第44話 同寝
私室での懇談が始まる前。
陛下は、すでにフェルディナンド様に、王宮ーーアーデルハイト王城ーーの奥の引っ越しのご指示を出されていた。
懇談が続いているあいだも、王宮の奥では、大至急の引っ越しが進んでいた。
大工と、メイドと、衛兵が、王宮の中をぱたぱたと駆け回っていた。
皇后陛下のお寝室を、ご移動。
ご静養のため、長く、離れの奥のお部屋でお眠りになっていた皇后陛下。
そのお寝室を、もとの場所、陛下のご寝室のお隣のお部屋へ、お戻しする。
ベッド、お衣装、お薬棚、すべてが、テキパキと、お運びされていく。
ーー、長く離れて過ごされていたご夫婦が、ようやく、お隣どうしのお部屋で、お過ごしになれる。
嬉しさが、ふくらんだ。
◇◇◇
皇后陛下のお部屋。
広々とした、白い大理石のお部屋。
高い天井からは、銀の鎖でつながれた、水晶のシャンデリア。
南向きの広い窓には、白い薄絹のカーテンが、垂れている。
お部屋の中央に、白い天蓋付きのベッド。
四隅の柱には、銀の刺繍の入った深い藍色の天蓋布が、ゆったりと垂れていた。
枕元には、白百合の花瓶。
ベッドの脇には、お薬とお水の置かれた、白い大理石のテーブル。
窓辺には、藍色の絨毯と、ご静養のお身体を支える、白い長椅子。
壁には、王家の紋章ーー金色のライオンが、銀の額に収められて飾られていた。
このお部屋に、皇后陛下が、二十年ぶりに、お戻りになる。
◇◇◇
皇后陛下のお部屋の、もうひとつ隣のお部屋。
ここに、看護チームの詰所が設えられていた。
ちっちゃなキッチンと、薬草棚。
奥には、お父さんとお母さんが、交代で休めるよう、最低限の簡易のベッド。
ハインリッヒ先生のお椅子と、お机。
エリックとヘンリックが週末に詰めるための、もうひとつのお机。
そして、看護チームの詰所と、皇后陛下のお部屋は、続き部屋。
廊下をお出になることなく、お薬を運べるようになっていた。
◇◇◇
そしてもうひとつ。
ノエルの寝室の隣に、私の私室。
このお部屋は、もとはノエルの薬や看病に必要なものが置かれている看護のお部屋で、私もここを利用させてもらっていた。
ノエルの寝室と続き部屋。
廊下に出ることなく、ノエルの薬を、運べるようになっていた。
お薬を調合するための、作業台の木のテーブル。
その日のご容体や、お薬の記録をメモするための、木のデスク。
デスクの隣には、薬草に関する書棚。
壁際には、薬草棚と、小さなキッチン。
ぜんぶ、そのままに。
その一角に、新しく、衣装部屋があつらえられていた。
私が客間に置かせてもらっていた荷物も、その日のうちに、この私室に運ばれた。
と言っても、数着の衣類と、薬草のノート。
ホーニング村から、ほんのちょっとしか、持ってきていなかった。
ーー、これからもノエルの薬は、私が、この私室で煎じる。
明日からは、早朝の陛下と皇后陛下のお薬も、私が煎じて、お届けすることになった。
お昼と夜のお薬は、お父さんとお母さんが作ってくれる。
ただ、お父さんとお母さんは、いったんホーニング村に戻って、長年の荷物を、翼苑宮に運ぶ。
二人が不在のあいだは、ノエル、陛下、皇后陛下のぜんぶのお薬を、私がご用意する。
陛下はご病気ではないけれど、お疲れに効く滋養強壮薬を、毎朝、お届けすることになった。
毎朝、神様にお祈りを捧げて、神聖力を授かったうえで、作る。
ーー、私のいちばん大切な、お役目のための、お部屋。
◇◇◇
そして、王宮の中の、もうひとつのお引っ越し。
王宮の東側、薬草園に近い、翼苑宮。
そのお宮を、お父さん、お母さん、お兄ちゃんのお住まいとしてお与えになる、と陛下のご指示。
ここは、かつて、王家のご親族がお住まいになっていた、由緒あるお宮。
けれど、いまの王家は、ご祖父様も、ご祖母様も、もうおられない。
陛下の妹君は、お若い頃に臣下にお嫁ぎになり、王家を離れていらした。
その血脈を、受け継ぐのは、陛下とノエル、たったお二人だけ。
それでも、陛下は、長年、皇妃や側妃を、お迎えにならなかった。
皇后陛下とノエルの、医学的に不可解なご症状。
それが解明されるまでは、皇妃や側妃を娶らない、と陛下は公言なさっていた。
ノエルの命が、途絶えそうになったあのとき。
王宮では、側妃の話が密かに持ち上がった。
けれど、ノエルがご快復の知らせと共に、王宮に再び戻ってきたあのとき。
その話は、立ち消えとなった。
長いあいだ、翼苑宮は、ひっそりと、空いたままだった。
その由緒あるお宮を、お父さん、お母さん、お兄ちゃんに、お与えくださる。
白い大理石の小さなお屋敷。
正面には、銀の門と、フェルディナンド様お手配の衛兵が、二人。
中庭には、いずれお母さんが薬草園を作るための、空き地。
いまは、まだ手が回らず、草ぼうぼうのまま、放置。
お屋敷の中には、お父さんとお母さんのご寝室、お兄ちゃんのお部屋(ふだんは医学校の寮にお住まい、週末だけお戻りになる)、家族の食堂と、応接間。
そしてお屋敷の中央の大広間ーーかつてはご親族の方々がご晩餐をなさっていた、広いお部屋ーーを、お父さんが、新薬を考えるための研究室として、お使いになることになった。
お屋敷の隣の倉庫は、たくさんの薬草を保管するための、薬草庫となった。
そして、お屋敷の中の調理場は、複数の料理人が同時に入れるくらいの、広々とした厨房。
ホーニング家と、使用人の分まで、ぜんぶをまかなえるほどの、十分な調理スペース。
ーー、王宮の中に、ホーニング村の私のお家が、もうひとつ、できたみたい。
大工が夕暮れまで、ぱたぱた、ぱたぱた、と工事の音を響かせていた。
◇◇◇
お昼間。
引っ越しの作業が進む中、王宮御用達のデザイナーが、私の私室にやってきた。
採寸のため。
ノエル、お父さん、お母さん、お兄ちゃん、それから、私。
陛下と皇后陛下のご採寸も、それぞれのお部屋で、別途行われたらしい。
これからのご公務、ご婚約式、聖女就任式、男爵授与式、そして毎日の王宮の中での装い。
ぜんぶの寸法を、デザイナーの方々が、丁寧に記録した。
ーー、ノエルと私の王立アカデミーの制服は、パターンがすでに決まっているため、一週間ほどで仕上がる、とのこと。
ご婚約式と聖女就任式のお衣装は、ひと月ほどかけて、お仕立てしていただける。
家族のぜんぶの寸法が、革表紙の帳面に、書きとめられていった。
◇◇◇
夜。
私の私室。
クラリッサ様が、私のご支度をお手伝いくださった。
寝間着の白いネグリジェ。
長い髪を、そっとおろした。
「リリィ様、おやすみなさいませ」
「うん、クラリッサ様。おやすみなさい」
クラリッサ様が、ノエルの寝室の前まで私をお送りくださって、廊下へ出ていかれた。
夫婦のお部屋には、クラリッサ様は、お入りにならない。
◇◇◇
ノエルの寝室。
これまでと同じ、王宮の奥のお部屋。
深い藍色を基調とした、落ち着いた男子の寝室。
高い天井からは、銀の鎖でつながれた、藍色の硝子の入った銀のシャンデリア。
東向きの広い窓には、深い藍色の重い厚手のカーテン。
朝の光が入りすぎないよう、二重に重ねてある。
壁際には、ノエルの書斎机と、革張りの椅子。
そのうえに、ご本と、銀のインク壺と、革表紙の手帳。
別の壁には、深い藍色の服が並ぶ衣装簞笥と、銀のドアノブ。
壁には、王家の紋章ーー金色のライオンと、ノエルの名前の銀の刻印。
そして、お部屋の中央に、新しく、白い天蓋付きの広いベッドが、用意されていた。
四隅の柱には、白いレースのお布が、ふんわりと垂れている。
私とノエルが、これから一緒に、休むための、ふたり用のベッド。
白くてやわらかい毛布。
枕元には、お母さんが結んでくれたのと同じ、青いリボン。
私はベッドの脇に座った。
心臓が、どくん、どくん、と早鐘を打ちはじめた。
ノエルと、同じお部屋。
夜、はじめて。
緊張が、ふくらんだ。
◇◇◇
ノエルが杖をついて、お部屋の中の小さな応接間に歩み寄ってきた。
天蓋付きのベッドの脇の、しっとりとした応接間。
ノエルもいつもの寝間着のような、深い藍色の服。
ノエルの蒼い瞳が、私を見つめた。
「リリィ」
「うん、ノエル」
しばらく、お部屋がしんとなった。
ふたりとも、何を話したらいいか、わからない。
ふたりとも、頬が桃色になっている。
ノエルが、口の端を上げた。
「ーー、こないだの、件だけど」
私の心臓がどきんと跳ねた。
ーー、押し倒しの夜の、あの件、だろうか。
「リリィを、泣かせたいって、寝てる時に、考えてた、あれ」
「うん、ノエル」
「嘘なんだ」
「そうだったの、ノエル」
ノエルが、口の端を、すこし、上げた。
「本当はさ」
「うん」
「ーー、あんなもんじゃなく、もっとリリィをメチャクチャにしてやろうって考えてたんだ」
ノエルが低く笑った。
「な、何よ、それ!」
「酷いわ、ノエル」
私はノエルの胸に、ぽかぽかと小さく拳をぶつけた。
ノエルがあははははと、笑い続けた。
「そうだよ、俺はひどい奴だよ」
「幻滅しただろ、リリィ?」
「ううん」
私もクスッと、笑ってしまった。
「ノエルがひどいことばっかり言ってくるなんて、昔から、ずっとだもの」
そして、ふたりで顔を見合わせ、あははははと、声を立てて笑い合った。
緊張が、ほどけた。
◇◇◇
ふと、目が合った。
まっすぐな、ノエルの瞳。
私の頬が、火照った。
「ーー、なんだよ、リリィ」
ノエルが杖を脇に置いた。
そして、私の肩を、ぐっとしっかり、引き寄せた。
ノエルの胸に、私の頬が沈んだ。
ノエル。
ノエルの胸の温度。
いつもよりずっと、熱い。
「リリィ」
ノエルの低い声が、私の頭の上で響いた。
「うん、ノエル」
「ーー、俺が、リリィを守るからな」
「どんなことがあっても」
「だから、俺のそばから、離れるな」
「わかったか」
私の頬を、涙がぼろりと流れた。
「うん、ノエル。離れない」
ノエルの手が、私の肩をさらに、強く引き寄せた。
「ーー、お前だけだよ、俺をイラつかせるのは」
私の頬が、真っ赤に染まった。
「お前は、自分を、いちばん大切にしてくれ」
ノエルの声が、わずかに震えた。
「うん、ノエル」
私の頬を、一筋の涙が流れた。
◇◇◇
ノエルが、息を吐いた。
「ーー、疲れたから、寝るぞ、リリィ」
「うん、寝よう」
ノエルが、天蓋付きのベッドの片側に、身を横たえた。
私もノエルの隣に、身を横たえた。
ひとつの大きなベッドの中で、私たちは隣り合って、目を閉じた。
ノエルの息遣いが、私の右側で、すうっと聞こえていた。
「ノエル」
「ーー、ふん」
「おやすみなさい」
ノエルの手が、毛布の中で、私の指先に、こつん、と触れた。
ノエルの声が、温かく響いた。
その奥に、やわらかさが、混じっていた。
王宮の窓の向こうで、春先の月が、しんしんと、白く光っていた。
ーー、初めての、同室の夜。
緊張は、もう、ほどけた。
ノエルの隣で、目を閉じる。
ノエルの温もりが、私のすべてを、つつんでくれていた。




