1945年8月1日 帝都東京配給
この作品はフィクションです、実在の人物や団体などとは関係ありません
【現在のクレジット残額:907,790,380ゼニ】
【ゲーム内で関わった人数:約123,900人】
1945年8月1日、午後8時00分。
地下の御文庫附属室の重い扉が開き、宮内省の金庫室から戻った木戸内大臣が姿を現した。その手には、ずっしりとした二十キログラムもの金地金の金塊を乗せた、小さな手押し車が握られていた。
この日は朝からあまりにも多くの重大な決定が下され、時間も既に夜遅くに及んでいる。畑元帥や阿南陸相は、昭和天皇の御身の負担を配慮して、そろそろ本日の拝謁はお開きにすべきだと考えていた。しかし、昭和天皇は「民への緊急配給の目途が立つまでは、朕はここを動かない」と毅然とした態度を一貫された。統帥の最高元首が残られる以上、近衛師団長の森中将はもちろん、阿南陸相も畑元帥も田中大将も、この場を離れるわけにはいかなかった。
現代の自宅のモニター前で、運ばれてきた鈍い輝きを放つ金塊を確認した浩平は、静かに呟いた。
「そういえば、ゲーム内の買い取り機能を使うのはこれが初めてだな。こっちの現実世界の相場なら、金1グラムは二万ゼニを下らないはずだけど……」
金地金が目の前に置かれていても、正当な所有者が権利を放棄しない限り、浩平が勝手に換金することはできない仕組みになっていた。もし無条件で吸い上げられるなら、それは略奪と同じになってしまう。
浩平は、管理責任者である木戸内大臣か、あるいは昭和天皇による明確な意思表示が必要であると判断し、天皇の手元にあるタブレットの画面に新たなメッセージを表示させた。
『陛下、これから金塊の換金手続きを行います。まず、陛下から「ここにある20kgの金塊の所有権を放棄します」と、お言葉でも書面でも構いませんので、意思表示をしていただければ、私の方から金塊を回収して換金いたします。その後、直ちに食糧物資を購入し、宮殿の東庭に積み上げます』
画面の文字を見た昭和天皇は深く頷かれ、隣の木戸内大臣に指示を出された。木戸は即座に用意していた和紙へ、慣れた筆跡で『この場にある二十瓩の金塊所有権を放棄致します 宮内省・木戸』と書き記し、金塊の上に添えた。
また、近衛師団長の森中将は、物資の集積場所が宮殿の東庭であることを確認すると、すぐさま木戸内大臣に向き直った。
「では木戸大臣、私は直ちに宮殿周辺を警備する近衛の衛兵たちへ、庭に物資が出現しても驚かないよう通達してまいります」
森中将はそう言い残すと、足早に附属室から退室していった。
これで買い取りの条件はすべて整った。
浩平は少し緊張しながら、ゲーム画面の中に配置されている一度も使ったことのない買い取り用のアイコンをクリックし、手押し車の上に乗せられた金塊を選択した。
画面に簡素な確認ウィンドウが表示される。
【金塊 20kg 純度99.99% 買取価格:500,000,000ゼニ 買い取りますか? YES/NO】
「20キロで五億ゼニか。つまり一グラムあたり二万五千ゼニだな。やはり相場は当時の物価ではなく、現代の金の価値と連動しているんだ。相場が低くなると買い取り価格も減るから、高値の今のうちにどんどん買い取ってもらって、リソースに変換した方が確実だな」
浩平は、これが日本を救うための貴重な下賜金であることを胸に刻みながら、YESのボタンをクリックした。
その刹那、地下室の手押し車の上から、二十キロの金塊と木戸の書面が、光の粒子となって音もなく消滅した。それと同時に、浩平の画面上の所持金カウンターが五億ゼニ加算された。
【現在のクレジット残額:1,407,790,380ゼニ】
「これでまた桁数が増えたな。これは本当に大事なお金だ。すぐにでも日本の国民のために使わなくちゃいけない」
浩平は直ちに、領収の証明として一枚のA4用紙をインベントリ内のプリンターから印刷し、木戸内大臣の目の前へと転送した。
『木戸内大臣へ
宮内省より金地金二十キログラム、確かに受領いたしました。
先ほど買い取らせていただきました結果、未来の通貨で五億円となりましたのでお知らせいたします。
これより、明日の分の配給物資を購入し、宮殿東庭に積み上げます。
予定している購入品目は下記の通りです。もし調整が必要となった場合は、追ってお知らせいたします。
精米(業務用20kg)/50,000袋(1,000トン)/5,000ゼニ/総額250,000,000ゼニ/一人あたり約285g(約2合)
業務用小麦粉(25kg)/30,000袋(750トン)/2,500ゼニ/総額75,000,000ゼニ/一人あたり約214g
業務用上白糖(20kg)/30,000袋(600トン)/4,000ゼニ/総額120,000,000ゼニ/一人あたり約171g
抗生物質(ペニシリン、ニューキノロン系)/数十万錠/各種/5,000,000ゼニ/病院および自宅療養の重症者限定
購入総額:450,000,000ゼニ
お預かり金残額:50,000,000ゼニ
補足:
お届けする抗生物質は、結核をも治療できるほど、感染症に対して強力な効果を持つ未来の薬です。具体的な使い方や投与の目安については、すでに運用実績のある広島陸軍病院や呉海軍病院に確認してください。
この薬は極めて希少価値が高いため、場合によっては、治療を対価として民間商人や財閥からの物資協力を取り付けるための強力な交渉材料になります。人命救助を兼ねた政治的な運用については、皆様にお任せいたします。 ――監視者 浩平』
届けられた手紙を読み終えた木戸内大臣と昭和天皇は、その精緻な計算と、何より「五億円」という巨額の価値が一瞬で確定した事実に深く感銘を受けていた。さらに、最後に書き添えられた未来の特効薬を用いた政治的な運用のアドバイスに対し、木戸内大臣は深く感服したように顎を引いた。
「ただ物資を与えるだけでなく、我々が財界を動かすための切り札まで用意してくださるとは……。監視者殿の差配、実に見事です」
この後、昭和天皇が自ら物資が積み上がる様子をこの目でご覧になりたいと望まれたため、一同は御文庫附属室から移動することとなった。昭和天皇は畑元帥、阿南陸相、田中大将の三人に周囲を護衛されながら、夜の静寂に包まれた長和殿の廊下へと移動した。その途中で、近衛の衛兵への通達を終えた森中将も合流した。
◇◇◇
長和殿の夜、見えざる物資の山
◇◇◇
午後8時30分。皇居内・長和殿前。
真夏の夜の闇は深く、街灯の消された皇居の庭園は完全な暗黒に包まれていた。
長和殿の広い廊下に整然と並んだ一同の様子を画面越しに確認した浩平は、静かに指先を動かした。
「肉眼じゃ何も見えない暗闇だろうけど、約束通り、物資の購入と転送を始めるよ」
浩平は画面上の大口業務用通販窓口から、先ほど手紙に明記した千トンの米、七百五十トンの小麦粉、六百トンの砂糖、そして大量の抗生物質を一括で購入。転送先として、宮殿の東庭の広大なオープンスペースの座標を指定し、一斉に送り出した。
暗闇の東庭に、何もない空間から突如として、何万もの麻袋や段ボール箱が積み重なっていく、地鳴りのような微かな衣擦れの音と重量感が響き渡る。しかし、当然ながら肉眼では、夜の暗闇に遮られてその全容を見ることはできなかった。
「……音がする。確かに、庭の向こうに凄まじい物量が集積されている気配がするのだが、いかんせん何も見えぬな」
阿南陸相が目を細めて暗闇を睨みつけるが、輪郭すら掴めない。
それを見た浩平は、すぐに新たなアイテムをショップから調達した。現代の軍隊や特殊部隊が使用する、鮮明な視界を提供するナイトビジョンゴーグルを六つ購入(12,000ゼニ×6=72,000ゼニ)。あらかじめ電源を入れ、すぐに使える状態にした上で、長和殿の廊下に佇む昭和天皇の足元へとピンポイントで転送した。
【総支出:72,000ゼニ】
同時に、天皇の手元のタブレットに短い案内を表示させる。
『陛下、それは暗い場所でも昼間のように見通すことができる未来の望遠鏡です。画面が緑色に光る側からのぞき込んでお使いください。 ――監視者 浩平』
「おや、足元に不思議な形の望遠鏡が……」
田中大将が素早くそれらを拾い上げ、昭和天皇へと一台を恭しく捧げた。残りのゴーグルを畑元帥や阿南陸相、木戸内大臣たちへと手渡す。
「ふむ、この光る側を覗くのだな」
昭和天皇が浩平の指示通りにゴーグルを顔に当て、東庭の暗闇へと視線を向けられた。
「な……っ! なんという事だ、これは……!」
最初に声を上げたのは阿南陸相だった。彼が覗き込んだ未来のレンズの向こうには、昼間の景色を緑色に反転させたかのような、信じられないほど鮮明な光景が広がっていた。影に隠れた草木の一本一本までが、まるで白日の下に晒されているかのようにくっきりと見通せたのだ。
「我が陸軍が血眼になって研究していた夜間暗視の技術が、これほど小さな望遠鏡の形状で、これほど完璧に完成しているとは……」
田中大将や森中将も、その驚異的な性能に言葉を失い、未来の技術への驚愕を隠せなかった。
しかし、一同の驚きは、そのゴーグルの性能だけに留まらなかった。
緑色に照らし出された東庭の広場には、いつの間にか、見上げるほどの高さを誇る巨大な物資の山が、どこまでも整然とスタックされていたのだ。米が入った五万袋もの麻袋、小麦粉や砂糖の白い袋が、まるで巨大な城壁か要塞のように、圧倒的な存在感を以て庭園を埋め尽くしていた。
昭和天皇はその圧倒的な物量の山をじっと見つめられていたが、やがてゴーグルをゆっくりと外し、小さく嘆息された。
「……素晴らしい。本当に、言葉にできぬほどの奇跡だ。しかし、これほど山のような食料があっても、三百五十万の民の前には……わずか一日分にしかならないというのだな」
都市を維持することの冷徹な現実に、改めて深く胸を痛められたご様子だった。だからこそ、天皇は明日の朝から始まる財閥や軍部からの資産回収の重要性を、より一層強く実感されていた。
◇◇◇
結束の夜とお開き
◇◇◇
昭和天皇のお言葉を受け、長和殿の廊下では、実務を担う二人の将軍がすぐさま具体的な行動に向けて打ち合わせを始めた。東部軍管区司令官の田中静壱大将と、近衛師団長の森赳中将である。
「森師団長。これだけの物量だ、明日の朝一番から、近衛の兵たちを総動員して運搬の手配にかかってもらいたい。我が東部軍管区からも、手配できる限りの軍用トラックと人員をすべて宮殿へと回す」
田中大将がゴーグルを覗いたまま、手帳を取り出して迅速にメモを取り始める。
「了解いたしました、田中先輩」
森中将が力強く応じた。
「近衛師団の輜重兵、および各連隊から動員できる兵員を直ちに編成します。木戸大臣から農商省や都の配給組織の責任者を呼んでいただき、陸軍のトラックで都内の各避難所、主要な病院、そして人口の密集地へとピンポイントで直接、迅速に分配する体制を整えましょう。民に、明日の朝には温かい米を食わせてみせます」
昨日まで宮廷クーデターの危機に揺れていた陸軍の将官たちが、今は一つの目的――未来の物資を用いて帝都の民を飢餓から救うという絶対的な任務のために、完全に手を取り合って結束していた。その頼もしい実務の様子を、畑元帥は信頼を込めた眼差しで見守っていた。
すべての物資の転送が完了し、配給への具体的な体制の骨組みが決まったのを見届け、昭和天皇はゆっくりと夜空を見上げられた。そして、手元にある連絡用のタブレット端末のレンズに向けて、深く、厳かな声でお言葉を掛けられた。
「――監視者、浩平殿。あなたの尽力により、我が日本の民は明日の命を繋ぐ糧を得ることができた。国を代表して、あなたに心からの感謝を伝える。明日の朝からは、我々も全力を尽くして資金(金塊)を集め、あなたの権能に応じるつもりだ。どうか、これからも我が国と、民の行く末を共に見守ってほしい」
一国の天皇からの、誠実で揺るぎない感謝の言葉。
モニターの前でその言葉を受け止めた浩平は、自身の胸が熱くなるのを感じながら、静かにキーボードを叩いた。
『勿論です、陛下。明日の朝、財閥の皆さんが集まるのを楽しみにしておきます。今夜はどうか、皆様もお体を休めてください。 ――浩平』
メッセージを確認した昭和天皇は、満足そうに微かに微笑まれ、長年仕えてきた木戸内大臣や将官たちを伴って、ようやく御文庫の奥へと引き上げていかれた。
長く、そして激動の一日となった一九四五年八月一日がお開きとなる。
浩平は液晶画面の向こうで静まり返っていく皇居の夜景を見届けた後、視点をゆっくりと動かした。
明日からの財閥交渉という次なる大きな局面への期待を胸に抱きつつ、浩平は一度、自身のクレジット残額とゲーム画面のステータスを静かに確認した。
【現在のクレジット残額:957,718,380ゼニ】
【ゲーム内で関わった人数:約123,900人】
◇◇◇
黒田さん家の静かな夜
◇◇◇
1945年8月1日、午後9時00分。広島市鍛冶屋町・黒田官舎。
明朝からの長崎移動に備え、陸軍中将へと進級した黒田重徳の官舎では、未だに電灯が灯り、あわただしく荷造りが行われていた。
台所からは、醤油と砂糖の甘辛い香ばしい匂いが漂っている。けいこ夫人が、明日旅立つ夫のために、この日の夜は浩平から提供された食材を使ってご馳走を用意してくれたのだ。
現代の自宅で、リアル世界の仕事を片付けながら広島の保冷ボックスの中身を確認した浩平は、中に入れておいた牛乳パックと豚バラ肉のブロックが使われたことに気づいた。
「せっかくの出発の前なのに、これだけじゃ少し物足りないな。よし、旅立ちの景気づけに、もう少し良い食材を追加してあげよう」
浩平は画面上の操作で保冷ボックスを一時的に回収し、まだ少ししか溶けていなかったカルピスの冷却設定をマイナス40度へと再度に指定。さらにショップから『オーストラリア産リブロースステーキ・400グラム(1,200ゼニ)』を追加で購入してボックス内へ滑り込ませ、元の座標へと静かに戻した。
【総支出:1,200ゼニ】
荷造りを進める黒田の様子を見ながら、浩平は橘兄妹の件について一言連絡を入れようと考えたが、画面の向こうではけいこ夫人も熱心に荷物の整理を手伝っていた。長年連れ添った夫婦の緊密なプライベート空間に、無粋な邪魔をするのは控えるべきだと判断し、連絡は後回しにすることにした。
「あなた、お洋服の替えはこれで足りますか? 長崎は広島よりも南ですから、きっと随分と暑いことでしょうね」
けいこ夫人は軍服の手入れをしながら、どこか寂しげな、しかし夫を気遣う優しい声を掛けた。
「うむ、それで十分だ。ありがとう、けいこ」
黒田はいつになく穏やかな表情で応じた。中将への即日進級という栄誉を妻は大いに喜んでくれたが、同時に、明日の朝一番の列車で不穏な噂の絶えない長崎へ急派される夫の身を、誰よりも心配していた。
「本当なら、私もあなたについて長崎へ参りたいのですけれど……」
けいこ夫人は小さくため息を漏らし、奥の部屋で寝静まっている二人の子供たちの方向へ視線を向けた。
「この子たちもおりますし、今の時期に家族全員で広島を離れるのは、やはり難しいですね」
「分かっている。長崎には藤堂中将の計らいもあり、天の監視者殿の目も届いているから心配はいらん。お前はここに残り、子供たちをしっかりと守ってくれれば、私はそれだけで安心して任務に専念できる」
黒田は妻の手を優しく握り、静かに諭した。戦時下の不自由な暮らしの中で、文句一つ言わずに家を守り続けてくれる妻の存在こそが、新中将の最大の支えであった。
◇◇◇
監視者からの手土産
◇◇◇
午後10時00分。
現実世界の仕事をひと通り片付けた浩平は、再びカメラの視点を黒田家のリビングへと戻した。
ちょうど荷造りを終えた黒田が、荷物の詰まった重いスーツケースをリビングの座卓の脇へと運んできたところだった。今なら一人だ。浩平は間髪入れずに、黒田の手元にあるタブレットへ向けてメッセージを表示させた。
ピンポーン。
静かな部屋に小気味良い受信音が響き、黒田はすぐさま光る板を手にして画面を見つめた。
『黒田さん、夜分遅くに失礼します。急ぎ橘誠一郎さんの件でお願いがあり連絡しました。
誠一郎さんの妹であるちひろさんが、兄の樺太赴任への同行を強く希望しました。彼女の存在は、私がこれから現地で力を振るう上できわめて都合が良いため、私から同行を許可しました。ただし、軍の移動制限を突破するため、周囲には「二人は夫婦である」と偽って赴任するよう伝えてあります。
つきましては明日の出発前、藤堂中将へ私から連絡を通しておきますので、現地の憲兵や臨検をすり抜けるための証明書類一式を大至急発行してもらえるよう、あなたからも藤堂中将へ便宜を図っていただけないでしょうか。
また、ちひろさんが同行するに伴い、彼らの高齢のお母親が広島の自宅で一人暮らしになってしまいます。生活の援助や物資の補給はすべて私の方で行いますので、しばらくの間、けいこ夫人に様子を見てもらうなど、お母親の面倒を気にかけていただくようお願いできないでしょうか。 ――監視者 浩平』
「なるほど……橘君の妹さんが、夫婦を偽って北国へか」
メッセージを読み終えた黒田は、驚きつつも思わず苦笑いを浮かべた。
「今の若者というのは、我々の時代の常識とは随分と異なるものだな。まさかそのような大胆な手法を思い付くとは。やれやれ、大した度胸だ」
モニターの前でその呟きを聞いた浩平も、小さく苦笑した。
(確かに、当時の大人から見れば、未来の感覚を取り入れた橘兄妹の偽装夫婦の提案なんて、受け入れがたい突飛な考えに見えるよな)
「まあ、お願いをする側なんだから、こちらも相応の手土産を用意しないとな」
浩平はゲーム内ショップのアルコールカテゴリを開き、冷えた瓶ビール2本(800ゼニ)、中価格帯の良質なウィスキー1本(3,000ゼニ)、そして各種のチーズや燻製ソーセージが美しく並んだ酒のつまみ盛り合わせ(1,000ゼニ)を購入。リビングの座卓の上へと静かに転送した。
【総支出:4,800ゼニ】
ストン。
「おや……。これはまた、見事な進物だ」
目の前の机の上に出現した、冷たい水滴をまとった琥珀色の瓶ビールと高級なウィスキー、そして戦時下では絶対に見られない豊かな乳製品の詰合せを前に、黒田は目を細めた。明日の出発を控え、今夜は深く眠る必要がある。黒田は監視者の厚意に感謝しつつ、冷えたビールを一本だけ開け、グラスに注いで静かに口へと運んだ。
◇◇◇
赤玉スイートワインと一日の終わり
◇◇◇
リビングから微かに響くボトルの音に気づいたのか、寝支度を終えたけいこ夫人がひょっこりと部屋を覗かせた。
座卓の上に並ぶ見たこともない見事な洋酒とおつまみの山を目にした夫人は、ぱっと顔を輝かせ、上機嫌な足取りで夫の隣へと腰掛けた。
「あら、あなた。一人でそんなに素晴らしい御馳走をいただくなんて、ずるいですよ」
「いや、これは今しがた監視者殿から届けられた手土産なのだ。私の一存で開けたわけではない」
黒田が弁明するように微笑むと、浩平はすかさずタブレットの画面を操作し、新たな文字を表示させた。
『けいこ夫人は、何か飲みたいお酒はありますか?』
画面を覗き込んだ夫人は、未来からの直接の問いかけに驚きつつも、どこか懐かしむように指を頬に当てて答えた。
「まあ、私にまで……。そうですね、もし許されるのであれば、赤玉ポートワインのような、甘くて飲みやすいお酒があると嬉しいのですけれど」
「ポートワインか、懐かしいな。確かショップにあったはずだ」
浩平は即座に検索をかけ、現代でも親しまれている『赤玉スイートワイン・1800ml(2,000ゼニ)』と、子供たちが大喜びしそうな金色の包装に包まれた高級チョコレート『ロシェ・48個入(2,000ゼニ)』を購入し、座卓の上へと転送した。
【総支出:4,000ゼニ】
同時に、タブレットへメッセージを表示する。
『けいこ夫人、お望みの赤玉ポートワインでございます。未来では「赤玉スイートワイン」と名前を改めましたが、中身は当時のものと同じです。その金色の粒は、中に香ばしい木の実が入ったチョコレートです。明日、お子さんたちに食べさせてあげてください。 ――監視者 浩平』
「本当に届きましたわ……! ありがとうございます、監視者様」
けいこ夫人は、大容量の美しいボトルの栓を夫に開けてもらい、ガラスの器に注がれた濃赤色の美しい液体を口に含んだ。
「お、美味しい……。昔いただいたあの甘いポートワインの味、そのものにございます」
さらに夫人は、包装の美しさに惹かれて金色のチョコレートを一粒だけそっと剥き、夫に隠れるようにして摘み食いをした。
カリッ、とした軽快な歯ごたえのあと、濃厚なココアクリームと香ばしいヘーゼルナッツの旨味が口いっぱいに広がる。その未体験のあまりの甘美さと贅沢な食感に、夫人は頬を押さえて心からの感動の吐息を漏らした。
「あなた、この金色の菓子、凄まじい美味しさですわ……。子供たちが起きたら、きっと大騒ぎになりますね」
「うむ。明日の朝、私が発ったあとに渡してやるといい」
黒田はグラスを傾けながら、妻の嬉しそうな横顔を見つめ、それから表情を引き締めて本題を切り出した。
「けいこ。実は監視者殿から、もう一つ頼まれごとがある。明日から北の樺太へ赴く橘少佐の件だ。彼の妹が同行するため、残された高齢の母親が一人暮らしになってしまう。監視者殿が生活の物資や援助はすべて責任を持つとのことだが、近くに身寄りがなくなる。しばらくの間、お前の方で橘家のお母親の面倒を、時折見てやってはくれないだろうか」
けいこ夫人は赤玉ワインのグラスを置き、少しも嫌がる風を小細工なく、朗らかな笑顔で即座に頷いた。
「そんなことでしたら、お安い御用ですわ。これまでも監視者様からは、信じられないほどの豊かな食料や施しをいただいているのです。そのご恩返しができるのであれば、喜んでお引き受けいたします」
「そう言ってくれると助かる。……橘君のお母親も、住み慣れた我が家が良いだろう。お前は明日以降、昼間の明るい時間に一度様子を見に行ってやりなさい。もし、お一人での暮らしがどうしても無理そうであるならば、その時は遠慮なく、我が家へ連れてきて一緒に暮らしなさい」
「はい、あなた。そのように手配いたします。長崎のことは心配せず、お役目を果たしてきてくださいね」
静かな広島の夜。未来の美酒とおつまみを挟みながら、新中将とその妻は、大切な戦友の家族を守るための温かい約束を交わし合っていた。その固い結束の光景を見届けた浩平は、これでようやく、日本の運命を大きく変えた1945年8月1日のすべてが、無事に完了したことを確信した。
「よし、これで今日の全ての仕事は完了だ。明日からの財閥交渉に向けて、俺も少し頭を整理しておこう」
浩平は静かに息を吐き、カメラの焦点を皇居の静寂へとゆっくりと戻していった。新時代の幕開けとなる明朝の御前会議が、もうすぐそこに迫っていた。
【現在のクレジット残額:957,708,380ゼニ】
【ゲーム内で関わった人数:約123,900人】
お待たせしました
日付が変わる直前の投稿ですが…
橘誠一郎とちひろのお母さんの事は、ほっておいてなかったですよ(笑)




