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森で見つけた呪われ少年を看病していただけなのに、王太子殿下に溺愛されています  作者: 葉月晴子
第三章 ふたつの太陽

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第61話 精霊師

三通目の手紙は、雪の深い晩に届いた。


封を切る前から、いつもと違う、と思った。封蝋の脇に、見たことのない、小さな葉のしるしが、押してあったからだ。



『リリィへ


奇妙なものを、北で見つけた。


雪の山中、崩れかけた古い祠に、ひとりの老人が、隠れ住んでいた。


兵が不審な者として捕らえたのだが、その者の身につけていた紋様が、お前の母上の薬箱に彫られたものと、同じだった。問いただすと、老人は、震える声で名乗った。


エルフ王家に仕えた、最後の精霊師だ、と。


ノースランドが王国を焼いた夜、王家の秘伝を抱いて、ただ一人、北の山へ逃げた。それから二十年あまり、人の世を捨て、いつか王家の血が戻る日を待って、秘伝を守り続けてきたのだという。


お前の母上が生きておられる、と告げると、老人は、雪の中に膝をついて、子供のように泣いた。


ひとつ、お前に伝えておくべきことがある。


北の大地には、ふたつの力がある。エルフの精霊術と、ノースランドの呪術だ。


精霊術は、土地と契りを結び、実りを呼び、病を癒し、人を守る力。呪術は、その逆だ。奪い、枯らし、蝕む力。エルフがひと冬で滅ぼされたのは、守る力が、奪う力に、不意を突かれたからだという。


その精霊師を、護衛をつけて、王都の、お前の母上のもとへ送り出した。


リリィ。お前の力のことも、あの老人なら、何か知っているかもしれない。会ってやってくれ。


青いリボンは、肌身、離していない。


ノエル』



私は、手紙を握ったまま、しばらく動けなかった。


私の力。聖女の力、と呼ばれているもの。それが、どこから来たのか、本当のところ、私自身、知らずにいた。


◇◇◇



精霊師が王都に着いたのは、それから半月後のことだった。


王家の薬草園の、いちばん奥の温室。母さんと私は、その人を、そこで迎えた。


護衛に支えられて入ってきたのは、ひどく痩せた、小さな老人だった。長い白髪を後ろで束ね、エルフの尖った耳を、もう隠そうともしていない。窪んだ目が、母さんを捉えた瞬間、その膝が、くずおれた。


「エマリーゼ、王女さま……」


しわがれた声だった。


「この目で、もう一度、王家のお血筋を拝めるとは……。長く、生きた甲斐が、ございました」


母さんは、その老人のそばに膝をつき、骨ばった手を、両手で握った。


「よく、生きていてくれました。よく、秘伝を、守ってくれました」


老人は、声もなく、ただ涙を流した。


そして、ゆっくりと顔を上げ、母さんの隣に立つ私を、見た。


その目が、大きく見開かれた。


「……この、お嬢さまは」


「娘の、リリィです」


老人は、私の顔を、それから、私の手のひらを、食い入るように見つめた。やがて、震える指で、私の手を取る。


「……ああ。やはり。この手には、精霊が、宿っておられる」


◇◇◇



その夜、温室の奥で、精霊師は、私たちに語った。


エルフ王家は、いにしえより、精霊と契りを結んできた血筋だという。その加護が、土地を実らせ、傷を癒し、流行り病から民を守ってきた。けれど、精霊は、求めて手に入るものではない。誰かを思う、純粋な祈りにだけ、応える。


「王女さまが、薬を煎じておいでのあいだ、その薬草に、いつしか、ふしぎな力が宿っていたことは、ございませんか」


母さんが、目を見張った。


「……ありました。私の作る薬は、同じ処方でも、なぜか、よく効くと」


「それが、加護にございます。失われたはずの、王家の精霊が、王女さまの手に、ひそかに戻っていたのです」


老人の目が、私に移る。


「そして、お嬢さま。あなたさまの力は、もっと、深い」


私は、息を詰めた。


「お聞かせください。あなたさまは、幼いころ、どなたかの幸せを、来る日も来る日も、祈り続けては、おられませんでしたか」


胸の奥が、ふいに、熱くなった。


森の離宮の、暗い寝室。氷のように冷えた、ちいさな手。呪われた、ひとりぼっちの男の子。あの子が、少しでも楽になりますように。あの子の呪いが、ほどけますように。あの子が、いつか、笑えますように。


六歳の春から、私は、毎日、それだけを祈っていた。神さまに。星に。薬草に。


「……祈って、いました。毎日。呪われた、男の子のために」


「ああ」


老人の頬を、また、涙が伝った。


「その祈りに、王家の精霊が、応えたのです。あなたさまは、知らぬまに、精霊術を、その身に呼び覚ましておられた。聖女の力と、人が呼ぶもの。その正体は、エルフ王家の、精霊の加護にございます」


私が、ノエルの呪いを和らげてきたこと。皇后陛下を蝕む魔道具を、見つけられたこと。疫病を、遠ざけられたこと。ぜんぶ。


森で死にかけていたあの子を、助けたいと願った、たった一つの祈りから、始まっていた。


◇◇◇



精霊師は、エルフ王家に伝わる、加護の儀を執り行った。


亡国の夜から、誰にも授けられぬまま、老人ひとりの胸に、しまわれてきた秘伝。それを、母さんと私が、正式に受け継ぐための儀式だった。


温室の中央に、薬草を焚き、古いエルフの言葉で、祈りが唱えられる。


そのとき、私は、はっきりと感じた。


これまで、ぼんやりと、自分の中にあった温かいもの。願うと、なんとなく形になった、あの力。それが、すうっと輪郭を持って、私の意志に、応えはじめた。


これまでは、ただ祈ることしかできなかった。これからは、私が、望んで、使える。


守られるだけの聖女では、ない。


私は、自分の手で、誰かを守れる力を、いま、たしかに、受け取った。


◇◇◇



儀式の夜、私は、文机に向かった。



『ノエルへ


不思議な客人を、ありがとうございました。


あの方のおかげで、私は、自分の力が、どこから来たのかを、知りました。


私の力は、あなたを助けたいと願った、あの六歳の春の祈りから、生まれたものでした。あなたを看病していた日々が、知らないうちに、私を、いまの私にしてくれていたのです。


だから、これは、私ひとりの力ではありません。半分は、あなたのものです。


母さんも、私も、正式に加護を授かりました。もう、ただ祈るだけではありません。この力で、あなたの留守を、あなたの帰る国を、私が、守ります。


どうか、安心して、北の壁を、お築きください。


こちらのことは、私に、お任せを。


リリィ』



筆を置いて、私は、手首の青いリボンに、そっと触れた。


あの人の祈りの込もった、青。


もう、ただ祈るだけの私ではない。あの人が国の外で壁を築くあいだ、私は、国の内で、守る力を磨く。ふたつの太陽が、それぞれの空で、同じ国を照らしている。

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