1945年7月30日 責任と伴う力
この作品はフィクションです、実在の人物や団体などとは関係ありません
ゲーム内クレジット残額:29,404,480ゼニ
ゲーム内で関わった人数:26人(すずと周辺家族) + 31人(黒田藤堂の謀略関係) + 10人(及川院長関係) + 631(陸軍病院治療患者) + 4人(巡洋艦救出人員) + 4750人(海軍病院救助患者) + 667(浩平一時救助患者) + 260(ORS水配給関係) = 6379人
◇◇◇
1945年7月30日、午前0時00分。
日付が変わった瞬間、画面左上のクレジット残額表示が凄まじい勢いで回転し、残額が8桁でストップした。
「2900万…想像はしたけど、実際に手に入ると桁の数は壮観だな…」
同時に、画面右上で「!」マークが点滅していて、浩平は今後の予算を分配を組む為、直ぐに知らせアイコンをクリックした。
(おめでとうございます。ゲーム内で関わった人数が6000人を超えました。レベルが15になりました。
LV16ボーナス(700人関与):700,000ゼニ
LV17ボーナス(800人関与):800,000ゼニ
LV18ボーナス(900人関与):900,000ゼニ
LV19ボーナス(1000人関与):1,000,000ゼニ
LV20ボーナス(2000人関与):2,000,000ゼニ
LV21ボーナス(3000人関与):3,000,000ゼニ
LV22ボーナス(4000人関与):4,000,000ゼニ
LV23ボーナス(5000人関与):5,000,000ゼニ
LV25ボーナス(6000人関与):6,000,000ゼニ
LV16~25ボーナス:合計23,400,000ゼニが支給されました。
LV25拡張:デイリーボーナスが6,000,000ゼニに増額。1日の課金上限は6,000,000円に拡張されました。
『購入品の回収機能』が解放されました
購入して一旦ゲームワールドに転送した商品は、所有者はなく、もしくは所有者/管理者が所有権を一時放棄した場合は、商品を回収し『購入品組み合わせ機能』のストックアイテムとして扱える
『購入品組み合わせ機能LV2』が解放されました
購入品組み合わせ機能LV1に加えて
購入品組み合わせ機能(サンドボックス環境)に、給水、洗浄、切断、溶接、電力供給(AC/DC 0-1000V、 ~100Aまで)、また、サンドボックス環境にて通信機能がある購入品は、ユーザーPC側のUDPポート6666(UDP over HTTP)またはUIコンソールから接続する機能が解放されました
※転送後、通信機能は利用不可、ただし、『購入品の回収機能』と併用して、一旦回収された状態では通信可能
)
◇◇◇
「やはり、俺の想像通りだったか。関与した人間1000人につき100万ゼニ、6000人なら600万ゼニという累積型の予算配分か……。凄まじい金額だ。だけど……」
浩平は電卓のアプリを叩き、静かに溜息を吐いた
「今の手持ちの全財産を、例えば呉市の全住民およそ20万人にそのまま分配したとしたら、一人当たり150ゼニにも満たない。経過ポイントとしてはこれ以上ない大金だが、都市全体のインフラを丸ごと供与するとなれば、ここから先はこれまでとは比べ物にならないほどの巨額の支出が待っている」
必死にコードを書き、命を繋ぎ止めて稼いだこの2900万ゼニすら、これから始まる本当の戦いにおいては、単なる最初の中継点に過ぎないのだ。
「それにしても、『購入品の回収機能』と『購入品組み合わせ機能のレベル2』か……。この組み合わせ、ゲームUI内での『洗浄』や『給水』の自動実行ができるということは、すなわち、0コストで『水』を無制限に供給できるってことか?」
現実世界の物理法則を完全に無視したチート権能に対し、浩平は呆れを通り越して苦笑した。
「もう今更システムにツッコミを入れる気力すら残ってないけれど、リソースが無限に湧き出すなんて論理的にはあり得ない。この水、一体どこから引いてきているんだ……?」
新機能の応用方法について暫く思考を巡らせたが、浩平はすぐに「今は理屈を考えている場合じゃない」と、猛烈な勢いで思考の優先順位を切り替えた。
「とりあえず、一刻も早く呉市全体をなんとかしないといけない。さっき現地にの周りの家庭毎に1リットルの水を配給しただけで、ゲームの関与人数ログが動いて、少なくとも200人以上の命が助かった。市中心部のごく一部のセクターですらこの惨状なんだ。すぐに行動を起こして、呉市全域に命の水分を行き渡らせないと」
しかし、コンソール画面に映る呉の全域マップを見下ろしながら、浩平の指が止まる。
「だけど、警防団というボランティア同然の民間組織だけで、呉市の20万人の隅々まで物資を配り歩くなんて、一体どれほどの時間がかかる? なら、俺が直接Pythonのコードを組んで、すべての民家の玄関先へピンポイントでORSを強制転送するか? ……論理的には可能だ。だけど、深夜にいきなりノックもなしに物資が現れたところで、住民が気づかない可能性が非常に高い。それどころか、不審物だと思われて廃棄されたら、本当に水が必要な人に飲ませられない。意味がないんだ……。だったら、例の『胃の中へORSの直接転送』を市街地全体ラベルで実行するか? いや……こんな力技の強制給水は、状況に陥った時の最終手段だ!」
◇◇◇
回収と再生
◇◇◇
午前0時20分。
モニターに映し出される、いくつかの臨時収容所の暗視カメラ画面へと視線を戻す。
陸海軍の合同救護隊による初回の手当てはほぼ一通り完了しており、あとは現場に残った警防団の男たちが、看護婦たちから教わった手順に則って、定期的な軟膏の塗布、滅菌ガーゼやさらしの交換、そして防水ビニールシートの消毒作業を必死の面持ちでこなしていた。完全に人手が不足している現地では、こうした地道な保守作業を民間人の手に委ねるしかないのが現状だった。
「とりあえずは、経口補水液(ORS)の追加供給だ。海軍病院も、ここの収容所も、水が圧倒的に足りていない。……ここから先、市街地の広域な水配りは、俺が力技の転送でやるよりも、海軍のトップである金沢のやつを動かして軍の組織力で配らせるのが一番効率がいい。そのための布石を打つか」
浩平はまず、画面上のUIを操作し、さっきORSの配給を終えて収容所の隅に転送したまま放置されていた「空の折りたたみウォータータンク」へとカーソルを合わせた。新機能である『購入品の回収機能』のトリガーを引いてみる。
すると非常に興味深いことに、暗闇の講堂の隅に積み上げられていたはずの空の樹脂製タンクが、音もなく、何も残さずにその場から綺麗に消滅した。
浩平が急いで手元の『購入品組み合わせ機能』のインベントリ画面を確認すると、ストックアイテムのリスト内に、新しく『ウォータータンク20L(中古)× 1』という項目が出現していた。
「なるほど、所有者がいなくなった現代アイテムなら、距離を無視して手元へ回収できるわけか」
手応えを得た浩平は、間髪入れずに五つの臨時収容所を巡回し、現地に転がっていた空のウォータータンク計50個をすべて回収した。
「これで新規タンク購入分の15,000ゼニの節約だな。……今はいくら画面上の金が増えたとはいえ、最後の最後でどんな事が起きるか分からないっていうのは、これまでの経験で嫌というほど学んだ。削れるコストは極限まで削る」
インベントリに並んだ『ウォータータンク20L(空)× 50』のログを確認すると、そのオブジェクトのすぐ隣に、レベル2への拡張によって実装された「注水」というシステムボタンが追加されていることに気づいた。
「これで、純度の高い綺麗な冷水が無料(0コスト)で手に入るわけだ。本当のリアルワールドじゃ、どんなに水が安くてもタダにはならないんだけどな……。まあ、仕様として存在しているんだ、ありがたく使わせてもらう」
浩平がマウスで「注水」のボタンを押し下げた次の瞬間、アイテムのステータス表示が音もなく『ウォータータンク20L(満タン:冷水5℃)× 50』へと書き換わった。
ここからが、浩平の手際の見せ所だった。
浩平はショップからORSの調合材料をバルクで購入し、昼間のうちにシステムへ保存しておいた「調合レシピ」を即座に実行した。
ウォータータンク20L(満タン:冷水)× 50 =(手元のストックアイテムを流用:0ゼニ)
業務用 上白糖 2袋 = 8,000ゼニ(計40kg)
食塩 5kg 1袋 = 500ゼニ
2L用ポリ袋 1000枚 = 500ゼニ
【総計:9,000ゼニ 保存レシピ名:回収タンク_1000リッターORS.recipe】
さらに、前日の市民たちの乾き具合を見る限り、1000リットル程度のORSは朝を迎える前に一瞬で底を突くことは明白だった。浩平はレシピのループ処理を回し、新規の20Lタンク200個を用いたORSのパッケージも追加で大量に発注・調合した。
【追加投入:4,000リッターORS + 小分け用ポリ袋 総計:96,000ゼニ】
「システムによる自動調合なら一瞬だけど、現地の人間が手作業でドラム缶をかき混ぜて作っていたら、それだけで貴重な時間がロスしてしまう。命を繋ぐための時間が欲しいからな。これからの調合プロセスは、すべて俺の手元で終わらせてから送り届けてやる」
日付はすでに変わり、深夜の最も深い時間帯。しかし、文字通り呉の街の命のタイムリミットは待ってくれない。
浩平は出来上がったばかりの、5度までキンキンに冷えた調合済みの20Lタンク50個ずつ、五つの臨時収容所へと再び空間転送した。
今回のタンクの取っ手には、今後の運用方法を指定したメッセージの紙片を添えておいた。
『追加の調合済み経口補水液だ。空になったらまた補充してやる。だが、街中を一軒一軒配り歩くのはあまりに効率が悪い。人手を呼び込んで、この収容所を臨時の「水配給所」へと拡張しろ。とりあえず当面の運用は任せる』
◇◇◇
深夜の給水所
◇◇◇
「おい……っ! 嘘だろ、見ろ!」
講堂の片隅で、空になったタンクをまとめて整理していた民間の警備団員が、腰を抜かしたような声を上げて床にへたり込んだ。
さっきまで完全に空っぽだったはずの樹脂製タンクの山が、突如として空間から消失したかと思えば、次の瞬間には、表面に冷たい結露の雫をびっしりと滴らせた「満タンのタンク」へと姿を変え、量も5倍となって整然と元の場所に出現したのだ。その脇には、新品の透明なポリ袋の束がうずたかく補充されている。
「また満タンになっとる……! 量も元よりずっと多い!それに、この水、触ると氷みたいに冷たいぞ!」
「神様だ……! あの『監視者様』が、またうちらに水を恵んでくださったんだ!」
深夜の避難所がにわかに騒然となり、人々が驚愕と畏怖の念に打たれてタンクの前にひざまずこうとしたその時。
傷口への応急処置を一段落させ、一度海軍病院への帰還の準備を進めていた陸軍の医師が、泥にまみれた白衣の袖をまくり上げながら、彼らの前に歩み寄った。
医師はタンクの取っ手に貼られた見慣れた現代の紙片を素早く引き剥がすと、LEDライトの純白の光に透かしながら、その文字を一字一字厳かに読み上げた。
「……驚くのはそこまでだ。警備団の諸君、これは驚いている暇を与えるための『奇跡』ではないぞ」
医師の鋭い一喝に、男たちがハッと背筋を伸ばす。
「紙片にはこう書いてある。『終わったらまた補充する。街中を一軒一軒配るよりも、人手を呼び込んで水配給所を作るべきだ』と……。これは、監視者殿からの直々の戦術指示だ。驚いて拝んでいる暇があるなら、今すぐ動け! ちゃんとこの指示の通りに運用体制を構築するんだ!」
「は、はい!!」
医師の的確な鼓舞により、現場の民間人たちの顔から戸惑いが消え、規律ある意志へと塗り替えられた。
救護隊の医療班の手はまだ重症者の治療で塞がっていたが、事情を理解した警備団の男たちは、すぐさま深夜の暗黒の市街地へと再び伝令を走らせ、近隣の動ける住民や若者たちを次々と収容所へと呼び込んでいった。
「よし、監視者殿の仰る通り、ここは今から『命の水』の配給所だ! 呼び集めた人員で臨時の給水班を作るぞ!」
「空いたタンクはここにまとめておけ! 監視者殿がまた手元へ回収して、水を入れて戻してくださる!」
深夜の呉市の一角に出現した臨時の配給所では、若者たちが手際よく蛇口をひねり、ポリ袋へと澄み切ったORSを小分けにしていく作業が、驚異的な速度でマニュアル化されていった。
彼らは、天の幽霊が調合した完璧な水分を両手に抱え、暗闇の中で渇きに震える家々へと、命のバトンを繋ぐために次々と走り出していく。
パソコンのモニター越しに、人間たちの手によって自律的に「配給所」というインフラが稼働し始めたログを見届け、浩平は小さく満足のいく笑みを浮かべた。
【現在のクレジット残額:29,299,480ゼニ】
「システムによる自動化だけが正解じゃない。……よし、現地のマンパワーは回り始めた。ここからは、俺にしかできない広域デプロイの仕様を組むとしようか」
2900万ゼニという莫大な力を手にしたプログラマーの指先が、次なる未知のタイムラインを強引に引き寄せるため、夜の静寂の中で再び軽快な打鍵音を響かせ始めた。
***
◇◇◇
第141章:命のパフォーマンス指標(KPI)
◇◇◇
1945年7月30日、午前0時30分。
日付変更と同時に解放された莫大な機能群を前に、浩平は一呼吸置き、まずは全体の状況把握を開始した。FPVカメラの視点を、広島の陸軍病院、そして呉の海軍病院へと順に回していく。
最初に開いた広島陸軍病院の全体ステータス画面には、治療中の631名の被災兵たちのステータス情報が並んでいた。
(……よし。全員の状態は概ね良好、重度熱傷の重症患者たちも、ひとまずは生存ラインを維持しているな)
詳細な在庫を確認すると、昨日、昨日の朝で黒田少将の特別病室へ送り込んだ医薬品の約半分が、現場の医師たちによって迅速に消費されていた。ただし、患部の保護に不可欠なワセリンの在庫は完全に底を突きかけている。さらに、昨日(7/29)の朝時点で5kg入り25パックあった備蓄米の在庫は、負傷者と職員たちの食事によって、すでに3分の1以下にまで減少していた。
(医療資材はともかく、食糧の消耗速度が予想以上に早いな。ここは朝になってから一括で補充するか)
午前0時40分。
続いて、今や呉における患者治療の最重要拠点となっている呉海軍病院へとカメラを切り替える。
画面に展開された時系列の生存者グラフを見つめる浩平の目が、わずかに曇った。昼の時点から、じわじわと、しかし確実に「死亡」の患者の数が時間と共に伸びているからだ。
「……つらいけれど、これは想定内の結果だ。重度の全身熱傷や、爆風による致命的な身体損傷は、現代の先進医学を以てしても助かる確率は半分以下。今のこの医療環境下で、現場が叩き出している数字は間違いなく最善だ。受け入れるしかないんだ」
『一人の死は悲劇だが、数百万人の死は統計上の数字に過ぎない』
かつて誰かが残した冷徹な言葉が、深夜の自室に白く浮かぶ浩平の脳裏をよぎった。自分自身の手で直接触れることのできない「画面の向こうの命」を、エンジニアとしての本能が、無意識のうちにパフォーマンス指標(KPI)へと変換し続けている。その事実に、浩平はかすかな割り切れなさを覚えながらも、すぐに乾いた理性で感情をねじ伏せた。
今は感傷に浸って思考スピードを落とすべきではない。
亡くなった患者の数を静かにその胸に刻み込んだ後、浩平は直ちに、海軍病院の備蓄データのチェックへと意識を集中させた。
医薬品や上白糖のストックは、この数時間の激闘で全体の半分から6割程度まで綺麗に使い果たされていた。特に深刻なのは水だ。手術や創傷部位の洗浄、さらには大量のORS(経口補水液)の調合と、何をするにも水が必要だったため、備蓄水は残量3割強、およそ6,000リットル(20Lタンク300個分)まで減少していた。病院内だけでなく、鎮守府司令部や他の重要機関へも病院側から緊急の給水支援が行われた様子。
「……ここでも『購入品の回収機能』の出番か。空のウォータータンクを回収して再利用すれば、少なくともタンク代、一個300ゼニの出費を節約できる」
浩平はFPVカメラを移動して、病院の地下倉庫を映った。そこには、役目を終えて積み上げられた空の折りたたみタンクが、約600個、うずたかく眠っていた。
それらをゲーム画面上で選択し、手元へ一括回収。システムUI上で無料の冷水を一瞬で1万2,000リットル分充填し、そのまま元の倉庫の空間へと再転送した。
「明日になれば、海軍の誰かが『一体誰がこの大量のタンクに水を満たしたんだ?』と騒ぎ立てるだろう。だけど、カモフラージュのための偽装工作はもうやめだ。「この世界」の日本全体が大騒ぎになるような事さえ踏まないなら、院内の整合性なんてどうでもいい」
浩平は腹を括り、さらに空いた倉庫のコンクリート床へ、これからの長期戦を支えるための医療物資とORS材料のバルク箱を、山のように積み上げていった。
【海軍病院・緊急補充医療アセット】
追加:医療用滅菌ガーゼ(大容量1000枚入カートン)/ 100箱(単価3,000ゼニ / 総額300,000ゼニ / 計10万枚)
追加:医療用さらし(10反パック)/ 100箱(単価5,000ゼニ / 総額500,000ゼニ / 計1,000反:約12km)
追加:消毒用エタノール一斗缶(18L)/ 50缶(単価6,000ゼニ / 総額300,000ゼニ / 計900L)
追加:トラマドール錠(25mg/1箱1000錠)/ 5箱(単価10,000ゼニ / 総額50,000ゼニ / 計5,000錠)
追加:ゲンタマイシン軟膏(100本入バルク箱)/ 5箱(単価20,000ゼニ / 総額100,000ゼニ / 計500本)
新規:ジクロフェナク錠(25mg/1箱1000錠)/ 10箱(単価6,100ゼニ / 総額61,000ゼニ / 計10,000錠)
新規:ペニシリン(1000mg/1箱1000錠)/ 30箱(単価10,000ゼニ / 総額300,000ゼニ / 計30,000錠)※今後の避難所内での戦時肺炎・感染症バーストを想定し大規模デプロイ。
【ORS(経口補水液)製造原材料】
業務用 上白糖(20kg袋)/ 30袋(単価4,000ゼニ / 総額120,000ゼニ / 計600kg)
業務用 食塩(25kg袋)/ 5袋(単価2,000ゼニ / 総額10,000ゼニ / 計125kg)
【総支出:1,741,000ゼニ】
すでに一日中、共同で治療に当たっていた陸軍・海軍の医師たちは、これらの「未来の薬」の性質を完全に把握している。もはや、説明文を紙片で残す必要すら現場にはなかった。
◇◇◇
物資のデプロイを終えた浩平は、カメラの視点を薄暗いロビーの一角へと移した。
そこに、衣服を泥に染めたまま、無造作にコンクリートの壁に身体を預けて泥のように眠りこけている一人の若い士官がいた。海軍病院における浩平の唯一の連絡窓口、陸軍の橘中尉だった。
橘中尉は結核からの病み上がりだ。随行員扱いの彼がこの一日の地獄のような重労働で、その身体は限界を超えて消耗しきっているはずだった。彼には、普通の人間以上の純粋な栄養とカロリーが必要だった。
浩平は橘の寝顔を見つめながら、その細い太ももの上の空間へ、優しく座標を指定した。
ストン。
常温保存ミルク 200ml × 3本(300ゼニ)
カロリーメイト フルーツ味(4本入り)× 3箱(600ゼニ)
小さな、しかし質量を持った現代の栄養食が、橘の脚の上に音を立てて落とされた。
そこには、小さな文字で書かれた、浩平からのメッセージが添えられていた。
『海軍病院の医療物資はすべて倉庫へ補充した。朝になったら病院長に報告してほしい。あなたは病み上がりの身だ。これは組織へではなく、あなた個人への供給だ。遠慮せずにすべて平らげて、決して無理はしないでほしい。 ――監視者』
「うおっ!?」
太ももに突然載せられた奇妙な重みと、カサリという紙片の音に、橘中尉はビクリと身体を跳ね上げて目を覚ました。寝ぼけ眼のまま、周囲に敵襲がないか、あるいは軍医長からの呼び出しがないかと周囲を見回すが、ロビーには力尽きて眠る看護婦たちの寝息しか聞こえない。
ハッとして自分の膝の上に視線を落とした橘は、そこに転がっている、見たこともない鮮やかな黄色の箱と、完全に密封された純白の小さな液体の容器を凝視した。
そして、その上に載せられた、印字された紙片を、震える手で拾い上げる。
「監視者、殿……」
薄暗いLEDの光の下でメッセージを読み進めるうちに、橘の乾燥しきった唇が、小さく震えた。
軍という組織の中に身を置き、陸軍の誇りのために死線を超えてきた彼にとって、自身の身体への気遣い、「無理をする」なと語りかけてくる言葉など、これまでの人生で一度も向けられたことはなかった。
橘は、まだ冷たさを残しているパックミルクを、愛おしそうに両手で包み込んだ。
「……ありがとうございます、監視者殿。私は、まだ、戦えます」
壁に背を預けたまま、橘は誰にも見られないよう、静かにその涙を拭った。天の存在が自分を見つめてくれているというその絶対的な事実が、彼の衰弱しかけていた肉体に、何よりも強い生命の灯火を再点火させていた。
◇◇◇
dignity for life
◇◇◇
午前1時00分。
丸ごと24時間連続、一切の休憩なしでの実動、そしてゲーム内の救助の仕事と現実世界のフリーランス仕事の同時並行。浩平の肉体と精神には、今やブレーカーが落ちる寸前のような、凄まじいレベルの疲労が蓄積していた。
モニターを見つめる視界がかすみ、タイピングする指先が、文字通り鉛のように重い。
(……だが、まだだ。最後の見回りと、夜間自動運用のデプロイだけは終わらせる。これだけの力を手にしておきながら、俺が寝ている間に数千の命がバグで消えるなんて、プログラマのプライドが絶対に許さない)
浩平は最後の意志の力を振り絞り、呉市街全体のマップを確認した後、昼間から何度もリファクタリングを重ねて使ってきた自作の救命プログラム『dignity_for_life.py』のソースコードをエディタで開いた。
「これまではローカルな救護所ごとの個別実行だった。だけど、今の資金力とレベル2の開発環境が解放された今なら……このコードの適用範囲を、呉市全域の広域クラスへと完全応用できる」
浩平はキーボードの打鍵音を深夜の部屋に響かせ、内部のロジックに広域一斉制御の関数を最速で実装していった。
【プログラムの内部処理】
1. 「呉市」にいるすべての「人間」のを抽出する。
2. その中から、ステータスが「死亡」ではなく、かつ「危篤・脱水・ショック・感染症」のフラグが立っている要救護者を自動で抽出。
3. 患者の3Dモデルから「胃の三次元空間ポリゴン」の形状データを取得し、その空間の完全に真ん中(重心)の座標を算出する。
4. 保留中アイテムのORSドリンクの紙コップをアンパック(消去)し、中の液体だけのオブジェクトを、先ほど算出した胃の重心へと無音・静止状態転送させる。感染症患者には、液体と同時に「ペニシリン」も同時に転送させる
5. もし、液体のサイズが縮小した胃の壁にぶつかる(コリジョンエラー)場合は、胃のキャパシティに合わせて液量を10%ずつ自動でスケールダウン(縮小)させ、胃壁の破裂を防ぐ安全マージンを確保する。
6. 在庫が尽きたら、『自動給水.recipe ORS 20L コスト:1070ゼニ』や『ペニシリン(1000mg/1箱1000錠)単価10,000ゼニ 』を自動追加購入する
7. 薬は8時間間隔、ORSは30分の間隔で無限にループ実行し続ける。
一文字のミスも許されない極限状態の中、浩平の指先が最後のエンターキーを叩いた。
「このコードのせいで……明日の朝、目が覚めたときに俺のアカウントが完全に破産していないことを、今は祈るしかないな……」
コンソール画面の最下部で、python dignity_for_life_ver_kure_global.py のコマンドが静かに実行された。
画面の奥で、数万のログがミリ秒単位で処理され、呉の街の目に見えない暗闇の中で、名もなき市民たちの胃袋へと、命の防壁となる抗生物質と水分が無音で供給され始める。
バックグラウンドで動き続ける緑色のログを確認した浩平は、もはや眼鏡を外す気力すらなく、衣服を着替えることも忘れて、そのままベッドの上へと文字通り糸が切れたようにぶっ倒れた。
意識が急速にシャットダウンしていく直前、彼の耳には、冷却ファンが静かに回り続けるPCの駆動音と、1945年の呉の夜風の音が、奇妙にシンクロしながら心地よく響いていた。
【現在のクレジット残額:27,557,580ゼニ(※自動運用により変動開始)】
【ゲーム内で関わった人数:6,379人 + ????人】
◇◇◇
深夜1時の報告書
◇◇◇
1945年7月30日、午前1時00分。
呉鎮守府・司令長官室の空気は、昼間とは全く異なる異様な熱量ではち切れそうになっていた。
「――以上を以て、海軍病院および、市内五つの臨時収容所における陸海軍合同医療班の夜間治療活動、ならびに周辺住民計千家族への『経口補水液(ORS)』の小分け配給任務、すべて完了いたしました!」
直属の部下から回ってきた緊急報告書を読み上げる副官の声が、長官室に響き渡る。
机の後ろに微動だにせず座る金沢正雄海軍中将は、組んだ両手の隙間から、提出されたばかりの信じられない数値を凝視していた。
海軍病院での生存維持率、九割超。
深夜、何もない虚空から突如として出現した、太陽のごとき二十基の純白の怪光(LED投光器)。
そして、数千人の意識不明者に施されたという、水を浸したガーゼを口に含ませる奇妙な応急術と、またもや無音で湧き出した数千リットルの冷水タンクの山。
「……海軍病院院長までもが、その『陸軍の持ち込んだ物資』の運用を全面許可し、自ら『使わねばただの塵だ』と言い放った、か」
金沢長官はぽつりと呟き、深く、深く椅子の背もたれに身体を預けた。その顔には、海軍のトップとしての困惑よりも、あまりにも完璧に機能しすぎている「未知の兵站」への、畏怖に似た高揚感が浮かんでいた。
金沢は、部屋の壁際に黙って佇んでいた二人の将官へと視線を向けた。
「藤堂閣下。……いや、お前さんの後ろにおられる『監視者殿』というお方は、一体どれほどの規模の輜重をその身に隠し持っておられるのだ。病院だけではない、呉の街一つの命を、文字通りその手だけで丸ごと下支えしておられるぞ」
部屋の隅、パイプ椅子に腰掛けていた藤堂中将は、金沢の問いかけにすぐには答えず、ただ静かに手帳の文字を見つめていた。
藤堂の胸中にあったのは、驚きを通り越した、監視者(浩平)への深い感謝と、そして「すまない」という無念の情だった。
(監視者殿。あなたは、この国を救うために、一体どれほどの代償を支払っておられるのですか。姿も見せず、名も名乗らず、ただただ深夜の暗闇の中で、我々泥を這う人間のために頭脳を絞り、資材を投げ打ってくださっている……)
藤堂には分かっていた。この「奇跡」の裏には、監視者殿が孤独に向こうの世界で戦い、必死にリソースを分配している「血の滲むような努力」があるのだということを。
一方、その藤堂の隣で報告を聞いていた黒田少将は、全身の毛穴が総毛立つような戦慄を覚えていた。
黒田の合理的かつ冷徹な頭脳は、報告から、ひとつの恐るべき結論を導き出していた。
(何ということだ……。この『監視者』とやらの真の恐ろしさは、海軍病院を救ったことではない。その圧倒的な物資を現地の警備団という『民間のボランティア組織』に直接与え、わずか数時間で、軍の憲兵の統制すら無視した独自の『水配給インフラ』を自律的に機能させてみせたことだ……!)
もし、この存在がその気になれば、軍の命令系統を完全に無視し、民衆をその物量だけで直接支配することすら可能になる。
「神」が直接、泥の上の人間に配給を行う、その構図の持つ政治的破壊力に、黒田は冷や汗が止まらなかった。だが同時に、その圧倒的な「最適解」を前に、軍人としての敗北感と、奇妙な敗北の快感が脳を支配していた。
◇◇◇
当直室への案内
◇◇◇
「――長官。たった今、市内臨時収容所より連絡。救護隊の医師団、ならびに看護婦班、これ以上の重症者の発生がないことを確認し、海軍病院への撤収を開始した模様にございます」
副官のその報告を聞いた金沢長官は、机の上の時計を見た。午前1時20分。
激動の7月29日が完全に終わり、新しい一日が静かに始まろうとしていた。
「そうか。……医療班の者たちには、海軍の備蓄から最大限の労いを送れ。それから君も、今夜はもう上がって寝るよう伝えろ」
金沢は立ち上がり、軍帽を机の上に置くと、藤堂と黒田の方へと歩み寄った。その眼光は、昼間の政治的な敵対心を完全に削ぎ落とされた、一人の前線指揮官のものだった。
「藤堂閣下、そして黒田少将。お前さんたちも、この二日間、広島から呉まで一睡もせずにこの戦いを見届けてきたはずだ。いくら監視者殿の加護があるとはいえ、肉体が持たん。……今夜はもう、ここで身体を休めるといい」
金沢は副官を顧み、短く命じた。
「副官。藤堂閣下と黒田少将を、鎮守府司令部の第一当直室へ案内しろ。あそこなら寝台も毛布もある。憲兵の目も届かん、一番静かな部屋だ」
「ハッ、直ちに!」
副官が厳かに一礼し、長官室の重厚な扉を開けて二人を促す。
「すまんな、金沢。お前さんの配慮に甘えさせてもらうよ」
藤堂は少し疲れた笑顔を見せ、ゆっくりと立ち上がった。
「……感謝いたします、金沢長官」
黒田少将もまた、深く一礼し、藤堂の後に続いた。
おまたせしました
ついに著者の私の本性が現れましたね(笑)
使用説明と購入明細が多いので、必然的に文字数も増えますよね
途中で切ると、やはり気持ちが悪くて(簡潔に書けない私の文才の無さでもあるが…)
今日はまた★一つ爆撃を受けたので(通算2回目)、こっちもテキスト爆弾を投下します(笑)
今回はほぼ事後処理回ですが、呉編も終わりが近づいています
浩平の資金インフレは確実に起きていますが、彼が言う通りに20万人に分けると実は145ゼニしかない
当時広島の30万人を考えて、もっともっと稼げないといけないね
なお、ゲーム内の関与人数は最後のコードの実行により、+35,000人になるらしいです




