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1945年7月28日 夜の野戦病院

この作品はフィクションです、実在の人物や団体などとは関係ありません

1945年7月28日、午後8時。

広島陸軍病院の噂は、炎から逃げ惑う避難民たちの間で「蜘蛛の糸」のように広まっていた。


『あそこの病院に行けば、痛みが消える魔法の薬がある』『塩むすびを配っている』。


その情報が引き金となり、夜の闇に紛れて300名から400名規模の避難者が陸軍病院の門前に押し寄せていた。


「次! 中庭にむしろを敷け! 重傷者は廊下へ!」


及川院長の怒声が響く。しかし、現場はすでに医療崩壊の様相を呈していた。

中等症の患者たちにはロキソプロフェンが劇的な効果を発揮し、静けさを取り戻していたが、状況は一変した。


「院長! 大八車で重傷者が運ばれてきました!」


看護婦の悲痛な叫び声と共に、焼け焦げた衣服が皮膚に張り付き、全身の半分以上に重度の火傷を負った者たちが次々と運び込まれてきた。


「あああああ! 殺してくれ! 痛い、痛いぃぃっ!」


激痛によるショック状態で痙攣する患者たち。医師たちは急いでロキソプロフェンをすり潰して飲ませたが、痛みのレベルがNSAIDs(非ステロイド性抗炎症薬)の限界(天井効果)を完全に超えていた。


「院長! 例のロキソプロフェンが効きません! それに、火傷用の軟膏ももう空っぽです!」


及川は血の気が引いた。頼みの綱だった特効薬の山が、数百人の波に飲まれてたった半日で消滅しようとしていた。


「なんとかしろ! 水で冷やせ! ワセリンを引き伸ばして空気を遮断するんだ!」


◇◇◇

麻薬の代替品

◇◇◇


モニターの向こうで惨状を見下ろしていた浩平もまた、焦燥感に駆られていた。


「くそっ、ゲンタマイシンがもう切れたか! 軟膏の消費量を舐めてた……。それに、広範囲のIII度熱傷にはロキソニンじゃ太刀打ちできない!」


浩平はすぐさまゲーム内のショップで強力な鎮痛剤を検索した。


「モルヒネ……ない! さすがに麻薬類はネットスーパーの規制に引っかかってるのか!」


浩平は知識を総動員し、オンライン処方箋薬局の枠内で手に入る(このゲームのショップで買える)最も強い鎮痛薬を探した。


「あった! トラマドール(弱オピオイド)と、ジクロフェナク(強力なNSAIDs)だ!」


浩平の現在の残高は【8,410ゼニ】。夜12時の更新まであと4時間、これをギリギリまで使い切る覚悟を決める。


浩平は素早く計算し、カートに放り込んだ。


ジクロフェナクナトリウム錠剤(25mg)200錠:1220ゼニ(約6.1円/錠)

トラマドール塩酸塩OD錠(25mg)200錠:1680ゼニ(約8.4円/錠)

業務用白色ワセリン(500g)追加 5個:2500ゼニ

(合計:5,400ゼニ/残高:3,010ゼニ)


浩平はそれらを一気に購入し、黒田の病室の机へ転送した。


トンッ。


新たな薬の箱と共に、一枚のメモが落ちる。黒田はそれを読み、すぐさま廊下を走る橘中尉を呼び止めた。


「橘! これを及川のところへ持っていけ! 重症者用の特別な鎮痛剤だ!」


◇◇◇

脳を騙す薬

◇◇◇


「院長! 黒田閣下より、追加の薬です!」


橘中尉が、血と泥に塗れた中庭にダンボール箱を抱えて飛び込んできた。


及川は箱を開け、そこに添えられたメモ(浩平からの指示書)に目を走らせた。


『ロキソプロフェンが効かない重傷者用だ。

【ジクロフェナク】はより強力な鎮痛消炎剤。【トラマドール】は脳の中枢神経に直接作用し、痛みの伝達を強制的に遮断する麻薬に近い薬だ。重傷者にはこれを1錠ずつ飲ませろ。軟膏の在庫が切れたなら、ワセリンだけで傷を覆い、感染を抗生物質で内側から抑え込め』


「中枢神経に作用する鎮痛剤……! 分かった、すぐ配れ!」


及川自身が、絶叫する大八車に乗せられた重傷者の口をこじ開け、水と共にトラマドールとジクロフェナクを流し込んだ。


数十分後。


「あ……あ……」


地獄の底から響くような断末魔の叫びを上げていた重傷者たちの顔から、スッと力が抜けた。

トラマドールが脳のオピオイド受容体に結合し、強烈な痛みの信号を強制的にシャットアウトしたのだ。完全な無痛ではないものの、発狂するほどの痛みは遠のき、疲労困憊した患者たちは泥のように眠りに落ちていった。


「……効いた。静かになったぞ……」


及川は血だらけの手を見つめ、震える声で呟いた。

中庭に、ようやく重く苦しい、しかし確かな「安息の静寂」が訪れた。


(あと3時間……。夜12時になれば、俺は……!)


浩平はモニターの前で、真っ赤になった眼を擦りながら、歴史をねじ伏せるための「システム更新時間」をただひたすらに待ち続けていた。


◇◇◇

ブラック上司の意外な一面

◇◇◇


1945年7月28日、午後9時。

阿鼻叫喚の地獄絵図だった広島陸軍病院は、少しずつ落ち着きを取り戻しつつあった。

トラマドールとジクロフェナクという現代の強力な鎮痛剤が劇的に効き、中庭や廊下に横たわる重傷者たちの絶叫は、重く苦しい寝息へと変わっていた。


だが、モニター越しにそれを見守る浩平は知っていた。鎮痛剤や抗生物質は、血中濃度を保つために継続投与しなければ、数時間後には効果が切れ、再び元の地獄の痛みがぶり返すことを。今はただ、一時的な凌ぎに過ぎないのだ。


午後から陸軍病院が緊急で受け入れた火傷患者は、すでに600人を優に超えていた。病院側もついにキャパシティの限界を迎え、生命の危機にある者以外の受け入れをストップせざるを得なくなっていた。

食糧事情も綱渡りだ。藤堂が手配したことになっている75kgの備蓄米は、おにぎり換算で約1500個。600人の避難民にとっては2.5食分に相当する。午後と夜で既に2回の炊き出しを行ったため、明日の朝食分には到底足りない計算になる。


(幸い、25kgの小麦粉もある。最悪、全員に小さめのおにぎりと、小麦粉を水で練った『すいとん』を作れば明日の朝はなんとかなるはずだ)


この辺りのやりくりは、浩平が素人考えで口を出すよりも、極限状態での配給に慣れきっている当時のプロである病院の炊事係に任せることにした。


日付が変わり、深夜12時になればシステムが更新されて「莫大なゼニ」が入り、お米をいくらでも追加購入できるようになる。

だが、深夜に黒田の病室のいきなり何十キロもの米袋を転送すれば、さすがに「この米は、こんな夜更けに一体どこから運び込まれたのか?」と、病院職員にまで不要な疑念を抱かせかねない。大量の物資の補給は、藤堂中将が司令部を動かす明日の昼間に回すべきだと、浩平は自重した。


夜9時半。病院内の一般病棟では、消灯と就寝の時間が来ていた。

黒田の特別室でも、黒田が軍服の襟を緩め、ずっと付き従っていた橘中尉に向かって声をかけた。


「橘。今日のご苦労だったな。もう家に戻れ。よく休んで、明日は昼過ぎからここへ来ればいい」


「はっ! 閣下も、どうかご自愛ください」


直立不動で敬礼する橘を見送り、黒田はゆっくりとベッドに横になった。

その一部始終をFPVカメラで見ていた浩平は、モニターの前で少し目を丸くした。


「なんだ、黒田のやつ。病み上がりの部下をちゃんと休ませるのか。……そこまで絵に描いたような『昭和のブラック上司』じゃなかったな」


少しホッとしながら、浩平は橘中尉が及川院長に挨拶を済ませ、夜の暗い街を歩いて帰宅の途につくのを見守った。


◇◇◇

慢心と後悔

◇◇◇


(徒歩40分か。橘も結核の病み上がりなのに、よく歩くよな……。ん?)


浩平は、ふと嫌な予感に襲われた。


(……待てよ。橘の家の『今日のおかず』って、どうなってる?)


浩平は血の気が引いた。今日は朝からすず一家の対応に追われ、昼過ぎからは陸軍病院でのドタバタ劇、そして数百人規模の火傷患者の対応に完全に付きっきりだった。


「やばい。すずさんたちと病院のことに気を取られて、橘家を完全に放置してた!」


浩平は橘の帰宅を待たずに、FPVカメラをPOI(お気に入り地点)マークから選択し、瞬時に曙町の橘家へと視点を飛ばした。


橘家はすでに明かりが消え、静まり返っていた。

浩平はカメラを居間のちゃぶ台へと近づけた。そこには、開かれた古い手帳がぽつんと置かれていた。暗視モードでズームすると、ちひろの丁寧な文字でこう書かれている。


『黒田閣下の使いの方へ:

いつもご厚意に甘えて申し訳ありません。できれば、兄の回復のために、お肉や牛乳が欲しいです。』


「…………っ!」


浩平は胸をナイフでえぐられるような、深い後悔と自己嫌悪に陥った。

以前渡した米や砂糖はあるから、ちひろや母親が腹ペコになることはなかっただろう。しかし、結核から回復しつつある兄に、少しでも栄養をつけてやりたいと願う妹のささやかな「注文」を、自分は完全に失念スルーしてしまったのだ。


「すまない……完全に俺の慢心だ」


今すぐ肉や牛乳を買って転送したい衝動に駆られたが、浩平はグッと堪えた。ちひろたちはもう寝ている。この真夏の蒸し暑い深夜に、常温のちゃぶ台へ生肉や牛乳を出せば、朝には腐って台無しになってしまう。

さらに言えば、現在の浩平の所持金は【3010ゼニ】しかない。深夜12時の更新まであと2時間半。もし病院で急変が起きた場合、この残金が命を繋ぐ最後の命綱になる。今は絶対に温存しなければならない。


「いずれ、この埋め合わせは必ずするからな。……本当にごめん、橘、ちひろちゃん」


浩平は誰に届くわけでもない謝罪を口にしながら、重い心で橘家からカメラを切り離した。


◇◇◇

静かなるカウントダウン

◇◇◇


浩平は再び、FPVカメラを陸軍病院の中庭へと戻した。

むしろの上に横たわる数百人の火傷患者たち。浩平は画面上で一人一人の患者をクリックして、ステータスを確認していく。


【状態:広範囲熱傷(Ⅲ度)/鎮痛剤により睡眠中・脱水症状(軽度)】

【状態:気道熱傷(重度)/鎮痛効果あり・呼吸浅い】


「脱水症状……。今の残金じゃ、経口補水液を全員分買うには到底足りないな」


浩平はシステムUIを睨みながら、昨日解放された『買取機能』のことを思い出していた。


(最悪、賄賂用として黒田に与えた『2000ゼニの腕時計』と『4000ゼニの腕時計』を買取に出せば、ゲーム内の説明によると定価の8割……4800ゼニで回収できる。それを使えば、追加の薬を買えるか……?)


だが、カメラを黒田の病室に向けると、彼はすでに深い眠りに落ちていた。時計は彼の机の引き出しの中だ。今から音でも鳴らして黒田を起こし、時計を出させるわけにはいかない。


「……耐えろ。何事も起きるな。あと少しだ」


痛みに苛まれていた患者たちは、薬のおかげで今は静かに眠っている。

昭和20年の広島の夜と、令和の現代の夜。二つの世界で、時間が静かに、しかし確実に流れていく。

浩平は自身への戒めと責任感から、充血した目から一度も視線を逸らすことなく、薄暗いモニターに映る中庭の惨状を見守り続けた。


午後11時30分。

午後11時50分。

午後11時59分——。


そして、ついに。

浩平のパソコンの時計の針が【00:00】を指し示した。


1945年7月29日、午前0時。

歴史を狂わせるための、未曾有の資金と力が解放される、「運命の日」が訪れた

長い長い1945年7月28日はようやく終わりました

この作品は日間ランキング3位となってびっくりしました

私の代表作である「地球の管理者:異星文明に選ばれた元研究者」は一度も3位になったことないので、気まぐれの作品が逆に読者に好反応には少し複雑ですが、皆様の応援を感謝いたします

しかし代表作を放置するわけにはいかないので、ここは心の余裕がある時に執筆いたします

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