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森で見つけた呪われ少年を看病していただけなのに、王太子殿下に溺愛されています  作者: 葉月晴子
第三章 ふたつの太陽

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第72話 開戦

出征の朝。


王宮前の大広場に、全軍が、整列していた。


磨きあげられた、ミスリルの鎧。林立する、王家の旗。馬のいななき。鉄の匂い。見渡すかぎりの兵が、しんと、静まりかえって、壇上の、私を、見上げていた。


私は、大きなお腹を抱えて、ゆっくりと、壇の中央に、進み出た。


聖女として、出征する兵たちに、祝福を授ける。それが、この朝の、私の務めだった。


私は、目を閉じ、両手を、胸の前で、組んだ。


そして、祈った。森の春に、呪われた男の子のために祈った、あのときと、同じ気持ちで。


(どうか、この人たちを、お守りください)


胸の奥から、温かいものが、すうっと、湧き上がってくる。精霊師に授かった、加護。私の意志に、応えて、それは、光の粒となって、私の指先から、こぼれ出した。


淡い、金色の光が、春の朝の空気に、ふわりと、広がっていく。それは、風に乗って、整列した兵たちの、ひとりひとりの上へ、雪のように、静かに、降り注いだ。


兵たちが、息を呑んで、空を見上げた。


光に触れた者の顔から、こわばりが、ほどけていく。隣の戦友と、うなずき合う。剣の柄を、握りなおす。


「どうか、ご無事で」


私の声が、広場に、染みわたった。


「ひとり残らず、生きて、この国へ、帰ってきてください。あなたがたの、帰る場所は、私が、守ります」


地鳴りのような、鬨の声が、あがった。


◇◇◇



壇を下りると、ノエルが、待っていた。


漆黒の甲冑に、私の刺繍した青いリボンを、兜の内側に、しのばせている。一国の王太子の、凛とした姿。けれど、その手は、私のお腹に触れるとき、いつものように、こわごわと、優しかった。


「行ってくる」


「うん」


「……生まれる頃には、必ず、戻る」


「待ってないよ」


私が言うと、ノエルが、きょとんとした。


「あなたが帰ってくるのは、当たり前のことだもの。待つ、なんて、思わない。だから、急がないで、きちんと、戦ってきて」


ノエルは、ふっと、笑った。それから、私の額に、一度だけ、口づけを落とした。


それから、私の耳もとに唇を寄せて、誰にも聞こえない声で囁いた。


「……愛している、リリィ。必ず、帰る」


私の頬が、かっと熱くなった。こんな、大勢の兵の前で。


「もう。こんなときに」


「こんなときだからだ」


ノエルは、いたずらっぽく口の端を上げた。それから名残惜しそうに、私の頬を大きな手で一度だけ包んで、離した。


その隣で、父さんも、馬上の人になっていた。元第三皇子の顔で。けれど、私と目が合うと、ただの、優しいお父さんの顔で、小さく、頷いてくれた。


少し離れたところでは、エミリアが、夫のマクシミリアンを、見送っていた。気丈に笑おうとして、けれど、その目には、涙が、いっぱいに、溜まっていた。二年前、毒に倒れたエミリアは、すっかり元気になっていた。その彼女が、いま、夫を、戦場へ送る。


私は、エミリアの隣に立って、その手を、握った。


「だいじょうぶ。みんな、帰ってくる」


「……うん。うん、リリィ」


夫を戦場へ送る妻たちが、肩を、寄せ合った。


◇◇◇



角笛が、鳴った。


軍列が、北へ向けて、動きだす。ミスリルの鎧が、朝陽を弾いて、白い街道を、銀の川のように、流れていく。


私とエミリアは、その流れが、地平の彼方に消えるまで、見送った。


不在アークの、あの朝。北へ発つノエルを、ひとりで見送った、あの日を、思い出した。あのときの私は、ただ、心細かった。けれど、今は、違う。私の隣には、友がいて、お腹には、子がいて、背後には、私が二年かけて育てた、国がある。


私は、もう、ひとりでは、ない。


◇◇◇



戦端は、すぐに、開かれた。


数日後、ノースランド軍が、北の国境を、越えた。


ノエルが、王太子として、全軍を、指揮する。前線からの伝令が、毎日、王宮に、駆けこんでくる。地名と、戦況。私には、わからないことばかりだったけれど、フェルディナンド様が、ひとつひとつ、教えてくれた。


そして、その報せの中に、私が、いちばん、おそれていたものが、あった。


「リリィ様。……北の、開拓地が」


フェルディナンド様の声が、重かった。


エリック兄と、オリヴィア様の、開拓地。国境に近いその村が、ノースランド軍の、最初の標的に、なっていた。


二年前、罪を償うために、新天地を耕しはじめた、二人。ようやく、村が、実りはじめた、その矢先に。


「お兄ちゃんは……オリヴィア様は、ご無事なの」


「持ちこたえております。オリヴィア殿が、開拓民をまとめ、村を、守り抜いておられる、と。エリック殿は、負傷者の手当てに、奔走しておられるそうです」


操られて、毒を盛った令嬢。けれど、いまは、自分の村の民を、その身を盾にして、守っている。


私は、胸が、熱くなった。あの人は、もう、立派に、生き直している。


「どうか、無事で」


私は、北の空に、祈った。届け、と。私の加護の、ありったけを込めて。


◇◇◇



そして、その日の夕暮れ。


王宮の医務の間に、最初の負傷兵が、運ばれてきた。


まだ、若い兵だった。肩を、深く、斬られている。血の匂いが、つんと、鼻をついた。


母さんと、エルフの薬師たちが、てきぱきと、傷を、洗い、薬を、塗る。私は、その傍らに膝をついて、震える兵の手を、握った。


「だいじょうぶ。あなたは、助かる」


私が、傷に、そっと、手をかざすと、淡い光が、滲んだ。兵の、苦悶の表情が、わずかに、やわらいでいく。


戦は、始まったばかりだった。


これから、もっと、たくさんの、傷ついた人が、ここへ、運ばれてくる。それを、私は、ひとりも、死なせたくなかった。


ノエルが、北で、剣をふるうように。


私は、この後方で、命を、つなぎとめる。


それが、私の、戦場だった。


窓の外、北の空は、戦塵のせいか、夕陽が、いつもより、赤く、燃えていた。

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