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1945年7月29日 大規模治療開始

この作品はフィクションです、実在の人物や団体などとは関係ありません

ゲーム内クレジット残額:98,430ゼニ

ゲーム内で関わった人数:26人(すずと周辺家族) + 31人(黒田藤堂の謀略関係) + 10人(及川院長関係) + 631(陸軍病院治療患者) + 4人(巡洋艦救出人員) + 176人(先遣隊医師救助患者) + 667(浩平一時救助患者) + + ????人(これからの呉の負傷者治療) = 1545 + ????人


1945年7月29日、午後5時00分。

呉鎮守府司令長官・金沢正雄中将の同意を取り付けたことで、呉海軍病院では陸軍医師たちの主導による大規模な合同治療の火蓋が切って落とされた。朝の先遣隊と午後の追加チームが合流し、怒濤の勢いで搬入される負傷者たちの処置にあたっている。


一方で、協定に従って長官室での待機を余儀なくされた藤堂洋治中将と黒田少将は、もどかしさを抱えながら室内の長椅子に腰掛けていた。


モニターの前にいる浩平もまた、別の焦燥感に駆られていた。


「まずいな。トラマドールやガーゼの使い方は広島の陸軍病院で及川院長たちから共有されているはずだけど、トラックに積んだ『工業用ビニールシート』の意図と、現地で調合するはずの『即席ORS(経口補水液)』の正確な配合比率だけは、まだ誰にも伝えていないぞ……!」


これらを正しく運用しなければ、せっかくの物資が宝の持ち腐れになる。だが、浩平は現場の医師たちに直接指示を出す手段を持たない。


ちょうどその時、長官室の重厚な扉が開き、海軍の当番兵によって3人分の「夕食」が運ばれてきた。

大きなお皿の上に載せられていたのは、先ほど浩平が買い付け、トラックの荷台を満載にしていたあの「工場直送の食パン」だった。

当時の基準としては信じられないほど白く、ふっくらとした8枚切り程度の厚さの食パンが、一人あたり3枚ずつ。

だが、現在の呉にはバターもジャムもなく、トースターすらない。ただ焼いていない生の食パンが、寂しく皿の上に転がっているだけだった。


浩平はすぐさまゲーム内ショップの検索バーを叩いた。

ヒットしたのは、現代の給食で使われるような、プラスチック容器に入った使い切りの安いピーナツバター(130g/100ゼニ)。浩平はそれを1個購入し、システム制限である140文字の枠内に、エンジニアらしい簡潔さで重要な伝言を入力した。


【藤堂さん、以下を医師に伝達せよ

臨時収容所の様子は悪い、より多く人力が必要


青い防水布の巻き(工業用ビニールシート)

用途:泥の上に敷き詰め、患者を清潔な環境を構築、定期消毒要

脱水患者用経口補水液(ORS)の配合比例

水:1リットル 砂糖:40G 塩:3G】


「転送」を押すと同時に、3人が囲む円卓の中央、食パンの皿のすぐ横に、見慣れない現代的なデザインのプラスチック容器と、一枚の紙片が音もなく出現した。


「……ッ!」


金沢中将が息を呑むより早く、藤堂中将は鋭い動きでその紙片を回収した。そこに印字された『監視者』からのメッセージを一読した藤堂は、即座に懐から手帳を取り出し、その絶対的な配合比率と運用方法を1字1句違えずに書き写していく。


ペンを収めると、藤堂は手帳のそのページをビリリと力強く引き剥がし、金沢中将の前へと差し出した。


「金沢長官、これを直ちに海軍病院の陸軍医療チームへ届けていただきたい。これは現場への『指揮』ではない。未来の物資を正しく扱い、一人でも多くの同胞を生かすための、最低限の告知事項だ」


金沢中将は藤堂の真摯な眼光を受け止めると、無言で深く頷き、すぐに部屋の外の伝令兵を呼び寄せた。


「これを持って海軍病院へ走れ! 陸軍の医療責任者に直接手渡すのだ。急げ!」


「ハッ!」


伝令兵は紙片を握り締め、夕闇が迫る呉の街へと脱兎のごとく走り去っていった。


◇◇◇

未来の給食

◇◇◇


伝令を送り出し、長官室に再び静寂が戻ると、3人の視線は自然とテーブルの上に残された「妙なプラスチック容器」へと注がれた。


「藤堂閣下……これも、その『監視者』というお方からのものか?」


金沢中将が怪訝そうな顔で尋ねる。


「左様。監視者殿が何かを伝えたい時には、必ず何かしらの物品が添えられる。……どうやら我々の味気ない夕食を、少しばかり哀れんでくださったらしい」


藤堂はフッと笑みを浮かべると、容器のアルミの密封シートを指先で滑らかに剥ぎ取った。

その瞬間、長官室の中に、香ばしく甘い、濃厚なピーナッツの香りがふわりと広がっていく。


黒田少将が腰の軍用ナイフを抜き、その刃先で薄茶色のなめらかなクリームをすくい取った。


「ほう……これは、見たところ落花生の油膏あぶらみそのようですが、随分と滑らかですな」


黒田はそれを、真っ白な食パンの表面へと丁寧に塗り広げていく。


金沢中将も促されるままに軍用ナイフを使い、自らの食パンにクリームを塗った。そして、大きく一口、その未知の食べ物を口へと運んだ。


「……っ、これは」


金沢の目が微かに見開かれた。

当時の日本にある配給のパンや代用食とは比べものにならない、ふんわりとした小麦の風味。そこに、現代の精密な食品加工技術で作られたピーナツバターの濃厚な甘みと、絶妙な塩気が絡み合う。バターも油脂も極限まで枯渇していた当時の将校にとっても、その高カロリーな油脂と砂糖の塊は、体の隅々にまで染み渡るような極上の美味だった。


「美味い……な。噛まずとも、口の中で溶けていくようだ」


金沢中将は、知らず知らずのうちに2口目を貪るように噛み締めていた。昨日からの不眠不休の指揮で限界を迎えていた彼の脳に、上質な糖分が急速に補給されていく。


藤堂もまた、クリームを塗ったパンを静かに味わっていた。


(なるほど。監視者殿は決して、無駄な浪費をされるお方ではない。これを食べさせることで、未来の兵糧がどれほど効率的に、かつ確実に人間に栄養を行き渡らせるかを、我々に身をもって体感させているのだな……)


パサついて喉を通りにくかったはずの食パンが、ピーナツバタークリームを塗るだけで、驚くほど滑らかに胃へと収まっていく。これならば、喉を痛めた避難民や負傷者であっても、容易にカロリーを摂取できるはずだ。


「至れり尽くせりだな、未来の兵站というものは」


黒田が満足そうに口元を拭い、ぽつりと言った。


長官室の窓の外、夕闇に包まれ始めた呉軍港の向こうでは、浩平がデプロイした「青い防水シート」が泥の上に次々と敷き詰められ、安全な即席の無菌難民キャンプが急速に形作られようとしていた。


【現在のクレジット残額:98,330ゼニ】


◇◇◇

鉄の門が開くとき

◇◇◇


1945年7月29日、午後5時10分。

呉海軍病院の重厚な正門が、不気味な金属音を立てて内側へと開け放たれた。長官室からの金沢長官の直命が届いたのだ。


「陸軍の随行員、ならびに車両の進入を許可する! 直ちに物資を搬入せよ!」


海軍の警備兵たちの張りのある声が響くや否や、停車していた8台の大型トラックが、サスペンションを軋ませながら一斉に院内へと滑り込んだ。

車が止まるのと同時に、トラックの荷台から分厚い帆布の幌が跳ね上げられる。


「おい、陸軍の随行員だけじゃ手が足りん! 海軍の搬入係も、突っ立っていないで荷下ろしを手伝え!」


朝の先遣隊の医師が怒鳴り声を上げる。不承不承、トラックの荷台へと近づいた海軍の兵士たちは、次の瞬間、言葉を失って硬直した。


「な……なんだ、この物量は……!?」


そこにあったのは、今の日本中どこを探しても見つからないはずの、うずたかく積まれた真っ白な業務用食パンの山。キンキンに冷えた20リットルのウォータータンクが何百個と並び、その奥には見たこともないほど白く清潔な医療用ガーゼのカートン、そして消毒用エタノールの一斗缶が狂ったような密度で詰め込まれていた。


「おい、呆気にとられている暇はない! これを待っている患者が沢山いるんだ! 早く下ろせ!」


陸軍の随行員と海軍の兵士たちが、怒号のような声を掛け合いながら、狂ったように物資を地上へと下ろしていく。その圧倒的な「未来の物量」は、ただ見ているだけの海軍関係者たちを完全に圧倒し、黙らせるだけの暴力的な説得力を持っていた。


◇◇◇

医療の近代化

◇◇◇


「追加のさらし10反、至急第二病棟へ! ガーゼのカートンを開けろ! 惜しむな、全員にふんだんに使え!」


海軍病院の広大なロビーは、一瞬にして陸軍先遣隊の医師が支配する「絶対的な戦術指令所」へと変貌していた。


すでに半日ほど、この病院で未来の薬を使って現場を回してきた先遣隊の医師たちは、文字通り鬼気迫る表情で指示を飛ばす。そこへ、藤堂中将と共に到着したばかりの追加の陸軍医療隊、司令部医務室付きの医師3名と看護婦5名が、緊張した面持ちで合流した。彼らはまだ、現代薬の圧倒的な効果を生で見たことがない。


「おい、新入りども! ボサッとするな、こっちへ来い!」


先遣隊の医師が、重度熱傷で苦しむ海軍兵の前に追加組の医師たちを呼び寄せた。


「いいか、海軍の軍医は引っ込んでいろ。これからお前たちに、この『特効薬』の扱い方を叩き込む。一度しか言わんから、しかと目に焼き付けろ!」


先遣隊の医師は、見たこともない無菌パックから真っ白な錠剤トラマドールを1錠取り出し、昏睡寸前の患者の口に含ませて少量の水で流し込んだ。


「これは『トラマドール』だ。脳の痛覚を直接麻痺させて、どんな激痛も遮断する。おい、そこの追加の看護婦、患者の心拍と血圧を測れ。30分以内で叫び声が止まるぞ」


言われた追加組の看護婦が半信半疑で患者の脈を取る。時間経過とともに、さっきまで全身の焼ける痛みに狂ったようにのたうち回っていた海軍兵の呼吸が、みるみるうちに平穏なものへと変わり、固く閉じていた歯の噛み合わせが緩んでいった。


「嘘……、本当に痛みが引いている。脈拍も一気に安定していきます……!」


追加の医師3名は、そのあり得ない医療の即効性に、言葉を失って驚愕した。


「驚いている暇があったら手を動かせ!」


先遣隊の医師はさらに指示を飛ばす。


「次はこの黄色い軟膏ゲンタマイシンだ。これを熱傷の患部に惜しみなく塗れ。その後、この『滅菌ガーゼ』で覆うんだ。我々が普段使うさらしと違って、これはウジ虫の侵入や傷口の腐敗を完全に防ぐ。お前たち追加の医療班が、この海軍の医者や看護婦の手本となって、全病棟にこの手順を徹底させるんだ!」


「は、ハッ! 直ちに処置に当たります!」


現代医療の圧倒的な事実を見せつけられた追加チームの医師と看護婦たちは、一瞬にして戸惑いを捨て去り、先遣隊の指揮の元で一斉に各病棟へと散っていった。


「海軍の軍医、そっちの重症者へこのトラマドールを1錠! 看護婦、こっちの患部をエタノールで一斉消毒だ!」


最初は陸軍の下に就くことを屈辱に思っていた海軍の医師や看護婦たちだったが、目の前で次々と的確な指示を出し、奇跡のような手際で命を繋ぎ止めていく陸軍合同医療班の姿を前に、もはや理屈は吹き飛んでいた。


「先生! この薬を飲ませた患者の、激痛の叫びが止まりました!」


「こっちの熱傷の患者も、この軟膏を塗った後から、傷口の腫れが引き始めています!」


海軍の看護婦たちが、我が目を疑うような奇跡の光景に声を震わせる。陸軍先遣隊の医師は、エタノールの一斗缶から直に布へ消毒液を浸しながら、追加の医師たちと視線を交わして鋭く笑った。


「当たり前だ、これが我々の『兵站』だ! 手を休めるな、一人でも多くの同胞をこちら側へ引き戻すぞ!」


◇◇◇

不満の囁き

◇◇◇


その一方で、戦況を直接見ていない病院上層部の一部からは、この現状に対する強い不満と反発の囁きが漏れていた。

中央廊下の陰で、数名の海軍軍医中佐や管理官たちが、腕を組んで忌々しげにロビーを睨みつけている。


「……信じられん。いくら臨時の救護とはいえ、我が海軍の至宝たる病院を、陸軍の医者ごときに文字通り占領されるとはな」


「統帥権の独立はどうなったのだ。あのような得体の知れない出所不明の薬を勝手に投与させて、もし海軍の兵に万が一のことがあれば、誰が責任を取るつもりだ?」


「陸軍のやつら、ここぞとばかりに大柄な態度をとりおって。今のうちに憲兵を呼んで、一度車両を差し押さえるべきでは?」


彼らがまさに不穏な行動を起こそうとしたその時、廊下の奥から一人の伝令兵が、息を切らせて彼らの前へと滑り込んだ。


「金沢長官より、病院上層部へ全軍命令にございます!」


伝令兵が突き出した手帳の1ページには、金沢正雄海軍中将の署名と共に、冷徹な一文が記されていた。


――『呉海軍病院における物資の運用、ならびに治療方針の決定権は、全面的に陸軍医師団に一任する。これに背く者は、戦時反逆罪として即刻処断する。金沢』――


「戦時、反逆……長官自らが、陸軍を庇うというのか……!?」


軍医中佐たちは顔を青ざめさせ、言葉を失った。最高権力者である金沢中将が「陸軍の盾」として完全に背後に回った以上、いかなる反論も許されない。彼らは忌々しげに舌打ちをすると、プライドを無理やり抑え込み、仕方なくその場を黙認して散っていった。


◇◇◇

泥の上の寝床と命の水

◇◇◇


午後5時45分。

藤堂中将の手帳から引き剥がされた、監視者(浩平)からの『仕様書』が、現場の陸軍医師の元へと届けられた。


「先生、藤堂閣下より緊急の連絡です! 青い防水シートの用途、および『経口補水液(ORS)』の正確な配合比率にございます!」


「何だと、見せろ!」


医師は手帳のページをひったくるように見つめ、その合理的な数値に目を見張った。


「……水1リットルに対し、砂糖40グラム、塩3グラムだと!? なんだこの精密な比率は……! おい、看護婦! すぐにトラックから下ろした砂糖と食塩を持ってこい! ドラム缶に綺麗な水を満たし、この比率で大至急調合するんだ!」


「ハッ!」


病院の裏手では、看護婦たちが大口窓口から届いた25kgの食塩袋と20kgの上白糖の袋を開け、指示された比率の通りにドラム缶の水へと一斉に投入し、大きな木べらで力強くかき混ぜ始めた。


同時に、院庭の泥の上に、あの100メートル巻きの「工業用ビニールシート」が次々と敷き詰められていく。


「泥の上にこれを敷け! その上からエタノールを噴霧して消毒するんだ! これで、数百人を収容できる清潔な『臨時の床』が完成する!」


完成したばかりのシートの上に、溢れかえっていた負傷者たちが次々と横たえられていく。そこへ、バケツに並々と注がれた出来立てのORSが、カップで運ばれていった。


「さあ、これを飲んでください! 命の水です!」


意識のある患者たちが、喉を鳴らしてその不思議な甘酸っぱい液体を大急ぎで補給していく。重度の脱水でかすみかけていた彼らの目に、みるみるうちに生命の光が戻り、浅かった呼吸が目に見えて力強いものへと変わっていった。


しかし、現場にはまだ、自力でカップを持てない重症者が無数にいた。意識を失って白目を剥いている者や、熱傷の激痛のあまり喉を痙攣させてうめいているだけの被災者たちだ。


「先生! この人たちは意識がありません! 無理に飲ませたら喉を詰まらせて死んでしまいます、どうすれば……!」


海軍の看護婦が、ぐったりとした少女を抱きかかえながら悲痛な声を上げる。


「慌てるな! トラックから下ろした、あの新しい『滅菌ガーゼ』をここに持ってこい!」


陸軍の医師がバケツの前に膝をつき、まだ誰も触れていない純白の清潔なガーゼを数枚、鋭く引き剥がした。


「これを、調合したORSの中にたっぷり浸すんだ。いいか、びしょ濡れになるまで吸わせろ!」


医師はORSを限界まで吸い込んで重くなったガーゼを絞らず、そのまま意識のない少女の乾ききった口元へと運んだ。そして、そっと唇を押し開き、歯と舌の隙間、頬の粘膜に沿わせるようにして、その濡れたガーゼを口の中へと優しく含ませた。


「これは……!」


海軍の看護婦が息を呑む。

液体をそのまま流し込めば肺に入って窒息するが、ORSを含んだガーゼを口内に留め置けば、誤嚥ごえんのリスクを冒さずに、乾ききった口腔粘膜から直接、水分と電解質を驚くべき速度で血管内へと吸収させることができる。これこそ、極限の戦災地獄において、道具と知恵を組み合わせた最善の応急術式だった。


「ひたひたのガーゼを口に入れろ! 乾いたらすぐに新しいガーゼをORSを浸して交換するんだ! 意識がない者、うめいている者全員の口を、この命の水分で満たしてやれ!」


「はい!!」


看護婦たちは一斉に、未開封の真っ白なガーゼを次々とバケツのORSへ浸し、横たわる重症者たちの口内へと丁寧に入れた。


すると、さっきまで脱水でカサカサにひび割れていた患者たちの唇に、見る見るうちに瑞々しさが戻り始めた。意識のない少女の喉が、粘膜から沁み出すかすかな水分を感知して、ゴクッ、と小さく生唾を飲み込むように動く。


「先生! 息が、この子たちの息が深くなってきました!」


「脈もしっかりしてきています! 助かる、これなら命を繋げます!」


泥の上に敷かれた青いシートの上で、何百人もの昏睡する被災者たちの口元から、純白のガーゼが水分を無言で供給し続ける。

人間の知恵と、浩平の用意した完璧な物資が、死の淵にいた命のデータを一枚一枚、確実に書き換えていった。


◇◇◇

静寂の光

◇◇◇


午後8時00分。

夏の長い日はすっかり落ち、呉の街は暗黒の夜へと包まれていた。当時の電気供給は空襲で破壊され尽くしており、海軍病院の広い敷地を照らすには、油のランプや頼りない蝋燭の灯りだけでは到底不十分だった。暗闇は、治療の速度を鈍らせ、患者たちの恐怖を増幅させる最悪のバグだ。


パソコンのモニター越しに現場の暗転を見届けた浩平は、ゲーム内のステータスを確認した。


【現在のクレジット残額:98,330ゼニ】


「夜間作業の光源確保か……こればかりはケチるわけにはいかないな」


浩平はゲーム内ショップを開き、検索バーに文字を打ち込んだ。ヒットしたのは、現代の災害現場や夜間工事で使われる強力な『LED防水投光器(単1電池4本使用、初期電池付属 1,500ゼニ)』だ。


「20個で、3万ゼニの出費か……」


クレジットカードの課金限度額を使い切っている今、残り少なくなってきた財布の残高を思い、浩平は一瞬だけ指を躊躇させた。夜12時の更新が来るまでは、これ以上の無駄遣いはできない。しかし、暗闇の中で手元が見えず、投与の量を間違えたり、傷口の処置が遅れたりすれば、せっかく繋いだ命のデータが消えてしまう。


「いや、命を救うための最低限のインフラ投資だ。ケチってどうするんだ」


浩平は腹を括り、購入数量を「20」に設定してエンターキーを叩いた。


【現在のクレジット残額:68,330ゼニ】


購入した20個の投光器を、システムUI上で一斉に「スイッチON」の状態に固定。そして、海軍病院のロビーや、青いビニールシートが敷き詰められた院庭の四隅、影になっている病棟の柱へと、空間座標を指定して一気に一括転送した。


パッ、パパパパパパッ!!!


次の瞬間、漆黒の闇に包まれていた海軍病院全体に、文字通りの「革命」が起きた。


何もない虚空から突如として現れた20基の光源から、太陽のごとき超高輝度の純白の光が爆発的に放射されたのだ。それは、1945年の人類が知るいかなる白熱電球やアセトンランプとも一線を画す、影すら白く飛び散らせるほどの圧倒的な光量だった。


「うおっ!? ま、眩しい! なんだこれは!?」


「電気が通ったのか!? いや、自家発電機も破壊されたはずだぞ!」


突然の昼間のような明るさに、陸軍と海軍の医療従事者たちは一斉に腕で目を覆い、驚愕の声を上げた。

目が光に慣れてくるにつれ、彼らはその光の発生源の、各所に無音で設置された、錆一つない頑強なプラスチックと金属の塊を恐る恐る凝視した。


「発熱していない……? 油の匂いも、ガスの音もしないぞ。どうしてこれほどまでの光が……!」


海軍の軍医が、眩い光を放ち続けるLEDのレンズを覗き込もうとして、あまりの輝度に目を細めて後ずさりする。


「これが、藤堂閣下の仰っていた『監視者殿の力』のか……」


先遣隊の陸軍医師は、その圧倒的なテクノロジーの恩恵に震えながらも、すぐに我に返って大声を張り上げた。


「全員、呆けている暇はない! これだけ明るければ、夜間でも昼間と全く同じ精度で手術ができるぞ! 傷口の細部まで丸見えだ、手当を再開しろ!」


「ハ、ハッ!」


未来の光に照らされたことで、現場の医療従事者たちの顔から夜の不安が消え去り、確固たる闘志が蘇った。


激動の数時間が過ぎ、病院内の何千人もの患者たちへの応急手当は、ようやく一通り終わりを迎えていた。


さっきまでの地獄のような絶望の叫びは消え、トラマドールによって激痛を遮断された負傷者たちは、ビニールシートの上で穏やかな寝息を立てている。


たとえ肉体の損傷が激しく、そのまま静かに息を引き取っていく命であっても、未来の薬で痛みを消され、「自分は今、救われているのだ」という安らかな人間の尊厳を取り戻した最期であった。それらもすべて、浩平の画面には確かな救済のログとして刻まれていく。


「……終わった、のか」


一人の海軍の若い軍医が、血に染まった手を震わせながら、ぽつりと呟いた。

死を待つだけだったこの病院で、今日、失われた命は驚くほど少なかった。陸軍が持ち込んだ大量の真水、包帯、そして未来の薬と光が、呉のタイムリミットを完全にねじ伏せたのだ。


ロビーの片隅では、疲れ果てた陸軍の随行員、先遣隊、そして海軍の医師や看護婦たちが、泥のように床へ座り込んでいた。陸海軍の垣根は、そこにはもうなかった。あるのは、共に地獄を生き抜いたという奇妙な連帯感だけだ。


彼らの手には、トラックから配られたあの「業務用食パン」が、一人3枚ずつ握られていた。

ジャムもバターもない、ただの焼いていない食パン。だが、誰もがそれを、涙が出るほど愛おしそうに、ゆっくりと口へと運んでいく。


「美味い……な、本当に」


海軍の看護婦が、真っ白なパンを噛み締めながら、小さく声を漏らした。


「ああ。こんなに柔らかくて、白いパンを食べたのは、何年ぶりだろう……」


陸軍の兵士が微笑み、お互いに顔を見合わせて小さく笑った。


誰もが、その一切れのパンの中に、今日救われた数千の命の重みと、自分たちが確かに人間としての尊厳を保って生きているという事実を、深く、深く噛み締めていた。


現代のLEDライトが煌々と照らす青い防水シートの上を、呉の夜風が、静かに吹き抜けていった。


【翌朝時点での海軍予測生存スコア】

収容患者総数: 4,800名

救助(生存維持)成功: 4,450名(生存率:約92.7%)

死亡(救命失敗): 350名

ゲームシステムの関与人数スコア: 4,750名(無関係の入院者や軽症者等はカウントされず)


補足:ゲーム設定としては、たとえ救命失敗でも、患者の最後の尊厳(痛みの緩和、救済されると思う気持ち…等)が守られても関与人数に算入されること

お待たせいたしました。今回は少し長めのエピソード(9,000文字超)となります。


1945年7月29日は、作中の浩平たちにとっても、著者の私にとっても本当に長い長い一日でした。しかも、この一日はあと1回ほど続く予定です(苦笑)。

作中の「時間の流速」を気にして展開を急ぎすぎてしまうと、私が本当に書きたい「何か」が必然的に省略されてしまいます。それが嫌で毎回丁寧に描写を重ねていくうちに、いつも文字数との戦いになってしまいます。

スマートフォンで読まれている読者の皆様にとっては少し不親切な長さかもしれませんが、どうかご容赦いただけますと幸いです。


本日は少し物語の本編から離れ、この場をお借りして個人的なお話をさせてください。

活動報告にも書かせていただきましたが、本作は私の本命作である『地球の管理者』の執筆中、今後の展開に悩んでいた時にふと浮かんだアイデアが原点となっています。

「もし、戦時下でお腹を空かせている人々に、現代のごく普通の食べ物を届けたらどうなるだろう?」と考えたのが発端でした。


私は2025年5月頃から、最初は「AIとの対話ネタ」として手探りで小説の執筆を始めました。早いものであれから一年が過ぎ、気づけば『地球の管理者』は140万文字を超える大長編へと育ちました。

そしてこちらの『箱庭の観測者』も、今回で総文字数が14万文字弱となります。もちろん、途中で投げ出す(エタる)つもりは毛頭ありません。


もしかしたら、読者の皆様の中には「これはAIが書いた小説なのでは?」と思われている方もいらっしゃるかもしれません。しかし実際には、私が執筆した下地の文章もプロットも、大体同じくらいの分量が存在しています。

AIに補助してもらっているのは、外国人である私の一筋縄ではいかない部分――当時の言葉遣い、時代考証、情景描写、そして私が推測しきれない「当時の人々のリアルな反応」といった肉付けの部分です。

登場人物の設定、メインシナリオ、主要キャラクターのセリフ、時系列のイベント、そして主人公・浩平のセリフのほぼすべては、私自身が書いています。


そんな私の気まぐれから生まれた本作ですが、ありがたいことになろうの「注目度ランキング」に載ることができ、先日5月29日には総合注目度ランキングで5位という過分な評価をいただきました。

これをきっかけにアクセス数(PV)が爆発的に伸び、多くの評価やブックマークをいただくことができました。支えてくださった読者の皆様には、心から感謝申し上げます。


ここ二日ほどは、アクセス数や新規読者様の伸びが一気に落ち着き始めました。なろうの仕組みは知っているものの、やはり作者としては少し寂しく、落胆の気持ちがないと言えば嘘になります。

ですが、物語を書くための「熱量」や、明らかな時代矛盾を避けるための徹底的な時代考証・調査に注ぐ情熱は、以前と全く変わっていません。むしろ、より多くの時間をかけるようになっています。


『箱庭の観測者』は、短い間でしたが私に「人気作家の夢」を見せてくれました。

これまで現実世界でもネットの世界でも、何をやっても「ヒット」に恵まれなかった私にとって、この数日間の出来事は人生を揺るがすほど大きな経験となりました。

ランキングのブーストが落ち着いた今だからこそ、ここからはより客観的な視点で、これからの物語をどう深めていくかを冷静に考えることができると感じています。


現実世界でフリーランスのプログラマーとして生きている私にとって、毎日の投稿はいずれ限界が来るかと思います。そのため、今後はもしかしたら投稿の間隔が少し長くなるかもしれませんが、どうか温かく見守っていただければ幸いです。


それでは、これからの展開もどうぞご期待ください。

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