第71話 出征の決意
宣戦布告は、雪の朝に、届いた。
ノースランドが、ついに、アーデルハイトへの開戦を、正式に、告げてきたのだ。
その日、王宮の軍議の間に、国の重鎮が、集まった。ノエル。フェルディナンド様。軍務省の将軍たち。そして、父さん。
私も、妃として、聖女として、その席に、加えてもらった。大きくなったお腹を抱えて、末席に、座る。本当は、静養しているべきなのだろう。けれど、この国の行く末を決める場に、私は、いたかった。
◇◇◇
ノエルが、大陸の地図を前に、口を開いた。
「これより、我が国は、ノースランドと、戦になる」
低い声が、静まりかえった間に、響いた。
「だが、聞いてくれ。俺は、ノースランドという国を、滅ぼすために、戦うのでは、ない」
将軍たちが、顔を上げた。
「ノースランドの侵略は、必ず、阻止する。一兵たりとも、この国の土を、踏ませはしない。……だが、ノースランドの国民を、敵とは、思うな。あの国の民もまた、腐った王族に、搾り取られ、戦に駆り出される、被害者だ」
ノエルの蒼い瞳が、地図の、北の果てを、見据えた。
「俺は、ノースランドを、討つのではない。解放する。あの国の民が、王族の軛から自由になり、いつか、我らと同じ食卓に、つける。その日のために、戦う」
それは、奪うための戦ではなく、解き放つための戦の、宣言だった。
居並ぶ将軍たちの目に、静かな、けれど、熱い光が、宿っていくのが、わかった。
◇◇◇
そのとき、父さんが、静かに、立ち上がった。
普段は、穏やかな、薬師の顔をした父さん。けれど、その背すじは、いま、別の何かを背負って、まっすぐに、伸びていた。
「殿下の、仰せのとおりに」
父さんの声は、低く、揺るぎなかった。
「わたしは、かつて、ノースランドの、第三皇子でした」
将軍たちが、息を呑んだ。知る者は、知っていた。けれど、こうして公の場で、父さんが、その名乗りをあげるのは、初めてのことだった。
「腐った兄たちに、命を狙われ、すべてを捨てて、逃げた。名を変え、薬師として、生きてきた。……けれど、わたしの中には、まだ、ノースランドの、正統の血が、流れています」
父さんは、私を、ちらりと、見た。それから、ノエルへ、視線を移した。
「その血が、いま、役に立つのなら。わたしは、前線へ、まいります。ノースランドの民に、告げるために。――お前たちの王は、腐っている。正しき血は、こちらにある、と」
私は、膝の上で、こぶしを、握りしめた。
父さんにとって、ノースランドは、捨てた祖国。憎しみも、未練も、ない交ぜになった、複雑な土地のはずだった。それでも、父さんは、その地の民を、見捨てなかった。腐った王族を倒し、苦しむ民を救うために、自ら、生まれ故郷へ、剣を向ける。
私の、お父さん。ただの、優しい薬師だと思っていた人の、背中が、こんなにも、大きく見えた日は、なかった。
◇◇◇
軍議は、夜まで、続いた。
国軍の、動員。マクシミリアンの率いる近衛部隊が、前線の先陣を切る。エルフとノースランド出身の者で編まれた、外国人部隊。そして、エルフの鍛冶師たちが打った、ミスリルの剣と鎧が、兵たちの手に、渡っていく。
二年前、私が留守を預かるあいだに、エルフたちが居場所を得て、その手で打った武具。難民を受け入れ、民を富ませ、薬を行き渡らせ、こつこつと力を蓄えてきた、その、すべてが。
いま、この国を、守る盾に、なろうとしていた。
留守を、あずかる。あのときの、地味で、根気のいる日々が、こんなふうに、今日へ、繋がっていたのだと、私は、静かに、思った。私が育ててきたものは、ひとつも、無駄ではなかった。
◇◇◇
その夜。
ノエルが、私の部屋に、来た。
軍議の張りつめた顔は、もう、解けていた。私の前にいるのは、一国の将ではなく、ただの、私の夫だった。
ノエルは、私の足元に、膝をついて、大きくなったお腹に、そっと、耳を、当てた。
「……まだ、何も、聞こえないな」
「ふふ。気が、早いってば」
「俺が、いないあいだに、生まれてくるかもしれん」
その声に、ほんの少し、寂しさが、にじんだ。
二年前、私を、ひとり残して、北へ発った。その留守に、私は、毒に倒れた。ノエルは、いまも、それを、悔いている。また、私を置いて、いく。今度は、お腹の子ごと。その怖れが、その横顔に、貼りついていた。
私は、ノエルの、漆黒の髪に、そっと、指を通した。
「ノエル。だいじょうぶ」
「……リリィ」
「私は、もう、森の離宮で、あなたの帰りを待っていた、あの頃の私じゃない。この国を、二年、守った。エルフの民も、難民も、みんな、私の味方。……それに」
私は、ノエルの手を取って、自分のお腹に、重ねた。
「この子と、二人で、あなたの帰る場所を、守ってる。だから、あなたは、振り返らないで。前だけ、見て。北の民を、解放してきて」
ノエルが、顔を上げた。その蒼い瞳が、揺れて、それから、まっすぐに、私を、捉えた。
「……行ってくる」
「うん。行ってらっしゃい」
私たちは、それぞれの、戦場へ、向かう。
ノエルは、北の戦野へ。父さんは、捨てた祖国へ。そして私は――この王宮と、お腹の、ちいさな命を、守る戦場へ。
雪は、夜どおし、静かに、降り積もっていた。
その白い夜の向こうで、長い戦の幕が、いままさに、上がろうとしていた。




