第51話 婚儀
あれから、二年。
第二部の冬至から、二度の春、二度の夏、二度の秋を、私たちは過ごしてきた。
皇后陛下のご懐妊から、双子のご出産。
妹君のリリィ・ルクスと、弟君のニコラスが、王家に、ご誕生になった。
私は王立アカデミーの中等部を、卒業した。
ノエルは王太子として、ご公務を、本格的に始められた。
わが国は、陛下の三本柱の改革で、目に見えて豊かに、力強くなっていた。
ノースランド王国は、いまだ、不気味な静けさを保ちながら、わが国の動きを、じっと窺っている。
そして、今日。
冬至。
ノエル二十歳の、誕生日。
私、リリィ十六歳の、晴れの日。
ノエルとリリィの、成年宣言式と、ご婚儀。
◇◇◇
翼苑宮のお父さんとお母さんの私室。
私は、純白の絹のお衣装に、身を包んでいた。
裾には、銀の刺繍の聖女の十字と、夏至の白百合、それから冬至の銀月の意匠。
胸元には、王太子妃のしるしの、藍色のリボン。
ご婚儀の冠を、頭にいただく日のための、純白のドレス。
「リリィ」
お母さんが、私の長い髪を、青いリボンで、結い上げてくださった。
「ホーニング村のお家でも、お母さんがいつも、リリィの髪を、結っていたわね」
「うん、お母さん」
「お母さんが、リリィの髪を結ってあげるのも、これで最後ね」
お母さんの目に、涙が浮かんでいた。
「これからは、ノエル様の妃として、ノエル様のおそばで、髪を結ってもらうのね」
「お母さん」
私の頬を、涙が、ひと粒、流れた。
ホーニング村のお家からずっと、毎朝、お母さんが結んでくれた、青いリボン。
夏至の婚約式の朝も、お母さんのリボン。
アカデミーの初日も、お母さんのリボン。
聖女就任式の朝も、お母さんのリボン。
そして、ご婚儀の朝も。
◇◇◇
「リリィ」
お父さんが、扉のところで、お声をかけてくださった。
藍色の長いお召し物に、銀の縁取り。
胸元には、男爵の銀の盾と、農務省研究者の銀のペン。
そして、新しく授けられた、王太子妃の父としての、紫のリボン。
「お父さん」
「よく、頑張ったな、リリィ」
お父さんの大きな手が、私の頭にぽんと乗った。
「とうとう、リリィを、ノエル様にお預けする日が、来たな」
お父さんの目にも、涙が浮かんでいた。
「ありがとう、リリィ。はじめて森でノエル様を見つけたあの日から、ずっとノエル様のおそばに、いてくれて」
「うん、お父さん」
「これからも、ノエル様を、お支えしてあげてくれ」
「うん。ぜったいに」
ぎゅっと、お父さんに、抱きついた。
ホーニング村の薬草と、お父さんの手のひらの匂い。
ホーニング村の、お家の匂い。
私の、いちばん大切な、家族の匂い。
◇◇◇
王宮の大聖堂。
天井のはるか高いところから、銀の鎖でつながれた、いくつもの水晶のシャンデリア。
冬至の朝の光が、ステンドグラスを通して、白い大理石の床に、虹色の模様を描いていた。
大聖堂には、全大陸の外交使節、王宮の大臣、貴族の方々、わが国民の代表たち。
そして、王宮楽団の方々が、明るく、円舞曲の調べを奏でていた。
ノエル二十歳の、誕生日。
わが王太子の、成年宣言。
そして、聖女リリィとの、ご婚儀。
これほどの式典は、アーデルハイト王国の長い歴史の中でも、近年稀。
◇◇◇
私はお父さんと腕を組んで、大聖堂の入り口に立った。
白い絹のドレスの裾が、紫の絨毯の上に、ふんわりと広がった。
入り口の銀の扉が、ゆっくりと、開いていった。
大聖堂の中の、参列の方々が、いっせいに、私のほうを振り向いた。
そして、わあっと、息をのまれた。
「聖女様の、ご入場」
「リリィ・ホーニング様の、ご入場」
王宮楽団の音色が、円舞曲から、神聖な讃美の調べに、変わった。
私はお父さんと、紫の絨毯の上を、一歩、また一歩、歩み出た。
参列の方々の目線が、優しく、私を見守ってくださっていた。
◇◇◇
そして、祭壇の前。
ノエルが、立っていた。
王太子の正装。
濃い藍色のお召し物に、銀の刺繍。
胸元には、金色のライオンの王家の紋章。
肩から流れる、深い藍色のマント。
腰には、二年前の立太子の儀でいただいた、王家の剣。
長身が、まっすぐに、私を待っていた。
蒼い瞳が、私を、まっすぐに見つめていた。
ノエル。
二十歳の、ノエル。
長く、長く、私が待った、ノエル。
そして、いま、ノエルも、私を、待ってくれていた。
私の心臓が、ドキン、と高鳴った。
◇◇◇
お父さんが、私の手を、ノエルにお預けくださった。
ノエルの長い指が、私の左手を、しっかりと、握った。
「リリィ」
ノエルの低い声が、私の耳元に、響いた。
「うん、ノエル」
「ありがとう、リリィ」
ノエルの蒼い瞳に、涙が、溢れんばかりだった。
私は、ノエルを、まっすぐに見上げた。
ふたりで、祭壇の前に、並んだ。
◇◇◇
クラリッサ大司祭が、白いベールの下で、ご一礼くださった。
「これより、ノエル・アレクシス・アーデルハイト王太子殿下と、聖女リリィ・ホーニング様の、成年宣言式、ならびにご婚儀を、執り行います」
クラリッサ様のお声が、大聖堂の中に、しんと響いた。
「ノエル王太子殿下」
「はい」
「あなたは、本日、二十歳の成年に達せられました。これよりアーデルハイト王国の王太子として、わが国の民をお守りすることを、誓いますか」
ノエルの低い声が、響いた。
「誓います」
「聖女リリィ様」
「はい」
「あなたは、十六歳。本日、成年を迎えられます。これよりアーデルハイト王国の王太子妃として、また聖女として、わが国の民の癒しのために生涯を捧げることを、誓いますか」
私の声が、震えながら、けれど、しっかりと、響いた。
「誓います」
クラリッサ様が、深く、頷かれた。
◇◇◇
「続いて、ご婚儀」
クラリッサ様が、紫の絹に乗せた、二つの金の指輪を、祭壇の前にお運びくださった。
夏至の婚約式の銀の指輪から、ご婚儀の金の指輪へ。
ノエルが、ひとつの金の指輪を、私の左手の薬指に、お嵌めくださった。
銀の指輪の上に、金の指輪が、重なった。
そして、私も、もうひとつの金の指輪を、ノエルの左手の薬指に、お嵌めした。
ノエルの薬指で、金と銀が、ふたつ、しんと、輝いた。
「ここに、ノエル王太子殿下と、聖女リリィ様は、生涯の伴侶として、結ばれました」
クラリッサ様のお声が、大聖堂に響いた。
「神様の御前で、誓われたこの絆は、永遠でございます」
大聖堂の鐘が、深く、鳴り響いた。
◇◇◇
ノエルが、私の顔を、両手で、優しく包んだ。
ノエルの蒼い瞳が、まっすぐに、私を見つめていた。
そして、ノエルが私の額に、ご自分の額を、こつんと当てた。
「リリィ」
「うん、ノエル」
「やっと、お前を、迎えられた」
「うん。私も、ノエルのところに、来られたよ」
「ふん」
ふたりで、しんと、笑い合った。
そして、ノエルの唇が、私の額に、そっと、触れた。
参列の方々が、わあっと、歓声に包まれた。
「王太子殿下! リリィ妃殿下!」
「アーデルハイト王国、万歳!」
大聖堂の鐘が、いつまでも、いつまでも、鳴り響いていた。
◇◇◇
大聖堂の正面の、白い大階段。
その下に、一台の馬車が待っていた。屋根のない、白塗りの馬車。四頭の白馬が、銀の馬具を鳴らして、首を振っている。車体には、聖女の十字と、王家の金獅子。ふたつの紋章が、並んで描かれていた。
「リリィ妃殿下、足元にお気をつけください」
馬車の脇で、マクシミリアンが手を差し出した。藍色の近衛礼装に、白い手袋。腰には、磨き上げられた長剣。
「ありがとう、マクシミリアン様」
差し出された手を借りて、馬車に乗る。続いて、ノエルが私の隣に腰を下ろした。
「本日の巡行、私が先導いたします。城下のすみずみまで、おふたりのお姿を、しかとお見せしましょう」
マクシミリアンが、ノエルに向かって口の端を上げた。
「頼んだぞ、マクス」
「言われるまでもない。剣の稽古より、よほど気楽だ」
ノエルとマクシミリアンが、目を見交わして笑った。幼いころから剣を打ち合ってきた、ふたりだけに通じる合図みたいだった。
マクシミリアンが白馬にまたがり、剣を高く掲げる。近衛の騎兵たちが、馬車の前後に隊列を組んだ。
◇◇◇
馬車が、ゆっくりと動き出した。
大聖堂の門をくぐると、目の前に、ライツェルンの大通りが、一直線に伸びていた。
光の都、ライツェルン。
石畳の両側を、人が埋め尽くしていた。見渡すかぎり、どこまでも、人。
「聖女様だ!」
「ノエル殿下、ご成婚おめでとうございます!」
「リリィ妃殿下ーーっ!」
歓声が、波のように押し寄せてくる。二階の窓から、屋根の上から、色とりどりの花びらが舞い落ちてきた。白、赤、薄紅。冬至の空の下、街じゅうが春みたいに花で埋まっていた。
私は、息を呑んだ。
これほどの人を、生まれて初めて見た。ホーニング村なら、村人をぜんぶ集めても五百人。けれど、ここには、その何百倍もの人が、私とノエルの名を呼んでいる。
「リリィ」
ノエルが、私の手を握った。
「手を振ってやってくれ。みんな、お前を待っていた」
「うん、ノエル」
震える手を上げて、民のほうへ振る。
どっと、ひときわ大きな歓声が、空へ弾けた。
◇◇◇
馬車は、商業区へと進んでいった。
パン屋の主人が、焼きたての匂いの漂う店先で、エプロンを振っている。花屋の娘が、抱えきれないほどの花束を、馬車に投げてくれた。
職人街では、鍛冶屋の親方が、煤だらけの顔をくしゃくしゃにして、両手を打ち鳴らしていた。仕立て屋の女将さんたちが、窓から身を乗り出して、ハンカチを振っている。
噴水広場には、子どもたちが集まっていた。
「リリィさまー!」
「およめさん、きれいー!」
小さな手が、いっせいにこちらへ伸びる。私は、その一人ひとりに、手を振り返した。
ある女の子が、お母さんの肩車の上から、白い花の冠を、両手で掲げて見せてくれた。たどたどしく編まれた、小さな花の冠。
胸の奥が、じんと熱くなった。
薬草売りの娘だった私。森で、呪われた男の子を、ただ看病していただけの私。そんな私が、いま、この国の民に、これほどまでに祝福されている。
私なんかが。
ふいに、そう思った。
けれど、隣のノエルが、私の手を握り直してくれた。
「お前は、この国の、聖女だ」
ノエルの蒼い瞳が、私を見ていた。
「俺の、妃だ。胸を張れ、リリィ」
「……うん、ノエル」
こぼれそうな涙をこらえて、私はもう一度、民のほうへ手を振った。
◇◇◇
馬車は、大通りをぐるりと巡り、王宮へと帰っていく。
沿道の歓声は、王宮の門が見えるまで、途切れることがなかった。
ノエルが、街を見渡しながら、ぽつりと言った。
「この民を、お前と、守っていく」
「うん」
「長い道のりに、なる。それでも」
ノエルの手に、力がこもった。
「お前が隣にいてくれるなら、俺は、迷わない」
私は、ノエルの肩に、頭をもたせかけた。
冬の風が、頬を撫でていく。冷たいのに、ちっとも寒くなかった。
◇◇◇
巡行を終えた私とノエルを、王宮の大広間が、待っていた。
ダンスパーティ。
王宮楽団が、華やかな円舞曲を奏ではじめた。
陛下と、すっかりお元気になられた皇后陛下が、私たちを、優しく見守ってくださっていた。
皇后陛下のお膝の上に、双子のリリィ・ルクスとニコラスが、ちょこんと座っていた。
ふたりとも、二歳。
王家の蒼い瞳と、皇后陛下の金髪を、受け継いでおられた。
「リリィおねえちゃま」
リリィ・ルクスが、ちっちゃな声で、呼んでくれた。
「うん、ルクスちゃん」
私は、ルクスの頭を、そっと撫でた。
ニコラスが、私のドレスの裾を、ぎゅっと握った。
「リリィおねえちゃま、きれい」
ニコラスのちいさな声に、私の頬を、涙が、ひと粒、流れた。
ルクスとニコラス。
ノエルの、弟と妹。
私の、新しい家族。
◇◇◇
ノエルが、私の手を取って、大広間の中央へ、エスコートしてくれた。
王宮楽団の音色が、ふたりの円舞曲に、変わった。
ノエルの長身の腕が、私の腰に、添えられた。
「リリィ」
「うん、ノエル」
「これから、ずっと、隣にいてくれ」
「うん、ノエル。ぜったいに」
ふたりで、円舞曲の調べに、身を委ねて、回った。
参列の方々の優しい目線が、私たちを、つつんでくれていた。
◇◇◇
続いて、お父さんとお母さんのダンス。
陛下と皇后陛下のダンス。
そして、参列のすべての方々のダンス。
大広間は、笑顔と円舞曲、シャンパンと祝福に、満ちていた。
王宮楽団のソリスト、アマリア・クラインが、特別なソロを歌った。
エルフ族の声楽家たちと、ご一緒に、人とエルフの融合した、新しい音色。
「リリィとノエル、おめでとう」
エミリアが、駆け寄ってきてくれた。
「リリィ、私、すごく、嬉しい」
「うん、エミリア。私も。マクシミリアン様との結婚も、来年、楽しみにしているね」
ベアトリスとアマリアも、駆け寄ってきてくれた。
ヴィクトル、マクシミリアン、ルートヴィヒも、それぞれの婚約者と一緒に。
ルートヴィヒとアリエラが、ご挨拶にいらした。
「ノエル、リリィさん、おめでとうございます」
「ありがとう、ルート」
ノエルが、いとこのルートヴィヒの肩を、ぐっと抱いた。
アンナとメイも、看護師・助産師の制服で、王宮に駆けつけてくれていた。
「リリィ、すごく綺麗」
「アンナ、メイ、ありがとう」
家族。
友人。
家族のお家。
わが国の、すべての温かさ。
私のすべてが、この大広間に、ふっくらと、集まっていた。
◇◇◇
そして、ご婚儀から数日。
ノエルと私は、新しく改装の終わった、皇太子宮にお引っ越し。
ご夫婦の寝室、リリィの祈祷室、ノエルの執務室、ふたりだけの応接間。
これからの私たちの、新しいお家。
「リリィ」
「うん、ノエル」
ノエルの蒼い瞳が、新しいお部屋の窓の外の、冬の月を見つめていた。
「これから、長い、長い、戦いが、待っている」
「うん、ノエル」
「ノースランドは、まだ、諦めて、いない」
「うん」
「けれど、お前が、隣にいてくれるなら、俺は、なんでも、できる」
ノエルが、私を、しずかに、抱きしめた。
私の頬を、また、涙が伝った。
ノエルと私の、新しい旅路。
長い、長い、これからの日々。
けれど、私たちは、もう、ひとりじゃない。
王宮の窓の向こうで、冬至の月が、しんしんと、白く光っていた。




