
「な、なんだ!? 一体何が始まるというのだ!」
困惑する鈴木首相と迫水書記官長を余所に、地下壕の受話器から各省庁や軍中枢へ向けて直ちに極秘の緊急召集命令が打ち電された。
阿南陸相が都内から集めた大量の金塊と共に参内してくるその刻限に向けて――日本の運命を決定づける「即席の終戦御前会議」の舞台枠が、今まさに完成しようとしていた。
◇◇◇
金色の決意
◇◇◇
1945年8月2日、午後1時30分。
地下の御文庫附属室に、重々しい車輪の音が幾重にも響き渡った。
阿南惟幾陸相が自ら袖を捲り上げ、憲兵隊を総動員して都内の陸軍施設、秘密倉庫、地下壕から「一本残らず吐き出させる!」と文字通り一晩で強引に回収した「裏の金塊」。その総重量、実に2.4トン(買取価格:約600億ゼニ)。
それらは二台の軍用トラックにうずたかく積み上げられたまま皇居の内部へ滑り込み、御文庫附属室の出口付近に停車していた。連絡を受けた木戸内大臣の手配により、宮内省の職員たちが動員され、白い布を被せられた何台もの台車によって、地下壕の空きスペースへと次々に運び込まれていった。
一台の台車に載せられた金塊は約100キログラム。何往復もして積み上げられ、やがて白い布が払われると、そこには光を放つ圧倒的な黄金の山が顕現した。
「陛下!都内の陸軍組織より掻き集めさせました裏の金地金、計2400キログラム、ただいま無事に搬入を完了いたしました」
腕を捲くった作業着同然の姿で入室してきた阿南陸相は、昭和天皇の前で深々と頭を下げた。昭和天皇は積み上がった金の山を見つめ、感慨深げに静かに頷かれた。
「阿南……よくぞやってくれた。これほどのものを、一晩で集めるとはな。そちの忠誠と実行力、真に心強いぞ」
「ははっ! 勿体無きお言葉、身に余る光栄にございます!」
その光景を横目で見ていた四大財閥の総帥たちは、開いた口が塞がらないほどの衝撃を受けていた。2.4トンという桁違いの黄金。それを迷いなく差し出した陸軍の姿に、三井八郎左衛門も、住友吉右衛門も、安田三も背筋に冷や汗を伝わせた。
(軍部すら蔵の奥からこれだけの本気を出してきたのだ。我々財閥が数十キロ程度の小出しで出し惜しみをしていては、未来の技術も、解体阻止の約束も反故にされかねない……!)
彼らの目から迷いが消え、会社と一族の未来を賭けた「本気の姿勢」へと完全に切り替わった瞬間だった。
一方、未だ事態の全貌を掴みきれていない鈴木貫太郎首相は、阿南陸相の元へ歩み寄り、震える声で尋ねた。
「阿南君……この莫大な金塊は一体どこからやってきたのだ? なぜ今、ここに集められている? まさか……これを資金として、本土決戦を強行するつもりではあるまいな!?」
鈴木首相の警戒感に対し、かつて強硬な抗戦派であったはずの阿南陸相は、驚くほど晴れやかな、どこか吹っ切れたような表情で首を振った。
「滅相もございません、鈴木総理。この金塊はすべて陛下の御意志のもと、監視者殿を通じて飢えに苦しむ全日本国民の糧へと変わるのです。本土決戦など、もはや行うはずもございません」
「な……なに……!?」
あの阿南が、完全に陛下と『監視者』なる存在に恭順し、本土決戦を自ら否定した――。鈴木首相はそのあまりの変貌ぶりに、言葉を失って呆然と立ち尽くすしかなかった。
◇◇◇
未来の手形と暗号システム
◇◇◇
その頃、現代の自室でモニター越しに黄金の山を見つめていた浩平は、ゴクリと生唾を飲み込んでいた。
「1キログラムの金塊が2500万ゼニだから……2.4トンで約600億円。ついに国家予算レベルの超巨額資金が手に入ったぞ……!」
浩平は腕を組み、真剣に思考を巡らせた。
日本の都市部人口を約2000万人と仮定した場合、この資金があれば全国の主要都市に約一ヶ月分の配給物資を行き渡らせることができる。しかし、戦後に外地からの引き揚げ者や復員兵が帰国すれば、日本はさらなる食糧難に直面する。買い取った金塊は消滅するため、無計画な浪費は許されない。当面は食料確保に充てつつ、一部は未来の農業技術や化学肥料、品種改良への投資に回すべきだ。
そして何より、これを全国に届けるには「現場での配送実務」を政府と連動して効率化する必要があった。
浩平は素早くキーボードを叩き、一枚のA4用紙に自らの考えとシステム提案を打ち込んで、昭和天皇の手元へと転送した。
『陛下、木戸内大臣、そして阿南陸相へ
金の供出、大変ありがたく存じます。
2.4トンの金塊は、未来の価値に換算して約600億円となります。現在の都市部人口2000万人を考慮すると、全都市に約一ヶ月分の配給物資を行き渡らせるだけの膨大な規模です。
ただし、戦後に海外領土からの引き揚げ者や復員兵が帰国すれば、史実の日本はさらなる深刻な食糧難に見舞われます。決して浪費はできません。特に、私の方で買い取った金塊は誰の手にも渡らずこの世から完全に消滅するため、運用は極めて慎重であるべきです。
当面はこの資金の大部分を国民の緊急食料購入に充て、一部は未来の高収穫な農業技術、化学肥料、品種改良への投資に回すべきと考えます。
また、全国への配給においては政府側の深い理解と実務協力が不可欠です。ぜひ鈴木首相にご協力いただきたく存じます。
具体的な全国配給の方法として、私から物資を引き換える二枚一組の「手形」を発行いたします。
一枚には「物資の品名と数量」が記載されており、もう一枚には「一回限りの暗号文」が書かれています。
政府の幹部や担当者が全国の都市へ赴き、物資を保管する倉庫にて、暗号文を品名手形の空白枠に書き写すと、自動的にその場の空間に指定の物資が出現・積み上がる……という方式を採用いたします。
これならば、私が現地へ行かずとも、現地の担当者様の手で迅速に配給を実施できます。
まずは鈴木首相に、この仕組みが「おとぎ話」ではないことをご理解いただく必要があります。終戦協議と平行して、全国の飢える国民のために進めていただけますと幸いです。
――監視者 浩平』
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最後のピース
◇◇◇
浩平が構築したシステムのロジックは極めてシンプルかつ強固だった。
コンソール上で生成したランダムな識別コード(UUID)をデータベースに保存する。
例えば『02677D95-29BA-B8AE-C824-D4B387245D1F』というコードがある場合、前半の『02677D95-29BA-B8AE-C824』を手形側に印字し、後半の『D4B387245D1F』をもう一枚の「暗号文紙片」として発行する。
現地で担当者が暗号文を品名手形の指定枠に書き写した瞬間、システムがデータベースと照合。合致すれば、その手形の存在する位置の空きスペースへ、ゲームインベントリ内の物資が自動転送される仕組みだ。
この実証のため、浩平はテスト用の「手形セット」を4組発行し、御文庫附属室へ転送した。手形にはチェック欄があり、「カツ丼」「カツカレー弁当」「牛焼肉弁当」から選択できるようになっていた。
木戸内大臣は転送された文書と手形を恭しく手に取ると、昭和天皇にお見せしたのち、呆然としている鈴木首相の元へ歩み寄った。
「鈴木総理。これが天の『監視者・浩平殿』からのご提案でございます。今朝の配給も、すべてこの監視者殿が未来の技術で買い付け、転送してくださったものなのです」
「な……何をバカな……! 空間から米や弁当が出るなど、そのようなおとぎ話……!」
信用しきれない様子の鈴木首相に対し、木戸内大臣は二枚一組の練習用手形と万年筆を握らせ、いたずらっぽく微笑んだ。
「まあ百聞は一見に如かずと言います。総理、その手形を使って、そこにいる阿南陸相の昼食を出してやってみてください」
阿南陸相も残りの手形を覗き込み、豪快に笑った。
「ほう! これは面白い。監視者殿も良く考えられたものだ。鈴木総理、私はぜひ『牛焼肉弁当』が食べたい。よろしく頼みますぞ!」
「あ、阿南君まで何を戯れを……」
鈴木首相は半信半疑のまま、手形の「牛焼肉弁当」の欄にチェックを入れ、もう一枚の紙に書かれた暗号文『D4B387245D1F』を、指示通り手形右側の空白枠へと丁寧に書き写した。
最後の文字を書き終えた、まさにその刹那――。
パッ……!
何もない机の上の空間から、湯気を立てる香ばしい「牛焼肉弁当」が、ポツンと音を立てて手形の隣に出現した。
「うわああっ!?」
鈴木首相は思わず椅子ごと後ろへ跳びのいた。
「おお! 来たか!」
阿南陸相は嬉々としてその牛焼肉弁当を手に取ると、「ありがたく戴く!」とさっさと自分の席へ持ち去ってしまった。
取り残された鈴木首相は、自分の手と、弁当の消えた空間を交互に見つめ、激しい目眩に襲われていた。
「な……なんだこれは……。手品などでは到底あり得ん。わしは……わしは幻術でも見ているというのか……!?」
老宰相が現実と超自然の狭間で混乱を極めていた、その時だった。
ジリリリリリン―――……!!
附属室の黒電話が甲高く鳴り響いた。木戸内大臣が受話器を取り、短い応答ののち、室内を見渡して力強く告げた。
「陛下! 坂下門に、米内海軍大臣、豊田軍令部総長、梅津参謀総長の三閣下がご到着されました!」
ついに、歴史の表舞台を動かす最高戦争指導会議の全メンバーが、この地下壕へと集結した。
日本の運命を決する、電撃の御前会議が、いよいよ幕を開けようとしていた。
◇◇◇
富士の霊峰と焦土の帝都
◇◇◇
1945年8月2日、午後1時30分。
橘兄妹を乗せた、愛知県上空での「見えざる撃墜劇」を何一つ知る由もない双発輸送機は、敵機の脅威を離れ、順調に富士山の南側――静岡県の上空へと差し掛かっていた。
「お兄ちゃん、見て! 左側の窓から……!」
ちひろが機内の丸窓に顔を寄せ、弾んだ声で叫んだ。
座席から身を乗り出した誠一郎も窓の外を見下ろし、思わず息を呑んだ。
眼下に広がっていたのは、夏の青空と白い雲の切れ間から雄大に聳え立つ、富士山の青々とした山肌であった。頂付近にかすかに残る残雪と、裾野まで広がる深い緑のグラデーション。下界の泥沼のような戦争など一切関知しないと言わんばかりの威容が、真夏の強い日差しを受けて神々しく輝いていた。
二人にとって、地上から仰ぎ見る富士山ではなく、大空の雲の上から見下ろす富士山は生まれて初めての体験であった。
「すごい……。本当に雲より高く立っているのね。こんな素晴らしい景色、生まれて初めて見たわ……」
「うむ……。まさに霊峰富士だな。空から拝むことができるとは、思わぬ恩恵だ」
誠一郎も普段の堅物な表情を和らげ、妹と共に窓の外の絶景に見入っていた。
その頃、現代の自室で「即席御前会議」の召集準備を進めていた浩平は、定期チェックで画面のFPVカメラを橘兄妹が乗る輸送機の視点へと切り替えた。
モニターいっぱいに映し出された富士山の映像を見て、浩平は感心したように呟いた。
「へえ……。1945年の富士山も、こうやって空から見ると現代と全然変わらないんだな。やっぱり日本の象徴って感じがするよ」
浩平はひとしきり雄大な景色を鑑賞すると、二人の安全に問題がないことを確認し、カメラの広角レンズをさらに前方の進行方向へと向けた。
しかし、輸送機が相模湾を抜け、神奈川から武蔵野の平野へと入り、目的地である東京へ近づくにつれて、眼下の景色は一変した。
緑豊かだった風景は唐突に途切れ、黒く煤けた広大な「灰色の焼け野原」がどこまでも広がっていた。三月の東京大空襲をはじめとする幾度もの爆撃により、都心の街並みは木っ端微塵に焼き払われ、残っているのは鉄骨の露わになったビルの残骸や、点々と残る防空壕の穴だけであった。
さきほどまで富士山を見て輝いていたちひろの瞳から、すっと色が引いていった。
「お兄ちゃん……あれは……」
誠一郎は厳しい表情で眉をひそめ、静かに頷いた。
「……東京だ。三月十日の大空襲、そしてその後の幾度もの爆撃で、帝都の半分以上が灰燼に帰したと聞いている。……私は広島にいたから直接見たわけではないが、陸軍の情報として被害の凄まじさは把握していた。だが、こうして上空から直視すると……惨状は想像以上だな」
「そんな……。街が、全部なくなっている……」
ちひろは絶句し、膝の上でぎゅっと拳を握りしめた。
空からの美しい景色と、眼下に広がる地獄のような焦土。その凄まじい落差に、二人は言葉を失ったまま、静かに高度を下げていく輸送機の中で身を硬くしていた。
◇◇◇
当時の飛行機のトイレ事情
◇◇◇
午後2時00分。東京飛行場(後の羽田空港)。
プロペラの回転数が落ち、激しい揺れと共に輸送機は東京飛行場の滑走路へと無事着陸した。
今回の着陸は目的地への到着ではなく、北海道・千歳飛行場へ向かうための燃料補給と点検を目的とした一時着陸であった。
機体が滑走路の脇に停車し、プロペラが完全に停止して搭乗口のハッチが開かれた、まさにその瞬間だった。
「ち、ちひろ!?」
誠一郎の制止を聞く耳持たず、ちひろは着替えや手荷物の詰まった重いスーツケースもそのままに、座席から弾かれたように立ち上がると、タラップを飛ぶような勢いで駆け下りていった。
「おい、待ちなさい! どこへ行くんだ!」
慌てて後を追ってタラップを下りた誠一郎は、陸軍少佐としての威厳も忘れ、滑走路を猛ダッシュしていく妹の背中を追いかけた。
実は、ちひろには機内で誰にも言えない致命的な「悩み」があったのだ。
今回搭乗した一式輸送機には、一応「簡易便所」と呼ばれる設備が機体後部に備え付けられていた。しかし、その実態は壁もドアもなく、ただ粗末な布のカーテンで仕切られた空間に、真鍮製の筒と丸い板が置かれているだけの代物だった。使用すれば排泄音も臭いも機内に筒抜けであり、下は空中に直接垂れ流しという、文字通り「戦う男たちのための最低限の設備」に過ぎなかった。
いくら緊急事態とはいえ、年頃の21歳の女性であり、しかも書類上は「少佐の妻」として同行しているちひろにとって、すぐ近くに兄やパイロットがいる空間でその簡易便所を使うなど、死んでもできることではなかったのだ。
広島を離陸してから約二時間半、ちひろは浩平から貰った冷たいペットボトルコーヒーの誘惑と戦いながら、必死の思いで限界まで我慢し続けていたのである。
「ハァ……ハァ……! トイレ……お手洗いはどこですか!?」
飛行場の整備員や兵士たちが呆然と見守る中、ちひろは基地の管理本部ビルへと飛び込み、案内板を必死で探した。
遅れて息を切らしながら追いついた誠一郎は、管理棟の女子便所の前で壁に手をついて肩で息をしている妹の姿を見て、ようやくすべての事情を悟った。
「ちひろ……お前、途中で配られた珈琲を飲んだ後、ずっと我慢していたのか……」
ドアの向こうから「お兄ちゃんはあっちに行ってて!」という悲鳴のような声が聞こえ、生真面目な誠一郎は赤面して「す、すまん……」と後ずさりするしかなかった。
その微笑ましくも必死な一幕を、遠隔カメラを通じて見ていた浩平は、現代のパソコンの前で頭を抱えて苦笑いしていた。
「あちゃー……しまったな! 当時の軍用機のトイレ事情なんて全く考えてなかったよ。男の兵士ならともかく、ちひろさんみたいな若い女性にあんな粗末な簡易トイレを使えっていうのは拷問と同じだったな……。冷たいコーヒーを差し入れたのも裏目に出ちゃったか」
浩平は反省しつつも、手元のメモ帳に書き足した。
『次の千歳から樺太へのフライトまでに、ポータブル式の密閉型簡易トイレか、目隠し用のテントキットを支給リストに追加すること』
数分後。
すっかり顔を赤らめ、どこか憑き物が落ちたようなスッキリとした表情で管理棟から出てきたちひろは、待っていた誠一郎と目を合わせると、恥ずかしそうに下を向いた。
「……お騒がせして、ごめんなさい、お兄ちゃん…あ!旦那様」
「いや……気が利かなくてすまなかったな。女性には過酷な旅路だ。……だが、無事で何よりだった」
誠一郎は苦笑しながら妹の頭を優しく撫でた。
羽田の滑走路に吹き抜ける夏の潮風の中、二人は再び絆を深め合いながら、給油を終えて待つ輸送機へと向かってゆっくりと歩き出した。
北の地・樺太への過酷なルートは、帝都・東京での短い休息を経て、いよいよ後半戦へと入ろうとしていた。
【現在のクレジット残額:1,131,018,280ゼニ】
【ゲーム内で関わった人数:約133,000人】
おまたせしました
リアルの都合で、投稿は遅れてしまいました
作者としてはそろそろ皇居の地下室から脱出したいです
読者から除湿機支給の願いが来たので、次の回で頑張ってその話を入れてみます(笑)




