第42話 拝謁
魔道具発見から二日が過ぎた。
フェルディナンド様の馬車が、その朝、ホーニング村から王都へ戻ってきていた。
黒塗りの車体に金の縁取り。
扉の上には、フェルディナンド伯爵家の銀の馬の紋章。
四頭立ての栗毛の馬が、白い息をやわらかく吐きながら、ゆっくりと進んでくる。
御者台には黒い外套の御者と、その隣に伯爵家の若い従者。
王宮の正門の白い大理石の階段。
私は聖女のドレスのままで、その階段の上に立っていた。
ぎゅっと、両手を胸の前で握りしめた。
お父さん、お母さん、お兄ちゃん。
八ヶ月ぶり。
もう一度、お会いできる。
胸の奥が、ぐっと深く、ふくらんだ。
◇◇◇
馬車がそっと、正門の前に止まった。
衛兵が扉を開けてくれる。
最初に降りてこられたのは、お父さん。
ホーニング村にいた頃と同じ、藍色の長いお召し物。
裾はくるぶしまで、襟元には銀の細い縁取り。
腰には黒い革のベルト。
そのベルトに、薬瓶のいくつか入った革の小袋を、しっかりと下げていらした。
藍色の髪に、銀色の混じった、整えられた短いお髭。
深いみどりの瞳が、私の方を、まっすぐに見つめてくださった。
肩には、ホーニング村のお家からずっと一緒の、古い木箱。
お父さんが馬車に向かって、お手を差し伸べた。
その手を取って、お母さんが、しずしずと馬車から降りられた。
蜂蜜色のショールの下に、白いドレス。
裾には、白い小さなお花の銀色の刺繍。
頭から薄く、白いベール。
長い蜂蜜色の髪は、肩のあたりで、ひとつに編まれていた。
私とおそろいの、すんだエメラルドグリーンの瞳。
胸元には、銀色の小さな十字のブローチ。
お父さんのエスコートで、王宮の白い大理石を、じっと見上げた。
そして、小さく、呟いた。
「ーー、二十年ぶりに、王宮というところを、見たわ」
「お母さん?」
お母さんはそれ以上、何もおっしゃらなかった。
白いベールの下のお顔が、王宮の白い柱を、じっと見上げていた。
ふだん、お母さんがそんなことを、おっしゃるのを、聞いたことが、なかった。
けれど、いまは、お母さんに会えたうれしさで、胸の奥がいっぱい。
◇◇◇
最後に、お兄ちゃんが、馬車から降りてきた。
王立医学校の本科生の、白いお召し物。
立ち襟の縁には、医学校の銀色の細い線。
胸元には、医学校本科生のしるしの、銀色の月桂樹の徽章。
下は、深い藍色のズボンに、黒い革のブーツ。
肩には、白いリネンの肩掛けの鞄。
蜂蜜色の髪は、私よりすこし暗めの色で、目元にやわらかく流れていた。
緑のリボンの結ばれた、薬草の籠を、しっかりと両手で抱えていた。
籠の中には、ローズマリー、ラベンダー、それから皇后陛下のお身体にいい、ふしぎな緑の葉。
「リリィ!」
お兄ちゃんが駆け寄ってきて、私の肩をぐっと抱いた。
「ーー、リリィ、元気そうだな」
「うん、お兄ちゃん」
「ーー、けれど、無理はするなよ」
お兄ちゃんはそれだけ言って、私の頭をくしゃっと撫でてくれた。
ホーニング村のお兄ちゃん。
医学校の本科生になったお兄ちゃん。
私の頬を、涙が、ぼろりと流れた。
「リリィ」
お父さんが私のそばに、そっと歩み寄った。
「うん、お父さん」
「よく、頑張ったな」
お父さんの大きな手が、私の頭にぽんと乗った。
「リリィ」
お母さんも、そっと歩み寄って、両手で私の頬を包んでくれた。
「リリィ、会いたかったわ」
お母さんの手は、ホーニング村にいた頃と、変わらず温かかった。
私の頬を涙が、ぼろぼろと流れた。
◇◇◇
「ご家族の皆様」
クラリッサ様が白いベールの下で、おだやかに微笑んだ。
「これより、謁見の間にご案内いたします」
「陛下が、お待ちでございます」
「はい、クラリッサ様」
ぎゅっと、両手の指を、組み合わせた。
胸の奥が、ぐっと深くなった。
◇◇◇
王宮の長い、白い大理石の廊下。
私はお父さん、お母さん、お兄ちゃんと一緒に、クラリッサ様の白いベールの後ろを歩いた。
四人の足音が、こつ、こつ、と、柔らかに響く。
お父さんが、ちっちゃく私の方を向いた。
「リリィ、大丈夫か」
「うん、お父さん」
ぎゅっと、隣のお母さんの手を、握った。
お母さんの手は、ホーニング村にいた頃と、変わらず温かかった。
◇◇◇
王宮の謁見の間。
天井ははるか高く、白い大理石の柱が左右にしんと並んでいた。
柱と柱のあいだには、銀の燭台と、深い藍色の旗が、すうっと垂れている。
白い大理石の床の中央に、深い深い紫の絨毯が、玉座へまっすぐに伸びていた。
玉座は、白い大理石の高い段の上。
その玉座の周りには、藍色の正装に銀の胸甲をつけた近衛が、左右に三人ずつ、剣に手を添えて直立していた。
入口にも、衛兵が二人、長い槍をまっすぐに立てて控えていた。
ふだんのお部屋とはまったくちがう、深く張りつめた、王宮の中心。
私の背筋が、ぴんと伸びた。
◇◇◇
奥の玉座に、ご威厳のあるお方が、深くお座りになっていた。
陛下。
黒髪に整えられた短い藍色のお髭。
深い深い青いお目(ノエル様の蒼い瞳と、よく似たお色)。
濃い藍色のお召し物に、銀の刺繍。
胸元には、金色に輝く、ライオンの王家の紋章。
ホーニング村のお家に届いていたお手紙の封蝋と、同じライオン。
ノエルをお迎えの黒塗りの馬車の扉と、同じライオン。
肩から長く流れる、深い紫のマント。
王者の風格。
私たち四人は、紫の絨毯の上を、玉座の前まで歩み出た。
絨毯がふっくらと深く、私たちの足音を、ふんわりと受け止めてくれていた。
お父さん、お母さん、お兄ちゃん、それから私。
四人で、玉座の前に並び、深く深くお辞儀をした。
「ジョン・ホーニング、ご家族か」
陛下のご威厳のあるお声が、広間に深く響いた。
「はい、陛下」
お父さんが代表で深く頭を下げた。
「これより、三つのことを、宣する」
陛下のお声が、深くなった。
ぎゅっと、胸の前で、両手を重ねた。
◇◇◇
「ーー、ひとつめ」
陛下のお目が、まっすぐに私を見つめた。
「リリィ・ホーニング嬢を、わが国と大聖堂教会の総意により、正式な聖女として認める」
「ーー、!」
私の心臓が、ぐっと深く跳ねた。
正式な、聖女。
国と教会が、私を、聖女として認めた。
クラリッサ様が、私の後ろで深く頷かれた。
◇◇◇
「ーー、ふたつめ」
陛下のお目が、まっすぐにお父さんに向けられた。
「聖女リリィ嬢を輩出したホーニング家の功績により、ジョン・ホーニングに、男爵の位を授ける」
「ーー、!」
お父さんの肩が、ふっと固くなった。
「陛下」
お父さんが深くひざまずいた。
「もったいなき、お言葉でございます」
「よく、わが王家のために、聖女をお育てくださった」
陛下のお声が、深く、温かかった。
お母さんも、お兄ちゃんも、深く頭を下げた。
◇◇◇
「ーー、みっつめ」
陛下のお目が、まっすぐに私を見つめた。
「わが息子ノエルと、聖女リリィ・ホーニング嬢の婚約を、正式に宣言する」
「ーー、!」
私の頬が、ぽっと、赤くなった。
正式な、ご婚約。
ノエルと、私の。
お父さん、お母さん、お兄ちゃんが、深く頭を下げた。
「陛下、もったいなきお言葉、謹んでお受けいたします」
お父さんのお声が、深く広間に響いた。
◇◇◇
「三つのこと、ここまでが、表向きの宣言である」
陛下のご威厳のあるお声が、深く続いた。
「ーー、けれど、もうひとつ、頼みたきことがある」
「これは長話になるゆえ、ここでは語らぬ」
陛下のお目が、まっすぐに私を見つめた。
「リリィ嬢」
「はい、陛下」
「ノエルを、私室まで、連れてきてくれぬか」
「私室、でございますか」
「うむ。客室ではなく、余の私室へ」
陛下のお目が、深くなった。
「ーー、そなたと、そなたの家族は、これより、わが王家と、家族となるゆえ」
家族。
陛下が、私たちを、家族と。
私の頬を、涙が、ぼろりと、流れた。
お父さん、お母さん、お兄ちゃんが、深く頭を下げた。
◇◇◇
「半刻のちに、私室で会おう」
「はい、陛下」
陛下のお声が、広間に深く響いた。
私たちは、深く深く、お辞儀をした。
陛下が、玉座をお立ちになって、広間をお出になった。
◇◇◇
広間に残ったのは、私と、お父さん、お母さん、お兄ちゃん、そしてクラリッサ様。
「ご家族の皆様」
クラリッサ様の白いベールの下のお声が、深く響いた。
「わたくしが、これより、陛下の私室にご案内いたします」
そしてクラリッサ様のお目が、私を向いた。
「リリィ様は、ノエル様のお部屋へ、お迎えにまいってくださいませ」
「うん、クラリッサ様」
「私室にて、ご家族とご一緒にお待ち申し上げます」
ノエル。
私が、ノエルを、お迎えに行く。
胸の奥が、ぐっと深くなった。
◇◇◇
ノエルのお部屋。
ベッドの上で、ノエルが眠っていた。
桃色の頬、深い深い蒼の瞳は、まだ閉じたまま。
「ノエル」
私はそっとノエルの肩に手を添えた。
「ノエル、起きて。陛下の私室で、お話があるの」
ノエルの長いまつげが、ぴくり、と震えた。
蒼い瞳が、そっと開いた。
「ーー、リリィ、か」
「うん。一緒に、陛下のお部屋に行こう」
ノエルはそれだけ言って、ゆっくりと身を起こされた。
◇◇◇
セバスチャンと一緒に、ノエルのお着替えをお手伝いした。
白いブラウスに、藍色のジャケット。
王太子候補のお召し物。
ノエルの腕を支えて、車椅子にそっと乗せた。
ノエルの体重が、私の腕に、ふんわりとかかった。
ふだんよりずっと、軽い。
けれど、ふだんよりずっと、温かい。
セバスチャンが、そっと毛布をノエルの膝に掛けてくださった。
「リリィ様、よろしくお願いいたします」
「うん、セバスチャン」
私はノエルの車椅子のハンドルを、両手でしっかり握った。
◇◇◇
「行こうか、ノエル」
ノエルが、こくり、と頷いた。
私はそっと、ノエルの車椅子を押しはじめた。
白い大理石の上を、車椅子の小さな音が、ゴロゴロと響いていた。
私と、ノエル。
王宮の長い、白い廊下を、これから、ゆっくりと歩いていく。
陛下の私室では、お父さん、お母さん、お兄ちゃんが待っている。
半刻ののち重大なお話が、はじまる。
王宮の窓の向こうで、春先の朝の光が、白く、白く、射していた。




