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森で見つけた呪われ少年を看病していただけなのに、王太子殿下に溺愛されています  作者: 葉月晴子
第三章 ふたつの太陽

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第60話 王家の薬草園

北へ送る薬は、私が自分の手で作ると決めていた。


ノエルの手紙にあった、前線の寒さ。兵の傷。眠れぬ夜。そのひとつひとつに効く薬を、私は朝の政務を終えると、王家の薬草園へ通って、調合した。


王家の薬草園は、王宮の東のなだらかな丘の上にある。皇后陛下が長く心を砕いて育ててこられた場所で、いまはお母さんが、現場の一切を預かっている。


冬のはじめの薬草園は、しずもり返って、それでいて、よく生きていた。


枯れ色の蔓に、まだ赤い実が残るローズヒップ。霜に強いセージやタイム。温室の硝子ごしに、冬でも緑を絶やさぬ薬草が、列をなしている。乾いた葉の、青くてほろ苦い匂いが、冷たい風にまじって流れてくる。森の村の、母さんの作業場と、同じ匂いだった。


「リリィ。手が冷えるでしょう。中へお入り」


温室の戸口から、母さんが顔を出した。エプロンの裾に、土をつけている。王女だった、と父さんから聞かされても、私にはやはり、この人は薬師の母さんでしかなかった。


◇◇◇



薬草園では、たくさんの人が働いていた。


その耳の先が、みな、ほんの少しだけ、尖っている。


エルフの人たちだった。


長いあいだ、国を失い、各地に散らばって、身を隠して生きてきた人たち。それが数年前の戸籍改めで、ひとり残らず素性をあらため、身分証を得て、いまはこうして、王家の薬草園で働いている。薬草を育てる者。すり潰し、煎じ、丸薬に練る者。それを庶民の手に届く値で売りに出す者。


国を富ませる仕組みの、いちばん端のほうで、この人たちの手が動いている。安い薬が国じゅうに行き渡るようになった、その元が、ここにあった。


私が薬研を借りて、リンデンを挽きはじめると、近くで作業していた若いエルフの娘が、ふと、手を止めた。


私の顔を見て、それから、私の隣で薬草を選り分ける母さんの横顔を見て、もう一度、私を見た。


「……あの。失礼ですが」


娘の声が、震えていた。


「奥さまは……薬師のエマさまは、もしや、エルフの……」


母さんの手が、止まった。


温室の中の物音が、ひとつ、またひとつと、消えていく。葉を摘む手も、薬研を回す手も、みな止まって、いつのまにか、たくさんの尖った耳が、こちらを向いていた。


母さんは、しばらく黙っていた。それから、エプロンで手を拭いて、静かに、顔を上げた。


「エマ・ホーニング。……旧い名を、エマリーゼ。エルフ王国、最後の、第一王女です」


息を呑む音が、温室いっぱいに広がった。


いちばん年老いたエルフが、よろよろと、前へ進み出た。腰の曲がった、白い髪の老人だった。皺に埋もれた目で、母さんを、まじまじと見つめる。


「王女、さま……。生きて、おいでだったのですか。あの、滅びの日に、ちいさな御身で、馬車に乗せられて……てっきり、もう」


「ええ。生きて、ここに」


老人の膝が、がくりと折れた。床に手をついて、声をあげて、泣きはじめる。


「おお……おお、神々よ……。王家の血は、絶えてなどいなかった。我らの王女は、生きて、こうして、薬で民をお救いに……」


つられたように、ひとり、またひとりと、エルフたちが膝をついていく。若い娘も、頬を濡らして、私と母さんを、見上げていた。


私は、立ちつくしていた。


エルフ王国が、北のノースランドに滅ぼされたこと。母さんが、たった一人、生き延びた王女であること。その血が、私にも流れていること。ぜんぶ、知ってはいた。父さんから、聞かされていた。


けれど、知っているのと、こうして目の前で見るのとは、まるで違った。


国を失うとは、こういうことなのだ。故郷を焼かれ、名を捨て、耳を隠して、何十年も、息をひそめて生きるとは。その人たちが、いま、私と母さんを見て、絶えたはずの灯がまだ消えていなかったと知って、泣いている。


「どうか、お立ちください」


私は、いちばん近くの老人のそばに、膝を折った。土に汚れたその手を、両手で、そっと包む。


「私は、リリィ。エマの、娘です。……あなたがたの、王女の、孫にあたります」


老人の手が、震えた。


「この国は、あなたがたを、もう隠れて生きさせはしません。あなたがたの育てた薬が、国じゅうの人を、助けています。胸を、張ってください」


それは、聖女としての言葉でも、妃としての言葉でもなかった。ただ、同じ血をわけた者として、自然に口をついて出た言葉だった。


老人は、私の手を握りかえして、何度も、何度も、うなずいた。


◇◇◇



その日から、薬草園は、私にとって、ただの仕事場ではなくなった。


私が北へ送る薬を作るとき、エルフの人たちは、いちばんいい薬草を、惜しまず分けてくれた。星読みの一族の娘は、薬草を摘むのに良い月の晩を教えてくれた。古い歌を知る老婆は、薬を練りながら、エルフに伝わる治癒の祈りを、低い声で口ずさんだ。


その薬包のひとつひとつに、たくさんの祈りが、込められていく。


ここで作った薬が、街道を北へ運ばれ、前線のノエルと、父さんと、兵たちの手に渡る。王都のこの丘と、北の壁とが、薬草の匂いのする一本の道で、つながっている。


薬草園は、命綱だった。ノエルの守る国の、いちばん奥にある、やわらかな心臓のような場所。私は、それを、絶やすわけにはいかなかった。


◇◇◇



その月の末、二通目の手紙が届いた。



『リリィへ


そちらは、もう雪か。こちらは、とうに根雪だ。


近隣の三国と、穀物の盟約を結んだ。我が国の麦と引き換えに、有事の際は兵を出すと、書面を交わした。北の壁の、外側に、もう一枚、壁ができたようなものだ。


国を回るうち、古い話を、いくつも聞いた。


かつて、北の大地に、エルフの王国があった。豊かな、穏やかな国だったという。それを、ノースランドが、呪術と兵で、ひと冬のうちに焼き払った。生き残った民は散り、王家は絶えたと、どの国の年寄りも、そう語った。


絶えて、などいない。俺は、それを知っている。


お前の母上が薬を煎じ、お前が民を救っている。エルフの王家の血は、いま、俺の妻の中に流れて、この国を、内側から富ませている。北の連中が、ひと冬で滅ぼしたつもりのものが、二十年を越えて、形を変えて、よみがえっているのだ。


そう思うと、この寒さも、悪くない。


青いリボンは、肌身、離していない。お前の手の温もりが、ここにある。


ノエル』



私は、手紙を、薬草園の老人たちに、読んで聞かせた。


エルフの王家の血が、この国を内側から富ませている。その一文のところで、白髪の老人は、また、静かに泣いた。けれど、その涙は、最初の日のものとは、違っていた。


失ったものを悼む涙ではなく、取り戻したものを、噛みしめる涙だった。


私は、文机に向かい、いつものように、返事を書いた。北の壁の外に、もう一枚の壁ができたこと。誇らしく思うこと。薬草園のこと。エルフの人たちが、あなたの手紙で泣いたこと。


会いたい、とは、やはり書かなかった。


そのかわり、手首の青いリボンに、そっと唇を寄せた。あの人の祈りの込もった、青。あの人の瞳と、同じ色。


北の空の下のあの人にも、この祈りが、届くといい。

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