第47話 夏至
夏至。
私の十三歳の誕生日。
王宮の朝が、まだ薄明るい頃。
お部屋の窓の向こうで、空が、白く、明けはじめていた。
夏至の朝。
陽の極み。
私が、聖女として、わが国に、お認めいただく日。
お父さんが、男爵に、お叙任になる日。
そして、ノエルとの、ご婚約式の日。
三つの式が、ひとつの大きな日に。
◇◇◇
「リリィ様、おはようございます」
クラリッサ様が、白いベールの下で、おだやかに微笑んだ。
「今日はわたくしが、ご支度をお手伝いいたします」
クラリッサ様のお手には、純白の絹のお衣装。
長い裾には、銀の刺繍の聖女の十字と、夏至の白百合の意匠。
胸元には、藍色のリボン。
「リリィ様、こちらが、聖女のご就任のドレスでございます」
「はい」
胸が、ぐっと、震えた。
聖女のドレス。
これを纏う日が、ついに、来た。
◇◇◇
クラリッサ様が、ドレスを、お身体に、そっと包んでくださった。
白い絹が、しんと冷たく、頬に触れた。
長い髪は、お母さんが結んでくれた青いリボンで、結い上げられた。
頭には、聖女の白い薄絹のベール。
胸元には、銀の十字と、夏至の白百合。
ーー、!
鏡の中の私は、ふだんの私とは、ちがう。
聖女の、リリィ・ホーニング。
頬が、わずかに、赤らんだ。
◇◇◇
王宮の大広間。
天井のはるか高いところから、銀の鎖でつながれた、いくつもの水晶のシャンデリア。
その光が、白い大理石の床を、まばゆく照らしていた。
紫の絨毯が、大広間の中央を、玉座までまっすぐに伸びていた。
両側には、王宮の大臣、貴族の方々、大聖堂の聖職者の方々が、列をなして、立ち並んでいた。
大広間が、しんと、静まっていた。
夏至の三式。
わが国の、長い、長い、歴史の中でも、これほど大きな式典は、めったにない。
◇◇◇
陛下が、玉座にお座りになっていた。
濃い藍色のお召し物に、銀の刺繍。
胸元には、金色のライオン。
肩から流れる紫のマント。
その隣に、皇后陛下。
ずいぶんお元気になられた、皇后陛下のお姿。
白い薄絹のドレスに、青いショール。
頬には、まだお痩せていらっしゃるけれど、ほんのり桃色の血色がもどっていた。
長い金髪に、銀のティアラ。
陛下のお隣の白いお椅子に、ゆっくりと、お腰をおかけになっていた。
ーー、!
「皇后様だ」
「皇后様が、お席にいらっしゃっている」
「あの、ご病気で長く伏されていた皇后様が」
大広間が、どよめいた。
参列の方々の目が、いっせいに、皇后陛下のお姿に、注がれた。
皇后陛下のご快復は、いまも、対外的には、内密。
けれど、この大広間にお集まりの方々は、わが王家の腹心。
お元気になられた皇后陛下の、本当のお姿を、ここでお披露目になる。
胸が、いっぱいになった。
◇◇◇
陛下が、玉座を、お立ちになった。
威厳のあるお声が、大広間に、響き渡った。
「わが大臣たち、わが貴族たち、わが大聖堂の方々」
「今日、夏至のこの日、わが国は、新しい一歩を、踏み出す」
「これより、わが王国は、富国強兵の旗を、高く掲げる」
大広間が、ざわめいた。
「三つの柱で、わが国を、強くする」
「ひとつ、農地改革」
「ふたつ、公共整備」
「みっつ、殖産興業」
陛下のお声が、深く、とどろいた。
「領地では、街道の整備、教育の整備、孤児院の整備を、推進せよ」
「農地改革も、進める」
「農地からの収穫高を、二倍にする」
「豊かな土で知られるホーニング村より、肥料の作り方に熟達した農業指導者を、全国に順に、派遣していく」
「各領地に、農業指導者を任命し、すべての農地を、豊かな畑へと、変えていく」
「わが国の三本柱で、わが国の民を、豊かに、強くする」
「これより、貴族と、わが国民が、ともに力を合わせ、わが国を、繁栄に、導くのである」
「わが王国に、栄光を」
大広間の貴族の方々が、いっせいに、頭を垂れた。
そして、わあっと、歓声があがった。
「陛下、万歳!」
「わが王国に、栄光を!」
貴族の方々が、わが王国の新しい政策に、心から、湧いている。
農地改革、公共整備、殖産興業。
わが国の、新しい一歩。
胸が、熱くなった。
◇◇◇
玉座の前に、ノエル。
王太子候補の正装。
濃い藍色のお召し物に、銀の刺繍。
腰には、銀の細工の剣。
肩から流れる、深い藍色のマント。
長身。
もう、杖は、ない。
ここ数日で、ノエルは日焼けして、たくましく、なっていた。
十六歳の、ノエル。
ノエルの目が、扉のほうへ向けられていた。
私を、待ってくれている。
◇◇◇
クラリッサ様のお先導で、私は、大広間の入り口に立った。
白い絹のドレスの裾が、紫の絨毯の上に、ふんわりと広がった。
大広間の鐘が、ひとつ、しずかに鳴った。
私は、一歩、紫の絨毯の上を、歩み出た。
両側の方々の目線が、いっせいに、私に注がれた。
緊張で、指先が、ぴくり、と震えた。
けれど。
玉座の前のノエルが、私を、まっすぐに見ていた。
大丈夫。
ノエルが、隣にいる。
私は、一歩、また一歩、紫の絨毯の上を、進んでいった。
◇◇◇
玉座の前に、たどり着いた。
私は、深くお辞儀をした。
陛下が、玉座をお立ちになった。
威厳ある声が、大広間に、響き渡った。
「聖女リリィ・ホーニング、面を、上げよ」
「はい、陛下」
私は、まっすぐに、顔を上げた。
陛下の蒼い瞳が、私を、優しく見つめておられた。
クラリッサ様が、紫の絹に乗せた、聖女の銀の冠を、玉座の前にお運びになった。
ふっくらと丸い銀の冠に、夏至の白百合の意匠。
「リリィ・ホーニング、これより、わが国の正式な聖女として、神に仕え、国の民に、癒しの力を、授けよ」
「はい、陛下」
陛下が、銀の冠を、私の頭にお乗せくださった。
ーー、!
聖女の冠。
軽やかに、けれど、ぴたりと、頭に、収まった。
身体の中の、聖女のお力が、ふっと、目覚めるのを感じた。
ーー、神様。
これから、ずっと、お国の民の癒しのために、私は、わが命を、捧げます。
大広間の方々が、いっせいに、こうべを垂れた。
「わが国の、新しい聖女に、栄光を」
陛下の声が、響き渡った。
◇◇◇
続いて、お父さん。
藍色の長いお召し物に、銀の縁取り。
胸元には、新しく授けられる、男爵のしるしの、銀の盾。
お父さんが、玉座の前に、立ち並んだ。
「ジョン・ホーニング、面を、上げよ」
陛下の声が、続いた。
「はい、陛下」
お父さんが、顔を上げた。
フェルディナンド様が、紫の絹に乗せた、男爵の銀の指輪と、剣を、玉座の前にお運びになった。
陛下が、お父さんの右手の指に、銀の指輪をお嵌めくださった。
そして、銀の細工の剣を、お父さんの腰にお下げくださった。
「ジョン、これより、わが王国のホーニング男爵として、わが王家に仕え、聖女リリィの父として、国の繁栄を、守るのだ」
「はい、陛下」
お父さんの声が、強く、響いた。
二十年ぶりに、王宮で、爵位を授かる、お父さん。
お母さんが、お父さんの後ろで、ハンカチで、目元を押さえていらした。
お兄ちゃんも、目元を、赤くしていた。
目頭が、じんと、熱くなった。
◇◇◇
そして、最後に。
ノエルが、私の隣に、進み出た。
ノエルの蒼い瞳が、まっすぐに、私を見つめた。
「わが国民、わが大臣、わが外交使節たち」
陛下の声が、ふたたび、大広間に響いた。
「これより、わが息子ノエル・アレクシス・アーデルハイトと、聖女リリィ・ホーニングの、婚約式を、ここに、執り行う」
ーー、!
心臓が、ドキン、と高鳴った。
ノエルが、私の左手を、長い指で、優しく取った。
フェルディナンド様が、紫の絹に乗せた、二つの銀の指輪を、玉座の前にお運びになった。
ノエルが、ひとつの銀の指輪を、自分の指で取り、私の左手の薬指に、嵌めてくれた。
ーー、!
ノエルの、指輪。
私の指に。
指先が、わなわなと、震えた。
そして、私も、もうひとつの銀の指輪を、自分の指で取って、ノエルの左手の薬指に、嵌めた。
私の手の中で、ノエルの指輪が、ぴたりと、おさまった。
ノエルの目が、わずかに、揺れていた。
◇◇◇
「わが息子ノエルと、聖女リリィを、ここに、正式な婚約者として、宣する」
陛下の声が、大広間に、満ちた。
大広間の方々が、いっせいに、深く礼をした。
そして、ふたたび、大広間の鐘が、ひとつ、響いた。
夏至の、三式。
聖女就任。
男爵叙任。
そして、ご婚約。
三つの大きな結びの日が、わが王家と、ホーニング家を、結びつけた。
頬を、涙が、ずっと、流れ続けていた。
◇◇◇
三式が終わると、大広間の楽団が、明るい音色を、奏ではじめた。
「ご婚約のお祝いに」
陛下のお声が、響いた。
ノエルが、私の手を取り、紫の絨毯の上を、大広間の中央へとエスコートしてくれた。
楽団の音色が、ゆったりとした円舞曲に変わった。
私とノエルの、はじめての、公式なダンス。
ノエルの長身の腕が、私の腰に、しっかりと添えられた。
私の右手が、ノエルの肩に、左手は、ノエルの右手と、組み合わさった。
「ーー、リリィ」
「うん、ノエル」
「ーー、よく、頑張ったな」
ノエルの低い声が、耳元に、響いた。
頬が、染まった。
ふたりで、円舞曲の調べに、身を委ねて、ゆっくりと回った。
参列の方々の目が、温かく、私たちを見守ってくださっていた。
◇◇◇
「続いて」
陛下の威厳あるお声が、大広間に響いた。
陛下が、皇后陛下に、お手を、お差し伸べになった。
皇后陛下が、白いお椅子から、ゆっくりとお立ちになって、陛下のお手を取られた。
ーー、!
「皇后様も、踊られる」
「あの、長くご病気でいらした皇后様が」
大広間が、ふたたび、どよめいた。
陛下と皇后陛下が、大広間の中央へ、ゆっくりと、進み出られた。
長く、離れていらしたご夫婦。
ふたりが、楽団の調べの中で、ご一緒に、しんと、踊られた。
皇后陛下が、しあわせそうに、微笑んでおられた。
陛下が、皇后陛下だけを、いつくしむように、ご覧になっていた。
参列の方々が、いっせいに、拍手なさった。
「陛下! 皇后様!」
「またお二人そろったお姿を、拝見できるとは!」
大広間が、大きな喝采に、包まれた。
◇◇◇
そして、ダンスパーティが、はじまった。
楽団の音色が、華やかに、大広間にひろがった。
貴族の方々が、ご夫婦やご令嬢と、いっせいに、ダンスフロアにお出になった。
紫の絨毯のうえで、いくつもの円舞曲が、舞い踊った。
皇后陛下は、ひと曲だけお踊りになったあと、お疲れになるため、用意された白いテーブル席へ、ゆっくりと、お腰をおかけになった。
貴族の方々が、つぎつぎと、皇后陛下のテーブル席へ、ご挨拶にお伺いになった。
「皇后陛下、ご快復、誠におめでとうございます」
「皇后陛下、お会いできて、こんな日が来るとは」
「皇后陛下、ご無事のお姿、本当に、本当に」
皇后陛下が、ひとりひとりに、お礼をおっしゃった。
「ありがとう」
「みんなのおかげで、ここまで、戻ってこられました」
貴族の方々の目に、ぽろぽろと、涙が浮かんでいた。
◇◇◇
ご挨拶にいらした貴族の方々には、お一人ずつ、銀のお瓶に入った滋養強壮薬が、お礼の品として、贈られた。
「この滋養強壮薬は、わが王国のホーニング男爵が開発した、新薬でございます」
ジョン男爵のお声が、その品の脇に、添えられた。
「ある程度の大量生産が、可能となっております」
皇后陛下が、ご自分のお口から、口々に、お勧めくださった。
「私、この滋養強壮薬のおかげで、ずいぶん、お元気を取り戻すことが、できました」
「皆様にも、ぜひ、お試しいただきたく」
貴族の方々が、銀のお瓶を、両手で、お受け取りになった。
「皇后様、ありがとうございます」
「貴重な滋養強壮薬を、誠に、ありがとうございます」
◇◇◇
そして、王宮の中で、もうひとつの計画が、進みはじめていた。
ジョン男爵と、フェルディナンド宰相のご子息が、共同で、この滋養強壮薬の工場経営に乗り出す計画。
工場での、大量生産。
国中の貴族や、富裕の平民の方々の手元に、お届けする、新薬の流通。
わが国の医療の、新しい一歩。
◇◇◇
大広間のすべての参加者の顔が、興奮に、輝いていた。
三つの式典ーー聖女就任、男爵叙任、ノエルとリリィのご婚約。
そして、陛下の三本柱の新しい政策。
さらに、皇后陛下の、長年のご病気からのご快復。
わが国の、行く末への、確信。
近年稀な、素晴らしい吉報に、満ちた、夏至の式。
紫の絨毯の上で、楽団の音色が、いつまでも、響き続けていた。
◇◇◇
夏至の三式から、ひと月。
陛下の三本柱のお政策ーー農地改革、公共整備、殖産興業ーーが、わが国の新聞に、いっせいに掲載された。
王都の街角でも、地方の村でも、人々が、新しい政策のお知らせを、目にした。
各領地では、街道の整備、教育の整備、孤児院の整備のための、労働者の募集がはじまった。
平民が、新しい仕事を求めて、領地の役所に、ぞくぞくと集まった。
集まった平民は、ひとりずつ、名前と、出身と、家族の構成を、役所に届け出た。
そして、新しく発行された、アーデルハイト王国の身分証を、受け取った。
わが国の、戸籍改め。
すべての民が、お国に正式に、名前を、登録する。
身分証のない者ーーすなわち、ならず者と、不法に滞在している者ーーは、お国の労働者の登録の場で、すぐに、見抜かれた。
ならず者と、不法滞在者の、摘発が、すすめられた。
その多くが、鉱山に送られた。
わが国の中から、闇のお力が、すうっと、ぬぐわれていく。
◇◇◇
夜。
王宮の薔薇園。
夏至の薔薇が、白く、紅く、咲き乱れていた。
その薔薇のあいだに、ノエルが、立っていた。
「リリィ」
ノエルの低い声が、響いた。
「うん、ノエル」
私は、ノエルの隣に、歩み寄った。
ノエルが、私の左手を、自分の手のひらに、包んでくれた。
ノエルの薬指の銀の指輪と、私の薬指の銀の指輪が、夏至の月の光の下で、ふたつ、しんと、光った。
「ーー、リリィ」
「うん」
「ーー、……ありがとう」
「もう、へんなノエル」
私はクスッと、笑ってしまった。
「ーー、なんだそれ」
ノエルが、口の端を、すこし、上げた。
そして、私の頭を、ぎゅっと、自分の胸に引き寄せてくれた。
ノエルの胸の温度が、夏至の夜の空気の中で、しっかりと、温かかった。
「ーー、リリィ、これからも、よろしくな」
「うん、ノエル。こちらこそ」
ふたりで、薔薇の香りの中で、しんと、笑い合った。
夏至の月が、白く、大きく、王宮の薔薇園を、照らしていた。




