↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
力を使うたび、誰かが俺を忘れていく —— だから怪異は、殴らずに外す  作者: 八夜巡


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
19/28

第19話 取引

 梔子は、河川敷に座っていた。


 学校からの帰り道だった。俺は熱が下がって、二日ぶりに登校した日の夕方に、そこを通りかかった。


 通りかかった、というのは正確ではないかもしれない。


 いつもの道は駅前を抜ける。河川敷は少し遠回りになる。なぜそちらへ足が向いたのかを、俺は自分でうまく説明できなかった。


 土手の斜面に、上着を着た男が一人で座っていた。


 夕方の河川敷には、犬を散歩させている人と、ランニングをしている人がいる。誰も彼のほうを見なかった。


「よう」


 俺は少し離れたところで足を止めた。


「……呼んでませんけど」


「呼ばれてない。勝手に来た」


 彼は膝の上で手を組んでいた。


「熱、下がったのか」


 俺は言葉に詰まった。


「なんで知ってるんですか」


「学校の前を通ったら、お前がいなかった。二日」


「見に来てたんですか」


「暇なんだよ」


 嘘だ、と思った。


 嘘というより、そう言うしかないのだろう。この人は自分の行動に理由をつけるのが下手だ。つけたところで、誰も覚えていない。


 俺は少し離れた場所に座った。


 草が湿っていて、制服のズボンが冷たくなった。


 鞄の中で、あんパンの袋が潰れる音がした。


 今日、みなもが持ってきてくれた分だ。休んだ日のプリントと一緒に、朝いちばんで渡された。


「昨日の分も買ってあったんだけど、賞味期限で捨てた」


 そう言われた。


「悪い」


「別にいいよ。百二十円だし」


 百二十円だし、と言いながら、この人は二日連続で買っていた。


 その袋を、俺はまだ食べていない。腹は減っている。減っているのに、食べる気になれない日というのがある。


 河川敷の風は少し冷たかった。九月の終わりで、日が落ちるのが早くなっていた。


   ◇


「あの子のことだ」


 梔子はそう切り出した。


「取り戻す方法がある」


 俺は顔を上げた。


「本当ですか」


「嘘は言わない。——嘘をついたところで、俺には得が無いからな」


 それはそうだった。この人が嘘をつく理由が、俺には思いつかない。


「聞きます」


「あの階段は、持っていった相手を、内側に置いてる」


「内側」


「消したんじゃない。しまってある」


 彼は川のほうを見ながら言った。


「怪異ってのは、基本的に捨てない。ルールで動くものは、ルールに書いてないことをしない。『名前を消す』とは書いてあるが、『捨てる』とは書いてない」


 俺はそれを頭の中で並べた。


 十三段の理は、「一人で登った者を持っていく」。


 持っていく、で終わっている。その先が無い。


「じゃあ、出せる」


「出せる。条件を外せばな」


「条件は分かってます。一人で登った者。二人にすればいい」


「そこまでは分かるよな」


 梔子は俺のほうを見た。


「じゃあ、あの子を二人目にどう数えさせる」


 俺は黙った。


 そこが、詰まっているところだった。


 あの子は、誰にも認識されない。名前を呼ぼうとしても、呼ぶ音が出てこない。認識されないものは、数に入らない。


 二人にしようにも、一人しかいないことになる。


「それが壁だ」


「はい」


「その壁を、名前で越える」


   ◇


 梔子は上着の内側から、一枚の紙を出した。


 四つに折られた、コピー用紙。折り目が新しい。今日折ったものだ。


 角がきれいに揃っていた。乱暴に折られてはいない。この人は、これを丁寧に扱っている。


 前は口で言おうとした。今日は紙で出してきた。


 その違いが何を意味するのかを、俺はすぐには考えられなかった。


「これは、あの階段の理を数える怪異の名だ」


 俺は顔を上げた。


「——あの子の名前じゃないんですか」


 梔子の指が、紙の上で止まった。


「前に言いましたよね。あの子の名前も知ってるって」


「言った」


「じゃあ、それを売ってください」


「売らない」


「なんで」


「売っても、お前は使えないからだ」


 彼はこちらを見なかった。


「名前ってのは、呼ぶ相手がいて初めて意味がある。前に言ったろ」


 言った。初めて会った日に、自分の呼び名について、そう言った。


「あの子の名前を、俺がお前に言ったとする。お前は聞く。——で、頭に入るか?」


 俺は口を開いて、そのまま止まった。


 名簿は読めなかった。写真も読めなかった。書き取っても、録音しても、残らなかった。


 壊れているのは記録ではなく、記録を受け取る側だ。俺は自分でそう書いた。


 だとしたら、耳から入れても同じだ。


「……入りません」


「そうだ」


 梔子は紙を折り直した。


「消えたのは名前じゃない。名前を受け取る側だ。だから名前を渡しても、お前の中では素通りする」


 彼は少し肩を落とすような動きをした。


「俺だけが読める。読めても、他人には渡せない。——だから売り物にならない」


 その言い方に、初めて少し疲れが混じっていた。


 持っているのに渡せないものを、この人は二年以上、抱えたままでいるらしい。


「数える怪異」


「そういうのがいる。数を扱う理は、けっこうな数ある」


 彼は紙を指で挟んだまま続けた。


「これを借りれば、階段に『二人いる』と数えさせられる。実際に何人いるかは関係ない。数えるほうを書き換えるからな」


 俺は自分の指が冷たくなるのを感じた。


 理屈は、隙間なく通っていた。通りすぎていると思うくらいに。


 俺は二年間、条件を外すことでやってきた。外側から状況を変えて、怪異のほうが噛み合わなくなるように仕向ける。


 この方法は違う。


 これは、怪異の数え方そのものに手を入れる。


「——効きます、それ」


「効く」


「確実に?」


「確実だ。俺が保証する」


 保証、という言葉を、この人が使うのは初めてだった。


 俺は紙を見た。


 あれを開けば、俺はもう一つ名前を知る。知れば使える。使えば、あの子が戻る。


 喉が渇いた。


 水筒は空だった。今日も入れてくるのを忘れていた。


 二年間で、こんなに欲しいと思ったものは無かった。


 欲しい、と自分で思ったことに驚いた。


 俺はこれまで、何かを欲しがったことがあまり無い。欲しがると失うのが怖いからだ。二年前にそれを覚えた。


 なのに今、目の前の紙が欲しい。


 あの子を戻したいからだ、と自分に言った。


 言ってから、それだけではない気もした。


 二年間ずっと、俺は「解けない」を抱えていた。解けるものだけを解いて、解けないものは棚に上げてきた。


 棚に上げたものが、今、手の届くところに置かれている。


   ◇


「対価は」


 俺は聞いた。


 梔子はすぐには答えなかった。


 川の音がした。夕方の風が、土手の草を一度なでていった。


「言うぞ」


「はい」


「言ったら、お前は計算する。それでもいいか」


「……いいです」


 彼は紙を膝の上に置いた。


「俺を、一番上に置け」


 意味が、すぐには入ってこなかった。


「一番上」


「お前の中の順番だ。今、誰が一番上にいる」


 答えなかった。答える必要も無かった。


「そいつを二番目に落として、俺を一番上に置く。それが対価だ」


 俺は口を開けたまま、しばらく何も言えなかった。


 頭の中で、いくつかの線が同時につながった。


 一番上にいる者が、最初に削られる。


 梔子を一番上に置く。真名を使う。削られるのは——


「あんたが、削られる」


「そうだ」


「俺が使えば、俺はあんたを忘れる」


「そうだ」


 彼は表情を変えなかった。


「俺はもう払い切ってるからな。俺についての記憶は、この世にほとんど残ってない。お前の中にある分は、たぶん今この世で一番多い」


 彼は自分の膝を軽く叩いた。


「それを持っていかれる。それが値段だ」


   ◇


 俺は動けなかった。


 冷たい草の上に座ったまま、自分の呼吸だけを聞いていた。


 計算が、勝手に始まっていた。


 止めようとしても止まらない。二年でついた癖だ。数える。並べる。比べる。


 ——今の一番上は、みなもだ。


 真名を買えば、順番が入れ替わる。梔子が一番上に来る。みなもは二番目に下がる。


 つまり。


 俺が真名を使っても、みなもは削られない。


 削られるのは、梔子だ。


 みなもを守れる。姉も守れる。あの子を取り戻せる。


 払うのは、目の前に座っている男についての、俺の記憶だけだ。


 全部の条件が、綺麗に揃っていた。


 俺は自分の手を見た。


 震えていなかった。


 震えていないことが、いちばん怖かった。


 九月のあの夜、東階段の下で、俺は三秒の値段を数えて手が震えた。


 渡り廊下で借りたときも震えた。十日ほど前にこの人の口を塞ごうとしたときも、耳から下ろした指が細かく動いていた。


 今は、動いていない。


 嫌な汗が、背中を一度だけ伝った。


 自分の身体が、この取引を「安い」と判定している。


 身体は正直だ。俺が二年間かけて作った理屈より、ずっと正直に、目の前の値段を読んでいる。


 二年間、俺は借りるのを我慢してきた。我慢できたのは、代償が姉やみなもに落ちるからだ。


 落ちる先が、この人になった途端に、手が震えなくなっている。


 ——俺は今、この人を勘定に入れた。


 勘定に入れるというのは、そういうことだ。


「柊」


 梔子が言った。


 俺は顔を上げられなかった。


「今、計算しただろ」


「……」


「顔に出てる」


 俺は目を閉じた。


 顔が熱かった。


 恥ずかしい、というのが一番近かった。悔しいのでも、怖いのでもない。


 この人は、初めて会った日から俺を見ていた。信号が変わるのを数えている俺を、遠くから見ていた。


 その人に、今、いちばん見られたくない顔を見られた。


 喉の奥が苦かった。空腹のせいかもしれないし、そうでないかもしれない。


「言っただろ。言ったらお前は計算するって」


 梔子の声は、責める調子ではなかった。


 だから余計にきつかった。


「別に責めてない。全員そうする。俺もそうした」


 俺は顔を上げた。


「あんたも?」


「したよ」


 彼は少しだけ間を置いた。


「俺に真名を売ったやつがいた。そいつを一番上に置いて、使って、忘れた」


「……名前も?」


「顔も、声も。売ったやつがいたって事実だけが残ってる」


 彼はそれを、天気の話をするのと同じ温度で言った。


 二度目だった。この人が同じ温度で重い話をするのを見るのは。


 初めてあの部屋に呼ばれた夜、「相手がいた。もういない」と言ったときも、同じ顔だった。


 あれは、そういう意味だったのか。


 俺は聞かなかった。


 聞けば、この人はたぶん答える。答えたところで、俺には返す言葉が無い。


 彼は立ち上がった。上着の裾が、いつものように地面の手前で止まった。


 いつか見たのと同じ動作だった。


「答えは今じゃなくていい」


 紙を、俺の横の草の上に置いた。


「開くまでは、まだ何も起きてない」


 彼はそう言って、土手を上っていった。


 俺はその紙を、しばらく見ていた。


 風で、少しだけ端が持ち上がった。


 俺は手を伸ばして、飛ばないように、その上に石を置いた。


 置いてから、自分が「飛ばないように」したことに気づいた。


 嫌だと思っているなら、飛ばせばよかった。


 鞄からあんパンを出して、袋を開けた。


 空腹だった。食べたら、少しだけ落ち着いた。


 落ち着いてしまったことが、また嫌だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。