第56話 エミリアの婚礼
初夏。
王宮の薔薇が、いっせいに咲きそろった、よく晴れた朝だった。
今日は、エミリアの婚礼。私のいちばんの親友が、マクシミリアンのもとへ嫁ぐ日だ。
控え室には、白い花の匂いが満ちていた。私は、鏡の前のエミリアの背中で、最後の編み上げを手伝っている。栗色の髪を高く結い上げ、白絹のドレスに身を包んだエミリアは、いつもの闊達なお転婆とは、まるで別人みたいだった。
「リリィ。手、ふるえてない?」
鏡ごしに、エミリアが笑う。けれど、その膝の上で、指が、せわしなく組み替えられていた。緊張しているのは、エミリアのほうだ。
「ふるえてないよ。エミリアこそ」
「……ばれた?」
ふたりで、顔を見合わせて笑った。
中等科の教室で、はじめて隣の席になった日のこと。お弁当のサンドイッチを半分こした日のこと。私が田舎者だとからかわれたとき、まっさきに怒ってくれたのは、エミリアだった。その子が、今日、お嫁さんになる。
「エミリア。きれいだよ。世界でいちばん」
そう言うと、エミリアの目が、みるみる潤んだ。
「もう。泣かせないでよ、化粧が落ちる」
エミリアは、天井をあおいで、ぱたぱたと手で顔をあおいだ。
◇◇◇
王宮の大聖堂は、半年前、私とノエルが婚儀をあげた、あの場所だった。
色硝子を透かした光が、白い床に、淡い模様を落としている。参列の貴族たちのあいだを、私はノエルと並んで、奥の席へ進んだ。
祭壇の前には、もう、マクシミリアンが立っていた。
近衛隊長の、白い正装。栗色の髪をきっちりと整えて、いつもの飄々とした気配を、今日はすっかり潜めている。背すじを、これ以上ないほど、まっすぐに伸ばして。
「あいつが、あんなに固くなっているのは、はじめて見た」
隣で、ノエルが、ぼそりと言った。口の端が、わずかに上がっている。
楽団の調べが、変わった。アマリアの澄んだ歌声が、天井の高みへ昇っていく。
大聖堂の扉が開いて、エミリアが、父君の腕に手を添えて、入ってきた。
その姿を見たマクシミリアンの喉が、ごくりと動くのが、遠目にもわかった。飄々とした近衛隊長が、たったいま、いちばん大切なものを前にして、言葉をなくしている。
クラリッサ大司祭の、おごそかな声。誓いの言葉。銀の指輪。
エミリアが、はにかみながら、マクシミリアンを見上げる。マクシミリアンが、両手でつつむように、その手を取った。
私の隣で、ノエルが、つないだ手に、そっと力をこめた。半年前の、私たちの婚儀を、思い出しているのかもしれない。
◇◇◇
日が暮れて、王宮の大広間で、祝いの夜会がはじまった。
シャンデリアの光。あふれる花。大陸じゅうから集まった、きらびやかな衣装の客人たち。マクシミリアンは王太子の側近、エミリアは高位貴族の令嬢。ふたりの婚礼には、近隣諸国の使節までが、祝いに駆けつけていた。
私は、ノエルの隣で、その客人たちに、挨拶を返していた。
ふと。
広間の隅に、見慣れない一団がいた。
南の小国の、使節だという。けれど、その目は、祝いの華やぎを、まるで見ていない。広間を、人を、出入り口を。値踏みするみたいに、しきりに、数えている。
なぜだろう。うなじを、つめたいものが、撫でていった。
「リリィ嬢」
声をかけてきたのは、フェルディナンド様だった。銀の鍵の徽章を光らせて、にこやかに杯を掲げながら、私にだけ聞こえる低さで続ける。
「あちらの方々から、目を離されませんよう。……祝いの席は、いちばん多くの耳が集まる場所にございます」
それだけ言って、フェルディナンド様は、何事もなかったように、別の客人の輪へ流れていった。
祝いの裏で、別の何かが、静かに動いている。華やかな広間が、急に、薄い氷の上のように思えた。
◇◇◇
夜会のなかば、エミリアが、広間の中央に立った。
「未婚のお嬢さんがた、集まってー!」
くるりと背を向けて、白い花束を、高くかかげる。令嬢たちが、きゃあきゃあと、その後ろに集まった。アマリアも、ベアトリスまでが、押されるようにして、輪の端に立っている。
私は、既婚の身だから、輪の外。少し離れて、その光景を、ながめていた。
「せーの!」
ブーケが、宙を舞った。白い花が、ふわりと弧を描いて、ベアトリスの腕の中に、すとんと落ちた。
きまじめなベアトリスが、めずらしく、耳まで赤くして、花束を抱えたまま、固まっている。広間が、わっと沸いた。
「次は、ベアトリスね!」
エミリアの声に、笑い声が広がる。
「リリィ」
隣に、ノエルが来ていた。私の手を取って、指を、からめる。
「次は……もう、お前の番だったな」
その蒼い瞳が、いたずらっぽく笑っていた。私たちは、もう、半年前に夫婦になっている。だから、ブーケなんて、待つまでもない。
「もう。ノエルったら」
頬が、熱くなる。けれど、つながれた指の温度がうれしくて、私は、その手を、握り返した。
◇◇◇
夜更け。客人たちが引きはじめた広間の隅で、ノエルとマクシミリアンが、低く言葉を交わしていた。
「マクス。今日くらい、仕事を忘れろ」
「そうもいかん。……あの南の使節、明日、フェルディナンド殿と洗う」
新郎は、白い正装のまま、もう、近衛隊長の目に戻っていた。
マクシミリアンの結婚は、ただのめでたい祝言ではない。軍を預かる隊長と、王太子の参謀団。その結びつきが、今日、いっそう固くなった。来るべき日のための、布陣のひとつ。
そのことに、たぶん、エミリアも、気づいている。それでも、晴れやかに笑って、嫁いでいった。守られるだけでなく、隣で、ともに立つために。
私も。
エミリアの後ろ姿を見ながら、私は、こぶしを、握った。
北の空の、つめたい星のことを、今夜だけは、忘れないでいよう。明日からも、この国の誰かが、それを、見張ってくれているのだから。
新しい夫婦の門出を、王宮じゅうの灯りが、いつまでも、祝っていた。




