第60話 王家の薬草園
北へ送る薬は、私が自分の手で作ると決めていた。
ノエルの手紙にあった、前線の寒さ。兵の傷。眠れぬ夜。そのひとつひとつに効く薬を、私は朝の政務を終えると、王家の薬草園へ通って、調合した。
王家の薬草園は、王宮の東のなだらかな丘の上にある。皇后陛下が長く心を砕いて育ててこられた場所で、いまはお母さんが、現場の一切を預かっている。
冬のはじめの薬草園は、しずもり返って、それでいて、よく生きていた。
枯れ色の蔓に、まだ赤い実が残るローズヒップ。霜に強いセージやタイム。温室の硝子ごしに、冬でも緑を絶やさぬ薬草が、列をなしている。乾いた葉の、青くてほろ苦い匂いが、冷たい風にまじって流れてくる。森の村の、母さんの作業場と、同じ匂いだった。
「リリィ。手が冷えるでしょう。中へお入り」
温室の戸口から、母さんが顔を出した。エプロンの裾に、土をつけている。王女だった、と父さんから聞かされても、私にはやはり、この人は薬師の母さんでしかなかった。
◇◇◇
薬草園では、たくさんの人が働いていた。
その耳の先が、みな、ほんの少しだけ、尖っている。
エルフの人たちだった。
長いあいだ、国を失い、各地に散らばって、身を隠して生きてきた人たち。それが数年前の戸籍改めで、ひとり残らず素性をあらため、身分証を得て、いまはこうして、王家の薬草園で働いている。薬草を育てる者。すり潰し、煎じ、丸薬に練る者。それを庶民の手に届く値で売りに出す者。
国を富ませる仕組みの、いちばん端のほうで、この人たちの手が動いている。安い薬が国じゅうに行き渡るようになった、その元が、ここにあった。
私が薬研を借りて、リンデンを挽きはじめると、近くで作業していた若いエルフの娘が、ふと、手を止めた。
私の顔を見て、それから、私の隣で薬草を選り分ける母さんの横顔を見て、もう一度、私を見た。
「……あの。失礼ですが」
娘の声が、震えていた。
「奥さまは……薬師のエマさまは、もしや、エルフの……」
母さんの手が、止まった。
温室の中の物音が、ひとつ、またひとつと、消えていく。葉を摘む手も、薬研を回す手も、みな止まって、いつのまにか、たくさんの尖った耳が、こちらを向いていた。
母さんは、しばらく黙っていた。それから、エプロンで手を拭いて、静かに、顔を上げた。
「エマ・ホーニング。……旧い名を、エマリーゼ。エルフ王国、最後の、第一王女です」
息を呑む音が、温室いっぱいに広がった。
いちばん年老いたエルフが、よろよろと、前へ進み出た。腰の曲がった、白い髪の老人だった。皺に埋もれた目で、母さんを、まじまじと見つめる。
「王女、さま……。生きて、おいでだったのですか。あの、滅びの日に、ちいさな御身で、馬車に乗せられて……てっきり、もう」
「ええ。生きて、ここに」
老人の膝が、がくりと折れた。床に手をついて、声をあげて、泣きはじめる。
「おお……おお、神々よ……。王家の血は、絶えてなどいなかった。我らの王女は、生きて、こうして、薬で民をお救いに……」
つられたように、ひとり、またひとりと、エルフたちが膝をついていく。若い娘も、頬を濡らして、私と母さんを、見上げていた。
私は、立ちつくしていた。
エルフ王国が、北のノースランドに滅ぼされたこと。母さんが、たった一人、生き延びた王女であること。その血が、私にも流れていること。ぜんぶ、知ってはいた。父さんから、聞かされていた。
けれど、知っているのと、こうして目の前で見るのとは、まるで違った。
国を失うとは、こういうことなのだ。故郷を焼かれ、名を捨て、耳を隠して、何十年も、息をひそめて生きるとは。その人たちが、いま、私と母さんを見て、絶えたはずの灯がまだ消えていなかったと知って、泣いている。
「どうか、お立ちください」
私は、いちばん近くの老人のそばに、膝を折った。土に汚れたその手を、両手で、そっと包む。
「私は、リリィ。エマの、娘です。……あなたがたの、王女の、孫にあたります」
老人の手が、震えた。
「この国は、あなたがたを、もう隠れて生きさせはしません。あなたがたの育てた薬が、国じゅうの人を、助けています。胸を、張ってください」
それは、聖女としての言葉でも、妃としての言葉でもなかった。ただ、同じ血をわけた者として、自然に口をついて出た言葉だった。
老人は、私の手を握りかえして、何度も、何度も、うなずいた。
◇◇◇
その日から、薬草園は、私にとって、ただの仕事場ではなくなった。
私が北へ送る薬を作るとき、エルフの人たちは、いちばんいい薬草を、惜しまず分けてくれた。星読みの一族の娘は、薬草を摘むのに良い月の晩を教えてくれた。古い歌を知る老婆は、薬を練りながら、エルフに伝わる治癒の祈りを、低い声で口ずさんだ。
その薬包のひとつひとつに、たくさんの祈りが、込められていく。
ここで作った薬が、街道を北へ運ばれ、前線のノエルと、父さんと、兵たちの手に渡る。王都のこの丘と、北の壁とが、薬草の匂いのする一本の道で、つながっている。
薬草園は、命綱だった。ノエルの守る国の、いちばん奥にある、やわらかな心臓のような場所。私は、それを、絶やすわけにはいかなかった。
◇◇◇
その月の末、二通目の手紙が届いた。
『リリィへ
そちらは、もう雪か。こちらは、とうに根雪だ。
近隣の三国と、穀物の盟約を結んだ。我が国の麦と引き換えに、有事の際は兵を出すと、書面を交わした。北の壁の、外側に、もう一枚、壁ができたようなものだ。
国を回るうち、古い話を、いくつも聞いた。
かつて、北の大地に、エルフの王国があった。豊かな、穏やかな国だったという。それを、ノースランドが、呪術と兵で、ひと冬のうちに焼き払った。生き残った民は散り、王家は絶えたと、どの国の年寄りも、そう語った。
絶えて、などいない。俺は、それを知っている。
お前の母上が薬を煎じ、お前が民を救っている。エルフの王家の血は、いま、俺の妻の中に流れて、この国を、内側から富ませている。北の連中が、ひと冬で滅ぼしたつもりのものが、二十年を越えて、形を変えて、よみがえっているのだ。
そう思うと、この寒さも、悪くない。
青いリボンは、肌身、離していない。お前の手の温もりが、ここにある。
ノエル』
私は、手紙を、薬草園の老人たちに、読んで聞かせた。
エルフの王家の血が、この国を内側から富ませている。その一文のところで、白髪の老人は、また、静かに泣いた。けれど、その涙は、最初の日のものとは、違っていた。
失ったものを悼む涙ではなく、取り戻したものを、噛みしめる涙だった。
私は、文机に向かい、いつものように、返事を書いた。北の壁の外に、もう一枚の壁ができたこと。誇らしく思うこと。薬草園のこと。エルフの人たちが、あなたの手紙で泣いたこと。
会いたい、とは、やはり書かなかった。
そのかわり、手首の青いリボンに、そっと唇を寄せた。あの人の祈りの込もった、青。あの人の瞳と、同じ色。
北の空の下のあの人にも、この祈りが、届くといい。




