第63話 毒のお茶会
枕の下の石を見つけた瞬間、うなじが、燃えるように粟立った。
これは、あのヴェールの女のまわりで感じたのと、同じ気配だった。けれど、こんなに近くで、こんなに強く感じたのは、初めてだった。
私は、その石に、素手で触れないよう、手巾でくるんで、つまみ上げた。青く澄んだ、美しい石。一見、ただの宝石にしか見えない。けれど、私の中の加護が、これに近づくな、と、はっきり叫んでいた。
護衛を呼んで、石を箱に封じさせた。
「これを、フェルディナンド宰相に。それから、精霊師さまにも、すぐ見ていただいて」
声が、うわずった。ノエルの手紙の言葉が、頭の中で響いていた。見知らぬ者を、安易に側へ入れるな。お前を狙う者がいるとすれば。
報告に向かおうと、私は、立ち上がった。
――けれど、今日は、約束が、あった。
◇◇◇
その日の午後、私は、エミリアを、お茶に招いていた。
エミリアとは、しばらく、ゆっくり会えていなかった。近衛隊長になったマクシミリアンが多忙で、その妻となったエミリアも、何かと忙しい。それでも、二人の予定がようやく合って、今日という日を、私たちは、ずっと楽しみにしていたのだ。
石のことは、お茶のあとで、すぐにフェルディナンド様へ。そう思い直して、私は、応接間へ向かった。
侍女として、給仕についたのは、オリヴィア様だった。
近ごろのオリヴィア様は、いっそう、様子がおかしかった。目の焦点が、合っていない。私や、エミリアを見ても、どこか、遠いところを見ているようだった。
それでも、そのときの私は、お茶会の支度と、エミリアと会える嬉しさに、気を取られていた。
油断、だった。
◇◇◇
「リリィ! 久しぶり!」
応接間に入ってきたエミリアは、栗色の髪を揺らして、昔のままの、闊達な笑顔だった。
「もう、妃殿下だってのに、ちっとも偉ぶらないんだから」
「エミリアこそ。隊長夫人なのに、ちっとも変わらない」
二人で、顔を見合わせて笑った。アカデミーの中庭で、サンドイッチを半分こしていた頃と、何も変わらない。
向かいあって、長椅子に座る。窓から、春の光が差し込んで、卓の上の白い花を、明るく照らしていた。
オリヴィア様が、ティーポットを持って、進み出た。
三つのカップに、琥珀色のお茶が、静かに注がれていく。湯気が、ふわりと立った。
そのとき。
うなじが、また、ちりっと、焼けた。
朝、あの石に触れたときと、同じ感覚。
私は、はっと、自分のカップを見た。
立ちのぼる湯気の匂いに、ほんのかすかに、薬草の私だからわかる、覚えのない、苦い匂いが、混じっていた。
「……っ、待って!」
私は、思わず、口をつけかけたカップを、卓に戻した。けれど、唇は、もう、ひとくちだけ、それを含んでいた。
舌の上が、しびれた。
「飲んじゃ、だめ! 二人とも!」
私は、叫んだ。
けれど。
エミリアは、笑いながら、もう、カップを傾けていた。
そして、オリヴィア様は――自分のカップを、両手で持って、ためらいもなく、ひといきに、飲み干していた。
その目は、やはり、虚ろだった。まるで、そうすれば幸せになれると、誰かに、言い聞かされたみたいに。
「……オリヴィア、さま」
私の声が、掠れた。
オリヴィア様の手から、空のカップが、滑り落ちた。床で、高い音を立てて、砕ける。
エミリアの笑顔が、こわばった。
「リリィ……? なに、これ……身体が……」
エミリアの手から、カップが落ちる。栗色の髪が、ぐらりと傾いだ。
「エミリア!」
私は、長椅子を乗り越えて、その身体を、抱きとめた。
熱い。さっきまで、あんなに元気だったのに。エミリアの身体が、私の腕の中で、見る間に、力を失っていく。
「だれか! 誰か来て! 医師を、母さんを呼んで!」
叫びながら、私は、もう一方の手で、倒れ伏したオリヴィア様にも、手を伸ばした。
操られていたのだ。この人も。きっと、何も、わかっていなかった。
私が、止められなかった。私が、もっと早く、気づいていれば。
◇◇◇
人が、駆け込んでくる足音。母さんの声。エリック兄の声。エルフの娘たちの、悲鳴。
けれど、その音が、だんだん、遠くなっていく。
一口しか、飲まなかった。それなのに、足が、立たない。視界の端から、黒いものが、にじり寄ってくる。
これは、ただの毒じゃない。私の加護が、内側で、必死に何かと、押し合っている。ノースランドの、呪術の毒。守る力と、奪う力が、私の身体の中で、せめぎ合っている。
「リリィ! しっかりしろ、リリィ!」
エリック兄が、私を抱き起こす。その顔が、ぼやけて、よく見えない。
倒れていく意識の中で、私は、左の手首を、ぎゅっと、握りしめた。
そこにある、青いリボン。
何の力もない、ただの布。あの人が、そう言って、私の手首に結んでくれた、対のリボン。
それでも、これを握っていると、あの人の声が、聞こえる気がした。無事で、いてくれ。それだけが、俺の願いだ。
ごめんなさい、ノエル。
私、約束を、守れなかったかも、しれない。
(――会いたい)
二年、胸の奥にしまい続けてきた、その四文字が、薄れていく意識の、いちばん最後に、ふっと、浮かんで。
そして、私の世界は、暗転した。




