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森で見つけた呪われ少年を看病していただけなのに、王太子殿下に溺愛されています  作者: 葉月晴子
第二部 太陽を、迎えに

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第38話 予期せぬ再会

三ヶ月のお振る舞いとお祈りのご研鑽を終えた、その朝。


大聖堂のいちばん奥の執務室に私とフェルディナンド様の二人だけ、だった。


フェルディナンド様はいつもの白と銀色の長いローブの上に毛皮の縁取りの厚い、白いマントをはおって、いた。


胸の銀の十字の紋章が暖炉の火にしずかに輝いていた。


ーー、王宮へお参りに上がる、ご装い。


フェルディナンド様のおだやかな顔が今朝はいつもよりずっとしずかで深かった。


「リリィ様。王宮へ出立の前にひとつ、大切な、お話をしておかねば、なりません」


「はい」


「本日、王宮のご面会のお部屋に入るのはリリィ様とわたくしの二人だけでございます」


「私とフェルディナンド様、だけ、ですか?」


「はい。クラリッサ様はご面会のお部屋まではご一緒、なさいません。王宮のちっちゃな客間でリリィ様のお戻りをお待ちになります」


「はい」


二人、だけ。


なんだか、胸の奥がしんとした。


◇◇◇



「リリィ様。これからお話することは王宮のいちばん奥の秘密でございます」


フェルディナンド様の声がぐっと低く、なった。


「はい」


「ーー、殿下はもう、王宮のお抱えのお医者様方がぜんぶ、お手をお引きになった、ご状態でございます」


「!」


「お薬ではもう、いかんともしがたく、お命の終わりが近い、と」


私の指先がふるえた。


もう、お手を引かれた、お方。


お命の終わりが近い、お方。


「それでも殿下、ご本人が最後のご希望をお述べになられました」


フェルディナンド様の深い目がしずかに続いた。


「年若い乙女のお祈りを最後にお受けになりたい、と」


「年若い乙女のお祈り」


「はい」


「陛下はたいそう、お悩みになられました。けれど、最後には殿下のご希望をお叶えになられました」


「ただし、王宮の外にはぜったいに漏らしてはなりません」


「!」


「殿下が乙女のお祈りをご希望になられた、というだけで王宮のお威信に関わる、お話でございます」


「はい」


「ですからリリィ様。本日からのご面会のぜんぶは王宮内のいちばん奥の秘密、として、扱われます」


◇◇◇



フェルディナンド様の深い目が私をしずかに見つめた。


「リリィ様。もう、ひとつ、お伝えしておかねば、なりません」


「はい」


「本日、リリィ様が殿下の最後をお看取りになる、可能性もございます」


「!」


「お祈りの最中にお命の灯がふっと消える、その瞬間に立ち会われる、可能性です」


「フェルディナンド様」


「リリィ様。ーー、ご覚悟をお決めになってください」


私の喉がぐっと固まった。


私がお看取りになる。


私のお祈りの最中にお命の灯が消える。



「もし、お救いできなかった、としても」


フェルディナンド様の声がふっとおだやかに続いた。


「リリィ様にはご責任はございません」


「これはあくまで殿下、ご本人の最後のご希望をお叶えする、お役目です」


「お救いできて、当然、ではない、のですよ、リリィ様」


もう、医師が見放した、お方。


私はそのお方の最後の願いを叶えるためにまいる。


お救いできなくても誰も私を責めない。


けれど。


私は深く深く、息を吸い込んだ。


「フェルディナンド様」


「はい」


「私、できる限りのぜんぶをお尽くし、いたします」


「リリィ様」


「お救いできるか、できないか、それは神様のお決めになることです」


「けれど、私は最後まで諦めません」


フェルディナンド様の目がふっとしずかに潤んだ。


「それでございます、リリィ様」


「それこそが聖女、なのです」


◇◇◇



馬車の脇にはいつものようにクラリッサ様がしずかに待っていた。


亜麻色の髪を白いベールの中にまとめた、見慣れた、おだやかなお姉さん。


三ヶ月のあいだ、ずっと私のお世話係として、お辞儀から食事の作法までぜんぶぜんぶ、教えて、くれた、お方。


「リリィ様、ご準備は整いました」


「うん、クラリッサ様、ありがとう」


「ーー、王宮の中ではわたくしはお客間でお待ちしております」


「うん」


「リリィ様のお祈りが坊ちゃまのお命に届きますように」


クラリッサ様のおだやかな目がふっと潤んだ。


ーー、三ヶ月のあいだにクラリッサ様はもう、家族でもお友達でもない、けれど。


ーー、私の王都のいちばん近いお方になって、いた。


◇◇◇



フェルディナンド様の銀の十字の四頭立ての馬車に私とクラリッサ様とフェルディナンド様、三人で乗り込んだ。


馬車の中の私の足元にはホーニング村から持ってきた、お父さんの薬草籠、ふたつ。


大聖堂の薬草庫からお分け、いただいた、世界中の珍しい薬草がふたつ、みっつ、追加で。


ぜんぶぜんぶ、私が自分の手で選んだ、いちばん、効くと思う、薬草、ばかり、だった。


「リリィ様、本日から数日間、王宮のちっちゃな客間でお過ごし、いただきます」


「はい」


「ご面会のお部屋にはわたくしとリリィ様、二人だけでお参りします」


「はい」


「クラリッサ様はお客間でリリィ様のお戻りをお待ちになります」


「はい」


馬車の四頭の白い馬がしずかに雪をけって、王都のいちばん、中心へと向かって、走り出した。


王都のいちばん、中心のまた、もっと奥。


雪を頂いた、白い大理石の巨大な、王宮がそびえ立っていた。


私は思わず、息をのんだ。


ホーニング村のすべての家をぜんぶ、足したって、絶対に敵わない大きさの建物だった。


「リリィ様、ご無理をなさらないでくださいね」


フェルディナンド様が私の隣でおだやかに笑った。


──緊張、しないわけがない、よ。


──こんな、お屋敷、生まれて、初めて、見たもの。


私は薬草の籠をぎゅっと抱きしめて、馬車の窓の外を見つめていた。


◇◇◇



王宮の門がしずかに開いた。


中に入ると想像の何倍も長い、白い、大理石の廊下が続いていた。


たくさんの衛兵さん。


色とりどりの立派な調度品。


私のちっちゃな村娘の足音がその大理石の上でこつこつと響いて、不思議な感じがした。


廊下のずっとずっと奥。


そこからふいに静けさが増した。


足を踏み入れた、奥の翼はまるで別の世界のような、しずけさで満ちていた。


人の気配がない。


──、ここが殿下のお部屋のある、棟。


長い廊下のいちばん奥。


重い彫刻の扉が固く、閉ざされていた。


「リリィ様。ーー、こちらでお待ちでございます」


王宮のお抱えのお医者様らしい、初老の男の人が深く、頭を下げて、その扉をしずかに押し開けた。


ぎぃと長い、軋む音が廊下に響いた。


◇◇◇



お部屋は薄暗かった。


重い紅のカーテンが窓を固く、塞いでいる。


薬の独特な匂い。


その奥に。


天蓋付きの立派なベッドが置かれていた。


ベッドの厚い、毛布の中に。


私よりほんの少しだけ、大きい、けれど、それでも十六歳のお方としてはずっとちっちゃな影がひとつ。


私は籠を両手で抱えたまま、ゆっくり、とベッドの脇まで近づいた。


ベッドのその方の顔を覗き込む。


──、!


時間が止まった、気がした。


私の心臓がその一拍を忘れた。


ベッドの上に横たわっていたのは。


──、夜のような艶やかな、黒い髪。


──、長い、長い、まつげ。


──、青白く繊細な、頬の線。


「ノエル」


私の唇が勝手にその名前をなぞった。


「ノエル」


「ああ、ノエル」


私はもう一度低く、その名を呼んだ。


声にすることがそれがほんとうのことだと自分に認めさせる、唯一の方法だった。


──、ノエル。


──、私のノエル。


──、王宮の呪われた殿下、と呼ばれていた、お方は。


──、私のノエル、だった。


◇◇◇



頭がぐらぐらと揺れた。


──、私、ずっと別の人をお看しに来たんだと思っていた。


──、ノエルは貴族のお家のお子様、だ、と思っていた。


──、なのに殿下。


──、この国の次の王のお方。


世界がいっぺんに組み変わって、いく音が聞こえる気がした。


──、けれど。


そんなことよりももっともっと大事なことが目の前にあった。


ノエルの顔。


熱で頬がほんのり、赤い。


息は浅く、ひゅうひゅうと笛のような音を立てていた。


──、五年前、森の苔の上で見つけた、あの日と同じ、音。


「ああ、ノエル」


私は薬草の籠をベッドの脇の机にそっと置いて。


ベッドの脇にゆっくり、とひざまずいた。


ノエルの額に私の手をおそるおそる当てた。


熱い。


びっくりするほど、熱い。


「ノエル。こんなに苦しんで」


私の目から涙がぼろりとベッドの上のノエルの手のすぐそばに零れた。


──、けれど。


それは爆発する、涙ではなかった。


ただ、ただ、しんしんと深いところから湧き上がってくる。


悲しみの涙だった。


◇◇◇



ノエルの顔は私の知るあの頃の十一歳のノエルよりすこし、おとなになっていた。


毛布の下の身体もすこし、伸びている、気がした。


きっと私と過ごしていた頃に呪いがほんのすこしだけ、ゆるんで。


その間にノエルの身体はすこしだけ、伸びていたのだろう。


──、けれど。


それから五年。


呪いはふたたび、ノエルの身体をぎゅうと捕まえてしまった。


そのすこし、しか、伸びていない身体は。


今、しんしんと苦しんでいた。


笑っていた、ノエル。


お庭で青薔薇を見つめていた、ノエル。


お星さまのクッキーをぜんぶぜんぶ、食べてくれた、ノエル。


私の指に二回、口づけてくれた、ノエル。


──、あの頃の元気なノエルの面影は。


──、今、目の前の苦しんでいる、少年にほとんど、残って、いなかった。


──、あんなに元気になって、帰って、行ったのに。


──、どうして、こんな、姿になって、しまったの。


──、ノエル。


胸がぎゅっと絞られた。


絞られて、絞られて、絞られて、それでも私はまだ、爆発しなかった。


爆発する代わりに。


私の中にしずかに火が灯った。


絶対にノエルをもう一度、元気なノエルに戻す。


その火が。


◇◇◇



「ノエル」


私はノエルの手を両手でゆっくり、と包んだ。


温かい。


けれど、五年前の別れの日の手よりずっとずっと熱い。


熱いのに奥の方がなぜか、しん、と冷たい気がする。


「ノエル」


「私、来たよ」


「私、ずっとノエルを待ってた。毎日、毎日、待ってた」


「お薬の効かない、人をお看する、お話を聞いて、ノエルだ、なんて、ぜんぜん、思って、いなかったよ」


「ノエル、こんなに苦しんでいたの」


「ごめんね」


「もっと早く、来てあげたかった」


私は息をひとつ吸い込んで。


そして、しずかにノエルの耳元でささやいた。


「ノエル」


「ノエル、きっと元気になるから」


「だから二人で頑張ろう」


「私、もう、ノエルを置いていかない、から」


「ずっとそばにいる、から」


「ノエル」


ノエルは目を閉じたまま、答えなかった。


ただ、ふっ、と。


ノエルの長い、まつげがほんの少しだけ、震えた、気がした。


私の声が届いた、と。


そう、思いたかった。


◇◇◇



「リリィ様」


部屋のずっと奥、暗がりの方から。


聞き覚えのある、しわのある声がしずかに聞こえた。


私ははっと顔を上げた。


そこに立っていたのは。


白い髭のおじいちゃん。


五年前。


雪の門の前で。


ノエルが乗った、黒い馬車を私の隣で見送って、しゃくりあげていた、おじいちゃん。


「セバスチャン」


「リリィ、様」


セバスチャンのしわのある目から。


ぼろぼろともう、ずっと前からこらえきれない涙が白い髭を伝って、ぽたぽたと落ちていた。


「リリィ様が坊ちゃまのお救いに来てくださる、お方、だった、なんて」


「セバスチャン」


私はノエルの手を握ったまま、頷いた。


「ノエルはまだ、生きたいって、気持ちがあるから私を呼んでくれたんだよね」


「リリィ、様」


「ノエルは絶対に元気になるから。ーー、信じよう、セバスチャン」


「リリィ様」


セバスチャンは両手で自分の口を押さえて、肩を震わせた。


それから深く深く、頭を下げて。


長いあいだ、ずっとこらえてきた涙をようやく、ぜんぶぜんぶ、こぼした。


◇◇◇



「リリィ様」


涙をようやく、おさめた、セバスチャンがしずかに口をひらいた。


「お伝え、しなければ、なりません。坊ちゃまがリリィ様をお呼び、になられた、そのいきさつを」


「いきさつ?」


「はい」


セバスチャンはしわのある手をぐっと握って、しずかに続けた。


「坊ちゃまはご病状のことさらにお悪い、深い夜にぼそぼそとおっしゃるのです」


「リリィにひと目、会いたい、と」


「!」


私の心臓がぎゅっと跳ねた。


「私はそのお言葉をぜったいに忘れずに王宮のお抱えのお医者様方にお伝え、いたしました」


「最後のお望みとして、乙女のお祈りをお受けになりたい、と」


「ーー、ローゼンタール離宮のそばで評判の癒しのお力をお持ちのご少女のお祈りをと」



ーー、ローゼンタール、離宮。


ーー、それは王宮のいちばん奥の秘密のちっちゃな離宮。


ーー、ノエルがご幼少からお暮らしになって、いた、あの青薔薇のお庭の離宮。


「セバスチャン」


セバスチャンのしわのある目がしずかに私を見上げた。


「ーー、ローゼンタール離宮のご存在は王家のいちばん深いご機密です。坊ちゃまがお暮らしになって、いたことも王宮のご記録の上にはぜったいに出てきません」


「はい」


「ですからリリィ様が毎日お通いくださっていたことも王宮ではぜんぶ伏せられております」


「!」


「リリィ様のお名前もご出身のお村のご名前も王宮のお記録にはございません」


「ーー、ローゼンタール離宮のそばの評判のご少女、としか、お分かりになりません」


「!」


ーー、なるほど。


ーー、フェルディナンド様もお抱えのお医者様方も私がノエルの知り合いだったとはぜんぜん、ご存じない。


ーー、ただ、評判のご少女として、私をお呼びになった、だけ。


ーー、けれど、!


私の胸の奥がぐっとふくらんだ。


ーー、ノエルが私のことを最後にとお望みになられた。


ーー、ノエル、私のことずっと忘れずにいてくれた。


ーー、五年もずっとずっと私を待っていてくれた。


涙がぼろりとノエルの毛布の上にまた、零れた。


「ノエル」


私はノエルの手をぎゅっと両手で包み直した。


「ーー、来たよ」


「私、ちゃんと来たよ」


「ーー、待っててくれて、ありがとう」


ノエルの長い、まつげがふっとほんの少しだけ、震えた、気がした。


◇◇◇



ふと私の目がノエルのベッドの脇のちっちゃな本立てに止まった。


その背の革張りに金色の刺繍のライオンの紋章がしずかに押されて、いた。



ーー、そのライオン。


ーー、五年前。


ーー、雪の門の前でノエルを乗せて、王都へ走り去って、いった、あの黒い、立派な馬車の扉に金色に輝いて、いた、あのライオン。


ーー、私、見たことあった。


私の指先がしずかにふるえた。


ーー、それからもう一つ。


ーー、お母さんがホーニング村の家の暖炉の上のちっちゃな棚にしずかにしまっていた、立派な封蝋のついた、お手紙の束。


ーー、年に一度、雪の季節にセバスチャンがお母さんにお薬のお礼にと届けて、くださって、いた、お手紙。


ーー、その赤い封蝋にいつもちっちゃく、押されて、いた、金色のライオン。



ーー、あれも王家の紋章、だったんだ。


私の胸の奥がふっとしんしんと震えた。


ーー、ノエル。


ーー、私、ぜんぶ、見て、いたのに。


ーー、ぜんぜん、気づいて、いなかった、だけ、だったんだ。


ーー、けれど。


それはもう、悲しさではなかった。


ーー、ノエルが五年のあいだもちっちゃな紋章の中でずっと私と私の家族のそばにいてくれていた、とわかる、ちっちゃな温かさ、だった。


ーー、ノエル。


ーー、ノエルはずっとずっと私の近くにいた。


ーー、ただ、私がそれを知らずにいた、だけ、だった。


◇◇◇



私の本当の看病が。


ここから始まる。


ノエルをもう一度、私の知る、元気なノエルに戻すための看病が。


雪が王宮の大きな窓の向こうでしんしんと降っていた。


私はノエルの手をぎゅっと握り直した。


──、ノエル。


──、私、来たよ。


──、絶対にもう、ひとりにはしない、から。



リリィ・ホーニング、十二歳の冬。


ノエルと別れて、五年と三ヶ月。


「呪われた殿下」と呼ばれる、その方の扉の向こうに横たわっていたのは。


──、私のいちばん、大切な、ノエル。


──、五年ぶりの再会。


──、そして、ここから私の本当の本当の看病が始まる。

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