1945年7月31日 初心忘るべからず
この作品はフィクションです、実在の人物や団体などとは関係ありません
【現在のクレジット残額:787,230,780ゼニ】
【ゲーム内で関わった人数:約123,900人】
1945年7月31日、午後7時30分。
市ヶ谷台の庁舎前から、武装解除された近衛歩兵連隊の兵士たちが東部軍の護衛に伴われて静かに撤収を完了した。これを見届けるようにして、電力を失い、すべてのインフラが途絶した陸軍省地下壕から、阿南陸相や畑元帥をはじめとする約百名の将官たちが、ようやく夏の夜気が満ちる地上へと上がってきた。
現代の自宅。モニターの前でその安堵の光景を確認した浩平は、すぐさまスクリーンから録画していた「無血解決の全容」の動画ファイルを再生状態にセットした二台の11インチのタブレットを、宮中の昭和天皇の手元、そして地上へ上がったばかりの畑元帥の足元へと、それぞれピンポイントで再配置した。
宮城の仮執務室。
届けられた鮮明な映像の中で、近衛の若い兵たちが涙を流しながら武器を置き、東部軍から配られた温かい弁当を貪り食う様子を見つめ、昭和天皇は深く、本当に深く安堵の息を漏らされた。
「木戸。事態は無事に収束したようだね。……これでようやく、安心して夕食を頂くことができそうだ」
実は、陛下は先ほど浩平が手土産として献上した「伊豆繁」の鰻の蒲焼に、今の今まで一切手を付けておられなかった。国を揺るがす叛乱が解決せぬうちに、自らだけが未来の佳肴を食すわけにはいかないという、元首としての強い責任感ゆえだった。
後ほど、宮内省の正規の伝令からも近衛撤退の報は届けられたが、昭和天皇はそれよりも遥か早く、浩平の届ける「動く鏡(映像)」によって、事態の終結をその目で確認されていた。
◇◇◇
「よし、東京の第一段階はクリアだ。だけど、この情報を広島や呉の連中とも共有しておかないとな」
浩平は今回の一件で、現代のタブレット端末による情報共有の絶対的な有用性を確信していた。彼はすぐさまゲーム内ショップを開き、通信用の追加端末を三台(24,000ゼニ×3)まとめて購入。それぞれの初期設定を済ませると、広島の第二総軍司令部にいる藤堂中将と黒田少将、そして呉の海軍鎮守府にいる金沢中将の手元へと一気にデプロイした。
さらに、市ヶ谷での事件解決の映像と、例の昭和天皇の「お姿と言葉」を録画した映像ファイルをそれぞれの端末にコピーし、状況を解説したA4の手紙を添えて、情報共有のための準備を完成させた。
【総支出:72,000ゼニ】
◇◇◇
広島の第二総軍司令部、長官執務室。
突如として机の上に出現した光る板と手紙に、息を呑んだのは藤堂中将と黒田少将だった。手紙を読み、恐る恐る画面の再生ボタンを押した二人は、そこに映し出された東京の狂気的な政変の様子に、全身の血が引くほどの衝撃を受けていた。
「東京駅で元帥閣下が憲兵に拘束され……陸軍省が包囲されたというのか……!」
黒田少将がワナワナと唇を震わせる。
「だが、見ろ。天の監視者殿の力によって、一滴の血も流さずに近衛の暴発が鎮められている。……畑閣下も、阿南閣下もご無事だ!」
藤堂中将は胸を強く押さえ、画面の中で毅然と立つ畑元帥の姿に、ただただ涙を流して感謝を捧げていた。
一方、呉の海軍鎮守府長官室で同じ映像を確認した金沢中将は、別の意味で強烈な精神的衝撃に打ちのめされていた。
「まさか、藤堂たちの件がここまで大きくなり……陸相だけでなく、宮中の木戸内大臣、果ては天皇陛下までもが直接動かれる事態になっていようとは……」
金沢中将は、自らが畑元帥へ「木戸幸一を頼れ」と推薦したことの政治的な重さを改めて思い知り、額の汗を拭いながら、自らの責任の大きさに深く、静かに戦慄していた。
◇◇◇
日比谷の当直室
◇◇◇
市ヶ谷台の地上。
阿南陸相や畑元帥らが暗闇の中で立ち尽くす中、庁舎の周囲は不気味なほどの静寂に包まれていた。柳瀬の造反部隊によって主電源のブレーカーは爆破され、地下水道も破裂し、屋上の無線アンテナも全てへし折られた陸軍省は、文字通りインフラが全滅した「巨大な廃墟」と化していた。
この様子を見た不破大佐は、畑元帥らの前に進み出ると、直立不動で上官からの伝言を告げた。
「阿南大臣、畑元帥閣下。田中静壱大将からの伝言にございます。『今夜の市ヶ谷は宿営不可能です。是非とも今夜は、我が東部軍管区司令部へお越しいただき、明日の参内の件について細部を謀議いたしましょう』とのことです」
「うむ、田中の言う通りだな。ここにいても水一杯も飲めん」
阿南陸相の同意もあり、畑元帥やそれぞれの副官、随行員らは、東部軍が用意した四台の黒塗りの軍用乗用車に分乗。市ヶ谷台を後にし、東部軍管区司令部が置かれている日比谷の「第一生命ビル」へと向けて、夜の帝都を走り出した。
午後8時30分。第一生命ビル・東部軍管区司令官執務室。
明日に控えた畑元帥の「昭和天皇への拝謁」は、今後の皇国の運命を決定づけるあまりにも重大な政戦である。その責任の重さを共有する阿南陸相と田中大将は、万が一の過激派による夜襲や不測の事故に備え、今夜は三人揃って司令部内の「当直室」に一歩も出ずに宿営することを決意した。
彼らの手元には、東部軍の兵たちが市ヶ谷から回収してきた、浩平が現場全員に配った少し冷めた「のり弁」の折箱が握られていた。
「――監視者殿。そこにいるのだろう」
畑元帥が、誰もいない空間に向けて手帳を開き、鉛筆を走らせた。
『わしが憲兵隊に連行された際、お前が先手を打って回収してくれた「陛下への土産物」一式を、この部屋に戻してほしい。明日、参内する際にどうしても必要なのだ』
その文字ログを検知した浩平は、自宅のキーボードを叩いた。
「そうか、畑のオヤジが東京駅で逮捕された時に、没収されないように俺がインベントリ空間へ緊急避難させておいた荷物があったな。明日持っていくなら、今返してやるのがベストタイミングだ」
三人は、周囲の若い副官や随行員たちにこれらの未来のエビデンスを今見せるのは時期尚早だと判断し、「これより極秘の軍務を行う。誰も近づけるな」と言い渡し、副官たちを全員退室させた。
部屋が三人だけになり、重厚な扉が閉められた、まさにその瞬間だった。
ドンッ! ドンッ! ドサササッ!!!
「お、おおっ!?」
田中大将が思わず腰の軍刀に手をかける。
三人が囲む大きな作戦机の上の空きスペースに、突如として、頑丈な二重の木箱や、見事な桐箱に包まれた特大の風呂敷包みが、確かな質量を伴って出現したのだ。
それは、憲兵隊の目を盗んで浩平が守り抜いた、歴史をひっくり返すための「未来のネタバレセット」だった。
木箱を開けると、そこには現代のカラー印刷で刷られた『現代の日本/世界地図』、未来の皇室の歩みを克明に記した『令和の皇室百科』。さらに、植物学者でもあられる昭和天皇の専門領域の、現代の最高峰の図鑑――『新訂原色植物大図鑑(上/中/下 全集)』が、眩しいほどの装丁で収められていた。
さらに、要人へのお土産として浩平がショップで購入しておいた、現代の総合ビタミン剤『アリナミンEXプラス(20缶)』が、整然と並んでいる。
そして最後には、畑元帥が広島から片時も離さずに持ち歩いていた、あの小型のポータブルDVDプレイヤーと、広島原爆の惨状を記録した生々しい写真集も、静かに机の上へと返還された。
「……これだ。これさえあれば、陛下に世界の現実をお伝えできる」
畑元帥が深く頷いた。
さらに、あの時九段下の憲兵司令部に一度は押収されていたはずの、現代の最高級ジャパニーズウイスキー『響 21年』のボトル十本も、畏怖した憲兵隊長の手によって一切の手を付けられることなく、丁重にこの部屋へと返還されていた。
「阿南、田中。今夜は帝都の危機を脱した、臨時の祝杯だ。一本、開けようではないか」
畑元帥が笑い、琥珀色に輝く『響 21年』の美しい24面カットのボトルを引き抜いた。
湯飲み茶碗に注がれた最高峰の未来の美酒が、三人のグラス(茶碗)を満たす。机の上には冷めたのり弁。だが、日比谷の当直室で始まったその即席の宴会は、これ以上ないほど濃厚で、静かな熱気を孕んでいた。
◇◇◇
終戦の必要性と、大切にするべき命
◇◇◇
「うまいな……。これほど深く、芳醇な味わいの酒は、生涯で飲んだことがない」
阿南陸相が、感嘆の声を漏らして未来のウイスキーを喉に流し込んだ。田中大将もまた、その至高の香りに目を細め、しばしの安堵に浸っていた。
しかし、茶碗が二杯目に差し掛かった頃、話題は自然と、机の上に置かれた「小型の機械(ポータブルDVDプレイヤー)」へと移っていった。
「畑閣下。……その機械の中に、我が国の『未来』が写っているというのは、本当なのですか」
田中大将の静かな問いかけに、畑元帥は無言で頷くと、プレイヤーの蓋を開け、すでに何回も再生してきた例の映像――現代のショップで購入した『終戦特集:太平洋戦争の終わり』のディスクをセットし、再生ボタンを押した。
液晶画面が明るく発光し、小さなスピーカーから、厳かなナレーションと当時の生々しい音声が流れ出す。
初めて未来の記録を目にする阿南陸相と田中大将の身体が、一瞬にして硬直した。
そこに映し出されていたのは、一週間後の八月六日、一発の巨大な白光によって一瞬にして地獄の炎へと変わる広島の街。続いて引き裂かれる長崎の空。さらには、各地の凄惨な大空襲によって焦土と化していく帝都の無惨な姿だった。
「おのれ、アメリカめ……! 我が同胞を、ここまで無慈悲に……!」
田中大将が拳を血が出るほどに握りしめ、憤慨の声を上げる。阿南陸相もまた、その強面を苦痛と悲しみに激しく歪め、画面を見つめながら大粒の涙を流していた。
だが、映像はそれだけでは終わらなかった。
後半、カメラが映し出したのは、戦後の日本の姿だった。焦土から立ち上がり、奇跡的な復興や経済成長を遂げ、世界屈指の技術大国として平和を謳歌する新時代。そして、令和の現代において、何万もの穏やかな民間人が笑顔で二重橋前に集まり、天皇陛下の一般参賀を万歳三唱で祝う、この上なく平和で豊かな「未来の日本」の全景だった。
100分間の映像が終了し、完全な静寂が当直室を支配した。
二人の将軍の顔には、先ほどの憤慨と悲しみを超え、自らの命の先にある「皇国の確固たる存続」に対する、眩しいほどの希望の光が宿っていた。
阿南陸相は、深く、長くため息をつき、静かに頭を下げた。
「……畑閣下。あなたがすべてを賭して陛下に直訴しようとされた理由……よく分かりました。我が陸軍の面目のために、この未来の同胞たちの命を、一億玉砕の狂気で全て消し去るわけにはいかん……」
史実において、阿南惟幾という男は、一九四五年八月十五日の玉音放送の直前、「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル」との遺書を残し、軍部の暴走をその身を以て抑え込むために割腹自決を遂げている。
だが、この世界の阿南陸相は、今、目の前で「日本の確かな未来」を視認し、天の監視者の圧倒的なバックアップを体感したことで、その心境に決定的な変化が生じていた。
(死んで責任を取るのではない。この未来への日本を繋ぐために、私は陸軍の狂気を最後まで御さねばならぬのだ)
また、史実の宮城事件の責任を負って自決するはずだった田中静壱大将も、この世界では皇居襲撃そのものを完璧な先手で阻止したため、何一つ命を絶つ理由はない。間接的な当事者である森赳中将もまた、無血解決や暗殺回避によって生存している。
現代の自室。モニター越しに三人の状態が心身状態が安定しているのを確認した浩平は、キーボードを叩きながら小さく微笑んだ。
「歴史改変は覚悟の上だ。国のために命を懸けて頑張ったまともな軍人たちが、無意味な責任をとって安易に命を絶つ必要なんてない。生き延びて、戦後のボロボロになった日本を立て直すために尽力することこそが、当時の昭和天皇への本当の忠義のはずだ。……よし、このままそっとしておこう」
浩平は、今後の連絡を円滑にするため、インベントリ内のプリンターから一枚のA4用紙を出力。それを、当直室のDVDプレイヤーのすぐ隣の座標へとデプロイした。
ストン。
「手紙……! 監視者殿からか!」
阿南陸相がその紙を手に取り、田中大将と共に目を凝らした。そこには、今後の直接な連絡手段の仕様が記されていた。
『阿南陸相、田中大将へ
以降、畑元帥や藤堂中将と同様に、私への直接の連絡や要望は、ご自身の手帳を用いた文字のやり取りで行います。連絡したい当日の日付と、少し先の時刻を、自身の持つ手帳の最後のページに手書きで記入し、続けて以下の【識別記号】と内容を書き込んでください。
何か自分の力では叶えられないこと、悩み事があれば、必ず一言相談してください。
阿南陸相専用:ANRS>FTKH
田中大将専用:TA7K>FTKH
記入例:1945年7月31日、午後10時00分 ANRS>FTKH 追加のお酒の肴を頼む
――監視者 浩平』
「識別記号、ですか。実にもって不可思議な仕組みだ」
田中大将が感心したように手紙を見つめる中、傍らにいた畑元帥が、少し不満そうに口を尖らせて湯飲みを置いた。
「ふん……阿南や田中は格好の良い記号をもらえて羨ましいな。わしの識別記号など、何だと思う? ……【OYAJ】、おやじだぞ。まったく、監視者殿も、もう少しわしにまともな格式のある記号を決めてほしいものだ」
老将のまさかの愚痴に、当直室の空気が一気に和んだ。
田中大将は興味をそそられたようにニヤニヤと笑い、阿南陸相の肩を叩いた。
「おや? 畑閣下、それは面白い。……おい阿南、酒の肴がもらえると例に書いてあるぞ。試しに今、その手帳とやらに『ウイスキーに合うつまみをくれ』と書いてみたらどうだ?」
阿南陸相は、突如として現れた「未来の監視者の存在」への畏怖をまだ完全には拭いきれず、強面をこわばらせてやんわりと首を振った。
「いや……田中大将、滅相もない。天の監視者殿の強大な御力を、我らのおかずの調達ごときで軽々しく煩わせるべきではない。今夜は、この冷めた弁当だけで十分すぎるほどだ」
◇◇◇
日比谷の宴会
◇◇◇
「あはは、阿南さん、そんなに遠慮しなくていいのに。高級ウイスキーがあるのに、おかずが冷めたのり弁だけじゃ、さすが私のホスピタリティとして申し訳ないよな」
現代の自室。スピーカーから流れる三人の微笑ましいやり取りを聞いた浩平は、クスクスと笑いながらブラウザの別ウィンドウを開いた。
「せっかくだから、二人に最高の夜食をごちそうしてやろう。ええと、検索……」
浩平が『田中静壱 好物』『阿南惟幾 好物』のキーワードで検索してみると、驚いたことに、東部軍の田中大将は昭和天皇とまったく同じく「鰻」が大の好物であるという情報がヒットした。阿南陸相に関しては明確な情報は得られなかったが、日本人なら誰もが喜ぶ最高のおかずを用意すれば間違いはないはずだ。
浩平はすぐさまゲーム内ショップを開き、実費のゼニを投入して以下の夜食メニューを発注した。
国産うなぎの蒲焼(特大)×3尾:6,000ゼニ
高級松花堂弁当(刺身、天ぷら、季節の煮物、大海老など、おせち並みの豪華なおかず重)×2折:4,000ゼニ
「今回は昭和天皇の時みたいに宮内庁御用達の老舗にこだわらなくても、ネットスーパーの出来立てのうなぎで十分すぎるほど美味いはずだ。よし、座標指定……転送!」
【総支出:10,000ゼニ】
ストン、ストン、ふわぁあああん……。
日比谷の当直室。
作戦机ののり弁の折箱のすぐ隣に、突如として、炭火から今しがた引き揚げられたばかりのような、ジューシーな脂の音を立てる「特大うなぎの蒲焼」が三尾、そして美しく仕切られた漆調の「松花堂弁当」が二折、信じられない芳醇な和食の香りと共に物質化した。
「う、うおおっ!? うなぎ……! うなぎではないか!!」
目の前に突如として現れた大好物を前に、それまで厳格を絵に描いたようだった田中静壱大将が、子供のように目を輝かせて椅子から飛び上がった。タレの甘辛い香りが、当直室の空気を一瞬にして極上の料亭へと書き換える。
一方の阿南陸相は、先ほど「おかずごときで煩わせるな」と言った直後に、自分の心理を完璧に見透かしたように配置された未来の贅沢な御馳走を前に、完全に言葉を失っていた。
「……監視者殿。いや、浩平殿、だったか。何とも恐れ多い配慮を……」
阿南陸相は、未来の監視者の存在のあまりにも温かく、容赦のない厚意に対し、申し訳なさそうに、しかし嬉しさを隠しきれない様子で深く頭を下げ、箸を取った。
「田中、阿南。これ以上の贅沢はあるまい。今夜はしっかり食い、英気を養おう。皇国の本当の戦いは、明日からなのだからな」
畑元帥の力強い音頭に合わせ、三人の老将たちは、未来の美酒とうなぎ、そして豪華なおかずを心ゆくまで堪能し、東京の激動の夜を笑顔で更けさせていった。
画面の向こうで、この光景を見届けた浩平は、ふうと大きく背伸びをし、マウスのホイールを回した。
「東京の事件は、これ以上ない形で解決できた。……よし、それじゃ、そろそろ広島の人々の様子を見にに戻るか、すずさんとちひろさん達の様子もきになる」
浩平は画面の視点(FPVカメラ)を日比谷の第一生命ビルから引き剥がし、数日ぶりに、すべての物語の終着点である「広島」の広域マップへと座標を移動させた。
【現在のクレジット残額:788,148,780ゼニ】
【ゲーム内で関わった人数:約123,900人】
◇◇◇
夜の広島
◇◇◇
1945年7月31日、午後10時00分。
帝都を揺るがした近衛師団の暴発は、一滴の血も流されることなく収束を迎えた。
東京での激動の一部始終を見届けた浩平は、日比谷の夜を笑顔で更けさせていく三人の老将たちの姿から遠隔カメラの視点を引き剥がし、数日ぶりに、すべての物語の終着点である「広島」へ切り替えた。
画面をスクロールさせ、登録しておいた座標へジャンプする。
カメラのレンズが捉えたのは、広島市郊外、桜ヶ丘にあるすずの家の静かな佇まいだった。浩平が最後にこの家を覗いたのは、呉の街へ救援に向かう直前、7月29日の昼頃のことだ。
すでに夜も更け、居間の中は寝静まって深く暗い。
部屋の中央に置かれたちゃぶ台の上には何も置かれておらず、かつてのようなすずからの物資の注文の為のノートの切れ端も見当たらなかった。浩平は管理画面を開き、この家の物置や米びつの在庫ステータスを確認した。
【米:残り約8kg】
【缶詰:残り8缶】
【果物:なし】
「……やっぱり、消耗する速度が想像以上に早いな」
浩平は画面を見つめながら、小さく眉をひそめた。
すずは、あの優しく実直な性格ゆえに、浩平が届けた米や食材を自分たちだけで消費してはいなかった。二日おきに丁寧におにぎりを握っては、近所の井上や避難家族の佐藤といった、飢えに苦しむ九人の知り合いの元へ欠かさず届けている。さらに、娘のさちの親友のふみこ一家の援助まで引き受けているのだ。
「俺がもう少し見に来るのを遅らせていたら、本当に備蓄が底を突いていたかもしれない」
浩平は続けて、前にこの家に設置した『即席冷蔵庫』の中身をチェックした。
六リットルの保冷ボックスの中に、マイナス40度まで凍らせた1.5リットルのペットボトルを保冷剤代わりに敷き詰めた、浩平お手製の臨時の冷蔵システムだ。二日前にはカルピスや牛乳、そして牛肉、鶏もも肉、豚バラブロックを満載にしておいたはずだった。
だが、それらも既に綺麗に消費し尽くされており、ボックスの底には、すっかり中身が溶けて常温に戻ったカルピスのボトルが一本残されているだけだった。
「『常温に戻ったら溶けたカルピスを飲んでくれ』って手紙に書いておいたのに……。あいつら、変に遠慮して大事に残してるな」
浩平は苦笑しながら、その保冷ボックスを一度手元のインベントリ空間へと回収した。残っていたボトルを再びマイナス四十度に再設定し、さらにショップの画面から新たな食材を次々と購入し、パズルのように隙間なく詰め込んでいく。
氷代わりとして、新たにマイナス四十度に凍らせたカルピスの一・五リットルボトルを一本(200ゼニ)。同じくマイナス四十度の保存用牛乳(250ゼニ)。さらに、保存用の鶏もも肉五百グラム(200ゼニ)と、今回新しく追加した鮭の切り身五切れ(800ゼニ)をマイナス二十度でカチカチに凍らせて配置。そして、すぐに調理に使えるよう、一度に冷やした豚バラブロック五百グラム(600ゼニ)を滑り込ませた。
さらに、常温保存用の食材も惜しみなく追加した。
これからの数日間、すずが周囲の人間を安心して支えられるよう、五キロの備蓄米を2パック(4,000ゼニ)、肉や魚がバランスよく入ったおかず缶詰五種セット(4,000ゼニ)、貴重な栄養源となる卵十個パック(300ゼニ)、そして栄養のためのバナナ一房(150ゼニ)とニュージーランド産のりんご四個(500ゼニ)をまとめて購入した。
【すず家・総支出:11,000ゼニ】
「元の在庫でも数日間は持っただろうけど……すずさんから見れば、俺がいつ戻ってくるかも分からないわけだ。手元にある物資を不安そうにやり繰りさせるよりは、これくらい多めに備蓄させておいた方が、彼女も絶対に安心するはずだ」
購入した山のような物資を、居間の隅の目立たない暗がりへと一括で転送する。
作業を終えた浩平は、最後に少しだけ遠隔カメラの視点をすずとさちが眠る奥の部屋へと潜り込ませた。真夜中に母娘の寝室を覗くことに、現代人としてほんの少しの罪悪感を覚えはしたものの、二人が衣服を寄せ合い、穏やかな寝息を立てている姿を画面越しに視認した瞬間、浩平の胸には妙に温かい、言葉にできない安心感が広がっていった。
◇◇◇
すずの家を後にした浩平は、続いてカメラの視点を広島市曙町にある「橘家」へと移動させた。
こちらも、真夏の深い闇の中に静まり返っている。
橘家はすずの家とは異なり、周囲の近隣住民への物資の援助などは行っていない(あるいは、浩平の知らぬところかもしれない)。そのため、三日前に届けた常温の食材はそれなりに残っていた。
ただし、やはりこちらの『即席冷蔵庫』も中身は完全に空っぽになっていた。氷代わりだったカルピスも牛乳も、綺麗に家族の喉を潤して飲み切られたようだ。
「こっちも、冷たいものはすぐに消費しちゃうよな。よし、配給のセットを少し変えて、もう一度冷やし直してやるか」
浩平は橘家の保冷ボックスを一度画面上から回収し、庫内の温度設定と配置を最適化して再転送した。
中身は、マイナス四十度のカルピス1.5リットル(200ゼニ)、同じくマイナス四十度の保存用牛乳(250ゼニ)。そして今回は、すぐに冷たいまま飲めるように一度に設定した牛乳1リットル(250ゼニ)を一本追加した。保存用の冷凍鶏もも肉(200ゼニ)と、鮭の切り身五切れ(800ゼニ)、すぐ調理用の豚バラブロック(600ゼニ)を詰め込む。
常温保存用として、卵、バナナ、りんごのセット(800ゼニ)を添えて、橘家の暗い台所へと音もなく送り届けた。
【橘家・総支出:3,300ゼニ】
「よし、こっちもギリギリまで詰め込んだ。これで数日は大丈夫だろう」
流石に、年頃の少女であるちひろさんの寝顔まで覗き込むのは男として良くないと自制した浩平は、代わりに家主である橘誠一郎中尉の健康ステータスを画面上で確認した。
数日前まで真っ赤に警告を表示していた「結核:中等症」のステータスが、未来の抗生物質の効果によって、今や「軽症」の緑色の表示へと劇的に改善されていた。
「薬がちゃんと効いてるな。本当によかった……」
浩平はホッと胸を撫でおろし、カメラを橘家から引き揚げた。
「よし、最後は鍛冶屋町……黒田さんの家だ。けいこ夫人が待つあの食卓も、毎日黒田さんが無事に帰ってきたときの唯一の癒やしのはずだからな。こっちもしっかり面倒見ないと」
浩平は座標のブックマーク機能をクリックした。画面は瞬時に、広島市鍛冶屋町にある黒田少将の官舎のダイニングルームへとジャンプする。
黒田の家は、育ち盛りの子供がいるせいか、他の二軒に比べて主食であるお米の消耗速度がやや早い傾向にあった。
浩平はショップ画面から、常温保存用として最上級のコシヒカリ新米五キロ(3,000ゼニ)、卵十個パック(300ゼニ)、おかず缶詰五種セット(4,000ゼニ)を購入。
さらに、黒田宅にはまだ保冷ボックスを設置していなかったため、新規に6リットルの保冷ボックス(2,500ゼニ)を購入し、中身にマイナス40度のカルピス(200ゼニ)、マイナス40度の牛乳(250ゼニ)、一桁の温度に冷えたすぐ飲む用の牛乳(250ゼニ)、冷凍鶏もも肉(200ゼニ)、豚バラブロック(600ゼニ)を詰め込んで、『即席冷蔵庫』の新規セットを購入した。
【黒田宅・総支出:11,300ゼニ】
暗いダイニングテーブルの片隅へ、それらの物資を静かに転送させた
黒田の家族は、まだこの未来の保冷ボックスの正しい使い方を知らないはずだ。浩平は親切心から、物資の山のすぐ隣に、一枚の簡単な説明文を添えた手紙を現像して配置した。
『黒田さん、けいこさんへ
青色の箱の中に、新鮮な食材が入っています。この箱には二日ほど、中を冷たく保つ効果があります。中の冷気が逃げてしまうため、用事がない時は頻繁に開け閉めしないよう心がけてください。
一番底にある、冷やしの元になっている白い容器には、凍ったカルピスが入っています。明日か明後日以降、中身が溶けたらみんなで飲んでください。
牛乳も肉も、すぐに使えるものと、凍っている保存用のものが一パックずつ入っています。
――監視者』
手紙が机の上に静かに着地したのを見届け、浩平はキーボードから両手を離した。
「……ふぅ。これで、やっと今日やるべき仕事は終わりか」
パチパチとこわばった両手の指を鳴らす。時計の針は、すでに午後11時00分を回ろうとしていた。
東京での通信網構築、元帥の救出、昭和天皇の玉姿放送のプロデュース、そして二千五百人前ののり弁の配給――。
あまりにも多くの出来事が目まぐるしく駆け抜けた、激動の一日だった。肉体的な疲労よりも、精神的なキャパシティが限界に達しつつあるのを自覚する。
「明日からは、いよいよ広島本番で動き出すだ……。俺も、少し休まなきゃな」
浩平はパソコンとモニターの電源を付けたまま、眩しい画面の光を背に浴びながら、隣にあるベッドへと倒れ込んだ。泥のような深い眠りが、現代の孤独な観測者は、一瞬にして深い闇へと引きずり込んでいった。
【現在のクレジット残額:788,123,180ゼニ】
【ゲーム内で関わった人数:約123,900人】
これでようやく1945年7月31日を終えた(苦笑)
今回は概ね休息回です
もう10000字突破で、さすがにすずさんたちのリアクションを書くと1話に収まらなくなるのでご容赦ください
彼女達は活躍するシーンは後でいくらでもありますので




